第25話 次郎三郎と秀忠の攻防(小田原の陣)

秀忠陣営の影働きとして柳生宗矩が付き、江戸の守りとして三甚内を起用するという秀忠の機転に最初に疑念を持ったのは左近であった。


「秀忠殿の動きが以前より活発化している様子、六郎に探らせようと思いますが如何か?」


と左近は次郎三郎に伺いを立てる。


もはや六郎は次郎三郎陣営の忍びといっても過言ではないので左近の勝手では動かさないのが筋道であった。


次郎三郎は少し思案して


「六郎、頼めるか?」


と六郎に尋ねる。


「直ちに向かいます。」


六郎は江戸城に向かい、次郎三郎と本多正純は伏見城に、左近と小太郎は駿府にそれぞれ向かう事と決まった。


次郎三郎と島左近、風魔小太郎の三者に新たに加わった本多正純。


正純は次郎三郎をして「切れ者」と言わしめた本多正信の嫡男である。


次郎三郎の動きは正純を通して正信に全て筒抜けになるのだろうと次郎三郎自身も思っていたのだが、この正純、実は秀忠があまり好きでは無かった。


「愚鈍で暗愚な君主」


と正純は秀忠を評していた。


父である正信の事も「徳川家大事の亡霊に取りつかれた徳川家の治部少輔」などと辛辣に語っていた。


逆に次郎三郎の事は高く評価していた。


関ヶ原で大殿が身罷(みまか)りし後、様々な艱難辛苦(かんなんしんく)をほぼ一人で乗り越え、徳川家康という人物を征夷大将軍足らしめたのは次郎三郎の将器無くしては成し得なかった、これが歴史に残らない一介の影武者であるとは誠に勿体ない。


と次郎三郎に徳川家を任せればよいではないかとも思っていたくらいであった。


しかし互いが互いの腹の内をなかなか出さない故、本当に信頼できるのかと云う所が未知数であったのだ。


次郎三郎は帰りもわざとゆっくりと鷹狩りなどを楽しみながら東海道を西上していた。


これは江戸で諜報活動をしている六郎の報告をなるべく皆で聞きたかったからである。


秀忠の思惑やそれに対抗する策を練りたかったと云う想いがあったと思われる。


平塚に到着した辺りで六郎は次郎三郎の下へ帰陣した。


「中納言様の周辺には柳生宗矩を筆頭に近頃三甚内などと呼ばれる盗賊や乱波を召し抱えたご様子。」


次郎三郎がさらに聞く。


「他に秀忠に近寄りし知恵者などは居らぬか?」


次郎三郎の問いに


「知恵者かどうかは測りかねますが、南光坊天海殿が中納言様にかなり接近しておりました。」


次郎三郎が


「天海かぁ、厄介な相手だが少し珍しい坊主と云うだけであろう?」


次郎三郎は天海の正体について全く知らなかったのである。


これは家康の落ち度でもあるのだが、家康は天海僧正が明智惟任日向守光秀であるという事は家中の誰にも知らせなかったのだ。


そこに左近や小太郎が訊く。


「天海とは如何なる御仁なのか次郎三郎殿は御存じなのか?」


次郎三郎が答える。


「額の上の方にアザのある天台宗の大僧正らしく、大殿が召し抱えたというところまでは皆知っているのだが、どこからその才を見出したのかは恐らく大殿以外誰も知るまいて。」


額にアザのある切れ者と聞き皆が考え込む。


天海の素性を知らずに戦を仕掛ける訳にはいかないのだ。


次郎三郎がこれから歩む道は白刃を渡り歩くが如き道なのだから。


左近が六郎に尋ねる。


「その天海という御仁、般若湯は嗜まれたか?」


般若湯とは仏教用語の言わば酒の事である。


六郎はいいえと答え


「天海僧正は下戸の様子にて甘味を好んで嗜まれておりました。」


左近がその話を聞いて愕然とした。


「まさか、あの男が生きているというのか!?」


次郎三郎も風魔小太郎も左近の興奮に驚き尋ねる。


「左近殿には天海の素性がわかりましたのですか?」


小太郎の問いに左近は


「俺の予想が正しければその天海という男、明智惟任だ。」


「明智惟任!?」


予想だにしなかった答えが出てきたので一同は目を丸めた。


「明智惟任は生来下戸だ、確か信長公の酒宴で酔った信長公に戯れで額を思い切り打たれアザになったという話を聞いた事がある。」


次郎三郎が怪訝そうに呟く。


「しかし生きていたとして、あのような大逆の徒を何故大殿は匿ったのか・・・。」


左近が答えた。


「惟任殿は別段、信長公に忠義を誓っていた訳では無くこの日ノ本に忠義を誓っていた珍しい戦びとだったからなぁ」


次郎三郎が興味深そうに


「日ノ本に忠義を、か。しかし信長公とて日ノ本を一つにまとめる一歩手前までは駒を進めたではないか??」


小太郎がここで口を開く


「三職推認問題ですな。」


信長は古い慣習があまり好きでは無かった。


有用であれば利用したが不要であれば斬り捨てる。


一向一揆とて武器を以て戦わず法論と教義だけで戦っていれば今の様に西と東に本願寺が分かれる事も無かったかもしれない。


信長は足利義昭を神輿として上京した時点では低い官位であったが義昭を京から追放した後、信長の官位は機嫌を伺うように上昇した。


そして信長は武家としては五人目の従二位・右大臣までは任官を受諾したのだが、信長が作り変えたかった日ノ本には正直官位などどうでも良かった為、朝廷の不安など些事としか思っていなかった。


しかし、朝廷もメンツがある。


信長に「太政大臣、関白、征夷大将軍」のどれでも好きな職を選ぶが良いと提出してきたのだ。


織田家は平氏の家系であるので関白になるのが妥当なのだが、信長の眼には小さな島国の事など関係なかった。


地球儀を見た時から信長の目は世界を見ていた。


「この国が生き残るには世界と対等に渡り合えなければならん」


信長の目的と朝廷の思惑はこのように埋めがたい差となり軋轢を生んだ。


その狭間に立ったのが明智光秀であった。


明智光秀は日ノ本をベットしてポーカーをしようとする信長が許せなかったのだ。


そんな光秀に影からささやく者が居た。


「惟任殿、拙者、毛利との和睦を進める故、上様を討つ心づもりなら、拙者、即刻京に取って返し微力ですがお力になりますぞ?」


羽柴筑前守秀吉である。


信長の側室にして信長の三人の子を産んだ生駒吉乃に取り入り信長の小者からあの手この手で成り上がった戦国武将であり後の天下人である。


秀吉と光秀の密談は敏を要した。


信長はいわば嗅覚の鋭い猛獣だ。


密談や謀略の類への尋常ならざる嗅覚は異常といえる。


「しかしこの秘事、上様に事が漏れれば我らの首は即座に飛ぶ事は必定だで、行動は早く起こされるが良いで」


後日、光秀は日ノ本を私物にする魔王として信長を討つ。


本能寺に向かう前に愛宕山で読まれた連歌・愛宕百韻の発句


「ときは今 あめが下しる 五月かな」


本能寺の後、事実を知る秀吉は光秀の首級を執拗に追わせた。


この時、光秀は高野山は恵光院に逃れていた為、秀吉は光秀に構うより、光秀に似た首を添え「明智討ち」を成したと言い張り後に天下人の座へと向かって行く。


光秀は恵光院にて髪を下ろし武将・明智光秀の姓を終わらせ上野国(こうずけのくに)長楽寺で南光坊天海として第二の人生を始めその後武蔵国(むさしのくに)無量寿寺北院にて徳川家康と対面した。


次郎三郎はそこまでの成り行きを知らないとはいえ、「信長を撃った男である」。


しかし天海は文字通り信長を討った男なのだ。


一抹の不安が次郎三郎の中によぎった。


「わしが討つ事の出来なかった事を出来た光秀に果たして勝てるのか。」


風魔小太郎はそんな次郎三郎を見て一つ提案をする。


「私が殿の宗教顧問になりましょう、天海が天台の僧なら私は臨済に手を回し、以後、以心崇伝と名乗ります。然らば常に殿の傍に仕えても不思議ではなく、某は陰で左近殿や六郎の手助けを出来ましょう。如何でしょう?」


次郎三郎は中々の名案ではあるが左近殿は如何か?と問う


「うーむ、そんな楽しそうな仕事は俺がやりたいところではあるが、如何せん徳川方に顔を知られているからなァ」


と残念そうに呟き諦めていた。


こうして小太郎は今後を以心崇伝と名を改め、風魔の里の人間を臨済宗の僧に紛らわすのである。


次郎三郎は秀忠の力を今から少しでも削いでおくのが肝要と一計を案じた。


初代小田原藩主にして秀忠の付け家老でもあった大久保忠隣を幕府の中枢から排除する事を決めた。


高坂甚内を筆頭として柳生忍達は次郎三郎が関東から出ていくまで監視をしていた。


そんな中、次郎三郎の鷹狩り本陣が急に戦支度を始めたのを確認した時はさすがの高坂甚内も顔を青ざめさせた。


あっという間に次郎三郎たちは戦支度を始め、使い番を小田原城に飛ばしたり今にも小田原城を攻めんという気迫を見せていたのだ。


この緊急事態は即座に秀忠の耳に入り、秀忠はどうすれば良い?と本多正信に助けを求めた。


しかし、同じ徳川家とはいえ、本多家と大久保家は権勢を争う間柄、正信はあらかたの事情と次郎三郎の狙いはわかっていたが、秀忠のここまでの慌てぶりは予想の外であった。


「忠隣が大事ならば殿が自ら大殿に訴えれば大殿も無下に小田原を強攻しないと愚考いたします」


と正信は進言したが、秀忠は次郎三郎に会いたくないのだ。


だからこそ正信に名代として行って欲しかったのだが、正信はそんな秀忠の浅ましさも見抜いていた。


「どうしてもわしが行かねばならぬか?」


と秀忠は正信に訊く。


「忠隣を助けたければの話でございます。」


秀忠は正信を恨めしそうに睨みつけ、平塚へと向かうのである。


秀忠が平塚に到着した時には金扇の馬印を掲げた本陣、伍の字の旗指物を背に刺した使い番が走り回っており、そこはさながら戦場の如きものであった。


平服で来た秀忠に甲冑を着た武者がこれほど恐ろしいものであるのかを再確認させた。


「父上の下へ案内せよ」


とそれでも気勢をはり鎧武者に伝える。


本陣に通された秀忠は鎧を見事着こなし、さながら本物の家康と見まごうばかりの次郎三郎を見てまた心胆を冷やかしたらしめた。


しかし、忠隣を助けねばの一心で次郎三郎に問う。


本来ならば自分が優位の筈なのにこの影武者と戦をしても勝てないかもしれないと思う自分が居てそれも悔しかったが、次郎三郎を父として扱わねばならぬ自分がもっと悔しかった。


「これでは父上が居るのと何ら変わらぬではないか」


と心で吐き捨てた後に次郎三郎に問いかける。


「父上に於かれましてはご健勝の様子、秀忠安堵いたしておりますが、この戦支度は何事かあってのものでしょうか?」


と恐る恐る次郎三郎に問いかけた。


「忠隣が別心したのだ。」


と一言秀忠に告げる。


「忠隣に限って別心などあり得ぬ事と存じます」


秀忠は次郎三郎に食って掛かるが、次郎三郎は証拠があるとし、秀忠の意見に耳を貸す気は全くなかった。


「忠隣は秀忠大事のあまりわしが邪魔になったのか知らぬが小田原でわしを殺害に及ばんと計画している事我が手の者により明らかである。」


秀忠の必死の説得に次郎三郎は一つ条件を付けた。


「わしは隠居所を駿府に決めた。駿府に柳生者を立ち入らせない事を誓紙にして提出せよ。ならば忠隣の刑一等は免除しよう。」


秀忠は後々の美談になると考え、誓紙を提出した。


こうして小田原藩主・大久保忠隣は罪一等を許され改易となる。


次郎三郎はこうして秀忠陣営に大打撃を与えることになる。

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