8ー2

 天気は曇り。風が肌寒い朝。

 

 今日は一時間目から英語の授業。

 お弁当はオムライス。最近、ママが習得したからって、一週間に三回はこのメニュー。

 そういえば、今週の水やり当番は紫姫ちゃんと孝太くんだっけ。


 そんなことを考えながら登校する、月曜日の朝。


 事件が起きたのは突然だった。


 ちょっとだけ、いつもより家を出るのが遅かったから、ランドセルをクラスの机に放り投げると、急ぎ足で、ひとり音楽室に向かう。


 音楽室に入るやいなや、いつもと違う空気に気がついた。


 数人の子が、花壇の前に集まっている。


「大変なんだ」

 紫姫ちゃんが、わたしに気づくと青い顔をして言った。

「私たちが朝、水やり当番で音楽室に来たら、こうなってて」

 

 みんなの輪の中心にあったものを見て、わたしは思わず息をのんだ。


 大きな破片を残して割れた、植木鉢。

 こぼれた土で、汚れされた床。

 その中に横たわる、開きかけた小さなつぼみのついた、細いバラの苗。

 無残にも、咲きかかっていた花びらは踏みにじられて、土だらけになっている。


 それはまぎれもなく、先週みんなで音楽室の中に移動させたばかりのバラたちのうちの一つ。

 東阪くんの育てていた、クレアだったのだ。


「先生……」

 真彩ちゃんが先生を呼んできてくれたみたいで、振り返ると、鈴鹿先生が息を切らしていた。

 クレアの惨状を見て一瞬、先生は眉をひそめた。だけど、静かにみんなに指示を出した。

「植木鉢は破片を踏んだりしたら危ないから、片付けよう。藤本さん、苗はいったん、代わりの鉢に植え替えてあげて」

 先生は軍手をはめて、クレアを助け出すと紫姫ちゃんに渡した。

「みんなは、植木鉢に近づいたり、さわったりしちゃいけないよ。僕が植木鉢の破片を集めるからね……あっ、でもビニール袋がないや。ちょっと職員室に行ってもらってくるね」

 いつも準備室に用意してあるビニール袋、このタイミングでなくなっちゃったみたい。

 先生は突然の不運にもあわてず、でも急いで音楽室を出ていった。


 紫姫ちゃんがクレアを別の、音楽庭のはじっこに余っていた植木鉢に植え替えるのを手伝う。

 細い茎は折れて、かわいそうな姿になっていた。根っこから伸びる太い茎はなんとか立ってくれて、生き返るかもしれないって、紫姫ちゃんが言った。

「——こんなこと、なったことないから、わかんないけど」

 肩を落とす紫姫ちゃん。だけど、次の瞬間、思い立ったように立ち上がって怒った声をあげた。

「絶対、部員の誰かが割ったんだよ!」


 ちらちらと遠巻きに眺めながら、楽器を用意する子も。

 どうすればいいかわからずに、わたしたちの周りをうろうろしていた子も。

 他の子たちはみんな不安げに、紫姫ちゃんのほうを見る。


「待って、紫姫。どうしてそう言い切れるの?」

 真彩ちゃんがなだめるように言った。

「だって、土曜日に、ウチらが練習から帰るときには割れてなかったんだよ? 最後まで、誰かが残ってて、みんながいなくなるのを見計らって割ったんだと思う!」

「でも、なんでこんなことするのかなぁ」

 と、孝太くん。悲しそうに眉を伏せる。

「光くんがなんか嫌なことしたから、その仕返し、とか?」

「あるかもしれない」

 ざわり、と動揺が走った。

「光くん、言うこときびしいし」

「怖いし」

「泣かされることだってあるよ?」

 すると明ちゃんが小さくこぼした。

「ゴカイされることは、よくあるから、お兄ちゃん……」

「だとしても、花に当たるのは反則だよ! ひどいよ!」

 紫姫ちゃん、本気で怒ってる。いつも東阪くんと口げんかしてるときとは比べものにならないぐらいの、ホントの本気だ。

「うん……わざとやったなら、許されることじゃないよね」

 みんな、自分のお花には毎日おはようを言って、水をあげたり肥料をあげたりして、大切にしている。花が咲くまで見守っているんだ。植木鉢をこわされるのがとても傷つくってことも、わかっているはず。わかって、故意にやったとしたら。


 ——そんな人が花小ブラスの中にいるとしたら。


「今、全員いる?」

 紫姫ちゃんは、みんなを見渡した。

「この中に、光の植木鉢を割っちゃった人がいるなら正直に名乗り出て。もしかしたら、間違って倒しちゃっただけかもしれないから。その場合も、ちゃんと言って!」

「紫姫。ちょっと落ち着こう? みんな怖がってるよ」

「真彩ちゃんはこのまま犯人わからなくて、みんなが不安な気持ち抱えたままでいいって言うの?」

「そうじゃないけど……でもここで、みんなで犯人探しするのは、もっとお互いうたぐり深くなっちゃうよ。ここからどうするのかは、先生にまかせよう? 今は、練習に集中——」

「集中できないよ、こんなの」

 真彩ちゃんの言うことはすごく正しい。

 でも、紫姫ちゃんが怒るのもわかるし、明ちゃんなんて、今にも泣き出しそうで、とても練習できそうにない。

 みんなの目は、他人を疑い始め、どこかおびえたようだった。

 このままじゃ、みんなの心がバラバラになってしまう。

「お願い。正直に教えて。理由もちゃんと聞くから」

 一言一言に、紫姫ちゃんの悲しい気持ちを痛いぐらいにかんじる。

 不気味なぐらいしんと静まり返った音楽室で、もちろん手をあげる人はいなかった。

 はらはらしながらことのなりゆきを見守っていたわたしは、そこで重大なことに気づいた。


 全員集まっていると思い込んでいたけれど、実は一人だけ、この音楽室にいない人がいたのだ。


 明ちゃんが、小さくつぶやいた。


 「お兄ちゃんが、いない」

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