第15話 大垣城

関ケ原の戦いにて家康の代わりに戦勝をもたらした次郎三郎であったが。


今の時点で本物の家康が戦死した事を知っている人物は本多平八郎、本多正純、家康の馬の口取りの三名のみであった。


次郎三郎はまず関ヶ原にて戦勝の賀詞(がし)を諸将より受け、また諸将の奮戦に感謝の意を述べた。


三成軍より裏切った小早川秀秋をはじめ、裏切りの諸将はその場にとても居辛そうにしていた。


次郎三郎はそんな秀秋を見るに見かねて、秀秋ら石田方から徳川方に着いた諸将に三成の居城たる佐和山城攻めの先鋒を命じた。


次郎三郎は黒田長政に毛利輝元に対し大坂城から退去する様に使者として遣わした。


もし大坂城から退去せざる時は一戦交える覚悟であると家康(次郎三郎)が申し渡せば、毛利輝元は祖父の毛利元就の遺言を持ち出した


「毛利家は天下を望むべからず」


そう言って9月25日には大坂城を退去した。


次郎三郎は大垣城に滞在し佐和山城攻めと大坂城の様子を伺っていた。


佐和山城では石田三成の兄・正澄(まさずみ)、父・正継(まさつぐ)と石田一族が奮戦するも大軍には敵わず、石田一門は此処に散り果てた。


ただ、石田三成嫡男・重家は京都・妙心寺に入り出家を条件に助命をされた。


次郎三郎はこの間、正純の報告を受けながら忠勝と共に秀忠の到着を待っていた。


が、次郎三郎は大きな問題に気付く。


それは家康が連れて来た愛妾の一人、お梶の方の事であった。


「正純、平八郎、中納言殿よりも先に殿の死に気付く者がおる。」


正純も平八郎も本多弥八郎正信(ほんだやはちろうまさのぶ)の他に次郎三郎が家康と入違っている事に気付く者がいる訳がないと考えていた。


それほどに次郎三郎は家康と似ていたのだ。


正純が聞く。


「次郎三郎殿の懸念はどこにありましょうか?」


次郎三郎が答えた。


「大垣の街にはお梶が居るはず。」


正純は即座に次郎三郎の考えを読むが、平八郎は笑っていた。


「女子の一人や二人、次郎三郎の采配で何とかなろう?」


次郎三郎は真顔で答えた。


「あれは尼になるやも知れん。」


そこまで聴いて平八郎も事態の重大さに気付いた。


お梶の方は家康の愛妾の中でも切れ者として有名な女性である。


家康が死んだと知れば、尼になり家康の菩提を弔うなどと言い出しかねない。


話は変わるが、その頃、徳川秀忠は9月15日に関ヶ原の戦勝の報告を受け、17日には木曽に到着した。


次郎三郎は秀忠軍を大津の外で謹慎に努めるように申し渡した。


この時、秀忠は切腹を覚悟していた。


自分の保身の為に長男・信康を斬首し、次男・秀康を養子に出した男である。


一世一代の大戦に後れを取ったとなれば自分は切腹、後継ぎは四男・忠吉になるやも知れんと覚悟をしていた。


話は戻り、お梶の方。


彼女は大垣の城へ向かおうとしていた。


家康は三河よりの伝令をお梶の下に差し向け、大垣城への登城を禁じた。


最初は輿に乗っていたお梶の方であったが、伝令はその輿を斬り捨てた。


お梶の方は絶句した。


愛妾たるお梶の方に刃を向ける指令を家康が出した事実に驚愕したのだ。


お梶の方は次の手段として馬に乗ろうとした。


その時伝令は


「馬まで斬らせないで頂きたく存じます」


とお梶の方に言ったのだ。


お梶の方は大垣城を睨みつけるのであった。


その姿を伝令はなお美しいと感じ入るばかりであった。


その夜、お梶の方は子飼いの風魔くノ一を大垣城へ忍ばせ家康に新たな女がいるかどうかを探らせた。


だが不思議な事に家康の身辺には女などいなかったのだ。


不思議に思ったお梶の方が見つけたのが、大垣の街で謹慎している秀忠の陣営であった。


正信なら何か知っているかもしれないと僅かな希望を持ち本多正信と面会した。


正信がお梶を城に呼ばない事を不思議に思ったが、同道を許し、家康に関ケ原の遅参を詫びるとともに、秀忠の命乞いへ大垣城へ登城した。


出迎えたのは忠勝と正純であった。


不信に思った正信はお梶の方を別室に通し事の行く末を聞くため天守へ向かった。


次郎三郎はあらかじめ忠勝と正純には自分で真実を話すと申し付けていたのだ。


ただ忠勝と正純の予想の外にあったのはお梶の方であった。


天守で次郎三郎が正信と面会し、一言


「すまぬ。」


と正信に伝えた。


正信はその言葉を聞き子供の如く泣きじゃくった。


一刻泣き続けた正信は即座に自らの失策に気付く。


「お梶の方か!?」


先ほどまで泣いていた男とは思えない頭の回転差である。


忠勝、正純、正信の三人はお梶の方を殺害するべきであると主張した。


しかし、人の優しさというものを知る次郎三郎はなるべく殺害という手を取りたくはなかった。


「わしに任せてくれんかね?失敗してから殺害するのでも遅くは無かろう?」


こうして次郎三郎はお梶の方の待つ間に向かう。


側室方は家康と肌を会わせるゆえか、家康と次郎三郎の区別が当然ついた。


お梶の方は初め次郎三郎の姿を見るなり、自分に横恋慕したものであると思い


「大声を出しますよ?」


と次郎三郎に言った。


次郎三郎はその唇をすかさず奪い


「大声を出せばそなたは殺害される」


お梶の方は何を言っているのかわからなかった。


「この様な事、殿がお許しになるはずがありません」


小声で睦言の如く次郎三郎に言う。


「殿はもはやこの世にはおわしませぬ。」


聡明なお梶の方は次郎三郎の言葉で色々気付いた。


最初は次郎三郎の体になれず、固く喘いでいたお梶も次郎三郎を受け入れ男女のまぐわいとなり、お梶の方は心の底から次郎三郎の体を受け入れる事を決意した。


家康の側妾達は家康の子を産む事だけを目的としていたので、家康の望むままに体を預けていた。


しかしお梶の方は初めて恋人同士のまぐわいを味わい次郎三郎にいつの間に恋をしていたのだ。


気の強い女性は騎乗位を好むというがお梶の方もこれにもれず自らが上になる事を好んだ。


「この人は誰にも渡さない、私が生涯守るわ」


お梶の方の決意であった。


次郎三郎はお梶の方という強い味方を得て、その様は正に愛し合う恋人同士であった。


次郎三郎がお梶の方と過ごしている間、徳川家の重臣たちは家康の死という大きな問題についていつ終わるとも知れない議論を交わしていた。


議論に参加した徳川家の重臣たちは本多正信、本多忠勝、井伊直政、榊原康政の4名である。


発言権が一番強かったのは次郎三郎と共に関ケ原を勝ち戦に導いた忠勝であった。


井伊直政などは関ヶ原に参戦しながらまさか影武者が戦を勝利に導いたなどと信じられなかった。


同時に娘婿の松平忠吉(まつだいらただよし)にも徳川宗家の跡取りに躍り出る絶好の機会であると心底に野望を燃やし始めていた。


関ヶ原に遅参した本多正信、榊原康政は発言権が一番弱かった。


しかし康政は一言、次郎三郎に苦言を呈した。


「各々方は次郎三郎に如何なる罰を与えるつもりでござるか?」


康政は次郎三郎が家康を守れなかったことに対し罰を与えるべきと主張したのだ。


これには次郎三郎を傍で見て来た忠勝と次郎三郎の気性を知る正信は康政は一体何を言っているのかさっぱりわからなかった。


家康は確かに暗殺されたのだが、それは関ケ原の本陣の中で暗殺されたのだ。


屋敷や夜道で暗殺されたのではない。


三河武士3万の中で暗殺されたのだ。


これを次郎三郎に対し罪を問うならば三河武士3万に対し罪を問わねばならない事を康政は気づいていないのだ。


下らない発言に忠勝は無言で名槍・蜻蛉切を持ち


「康政殿の発言は確かに次郎三郎の落ち度でござる、今よりわしが次郎三郎を槍の錆にするゆえ各々方はその様をじっくりご覧あれ。」


無造作に立ち上がる忠勝に康政は猛烈に焦った。


少なくとも未だ徳川家は天下を取っていないのだ。


大坂城には淀の方及び豊臣秀頼が鎮座し、徳川家は未だ豊臣家の一家臣の身分なのだ。


康政は焦り


「わしの言いたい事は、罰は罰とし、今後も徳川家に忠節を誓う約定を交わさせるという・・・」


そう言いかけたところで正信が発言する。


「かの者は己を誰より責めている、その様な発言をすれば即座に腹を切るであろう。」


康政はもはや何も言えなかった。


正信はここにきて次郎三郎の使用期限を定めた。


「さて、各々方、次郎三郎の使用期限であるが、徳川家が天下を取り、それを盤石にするまでとしたいと思うが如何か?」


直政が使用期限の「期限」について正信に確認する。


「使用期限とは何年程度をお考えか?」


正信が即答する


「亡き殿は関白ではなく征夷大将軍となり江戸に幕府を開く計画を密かに練り公家衆と語らい準備を進めていた。次郎三郎が征夷大将軍になるまで1年、その後将軍職を譲るまで2から3年程度。」


これには忠勝が驚いた。


それでは次郎三郎の寿命は長くても3年程度ではないか!?正信は次郎三郎の莫逆の友ではないのか?


この時正信は徳川家の世子に関して言及しなかった。


この時点では、家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)、今の所の世子である三男・徳川秀忠(とくがわひでただ)、そして関ヶ原の戦いで一番槍の功績を上げた四男・松平忠吉(まつだいらただよし)


この三名に平等に徳川を継ぐ権利があるからである。


特に正信は次男である中納言・秀忠をあまり好いてはいなかったという事もあった。


その頃、関ヶ原戦場後にて本物の家康の首を掘り出したものが居た。


「これが徳川家康公の首か。さて、これを誰に捧げるかが思案のしどころであるな。」


この男は家康の首を手土産に立身出世を企んでいた。


「やはり、中納言殿に持参するのが筋であるか」


この決断が次郎三郎に七難八苦を降りかけるとはこの時誰も知る由もなかった。


大垣の秀忠本陣では秀忠が今にも憤死しそうなくらい悶々とした日々を過ごしていた。


家康との面会叶わず、ただただ日々を過ごすだけ。


気が気ではない。


廃嫡もありうるこの状況で落ち着いていられるほど秀忠は心の大きい男ではない。


いわば小心者なのだ。


そんな秀忠の下を関ヶ原で家康の首を掘り出した男が尋ねる。


秀忠は今は誰にも会いたくはないと一度追い返そうとするが、男が言うには


「中納言様の地位を盤石としに来ました」


と不可思議な事を言うのだ。


男は柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と名乗った。


秀忠は念のため小姓を4名程同席させ宗矩と面会した。


初めに秀忠が宗矩に尋ねる。


「そちはわしに献上品があると申すがつまらぬモノであればわかっておろうな?」


宗矩は秀忠に平伏し


「こちらが献上の品でございます」


そう言い家康の首を渡した。


秀忠が首を検め、見れば見る程笑いが止まらなくなった。


「死んでおったか!!ざまぁみろ!!この事知るはそちのみか?」


宗矩は答える。


「御あと四名と察しまする。」


秀忠は宗矩に


「柳生の剣、振るって見せよ。」


一言命を下し、宗矩は呆然とする小姓四名を殺害に及んだ。


一人目は抜き身の脇差を心臓に向かい投げつけ、その間に二人目の小姓を刀で刺殺、素早く脇差を抜き取り残りの二人を刺殺した。


秀忠は満足し一つだけ宗矩に質問をした。


「そちは父親が好きか?」


宗矩はその真意は測りかねたが、宗矩は父である柳生石舟斎に最後まで関ヶ原参戦を反対され、父親との仲は最悪であった。


「大嫌いにございます。」


此処に秀忠と宗矩の心の底からの主従関係が芽生えたのだ。


秀忠はこうしてはおれぬと言い、家康の首を抱え大垣城に向かった。


対応した正信は秀忠の行動に唖然とした。


秀忠が正信に言う。


「父上は亡くなっていたのだな?そちたちで徳川の未来を話し合っていたか?しかし世子はこの秀忠である。」


秀忠はこれまでの徳川家重臣の談合に対し、おおむね合意した。


戦国時代は情報を少しでも早く手に入れる事が重要である。


本多正信は伊賀忍を、お梶は個人的に風魔のくノ一を、そして秀忠は裏柳生という忍びを手に入れたのだ。


ここからは熾烈な情報戦を次郎三郎は生き抜いていかねばならなかったのだ。


大垣城・天守。


次郎三郎が夕焼けを眺めながら言う。


「流石、中納言様。やる事が残忍極まりないな。わしの寿命は3年程か?」


正信が無言でうなずいた


3年という数字にお梶は驚いた。


正信は次郎三郎と死線をくぐった友であると聞いていたからだ。


「3年とはあんまりな・・・」


次郎三郎がお梶に言う。


「なぁにそう悲観するな、何とかなるもんだ」


こうして大垣の夜は更けて行くのであった。

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