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 申し訳ないです……。

 藤本さんはすごく親切にしてくれたし、鈴木先生も、こころよくむかえてくださったのに、わたし、とても失礼な態度をとってしまいました。

 今からでもあやまりたい。

 でもどうしても、あの空気の中には入って行きづらかった。

 藤本さんも、東阪くんも、あんなにズケズケ言い合いして……。

 なんていうか、わたしが知っている『学校のお友達』とは、ちょっと違う。

 それだけ本音で話せてるってことなのかもしれないけれど、やっぱりちょっと怖いな。

 まるで学級崩壊みたいな、さわがしくて無秩序な人たち。

 あんなバラバラで、まともな『合奏』なんてできるのだろうか。

 信じられない。

 外国のお庭のような素敵な音楽室には、あのやんちゃな子たちはどう考えてもミスマッチ。

 それなのになぜか、わたしは自分のほうが異質な存在に思えてならなかった。

 

 なんとなく行き場を失って、とりあえず学校の外に出ることにした。

 古い木造二階建ての校舎。ところどころつたが絡んだりしている。学校っていうより、森の中の洋館ってかんじ。

 ろうかを歩いて床がみしみし音を立てるたびに、思い出されるのは、ステンドグラスのきれいな礼拝堂や、大きなコンサートホールのある、前の学校のこと。


 ——また、ひとりぼっちだ。


 戻りたいなんて思ったら、きっとママが悲しんじゃうな。

 なんで離婚しちゃったの、とか、絶対にママのことは責められない。

 それは禁句。

 でも今家に帰ったら、思わず不満をもらしてしまいそうで、行く当てもなく、わたしは何もない田舎の町をふらふら歩き回っていた。

 こんな姿、もしパパに見られたら、きっと「不良娘」って怒られちゃうね。


 どれぐらい時間がたっただろうか。

 さすがに歩き疲れてきたから、家の近くの公園のベンチに座って、休憩することにした。

 前の学校で使ってたランドセルの中から、あるものを取り出して。


【ありさちゃん 新しい学校でもがんばってね】


【絶対わすれないよ】


【今までたくさんあそんでくれて、ありがとう】


 一学期最後の日にもらった色紙しきし

 ひとりひとり違うきれいな色のペンで、お別れの言葉が書かれている。


 みんなもう、わたしのことは、過去の人だと思ってる。

 戻る場所もないんだ……。


 大げさなため息をついて、泣きたい気持ちをごまかそうとした、そのとき。


 また。が、聞こえてきた!


 昨日と同じ曲だ。東阪くん、なんて言ってたかな。なんとかかんとか二楽章だっけ。なんとなく、どこかで聞いたことある気がするメロディなんだ。きっと有名な曲なんだと思う。

 ——学校で、ブラスバンドの誰かが吹いているのだろうか。


 心がざわざわする。


 別に悲しい曲って感じじゃないんだけど、なんだろうこの、どこか切なくさびし気な音色は。

 ひとりぼっちのわたしに追い打ちをかけるかのような。

 その一方で、そんなわたしの気持ちに寄りそうかのような。


 色紙の上に、一滴の水がぽとりと落ちた。

 夕立? 大変! 友達に書いてもらった文字がにじんじゃう。

 慌てて空を見上げる。

 けれど、そこに広がっていたのは、雲ひとつないオレンジの空で。


「あれ?」


 雨だと思っていたものは、わたしの涙だった。


 ——曲が最後まで終わって、あたりに響くのは、ひぐらしの鳴き声だけになった。


「久川さん」

 優しくわたしを呼ぶ声。

 公園の出口のところに、鈴鹿先生が立っていた。

「先生!」

 わたしはあわてて鼻をすすり、涙をふくと、ぴしっと気をつけの姿勢をとって、

「先ほどはすみませんでした」

 と深々頭を下げた。

「用事なんて、本当はうそで……」

「うんうん、わかってるよ」

 顔を上げると、先生はほがらかに笑っていた。

「藤本さんは、考えるよりまず行動する派なんだけど、今回は行動が早すぎて、無理に連れてっちゃったんだね。転校生が来るって聞いて、すごく楽しみにしていたから、許してあげて」

 わたしはもちろん、と心を込めてうなずいた。

 藤本さん、わたしが来るのを、待っていてくれたんだ。うれしいな。

 ダメだ、また涙が出そう。

「そういえば久川さん、学校出てからずいぶん経ったけど、ずっとひとりでここにいたの?」

 先生に聞かれて、わたしはひかえめに答えた。

「ちょっと、お散歩を……公園へは、ついさっき来ました」

 放浪していたことがバレてしまって、恥ずかしいです……。

 あ、そういえば!

「さっきまで、音楽が聞こえてたんです」

 話を変えたい気持ちもあって、先生に言った。

「『フリューゲルホルン』かい?」

「先生も知ってるんですか?」

 すると、先生はちょっと得意げににやりとした。

「僕はブラスバンドの指揮をやっているからね。当然知ってます」

 あ、そうなんだ。

「というかまぁ、楽器のことならなんでも聞いてよ」

「……ブラスバンドにも、フリューゲルホルンは使われますか?」

 なんでもって言われたから、なんとなく、聞いてみる。

「うん、フリューゲルホルンも金管楽器のひとつだから、使用することもあるよ」

 やっぱり。なんとなく、そうじゃないかなって思ったんだ。それなら――。

「でも、今の花小は、人数が少ないからフリューゲル担当はいないんよね」

 なぁんだ、そうなんだ。

 先生の言葉に、なぜか、ちょっとだけがっかりした。

 ……って、あれ?

 それならさっきのは、だれが吹いていたの?

 一瞬、そんな疑問が頭に浮かんだけれど、わたしはそれよりも一言、

「さっきの曲、とっても素敵でした」

 と。とにかくだれかに伝えたかった。

「『交響曲第9番「新世界」より第二楽章』、だよ」

 東阪くんみたいに、先生はすらすらと題名を教えてくれた。

「音を聞いて、何か感じた?」

「心がぎゅっとなって、なぜだか懐かしいような切ないような気持ちになって、自然と涙が出たんです」

「それが音楽の持つ力なんだなぁ」

 先生は、またにやり。

「不思議なことに、言葉もないのに、僕らは音楽を通していろんな気持ちを共有できるんだ」

「気持ちを、共有、ですか」

「そう。いわゆるだね」

 そりゃ、難しいピアノの曲をカンペキに演奏しているのを聴いたりしたら、すごいなぁって思うものだけれど。それとはまた違うの?

 わたしはよくわからなくて首をかしげた。

 すると先生は、夕焼け空の遠くを見ながら言った。


「僕はね、草木や花には水をあげるように、人の心にも音楽という栄養をあげたいんだ」


「栄養?」

「そう。心を元気にする栄養」

 心を元気に、か。それは、わたしがまだ東京に住んでいたときに、よく聞いた言葉だった。

【ママの心が元気になるように。】

 毎日のように、パパからそう聞かされていた。

 でもそれって、すごーく難しいことじゃないんですか?

 お医者さんとかに相談しなきゃいけないものだと思うんですけど。

「そんなこと、できるんですか?」

「あの音楽室で練習しているみんなになら、それが可能なんじゃないかって、僕は思うんよ」

 言い切る先生は、本気でそう思っているみたいだった。

「……わたしにも、できますか?」

「もちろんさ!」


 ……。


「ちょっとだけ、見に行こうかな、練習」

 わたしは、小さくつぶやいた。

 フリューゲルホルンを聴いて湧いた、このよくわからない気持ちの正体を、突き止められるんじゃないかって、そんな気がしたんだ。

 それに本当は、あのきれいな場所を、もう一度、見てみたい。

「今の言葉、みんなが聞いたらきっと喜ぶよ」

 でもそう、それ。問題は、そのと一緒にうまくやっていけるだろうかってことだ。

 すると先生は、わたしが悩んでいるのを見抜いてくれたのか、

「音楽室へは、いつでもおいで。みんな待ってる。基本的に練習は朝八時から。放課後の自主練は自由参加。それから土曜日は、朝八時から夕方五時までだよ」

 最終的な決断はわたしにゆだねるように、それだけ教えてくれたんだ。

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