第23話 徳川三傑

秀忠の怒りはもはや爆発寸前であった。


先の箱根の風魔狩りに何の成果も出せなかった大久保忠隣は責任を取るといって腹を切りそうになるし、次郎三郎は主君である秀忠の所にやってきていち早く挨拶せねばならぬ所を増上寺に何泊かすると言い出す始末。


御坊!誠に大丈夫なのであろうな!?


この頃から秀忠の側近が一人増えていた。


柳生を武とするなら智の側近である。


名を南光坊天海。


影ながら徳川家を牛耳ろうとしている怪物の様な男である。


当然その事は風魔の耳にも入っていた。


しかしこの南光坊天海、いくら調べても「天台の奥義を収めた優秀な僧侶である」という事しかわからず。


出自や、いつから比叡山に出家したのかなど全くわからない不気味な男であった。


天海は秀忠に対し


「しばらくはあの影武者の好きなようにやらせませい。」


などと何とも呑気な事を言っていた。


そんな話をしていたら次郎三郎側が先手を打ってきた。


秀忠は次郎三郎の征夷大将軍の綸旨に間に合わせる為に江戸の町の町割りを突貫でやらせていた。


次郎三郎はその隙を突き、既に江戸に配置させている江戸住まいの腹心たちに一斉に付け火をさせた。


これが慶長6年閏(1601年)の11月に起こった初めての江戸の大火である。


この後も江戸では何度も火事が起こるのだが、徳川家が江戸に入り起こった大火はこれが初めてであろう。


次郎三郎と共に江戸に入った本多正信から江戸城内に檄が飛ぶ。


「殿は何故近臣と江戸の割符について相談なされなかった!!今どき藁葺きの屋根を使うと台風やこういった大火事の際すぐに燃え広がるのは常識にござります!!」


秀忠が俯く中、次は秀忠の近臣に檄が飛ぶ


「政は伊達や酔興、ましては遊びではない!!君が間違えたと思うならそれを正すのが臣の勤めであろう!!」


青山や、土井、酒井などは家康の第一の側近である正信にここまで怒鳴られその場で切腹をしようとする者さえ出てくる始末。


「切腹なぞしている暇があるのならば江戸の民の暮らしを元通りにするのが肝要であろう!!屋根は板葺きにし、火事が起こりにくい制度を作るのがそちたちの役目であろう!!」


この大火での死者は不肖。


流石の秀忠でさえこの時は


「俺には人の上に立つ資格がないのか?」


と自信を喪失しかけたと云われる。


次郎三郎はその様子をただにこにこと眺めるだけであった。


正信がその後秀忠付指南役とし「関東総奉行」となるのには時間がかからなかった。


その後、狩と称して江戸の付近で精力的に鷹狩りを行って様々な人物と会っていた次郎三郎であるが、秀忠は柳生からの報告に


「今あの者の話は聞きたくはない。すべて好きにさせよ」


などと自室に籠ってしまう。


そんな中、次郎三郎は芝の増上寺に向かうとの報が入った。


又もだんまりを決めていた秀忠であったが、天海が柳生を使い様子を探る様に指示をだした。


増上寺で存応和尚に丁寧にあいさつをする次郎三郎。


和尚は気を利かせすたすたとその場を後にする。


「お初にお目にかかります、風魔小太郎殿と・・・よもや、生きておるとは思いませんでした!貴方が六郎の雇い主であったのですね?島左近清興殿」


左近が笑いながら


「生き恥を晒しておりますよ。」


と言い、小太郎が


「我々は雇われた身、殿に於かれましては気安く呼んで頂きたく。」


この会話を聞いていた柳生宗矩はぞっとした。


次郎三郎の近臣に島左近と風魔小太郎が付いたのだ。


柳生忍びは忍びとはいえ風魔の様な戦国を生き抜いた忍びとは比較にならない。


宗矩は大きすぎる権力になりつつある次郎三郎達をこの場で亡き者にしてしまおうと思い至った。


左近が、


「外が騒がしくなりましたな、此処は俺の出番だな」


と言い、錫杖を持ち槍の如く持ち、


外で聞き耳を立てていた柳生衆に


「地獄の閻魔に何か聞かれた際は島左近に送られたと申すが良い!掛かって参れ!!」


と叫ぶが、あの関ヶ原での戦いぶりを見ていた柳生隊は今にも逃げ出したかった。


しかし、宗矩が刀を抜き、若干震えながら左近の前に立ちはだかる。


「ほぉ、少しは骨のある者が居ったか?名を聞こう?」


宗矩は渾身の力を振り絞り


「柳生但馬守宗矩」


左近はにやりと笑みをこぼし、宗矩に錫杖を突き始める。


宗矩は紙一重でこれを躱し、反撃の隙を伺うが、常在戦場の心構えで戦国時代を生き抜いた武将に隙などあるはずもなく、柳生衆を一人でも多く逃がすのに必死であった。


この報告は即座に秀忠の耳に入り、秀忠は一瞬でその残忍な本性を現した。


「駿府にいる次郎三郎の側室どもを皆殺しにせよ!」


次郎三郎を殺害せよと言わなかっただけ少しは成長していた秀忠であったが、天海がそれを止める。


「その策には某賛成しかねます。」


秀忠が「何故だ?」と天海に尋ねる


「恐らく駿府にはもう風魔衆が守りを固めこちらの様子を伺っているでしょう。なれば、その報を聴いたかの者は大いに怒り中納言様を殺害に及ぶ恐れあり。」


秀忠が笑いながら


「影武者如きが主君を殺害するのか?」


と天海に訊くと、天海は迷わず


「はい、中納言様は未だお世継ぎ候補の一人でございます。」


と予想だにしない言葉を投げかけてくる。


天海は言葉を続ける


「松平忠吉様、松平忠輝様、結城秀康様、最近産まれた大殿の最期の御子五郎太丸様」


秀忠は不服そうに「もうよい」と天海に伝え、ならば御坊の策を申せと天海に献策させる。


「この機に乗じ榊原康政と本多忠勝を処分するのも良いかもしれませぬ。そうすれば自滅した井伊直政などを含め、「大殿の替え玉作戦」を知る者は少なくなります。秘事を知るは数少ない人物で十分かと。」


江戸に潜ませた風魔からこの会話を聞いた次郎三郎は上野の館林にて藩政に忙しい榊原康政、伊勢桑名の本多忠勝、近江佐和山の井伊直政にそれぞれ風魔を走らせ事の次第を伝え、必ず城や町に忍び返しを付けるようにと言い付けた。


この言いつけを守ったのは忠勝ただ一人である。


風魔衆より指南を受け桑名城は柳生如きでは破れない忍び返しの城となっていた。


この徳川四天王の殺害は慶長7年(1602年)に決行された。


合戦の臭いを即座に感じ取った直政は真っ赤な甲冑をその身につけ、柳生衆に立ち向かった。


直政は持ち槍を振るい、5~6名程の柳生忍びを殺害したが、体の無理が祟り、不覚にも関ヶ原の鉄砲傷が癒えておらず、思わず吐血してしまった。


宗矩はその隙を逃さなかった。


即座に甲冑の僅かな関節部分の中でも何か所かの急所に刀を差し込み、井伊直政の暗殺に成功した。


この剣術は柳生新陰流と云うより介者剣法に近かった。


介者剣法とは、対甲冑戦に刀でも戦えるように使われた剣法で、戦場等でも使われる事もあった。


館林に向かった柳生衆は寝ている康政の命を敢えて取らず、二度と目が覚める事のない業を使いその後の発言権は家老として秀忠から柳生を送り込み裏から世子である榊原康勝を操っていた。


一番熾烈な戦らしい戦をしたのは桑名に向かった柳生衆であった。


いつの間にか取り付けられた高度な忍び返しに忠勝の蜻蛉切がまるで矢のように鋭く早く柳生達を確実に殺していくのだ。


桑名では何名かの柳生を捕らえることに成功した。


これに大層怒った忠勝は今にも兵を連れ、江戸へ行かんとする勢いであり、これには秀忠も宗矩も狼狽した。


ただ天海が


「次郎三郎に説得させませい」


と秀忠に申し渡した。


秀忠は正直次郎三郎に会うのが嫌であったが、事ここに至れば仕方があるまい。


次郎三郎と対面するのである。


「中納言様に於かれましてはご機嫌麗しく」


と次郎三郎が言い終わるのを待つことなく


「その様な堅苦しい挨拶は良い!!桑名の平八郎を何とかしてくれ!!」


と秀忠は屈辱的だが次郎三郎に頭を下げた。


次郎三郎が事の次第を聞くと、本当に秀忠は柳生を送っていたのだ。


それも桑名では何名かが捕縛されたという。


次郎三郎は秀忠に


「中納言様には念書を書いてもらわねばなりませぬが?」


と次郎三郎は秀忠に言う。


「どの様な念書だ?」


秀忠が次郎三郎に尋ねる。


「今後、我々の領内に柳生忍びを横行させない事。その一点で某が平八郎の怒りを鎮めてまいりましょう。」


秀忠が、がっくりと肩を落としその念書を書き終えると、次郎三郎は正信を連れ、平八郎の陣中へ向かった。


「平八郎殿、久しいな。」


忠勝は次郎三郎の突然の来訪に驚きを隠せなかった。


「大殿に於かれましてはご機嫌麗しく」


忠勝はあくまで皆の前なので次郎三郎を家康として扱った。


次郎三郎は


「人払いを。」


と一言云うと本多家の家臣はそれぞれの持ち場に着いた。


「次郎三郎!久しいなぁ!!」


忠勝は次郎三郎を戦友としても認めていた。


そんな次郎三郎が忍び返しの工夫を桑名の城に取りつけろと忠告してくれた恩人でもある。


「平八郎殿にはどちらへの合戦したくかね?」


隣にいた正信が聞いた。


「江戸の柳生めを討ち取るまでよ。」


と忠勝は答える。


次郎三郎は忠勝に


「それはやめてくれ。今平八郎が江戸で戦を起こすと大殿の夢でもある天下泰平が根底から崩れ去ってしまう。柳生には2度と桑名の地を歩ませない事を約束する。」


と念書を見せる。


平八郎は念書を読み、


「もしこれが破られれば如何いたす?」


と次郎三郎に聞く。


「その時はわしは何も言えないさ。しかしね平八郎。中納言様はその紙を書くのも屈辱だと思っている。そこまでして柳生を守りたいんだよ。秀忠には側近なんて呼べる人間は柳生しか居ないのさ。それを討ち取ってみろ?徳川の安泰は消え失せるよ。」


この時次郎三郎は天海が秀忠に近づいているのを知らなかった。


そんな次郎三郎を見て平八郎は


「次郎三郎、痩せたな。」


次郎三郎は乾いた声で笑う。


平八郎は


「自分が桑名の藩政に四苦八苦している時に中納言様と次郎三郎は暗闘していたのか。」


と悟り、自分自身に向けられた悪意はほんのかけらにすぎなかった事を知り次郎三郎の言う通り兵を退く決意をする。


これ以降、徳川三傑とも呼ばれた井伊直政、榊原康政、本多忠勝は政治の表舞台に立つことは無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る