第89話 透明人間の逆襲5

 ここで、命や志乃も含めた何人もの生徒が目撃したという『二メートルの怪人』について考えてみよう。


 教員や事務員を含めても、ほとんど男性のいない全寮制の女子校に出没する怪人はどう考えても怪異である。目が合ったら消えてしまったという話がいくつもあるようだから、そのあたりも考慮すればほぼ確実だろう。


 では――疑問になってくるのは次のことだ。


 何故、姿を見たら消えるのか。

 一体なにを目的にして校舎を徘徊しているのか。

 どうしてそんなものが現れたのか。


 大きく分けるとこの三つだ。


 何故姿を見ると消えるのか――そいつが怪異的な存在であるのなら、存在するためになんらかの制約があるのかもしれないというのが妥当なところである。


 そう考えると――どうしてその制限が出てきたのかという新たな疑問が出てくるところだけど――それについて考えるのはまだいいだろう。いまはそっちに掘り進める段階ではない。まずは『姿を見られたら消える』ということについて考えるのが先決だ。


 一つの可能性として考えられるのは――なにかしらの代償として、姿を見られるのがNGになった、というところだろうか。


 怪異だからといって、なんの代償も払わずになにかをすることはできない。それは普段、目にする法則とはまったく違うものであるけれど――等価交換なのは同じだ。


 稀にその法則を無視しているかのような強大な力を持つ場合もあるけれど――校舎を徘徊している怪人にそれが当てはまるかどうかは不明である。誰かに姿を見られたら消えてしまうことを考えると、例外的に力が強い怪異ではない可能性が高いが――


 次――


 怪人はなにを目的にしているのか――だが、これにはいまの段階で答えられない。


 そもそも、他人だってなにを目的にして生きているのかわからないのだ。人間ですらわからないのだから、怪異の目的などわかるはずもない。


 しかし――

 校舎を徘徊している――そこになにかヒントがあるように感じられる。


 校舎でなにかを探しているのか――それとも、校舎にしか存在できないのか、だが。


 一応、校舎には怪異の存在を散らす結界――みたいなものが京子によって張られている。が、校舎に張られているそれは、夏穂の部屋に張られているものとは違って、他の多くの生徒に影響を及ぼさないためにそれほど強くないものになっている。


 だから、強い力を持つ怪異は簡単にそれを打ち破れてしまう。打ち破れる怪異は滅多に自然発生しないが。


 そうなると――

 どうして寮では目撃情報がないのだろうか? そこが疑問になってくる。


 寮に張られているものも、夏穂の部屋にだけ張られているもの以外は校舎のと同じである。それなら、寮でも目撃情報があってもいいのではないだろうか? それがないというのが少し気になるところだ。寮の方が狭いから、目撃情報は多くなるだろうし。何故だろう。


 そして三つ目――どうしてそんなものが現れたのか、だ。


 二メートルもある、見た目からして異形だとわかってしまう怪人なんて怪異――どう考えても自然発生したものとは思えない。


 やはり――


 こいつも――過去に発生した怪異、透明人間だとか夢魔だとかと同じく、京子以外の何者かが放った人工的な怪異なのだろうか?


 命が転校してきてから現れた怪異が人工的なものだというのを、京子にはまだ言っていなかった。


 言わなかったのにはたいした理由はない。言うまでもないことだと思ったからだ。


 しかし――そろそろ言っておいたほうがいいかもしれない。もし、自分以外に怪異の専門家が学園内に潜んでいるとなったら、京子だってなにかしらのアクションを起こすだろう。


 これがどのような存在だったとしても――頼まれた以上、さっさと潰しておかなくてはならない。


 普通の人間には害がなかったとしても、怪異に近づいてしまった命は同じとは限らないからだ。命や夏穂の場合、普通であればなんの影響を及ぼさない怪異であっても、強く反応し、なんらかの影響を強く及ぼしてしまう場合が多い。


 自分だけなら放っておいて襲ってくれれば、オーエンが勝手に始末してくれるが、命はそうではない。夏穂は、命を守ってやらなくてはならないと決めている。彼女は――自分にはできなかったことをやっている娘だ。その邪魔を、させるわけにはいかない。


 さて。


 一体どうやって排除すればいいのだろうか? 結構な生徒が目撃しているから、すぐに発見できそうだが――



「……ずいぶんと大人しいわね」


 夏穂の思案を打ち切ったのは、一緒に歩いている志乃の言葉だった。

 夏穂と志乃は校舎に赴いていた。校舎に生徒の姿はまったく見られない。なにか危険なことはあるかもしれないので、命は面談室に待機させている。あの娘は賢いから、置いておいても大丈夫だろう。


「先輩が見たという怪人がどんなものなのか考えていたんですよ。ご一緒しているのに黙ってしまって大変申し訳ありませんね。少し考えてみて、特になにも思い浮かばなかったので先輩のお相手をしようじゃありませんか。なにか質問とかありますか? 私が答えられる範囲のことならなんだって答えてあげますよ」


 夏穂は気安くそう言うと、志乃は無言で睨みつけてきた。

 ……どうしてこんな態度を取られているのだろう? 以前、話をしたときはこんな感じじゃなかったのに。

 どうしたもんかな、なんてことを思っていると――


「あんたさ、本当になんなの?」


 憮然とした声で志乃が話しかけてきた。


「なんなの、と言われましても――人間に似た生物としか答えようがないのですが……」


 本日は土曜で、授業は午前で終わりのため、校舎はすっかり静まり返っている。自分たちの歩く足音だけがやけに大きく思えた。


「なにそれ、ふざけてんの?」

「ふざけているわけではなくて、本当にそうなんですよ。ちょっと昔に不幸なことがありまして、人ではなくなってしまったというかなんというか」


 はっはっは、と夏穂は軽く言って笑った。


「ふーん。じゃ、あんたは人の皮を被った化物ってわけ?」

「ま、そうですね。そう言われると否定のしようがありません。事実ですから」


 自分の身の上話をする必要はないだろう。愉快な話ではないし。別にどう思われたところで知ったところではない。この世に知らなくていいことなんて腐るほどある。


「ところであんた、今日みたいなこといままでもやってるわけ?」

「ええ、まあ。私にも色々と事情がありまして。そのお話とかしたほうがいいですか?」

「しなくていい」


 志乃は冷たく言い放つ。相変わらずその言葉には棘があった。いつかみたく殴りかかられたりしないだろうかと思う。


「それで、あんたに訊きたいんだけど、あの怪人についてどう思ってるの?」

「どう、ですか。そうですね――」


 先ほどまで考えていたことを思い出しながら夏穂は言葉を紡ぎ始める。


「色々と気になるところはありますが――一番気になっているのは、どうして姿を見たら消えてしまうのかってところですね。

 聞いた話によると、見るからに化物みたいな姿をしているようじゃないですか。そんな恐ろしい姿をしている存在が、人間にビビるような臆病な気質とはどうしても思えないんですよね」


 誰の姿も見えない校舎を進んでいく。

 やはり、誰の姿も見えない校舎というのは異界だ。

 なにか起こっても、そのままその異質さに握り潰されてしまう気がする。


「恐らく、姿を見られるとなにか不都合があるんじゃないかと思っているんですけど――どう思います先輩」

「知るか。化物のことなんてあんたのほうがわかるだろ」

「それは失礼。その通りですね」


 夏穂の軽口に、志乃はなにも答えない。相変わらず、重々しく――そして、夏穂に向けて敵愾心を放っている。


「それにしても先輩、どうやら今日はずいぶんとご機嫌ナナメじゃないですか。なにかお悩みですか? 悩みがあるのなら相談に乗りますよ」

「あんたに言う筋合いはない」

「それはその通りですが――残念ですね。私がなにかしたのであれば謝罪しようと思っているんですけど」

「あんた……!」


 志乃は立ち止まり、振り返って――夏穂の胸ぐらをつかもうとして――そのまま動きが硬直した。


「……どうかしました?」

「いま、後ろのほうにいた」


 志乃は伸ばしていた手を引っ込めてそう言った。

 夏穂は後ろを振り買ってみる。そこには誰の姿も見られない。


「なにもいないみたいですけど」

「あんたが振り返る前に奥に行ったわ。行ってみましょう」


 志乃はそう言って、怪人が見えた方向に歩き出した。


「……なんだろこの感じ」


 夏穂はなにか違和感を感じながらも――志乃の後ろについて歩いていった。

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