#3

第24話 無間の牢獄1

 望月朋香もちづきともかは不安を感じていた全寮制高校での生活にもやっと慣れてきたな、と考えていた。

 朋香がこの月華学園に進学したのにはたいした理由はない。一刻も早く地元を離れて生活したかったからである。


 全寮制高校への進学を決めた理由は両親と不仲だったからではなかった。いまでも連絡は取っているし、長期休みに入れば帰省もしている。

 両親は嫌ではないが、自分が十五年暮らしてきた田舎町は別だ。あんなところにずっと住んでいたいとはまったく思えなかった。


 朋香の地元がろくに娯楽もない田舎だったから、という理由も間違いなくあっただろう。なにをするにも車が必要になる田舎では、子供が行ける範囲に楽しめる娯楽なんてほとんどない。野山をかけまわるのなんてすぐに飽きてしまう。


 それよりも、朋香にとって不愉快だったのは田舎社会特有の風習だ。

 同調圧力や過干渉――田舎の老害どもが平然と行っている行為が朋香は小さいときから不愉快でたまらなかった。


 平然と他人の家に上がり込み、望んでもいないのにわけのわからない干渉を勝手に行ってきて、それを嫌だといって突っぱねれば村八分にする、都会であったのなら法律に触れるような嫌がらせすらもやってのける――小さかった時分からそんな光景を何度も朋香は見てきた。


 田舎でのスローライフに憧れて越してきた若者が『こんなはずじゃなかった』という顔をして涙を浮かべて地元を去っていった光景を。それを見るのは胸が痛かった。なんの生産性のないゴミ老害のために若者が犠牲になる社会――それが多くの田舎の実体である。


 田舎には都会にはないものがある――なんて広告を見かける。

 まあ、それは嘘ではないだろう。田舎には、都内にはないものが確かにある。それは間違いない。


 だが――


 その都会にはないものが素晴らしいものなのかと問われれば朋香ははっきりと答えられる。


 ノーだ。


 田舎のメリットなんて地価が安いことくらいだ。それにしたって生活に車が必須では保険料とガス代と整備代で打ち消されてしまうだろう。

 駐車場代は安くても、ガス代や保険料は田舎だって変わらないのだから。


 そもそも――


 田舎の多くが限界集落と化して消滅の危機にあるのは何故か? しかもそれはどんどん増えているという。


 日本の人口そのものが減少していることも原因の一つだろう。


 しかし、果たしてそれが原因なのだろうか。どっかのあほな広告の言う通り都会にはない魅力があるのなら、限界集落とやらはもっと少ないのではと朋香は思う。


 つまり――


 利用価値が一切ない山ばかりの田舎では仕事もなにもない。仕事がなければ暮らしていけない。それは現代社会での真理である。仕事がなくても暮らしていけるのはごく少数の金持ちだけだ。


 仕事もろくにない、暮らすのも困る場所にわざわざ住む意味はまったくない。豊かな自然は生活を豊かにしてくれないし、保護もしてくれないのだ。そんな場所にわざわざ住むなど、普通の感覚ならあり得ない。


 田舎など、盆と正月に数日帰省するくらいでちょうどいい――朋香はそう考えている。たまにする帰省以外で地元に戻るつもりはまったくない。

 だいぶ先になるけれど、進学も就職もこちらでするつもりだ。老害どもからなんと言われようが知ったことではない。老害どもの汚い声は、どうせ東京までは聞こえてこないのだ。


 とはいっても――

 地元を離れての生活に不安がなかったといえば嘘になる。


 自分のようなド田舎で暮らしてきた者がちゃんと東京の人間に受け入れてもらえるだろうかというのは不安で仕方なかった。地元であったことは、東京にだってあっておかしくないと思っていたから。


 ――しかし。

 結果から言えばそれは杞憂にすぎなかった。


 理由は二つあった。全寮制の私立ということもあって、朋香と同じように田舎出身の者が結構いたこと。


 そして、もう一つは――


 進学して、最初に仲よくなった娘が、いままでの短い人生で見たことないくらい、太陽のように明るかったことだ。朋香が考えている不安など、馬鹿馬鹿しくなってしまうくらい、とても明るく照らしてくれた。


 見知らぬ土地で一人でやっていかなければならないと、固くなって朋香を一切の言葉を使わずにそれを解きほぐしてくれたから――

 だからこの半年間、朋香は知り合いが誰もいない全寮制高校での生活もなんとかやっていけたのだと思う。


「ん? どうかした?」


 今日の授業が終わり、隣を歩いていたその友人――清瀬姫乃きよせひめのが首を傾げて問いかけてくる。朋香が「なんでもない」とだけ言うと、彼女がそれ以上口をなにも口を挟んでこなかった。そんな距離感の取りかたが上手なところも好きなところの一つである。


 月華学園は初等部からあるため、朋香のような高校からの進学組は学年の四分の一ほどだ。進学組とエスカレーター組とで仲たがいはしていないが、長く全寮制学園にいる者とそうでない者との間では話が合わないことも多かったりする。高校からの進学組は、進学組同士でグループを作っていることが多い。


 だが、姫乃は違った。


 どう考えたって言動は目茶苦茶なのに、何故か惹かれるものがある。たぶん、あれをカリスマ性とか言われるものなんだろう。


 入学して数日と経たずに、進学組もエスカレーター組も関係なく、彼女の魅力に圧倒され、ひれ伏してしまったのだ。いまでは学年でもっとも好かれている生徒だと確信を持って言える。


 入学してすぐ、なにかトラブルがあったようだけれど――それについて朋香はよく知らなかったし、なにか込み入った事情があったのは明らかだったので訊くべきではないと思って、気になってはいるもののいまでも詳しい話は訊いていない。


 朋香は、そんな姫乃とルームメイトであることがとても誇らしかった。彼女のことを褒められると、自分のことを褒められるのと同じくらい嬉しい。それくらい素敵なのが清瀬姫乃という同級生だった。


「いやー、秋休みも終わっちゃったねえ。どうして休みは終わってしまうのでしょうね。朋ちゃんなにかわかります?」

「うーん。どうしてだろう。全然わかんない」

「ですよねー」


 姫乃は歩きながらけらけらと笑っていた。こんなたわいもない会話であっても、姫乃とであれば底知れぬほど尊いと思える。


「あ」

「どうかしました?」

「課題のプリント忘れちゃった。取ってくるから先に行ってて」

「わかりましたーそれじゃあまた」


 そう言って姫乃の姿が見えなくなるまで見送ってから朋香は踵を返して歩き出した。

 そのとき――


 突如としていま自分が立っている場所がおかしな場所であることに気づいてしまった。


「え? なに、これ」


 先ほどまであった放課後の騒がしさが消え、田舎でも体験したことのないほどの静寂に包まれていた。


 違う。

 これは――


 音が――なにも聞こえない。


 最初は自分の耳がおかしくなったのかと思った。しかし、自分が普段の生活で発する音が異常なほど大きく聞こえてくるのがすぐにわかって、まわりの世界から一切の音が消失しているのだとわかったのだ。


 衣擦れの音がとても耳ざわりで――

 自分の骨が軋む音すら耳に入ってくる。


 一歩足を進めたときに響いた自分の足音が、鼓膜を破る爆音ではないかと思った。

 なにをしても、どんな些細な音でも――音が消えたこの場所では大きく聞こえてしまう。

 うるさくて、頭が割れてしまいそうだ。


 なんだ、ここは。


 どうして、私はこんなところにいるのだろう――

 あまりにも音が耳障りに響くので、一歩も動くことができず――


 気がつくと、音のない世界はいつの間にか消え去り、いつも通りの喧騒に満ちた放課後の校舎へと朋香は戻っていた。


「え?」


 音が聞こえる世界。

 自分が出す音が耳障りには聞こえない世界。

 人の姿がある世界。


 ごく普通の――当たり前の世界だ。

 ついさっき、音のない世界にいたことが夢だと思えてくる。


 なにが、どうなって、いるのだろう?

 わけがわからない。


 しかし、音のない世界にいたときの記憶はとても生々しく残っていて――その不快感と恐怖は自分の身体がすべて覚えている。


 そんな拭いきれない恐怖を心に持ちつつ、教室に戻って自分の机から課題のプリントを取り出して、足早に部屋に戻った。一人でいるのはあまりにも恐ろしかったから。ずっとそこにいたら、またあの恐ろしい場所に行ってしまうと思ったから。


 部屋に戻って、朋香はさらなる困惑に襲われることになった。


「あ、遅かったですね朋ちゃん。誰かお友達と盛り上がっていたんですか?」

「え? なに言ってるの姫ちゃん。わたしプリントを持ってすぐ戻って――」


 と思って、部屋の時計を見てみると――部屋の時計が四時を回っていることに気づいた。


 それを見て、朋香はさらなる恐怖を抱かざるを得なかった。


 姫乃と教室を出たのは今から四十分ほど前だ。午後の授業を終え、部屋に戻ろうと教室を出てすぐにプリントを忘れていることに気づいたから――教室を出たときから五分かそこらしか経っていないはずである。


 それなのに――

 現在の時刻は四時を回っている。


 朋香の体感ではそんな時間――経っていないはずなのに。

 これは、一体。


 知らない間に自分の体感よりも遥かに時間が経過している――朋香に突きつけられた現実は言いようがないほど不気味に感じられた。


 いつも変な行動をしている姫乃だからといって、こんな性質の悪い悪戯はしないだろう。今日はエイプリルフールでもなんでもない。


「朋ちゃんどうかしました? なんか顔色悪いですよ」

「あのね、姫ちゃん。笑わないで聞いてほしいんだけど――」


 朋香は先ほど遭遇した不可解な現象について話し始めた。

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