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 しかしながら不幸なことに、わたしは次の日熱を出してしまったのでした……。

 ブラスバンドをやるかどうか以前の問題。これではどこからどう見ても、「新学期デビューに失敗した人」ではないですか。

 クラスの子たちには、「転校したけど学校になじめないから、心を病んで不登校になっちゃったんだ」って思われてるに違いない。

 わたしは目の下まで布団をかぶって天井を見つめながら、ため息をついた。


「ありさごめんね。ありさが無理してること、ママ気づかなくて。ひとりでスーパーに行ったこともなかったのに、普通のことのように、行かせちゃったりして。ママったら、うっかりしてたなぁ……レジでのお金の払い方とか、わかった?」

 全然大丈夫だよ、ママ。そんなことより、小学五年生にもなって初めてのおつかいを心配されるほうが恥ずかしいから。


「嫌なこととか、しんどいこととかあったら、言ってね」


 ママは一時間に一回は様子を見にきてそう言ってくれた。でも違うの、ママ。嫌なこととかはないんだよ。昨日はいろいろと、考えごとをして、頭がぼうっとしちゃってね——。


「お邪魔しまーす!」


 うとうとしてたら、一階で底抜けに明るい声が聞こえて、続いてドタドタと騒々そうぞうしい足音が近づいてきた。


 ドアを開けて、ひょこっと顔を出したのは……。

「ありさ!」

 昨日一日話しただけなのに、もう聞き慣れた声。

「ふ、藤本さん⁉︎ 」

 わたしはあわててベッドから起き上がった。

「お見舞い来ちゃった! カゼ大丈夫?」

「大げさだよ、お見舞いなんて」

「元気そうでよかったぁ。あ、これ今日学校でもらったお手紙渡しておくね」

 そ、そのまったく疑いのないきらきらとした眼差しは何? わたしが精神を病んでしまったとかは、考えもしなかったみたい……まぁそれならそれで、いいのだけれど。

「ほんとは先生も来るはずだったんけど、途中で車の前タイヤが畑に落ちちゃったおじさんがいて、一緒に引き上げることになったから来られなかったんだよねぇ」

「先生が?」

「うん。鈴鹿先生って、不幸体質らしくって、しょっちゅう小さなトラブルに巻き込まれてるんだ。鳥のフンが頭に落ちて来たり、自動販売機でお釣りが出てこなくなっちゃったりは日常茶飯事にちじょうさはんじ

「そうなんだ」

 わたしは思わず吹き出してしまった。鈴鹿先生はスラリと背が高く、物腰やわらかな紳士風だけど、意外とそんな弱点があるなんて、なんだかおかしいね。


「おい」

 急に違う人の低めな声がして、わたしは飛び上がるほどびっくりした。

「⁉︎」

 何にびっくりしたかって、今まで東阪くんがそこにいることに気づかなかったことにだ。完全に気配消してたよ?

「気が向いたら来いよ、音楽室」

 それだけ言うと、東阪くんはさっさと部屋を出て言ってしまった。

 わたしはなんにも反応できずに、無視したみたいになってしまったけど、返事とかは、特に必要ないみたいだ。

「光、素直じゃないとこあるけど、悪い子じゃないから。仲良くしてあげて」

 藤本さんがそっと耳打ちした。

 昨日はちょっとケンアクなムードに見えたけど、二人でお見舞いにきてくれるってことは、本当に仲が悪いわけじゃないんだな。

 わたしは少しほっとしてうなずいた。


 藤本さんは、そのあとも学校のことをたくさん話して教えてくれた。

 主に、授業は今どんなことをやってるか、とか、ゲームでは何が流行ってるか、とか(ゲームは家で禁止されていたから、あまりわからないけれど)、休み時間は何時何分から、とか……。

 だけどブラスバンドのことは、不思議と話題にのぼらなかった。昨日のことを思って、さけていたのかもしれない。

 もしもそうなら、気をつかわせてしまって、本当に申し訳ないな。

「ありさは前の学校でなんて呼ばれてたの?」

「うーん、『ありさ』……かなー」

 ほんとは、前の学校でお友達を呼び捨てにする人はいなかった。けど藤本さんが『ありさ』って呼ぶならそれでいい。

「そうなんだ。じゃあ、みんなにもありさって呼んでもらえば良いよね」

 藤本さんは、わたしを『みんな』の仲間に入れてくれるように、気を回してくれていたんだ。

「わたしのことは、みんな『紫姫』か『しーちゃん』って呼んでるから、そうしてくれるとうれしいな」

 優しくて親切な藤本さんのことを、わたしはだんだん信頼しはじめていた。


 

 ✳︎♪✳︎♪✳︎



 次の日、すっかり元気になったわたしは、ある決意を胸に、花羽台小学校の校門をくぐった。


 音楽室に近づくにつれて大きくなる合奏の音。

 みんなが今吹いているのは、『基礎練習』というやつだと思う。(ピアノや音楽の授業でもよくやるやつだ。)

 ゆっくりと、みんなで一斉に、同じ音を伸ばして吹いている。


 さすがに緊張してきて、扉の前で、一度足が止まってしまう。

 でも、最初はわたしから、勇気を出さなきゃね。


 一昨日のてんでバラバラなあの子たちが、今は気持ちを一つにして、一つの音を作っている。


 低い音から高い音まで、重なり合った明るい響きは、なんだかとても心地が良くて、背中を押してくれてるような気がした。(聞こえてくるのは前からだけどね。)


 音が鳴り止んだタイミングを見計らって、


 ――よし、今だっ!


 わたしは音楽室の扉をカラカラと勢いよく開けた。


「失礼します!」

 

 目に飛び込んでくるのは、音楽室の壁ぞいを彩る、あざやかな花たち。

 やっぱりちょっと変わっているけど、きれいなところだな。


 ブラスバンドのメンバーが、みんなびっくりした顔でわたしに注目した。

 あまりに意外だったのか、藤本さんも、みんなと同じように唖然あぜんとしている。


 わたしはまっすぐ、前を見た。

【花には水を、心には音楽を】

 という標語が、模造紙に書かれて、目線の先の壁にはられている。


一昨日おととい転校してまいりました、五年の久川ありさと申します! 花羽台小学校ブラスバンドに、入部希望ですっ! よろしくお願いします!」

 

 自己紹介はこれっきりにしたいな。

 なんて思いながら、一礼して、顔を上げる。

 みんなの顔は、まだ固まったままだった。

 そんな中、東阪くんがひとり、静かにほんのちょっとだけ微笑んだような気がして、わたしはつられて笑顔になった。

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