願い事
直子とテオと一緒に夕飯を食べた後、お風呂から上がると、直子がレナを手招きした。
「レナちゃん、見てこれ。」
それはユウとレナの幼い頃のアルバムだった。
「懐かしいでしょ。どこにしまったのかと長いこと思ってたけど、引っ越しの片付けしてたら見つけたの。」
直子はレナにアルバムを見せる。
レナは直子の向かいに座って、じっとアルバムを眺めた。
(ユウ、かわいい…。)
アルバムの中の幼いユウに見入るレナを見ると直子は安心したように微笑んで、ホットワインの入ったカップをレナに差し出す。
レナがそれを受け取ると、直子は向かいに座ってホットワインを飲みながら、幼い頃の二人の写真を見て目を細めた。
「かわいかったなぁ、二人とも…。いつも何する時も、二人一緒で…。ユウは小さい時からレナちゃんの事が大好きだったから。」
直子の言葉を聞きながら、レナはアルバムをめくり、1枚の写真に目を留めた。
保育園の年中の頃の写真だろうか。
小さな七夕飾りを手に笑うユウとレナの姿が写っている。
(保育園の七夕祭り…。短冊に願い事を書いて笹に飾って…。なんて書いたかなぁ…。)
七夕祭りの写真に見入っているレナを見て、直子が楽しそうに話し出す。
「保育園の七夕祭りね。みんなで短冊に願い事を書いて飾ったわね。二人ともやっと平仮名が書けるようになり始めた頃だったから、一生懸命願い事を書いて…。かわいかったわ。」
“なんて書いたか覚えてる?”
レナが口の動きだけで尋ねると、直子はメモ帳とペンを持って来てレナに差し出した。
「ごめんね。ユウみたいに、レナちゃんの言いたい事がわかればいいんだけど…。私にはやっぱり難しいみたい。これに書いてくれる?」
(あっ…。そう言えばみんなもそんな事言ってたっけ…。)
レナはペンを手に取り、メモ帳に文字を書く。
“願い事、なんて書いたか覚えてる?”
レナの文字を読んで、直子は嬉しそうに笑ってうなずいた。
「もちろん覚えてる。」
レナが首をかしげると、直子は微笑みながら静かに話し始めた。
「ユウの願い事は二つ。“おとうとかいもうとがほしい”。それから…“レナをおよめさんにする”。願い事なのに、およめさんにしたい、じゃなくて、およめさんにする、ってユウは言い切っちゃったのね。」
“私はなんて書いたの?”
「レナちゃんの願い事は、ひとつだけ。“ユウのおよめさんになりたい”って。二人とも、あの時の願い事が叶ったのね。」
直子は優しく微笑んだ。
「ユウのもうひとつの願い事は、叶えてあげる事ができなかったけど…。それでも大好きなレナちゃんをお嫁さんにできたんだから、ユウは幸せ者ね。」
直子の言葉に、レナはうつむいて目を伏せた。
直子は静かに話を続ける。
「お父さんがいないと兄弟はできないって言ったら、次の年の七夕には“レナとけっこんしてかぞくをいっぱいつくる”って書いたの。そうすれば自分も、私も、レナちゃんもリサさんもみんな寂しくないって。子供のくせに親に気を遣って生意気だって思った…。」
直子は遠い記憶に思いを馳せて、写真の中で笑う幼い頃のユウを愛しそうに見つめる。
「親からはユウがいる事で結婚に反対されてたし、ユウの父親が亡くなってからは再婚も勧められたけどね…。再婚すればユウの願い事を叶えてあげられたのかも知れないけど、私はやっぱり、実の母親の分も、亡くなった父親の分も、私のありったけの愛情を込めて、ユウを自分の手で育てようって決めて、ユウが私の手を必要としているうちは再婚しないって言ったら、それで両親とは疎遠になった。結局、自分の子供を産む事はできなかったし、孫を抱かせてあげる事もできないまま両親は亡くなったけど…それでも私は、ユウが私の子供になってくれて良かったって、今でも思ってる。」
レナはうつむいたまま、直子の言葉を聞いている。
「ごめんね。ユウには、レナちゃんに子供の話はしないで欲しいって言われてたけど…。」
レナは驚いたように顔をあげた。
(ユウ…私に気を遣って、直子さんにそんな事言ってたんだ…。)
「私もテオも、ユウとレナちゃんに子供ができたら…って楽しみに思う気持ちはもちろんあるわ。これから好きな人の子供を産む事ができるレナちゃんを羨ましいとも思う。でもね…私には妊娠も出産も経験のない事だから、レナちゃんが不安に思う気持ちはよくわかるの。親に孫を抱かせてあげられない罪悪感も、すごくよくわかる…。」
直子はレナの手をそっと握った。
「でもね…私たちに気を遣って無理をする事なんてないのよ、レナちゃん。ユウの一番の願い事を叶えてくれただけでも、本当にありがたいって私は思うし、レナちゃんが娘になってくれて嬉しいの。レナちゃんみたいな娘が欲しいって、ずっとリサさんが羨ましかったから。」
そう言って直子は、愛しそうにレナを見て笑った。
“でも、私のせいでユウは苦しんでる。
こんな私が奥さんじゃ、ユウはきっと
幸せになんてなれない”
目に涙を浮かべながら自分の気持ちを文字にするレナの頭を、直子は優しく撫でる。
「そんな悲しい事言わないで、レナちゃん。今はつらくても、また笑える日が来るから。その言葉、ユウが一番悲しむと思うわ。ユウはレナちゃんがいれば、それだけでいいって。他に何もなくても、レナちゃんと一緒に生きて行く事が、ユウの一番の幸せだって。二人が笑って幸せでいてくれる事が、私の一番の願い。」
レナはうつむいて、流れる涙を手の甲で拭う。
「レナちゃんはユウにとって、誰よりも、何よりも大切なの。それだけは忘れないで。」
直子は立ち上がって、涙を拭いながらうなずくレナの肩を抱いた。
「ごめんね。疲れさせちゃったかな…。そろそろ休みましょう。」
レナは直子に肩を抱かれながら部屋に戻った。
タオルで涙を拭きながら布団に入ったレナは、さっきの直子の言葉や、優しいユウの顔を思い浮かべ、また溢れる涙をタオルで押さえる。
(ユウの事、愛してる…。だから余計にユウを悲しませるのがつらい…。私以外の誰かと一緒でも、ユウには笑ってて欲しいの…。)
部屋までレナに付き添った後、直子はリビングに戻ってため息をついた。
(お互いに大事だと思うからこそ苦しいし、相手を悲しませてると思ってつらいのね…。)
無邪気に笑う幼い頃の二人の写真を見ながら、直子は七夕飾りの短冊に書いた願い事を思い出す。
(リサさんと二人で“ユウとレナが結婚して幸せになれますように”って書いたっけ…。)
すっかり冷めてしまったワインを飲みながら、直子はアルバムをめくる。
クリームを口の回りにいっぱいくっつけて、クリスマスケーキを頬張るユウとレナ。
誕生日にリサが作ったお揃いの服を来てはしゃぐユウとレナ。
ランドセルを背負って手を繋ぐユウとレナ。
いつも何をするのも一緒だった、幼い頃の無邪気な二人。
「ホントにかわいかったなぁ…。」
直子は小さく呟いて愛しそうに写真を眺める。
(ユウもだんだん大きくなって、お嫁さんにしたいとは言わなくなったけど…それでもずっとレナちゃんのそばにいて、レナちゃんを想う気持ちは変わらなかった…。)
レナがいなければ今のユウはなかっただろう。
お互いがそばにいたから、今のユウとレナがいるのだと直子は思う。
(あの子たちには、誰よりも幸せになって欲しい…。ずっと二人で笑っていて欲しい…。)
直子は七夕の短冊に書いた、直子とリサの願い事が叶う事を祈りながら、静かにアルバムを閉じた。
翌日にライブイベントを控えたユウは、会場近くのホテルに宿泊していた。
同室になったタクミが、ユウの向かいに座ってビールを差し出す。
「一杯どう?」
「サンキュ。」
しばらく二人で黙ってビールを飲んだ。
「あれからあーちゃんの様子はどう?」
ユウは少し眉間にシワを寄せてため息をつく。
「また部屋にこもって塞ぎ込んでる。オレと顔合わせるの、つらいみたいだ。」
「今日は家に一人なの?」
「おふくろんとこに預けてきたよ。また出て行ったりするかも知れないから。」
「そっか…。」
タクミはビールの缶を持つ手元を見つめる。
「とりあえず、アイツはもう芸能界にはいられないと思う。未成年者だから、名前は表に出ないけど…アイツのした事は犯罪だから。表に出るのは、せいぜい飲酒と喫煙の記事くらいだろうな。もう戻れないように、事務所にも圧力掛けといた。」
「そうなんだ…。それにしても…タクミんちって、なんかすごそうだな…。」
「親父は警視総監で、母親は弁護士で、兄貴は政治家で…。ついでに姉貴は外科医だ。」
「すごすぎる…。」
「エリート一家だろ。その中でオレだけがその道から外れたから、異端児扱いだよ。」
「そうなのか?」
「オレも一応、高校まではエリート進学校のトップだったんだけどな…。超難関大学にも受かって、しばらくは通ってみたけど…辞めた。」
「なんで?」
「つまんなくて。当たり前みたいに親の期待に応えて生きてきたけど、オレのしたい事とか欲しい物とか、自分で手を伸ばして手に入れたいと思った事も、手に入れようとした事もなかったから。なんのために生きてんだろって思ってさ。」
「将来の夢とかなかったのか?」
「なかったな…。とりあえず、官僚になるつもりではいた。」
「官僚って…!」
「大学に入って少ししたら、なんとなく今までとは人種の違う友達ができて、すげー新鮮だったな。そいつバンドやってて、ギター教えてくれたり、ライブハウスとか連れてってくれんだよ。初めてのライブに興奮して楽しくてさぁ。そいつといろんなライブに通い詰めて。しまいにはボーカル抜けたからオマエ歌えって言われて、面白そうだからやってやろうって。」
「へぇ…。」
「そんで、ヒロさんに出会った。たいしたバンドでもないのに、オマエ面白いからオレんとこに来いって。芸人かよ!って思ったけど、この人についてけば、なんかすげー楽しいんじゃないかって気がしてさ。初めて自分の意思で親に背いて、親が選んだ道とは違う道を行く事を決めたんだ。そん時やっと、オレ生きてる!!って思えた。」
「そんな事があったんだ。タクミは自分の話とか全然しないから謎が多かったけど…なんか意外な気がする。」
「話したくなかったから。身内の事話すと、自分も同じエリートでなきゃ、おかしいって思われんじゃん?」
「そうか?タクミはタクミでいいと、オレは思うけどな。」
「若い頃は家族の事が嫌でしょうがなかったから、連絡もずっとしなかったし、あんな奴ら家族じゃないとか思ってたりもしたけど…30過ぎてやっと、親とか兄貴とか姉貴とか、尊敬できるようにもなったし…なんとなく感謝もできるようになったと言うか…。」
「良かったじゃん。オレは生まれてすぐに母親に置き去りにされてるから、実の母親の事が憎かったけどさ、レナが言ってくれたんだ。私はユウの実のお母さんに感謝してる、お母さんが産んでくれたからユウに会えたって。母親がオレを置いて出て行ったから、今のおふくろとも会えたし、おふくろに愛情注いで育ててもらえたんだよって。」
「へぇ…。あーちゃんらしいな。」
「みんないろんな事があって今があるんだな。リュウが激ヤンだったのには驚いたけど。」
「言えてる。」
タクミはおかしそうに笑ってビールを飲み干した。
「ユウとあーちゃんもさ、いろいろあって一緒になったんだろ。今はつらくても、きっといつかまた、前みたいに笑える日が来ると、オレは思うよ。」
「だといいんだけどな…。」
ユウはレナの笑顔を思い浮かべながら、また二人で笑える日が来る事を願って小さく呟いた。
翌日、昼食を終えたレナは、直子に誘われて近所へ散歩に出掛けた。
レナが部屋にこもっている間に、もう12月も半ばになり、外の景色はすっかり冬に移り変わっていた。
大きな公園では小さな子供たちが無邪気に笑い声をあげて、楽しそうに遊んでいた。
母親たちは愛しそうに我が子を見つめている。
「ユウとレナちゃんも、いつも暗くなるまで公園で遊んでたわね。泥んこになって、手を繋いで帰って来て…。お風呂の中でユウが、今日はレナちゃんとこんな事をして遊んだって、いろいろ教えてくれてね。」
直子は懐かしそうに微笑む。
(いつもユウと一緒に遊んでたな…。リサはいつも仕事で忙しかったけど、ユウと二人でいると、全然寂しくなかった…。)
幼い頃から、いつもそばにいてくれたユウ。
大きくなっても、いつもそばにいてレナを守ってくれた。
(ユウが急にいなくなって、離ればなれになった時は寂しかった…。でも大人になって、また会えて…初めて恋をして…いつの間にか、ユウがいないと生きていけないって思うくらい好きになって…。絶対に二人で幸せになろうって結婚して…。)
ユウを想うたびに、胸の奥が痛む。
レナが胸を抑えて顔を上げると、その先に教会が見えた。
(教会…。)
教会を見て、レナはユウとチャペルで結婚式を挙げた日の事を思い出す。
(そう言えば、結婚して今日でちょうど10ヶ月か…。結婚式を挙げたのは、ちょうど9ヶ月前…。)
大切な人たちに見守られて、チャペルで結婚式を挙げたのは、ほんの数ヵ月前の事なのに、もう随分前の事のように感じた。
「こんなところに教会があったのね。知らなかった。行ってみようか。」
直子について教会の扉を開けると、ステンドグラスから柔らかな陽が射し込んでいた。
「キレイね…。ユウとレナちゃんの結婚式を思い出すわね。二人とも素敵だったな…。」
レナは教会の中に足を踏み入れ、祭壇の前に立つ。
そして、膝をついて、手を組み合わせた。
(神様…。お願いです…。ユウを誰よりも幸せにして下さい…。本当はずっとユウのそばにいたいけど…ユウと幸せになりたいけど…ユウが幸せになれるなら…私は…。)
静かに祈りを捧げるレナの背中を、直子は切ない思いで見つめていた。
そして直子も、手を組み合わせて祈る。
(神様…どうかユウとレナちゃんを幸せにして下さい…。これからもずっと二人で一緒に笑えるようにして下さい…。)
どれくらい神に祈れば、祈りが届くのだろう?
しばらく祈りを捧げた後、レナと直子は教会を出て帰宅した。
レナの頬にはうっすらと涙の跡が残っていた。
帰ってからソファーに座っていたレナがうたた寝を始めるのを見て、直子はそっとブランケットを掛けた。
(レナちゃん、疲れたのかしら…。)
直子は慈しむようにレナの寝顔を見つめると、キッチンに立って夕飯の支度を始めた。
眠りの中で、レナは夢を見ていた。
さっき直子と行った教会の前に立って、幸せそうに笑う人たちを眺めている。
(誰かの結婚式かな…?)
『おめでとう!!』
『幸せになれよ!!』
たくさんの人たちに祝福されて、幸せそうに笑う新郎新婦が赤い絨毯の敷かれた階段を降りてくる。
『おめでとう、ユウ!!』
『ユウ、夫婦仲良くな!!』
(えっ…?)
仲間に祝福されて幸せそうに笑っているのは、白いタキシードを着たユウだった。
(ユウ…?!)
そしてその隣には…顔はハッキリ見えないが、真っ白なウエディングドレスを着た女の人が、ユウと腕を組んで幸せそうに笑っていた。
(嫌…ユウ、どうして…?私はここにいるのに…!!)
ユウは小さな赤ちゃんを抱いて、愛しそうに笑って新婦と一緒に赤ちゃんの顔を覗き込む。
そして、レナに手を振り“さよなら”と言い残して、新婦と一緒に去って行く。
“ユウ、待って…行かないで…!!私を置いて行かないで…!!”
レナがどんなに叫んでも、声が出ない。
“ユウ、愛してる…行かないで!!”
どんなに手を伸ばしても、ユウには届かない。
“行かないで…”
その場に座り込んで泣きじゃくるレナを振り返りもせず、ユウの背中は遠く離れて行った。
“ユウ…行かないで…”
「レナちゃん、大丈夫?!」
直子に声を掛けられ、肩を揺すられてレナは目覚めた。
頬には涙がいくつもの筋を作っている。
“あ…夢…”
「レナちゃん、うなされてた…大丈夫?」
直子がレナにタオルを手渡す。
レナはタオルで涙を拭きながらうなずいた。
(なんて夢…。ユウが他の人と結婚式を挙げて…幸せそうに赤ちゃんを抱いて…私に“さよなら”って…。)
でも、ユウが幸せになれるならそうなってもいいと、レナは確かに神に祈った。
(そうか…私が教会で祈ったから…。)
ユウが幸せになれるならと思っていたはずなのに、夢でさえこんなにつらくて悲しい。
(ホントは、ユウとずっと一緒にいたい…。他の誰かのところに行って欲しくなんてない…。怖いけど…やっぱりユウと家族を作りたい…。だって私は…ユウを愛してる…。)
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