第5話 透明人間と暴食4

 京子のもとに相談に来た武早はじめと夏穂は隣の面談室へと入った。なんだか理由が不明だが、相変わらずはじめは夏穂に対して敵愾心を向けている。はじめはそれを隠そうとしていない。何故初対面の相手にこんな態度を取られなければいけないのだろう。


 ――でも。


「ここの生徒なら怨む奴もいるのは当然、か」


 見ず知らずの人間から敵愾心を向けられる程度には、この四年半あまりで色々と夏穂がやったのは事実であった。


 夏穂と関わった結果、ひどい目にあった人間がいるのは確かである。いま目の前にいるはじめが、ひどい目にあった誰かと近しい関係であってもなにもおかしくはない。


 なにしろ学校というのは外部から隔離されている。そのうえここは全寮制だ。中でなにか起これば、それは簡単に伝わってしまう。


 少しだけ首を傾げて命がこちらに視線を向け、夏穂の掌に『あの人になにかしたの?』と書き込んで質問する。


「ん? あの娘にはなにもしてないけど――あの娘と仲がよかった誰かとは関わったかもしれないね。でも、そんなことあんたは気にしなくて大丈夫よ。ほら、座りなさい」


 夏穂は、命を促すように自分が座ったソファの横を叩く。

 しかし、命が座ったのは夏穂の足の間だった。


「おうおう」


 猫かお前、と突っ込みを入れたいところである。だがこの娘、かなり頑固なところがあるのでどかすのは難しい。別にいいか。くっつかれてなにか減るわけでもない。なにかと不自由してるわけだし、こういうときくらい好きにさせてやろう。それに、可愛い娘に引っつかれて悪い気はしないのだ。


「……ずいぶんと仲がいいのね」


 忌々しそうな口調でそう言ったはじめ氏。こっちも相変わらずである。なにがあったのか知らんが、少しくらい肩の力を抜いたらどうなんだ。話をするんだろう?


「羨ましいの? 見ての通りこの娘、すごい人見知りだからあなたには同じようにしてくれないよ。残念だけど――これは私の特権」

「死ね」


 死ね、ときたか。なかなか直接的な罵倒をする。こういう直接的な敵意を向けられるのは悪くない。それなりに健全な証拠だ。どこも壊れてはじめのような態度を取れなくなった夏穂にしてみれば羨ましい限りである。


「じゃ、夕飯の時間になる前に終わらせたいし――なにがあったのか話してよ。ここで話したことは口外しないから安心して。口が堅い――というか、漏らす相手がいないし。友達とかいないし私たち」

「……ちょっと待ちなさいよ。その娘も同席させるの?」

「この娘も私と同様、聞いた話を漏らす相手なんていないから大丈夫よ」

「そ、そういうことじゃないんだよ!」


 そう怒鳴り声出して机を叩くはじめ。夏穂の足の間に座っている命がびくっとするのが伝わってくる。


「そういうことじゃないってどういうこと? そういうのよくわからないんだけど。というか、命が怯えるからそういうことするのやめてくれない? あなた、いたいけな可愛い娘を脅して威嚇して濡れるサディストの変態?」

「……っ」

「それとも、この娘に聞かれると困る?」

「……違う」


 女子高生らしからぬすごい形相になってはじめは言う。夏穂を恨んでいる――それは間違いないが――もっとも強いのは嫌悪感だ。


 嫌悪が先か怨みが先か――どちらかは不明だが、その両方がフィードバックを起こしていることに間違いなかった。年頃で潔癖な女子高生なら、自分に対して嫌悪を抱くの当然か、と夏穂は他人ごとのように思った。


 正直な話――ここの生徒なら見ず知らずであっても、この程度の嫌悪を抱かれる理由などいくらでも思いつく。


「ならいいじゃん。私には友達なんていないし、命はそもそも喋らないから。あなたが脅さなくたって、私たちはここで聞いた話を墓まで持ってくわ。話したって得もしないし」

「……わかった」


 梅雨の雲のごとく重い声で、夏穂に対する忌々しさを一切隠そうともせずはじめは言う。


「……なによ」

「いやなにも。別にあなたをどうかしようだなんてまったく思ってないから安心してよ」

「……死ねばいいのに」

「そいつはどうも」


 やはり人間らしい感情を向けられるのはなんとも好ましい。ついからかいたくなってしまう。


 だが、こんなことばかり続けていると話が終わらない。本来の目的を見失うのはよろしくないのは明らかだ。このあたりにしておかないと。時間の浪費は美徳でもあり悪徳だ。


「それで、なにが起こったの?」

「起こった、わけじゃない。おかしなものを見たってだけ」

「ということは、あなたの身に直接的な被害が発生したわけじゃないのね?」

「ええ、そうね。いまのところは」

「いまのところ……」


 それはそれは。

 なんとも不吉を感じさせる言葉だこと。

 それとも――


「その言葉を聞くと、将来的になにか実害が起こるように感じられるのだけど。あなたが見たそれは今後、なにか自分になにかしてきそうなの?」

「そんなの……わからないわよ」


 身体を強張らせ、怯えた口調ではじめはそんな言葉を漏らす。その態度から、嘘をついていないことが夏穂にも理解できた。


「いまはまだ、そいつになにもされてないのは確か。だから、なにもされないうちになんとかしたいの」

「…………」


 常識外れのおかしなものを見たのならそれは正常な反応である。


「でも、こんなの友達に相談なんてできないし、学園内でおかしなものを見たり、遭遇したり、襲われたりしたら、三神先生に相談するといいって話を聞いて」

「ふむふむ。そんな話があったのねー」


 あの若作り、誰に対してもあんな態度のくせに意外と好かれているようだ。

 いや、誰に対してもああいう態度だからこそ女子にウケしているのか?

 イマドキ女子高生の趣味はよくわからんな。


「三神先生と親しそうにしてたわりには、どうでもよさげね」

「え? どうでもいいけど。なにか問題?」


 京子が生徒からどのように思われていようが夏穂には関係のない話だ。そして、関係ない話はどうでもいいことである。


「直接話して確信したわ。あんた、想像を絶するくらい不愉快ね。死んだほうがいい」

「否定しないわ。どうして死んでないんだろうね」


 死んだら楽になれるのになあ、と思う夏穂。


「ま、どうでもいい話はおいといて。で、武早さん。あなたはなにを見たんですか?」

「そ、それは……」


 はじめは躊躇するように口ごもり、十秒ほど経ったところで――


「……透明人間」


 恥ずかしそうに、小さな声でそう言った。


「透明人間ってあのSF映画に出てくるようなヤツ? 見えるの?」

「見える。うっすらと輪郭だけあるような感じで――」


 はじめは机の横に置かれていたメモ用紙とペンを右手で取って、それに彼女が見たものを書きこんでいった。それは決して上手といえないが、なにを見たのか理解できた。


 ストーリー重視のノベルゲームに出てくる、顔もなにもない人型のシルエットである。


 そんなものがはっきりと見えたのなら、それは確かに不気味だ。人間のもっともわかりやすい符合が顔である。それがないというのは思った以上に恐ろしい。


「で、その透明人間はなにしてたの? 徘徊してるのを見かけただけ?」

「ううん。そいつはでっかい鉈みたいなのを持って近くまで来て――」


 はじめはそこで一度言葉を切って唾を飲み込む。


「犬を、解体、し始めるの」

「…………」


 そいつは、なかなかに扇情的だ。十八歳以下に見せるのはいただけない。なかなかクリーチャーめいている。B級スプラッターな感じは否めないが、それも味だと思えば悪くない。夏穂も、そんなものをいままで一度として学内で見たことないが――最近になって現れたのだろうか。


「あいつ、絶対やばい。このまま放っておいたら誰かに襲いかかるわ。だから、早く――なんとかしないと――」

「そうね。いくつか訊きたいことがあるんだけど、いいかしら」

「……なによ」

「その透明人間が殺した犬はどうなるの?」

「透明人間が消えると一緒に消えるわ。なにも残らない。あんなに生々しく見えるのに」

「いつから見えるようになった?」

「一週間くらい前」

「目撃した場所は?」

「色々。校舎でも寮でも見るときは見る」

「それを見るようになった心当たりはある?」

「……知らない、そんなの」

「ふうん。知らない、ねえ」

「なにか言いたいことでもあんの?」

「いえいえ。別にそんなんじゃありませんよ。あなた以外にその透明人間を見た人はいる?」

「いないから、ここに相談に来たのよ」

「ああそうか。それは失礼」


 他に見た人間がいないとなると――


「なによ。文句でもあんの?」


 相変わらずの敵愾心ではじめは夏穂を睨みつける。


「だからないって。どうしてそんなに敵愾心を向けてくるの? せっかく協力しましょうって話なのに」

「ふん。あんたに助けてくれと言った覚えはないわ」


 たいした付き合いもないのに嫌われたものだ。これはなにかあったな、なんて夏穂は思った。


「他にはまだありますか?」

「ないわ」

「なら、今日のところはここまでにして、調べるのは明日にしましょう」

「は?」

「え?」

「え、じゃないわよ。話聞くだけで終わらすつもり?」

「そういうつもりはないけど――話を聞いた限りでは、いまここから出てすぐ、その透明人間に遭遇しても襲われることはないだろうし、出現場所が決まってないのなら、校舎にもいかないといけないし、休みのこの時間から校舎に忍び込んだら怒られるでしょ。もう部活だって終わる時間だし。


「透明人間のことを調べに来ましたとかおちゃめに言って校舎への侵入を許してくれるほどうちの先生方は優しくありませんからね。それとも、いますぐ解決されないと困ることでも?」

「……っ」


 忌々しげに夏穂を睨みつけてくるはじめ。我ながら、よくもまあここまで知らないうちに嫌われたものである。才能かな。いらなすぎる。


「わかったわ。気に入らないけどあなたの言うとおりね。明日にしましょう」

「じゃ、明日、朝食が終わったらあなたの部屋に迎えに行くわ。部屋がどこか教えてくれない?あなたの様子からして、プライベートの電話番号やトークアプリのIDを私に教えたくないでしょうし。それで大丈夫?」

「三階の十二号室よ。ルームメイトには伝えておく」


 はじめはそう言って立ち上がった。


「なにか変なものを見ているようだし、部屋まで丁重に送っていくけど?」

「結構。透明人間も嫌だけど、それ以上にあんたが嫌よ。一緒に歩くくらいなら、虫風呂に入ったほうがまし。できるなら、あんたの顔なんて見たくない」


 そう冷たく言い放って、はじめは一瞥もくれずにカウンセリングルームから出て行った。

 虫風呂に入るほうがましとは……。彼女は夏穂のことを心底嫌っているらしい。ここまで嫌悪を持たれたのははじめて――だと思う。


「ほら、私たちもいくよ」


 そう言って促して、先ほどまで借りてきた猫みたいに大人しくしていた命が立ち上がった。相変わらず手は握ったままだ。その手はいまだに堅さが残っている。夏穂は彼女の手を引いて、面談室を出た。


「終わりか。意外と早かったな」


 たいして意外ではなさそうに、京子は言った。


「なんだか私、随分と嫌われたみたいなんですけど、京子さんなんか知ってます?」

「知るかそんなもん。自分で考えろ。まともな感性があるなら、お前みたいな汚物、嫌って当然だ」


 汚物と来たか。

 相変わらずうまい表現をする。

 いまの里見夏穂が、かつての里見夏穂の汚物であることは間違いない。

 うんこが歩いてて喜ぶのは小学生までだ。


「ですよね。それじゃあ失礼します」

 夏穂は命の手を引きながら部屋を出た。

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