第82話 宇宙からの襲来14

「ふふ、驚いたな。まさかきみがこんな小娘に力を借りるとはね。そこまでして俺をなんとかしたいと思っていたわけか。たいした執念じゃないか」


 医師――いやダークはいやらしい笑みを浮かべながらわたしに近づいてくる。


 ダークが寄生している若い医師は見たことがあった。確か、彼はまだ研修医で、健診のとき鈴鹿医師についてきたことが一度あったはずだ。そのときは普通の青年に感じられたが――


 いまは違う。


 いまの彼はその身体から圧倒的な邪悪を放っている。身体から漏れ出すそれは彼のものではなく、ダークのものなのだろう。ただ近くにいるだけで、わたしもその邪悪さに感染してしまいそうだ。彼の中から放たれている邪悪の波動は、前の病院でたびたび見かけ、襲われることもあった悪霊の類とは比べものにならない。ただ、そこにいるだけで邪悪であることがわかってしまう――そんな存在が実在するなんて思いもしなかった。


「ああ、そうか。確かその小娘は喋れないんだったっけ? それはすまないね。きみに対する配慮が欠けていた。いやいや、実に申し訳ない」


 口ではそう言っているものの、そこにはなんの感情も感じられなかった。見下し、嘲るためにそんなことを言っているのが簡単にわかってしまう。恐らく、ダークもそれを隠す気はないのだろう。


「しかし、実に困ったね。せっかく身体を破壊してやったのに追いかけられるとは思ってもいなかった。その執念には脱帽だよまったく。どうしてきみらはそこまで俺たちを滅ぼそうとするんだ? ひどいじゃないか」


『ふざけるな』


 いまではすっかり聞き慣れた少年のような声がこのフロアに反響した。ヒカリの声だ。どうやっているのかは不明だが、ダークにも聞こえるように声を響かせているらしい。


『お前は僕らの星でなにをした? 略奪、殺害、詐欺、強姦、強盗、違法品の密売。この他にもお前がやったことはたくさんある。それだけのことをやっておいて被害者ヅラをするな』


 ヒカリの声は怒りに震えている。その声を聞くだけで、ダークがヒカリが住んでいる場所でどれだけ悪いことをしたのかが受け取れた。


「おお、怖い怖い。せっかく可愛い女の子の姿になってるんだから、もうちょっと可愛い感じにしたらどうだ?」


 かつかつと足音を立ててダークは近づいてくる。一歩近づくたびに、医師の身体を通じて漏れ出す邪悪さでむせ返りそうになった。


 ダークはわたしのすぐそばまで近づいてきて、邪悪な笑みを見せる。その笑みにはあまりにも邪悪なものが感じられて、恐怖を感じた。あの日に、怖いと思う感情なんて壊れてしまったと思っていたのに――少しだけ意外だった。


「いや、こんなド田舎にいる知的生物なんざ下等なもんかと思っていたけど――来てみればそれほど悪くない。そういうもんだと思えばそれなりに楽しめそうだ。たまにはノスタルジックなのもいい」


 ダークは明らかにわたしを――いや、人類すべてを小馬鹿にしていた。それを聞いていると、もうすでになくなったものだと思っていた怒りが湧き上がってくる。


「それに調べたところによると、きみたち人間とやらはかなり好戦的な生き物みたいじゃないか。有史以来戦争が途絶えない程度にはね。


「人間を利用して楽しむのなら、その習性を利用したほうがより楽しめそうだ。どうやら核も使えるみたいだから――下手すると滅んでしまうかもしれないなあ。まあ、それはそれで面白いかもしれないが――どうせ遊ぶのなら長く楽しみたいところだが――さて、どうしたものか」

『なにをする気だ?』

「おや、俺のやることに興味があるのかい? きみもなかなか悪いやつだなあ。いやいや驚きだよ。てっきりきみは、俺の邪魔をしてくると思ったんだけど」


 ダークは芋虫みたいに転がっているわたしのことを悠然と見下しながら歩いていく。その姿はわたしから見ても油断しきっているように見えた。


 これだけ余裕をかましているのなら付け入る隙はありそうだが――手足を拘束された状態ではその隙もつけるはずもない。


 しかし――


 手足を拘束されていようと、この状況を打開できなければわたしはここで終わりだ。


 あれだけの邪悪さを放つやつが、素直に交渉に応じるとは思えない。ダークを目の当たりにして、わたしもヒカリと同じくそう結論した。


「でも、そのためにはここから出ないといけない。ここを覆ってるあの光の網がじゃまでさあ。本当に困ってるんだよ。なんとかしてくれない?」


『ふん。お前と交渉なんかできるか。あの光を消したら、ぼくもこの娘も殺すつもりなのはわかってる』

「お、わかってるじゃないか。さすがここまで俺のことを追ってきただけのことはある。その通りだ。どうして俺がきみたちを生かしておかなきゃならない?


「そもそも、俺のほうが圧倒的に有利な状況なのに、相手が出す条件なんて守る必要性なんてゼロだ。そんなことをするやつは、この国の言葉で馬鹿って言うらしいぜ」


 ダークのわたしたちを殺すつもりだというのは、嘘でもハッタリでもないことはすぐにわかった。こいつはへらへらと余裕ぶっているけれど、その裏には想像を絶するくらいの冷酷さが隠されている。それを思うと――あまり暑くないのに、じわりを汗がにじんでくる。


 ――なにかできないかな?


 わたしは心の中でヒカリに話しかける。


〈いまはまだ下手なことはしないほうがいい。やつは隙だらけに見えるが、それはフリだけだ。わざと隙だらけに見せて挑発して、ぼくたちに手を出させようとしている。この手段で何人もの仲間がやられた〉


 隙だらけに見えるのはフリだけ――なんて邪悪なのだろう。その邪悪さで何回自分を追う相手を仕留めたのか。それを思うと――いままで経験したことがないほど腹の底が冷えてくる。


 ダークからは――あの日遭遇した、わたしを壊し尽くした黒い人影とは別種の恐怖が感じられた。


「おやおや? なにか相談してるの? この状況でも諦めないなんてさすがだなあきみは。ほら、さっさとあの光を消してくれよ。そうしたら助けてやるからさ」

『嘘つけ』

「あれ? バレちゃった? うーん残念。この状況でも俺がどう動くかをちゃんとわかっているようだ。その勇敢さは素晴らしい。敵ながら賞賛に値する。

 だけど――」


「そちらのお嬢さんはどうなのかな?」


 その身からさらなる邪悪さをこぼれさせてダークはわたしに視線を向けて言葉を紡ぐ。その目を見ていると、圧倒的な邪悪さで心が折れてしまいそうになる。


「ほら、無理しなくていいんだぜ。わたしのために条件を飲んでください~って言えばいいじゃないか。そういえば甘ちゃんのそいつはきみの言う通りにするだろう。ほら、どうしたんだよ。顔が可愛いんだから声も可愛いんだろ? ほら、可愛い声で鳴いてみろよ下等生物。ゴミみたいだけど知能があるんだろ?」

『駄目だ。そいつの言うことは聞いちゃいけない』


 ヒカリは懇願するような声を響かせる。


 ――ねえ、わたしの声をあいつに届けられる?


 わたしはヒカリにそう質問する。


〈なにを言ってるんだ。もしかしてやつの条件を飲むつもりか? あいつは決してこっちの条件を守ったりしない。交渉が通用する相手じゃないんだ。頼むからやめてくれ〉


 ――ううん。そうじゃない。ちょっと訊きたいことがあるの。


〈訊きたいこと?〉


 ――ヒカリがなにを言いたいのかはわかってる。あいつには交渉なんて通用しないことも。一つ訊きたいことがあるの? お願い。


〈……わかった。きみのことを信用しよう〉


 ――ありがとう。


「おや。どうした? また秘密の相談事かい? きみらだけしかいないのならいいが、俺がいるのにそういうことするのは感心しないなあ」

『ねえ、あなたに一つ訊きたいことがあるんだけど』

「なんだい?」

『あなたが動かしていた死体はどうしたの?』

「死体? ああ。きみを捕まえたあとはちゃんと地下の安置室に戻しておいたよ。もう必要ないからね。きみらに中身を抜かれたやつは動かせないからそのまま放置したけど。それがどうかしたのかい?」

『別に。ただ気になっただけ』

「自分の心配じゃなく死体の心配とは――本当にきみら人間は死体を大事にするようだな。本当にわけがわからない。どうして死んだものにそんなに執着する?」

『そんなもの――あなたにはわからないわ』

「だろうな。心底どうでもいい。


「で、言いたいことはそれだけか? 他にもなにか訊きたいことがあれば訊いてやるぜ」


 堂々とした余裕の態度でダークは言う。


『ない』

「じゃ、やつに病院を覆う光を消してくれって頼んでくれるか?」


 わたしはなにも言わない。 

 言うつもりもなかった。


 なにか――なにかないのか?

 あの邪悪な存在を打ち倒す手段が。

 ないのだろうか?


 なにもないのなら、わたしは――


「なんだもうだんまりか。仕方ない。こういう野蛮なことは好きじゃないんだが――お願いしてくれるまで少し痛い目を見てもらおうか」


 ダークはそう言って邪悪な笑みを見せて、わたしの前にしゃがみ込んだ。

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