第9話 ひとりぼっちのユーフォニアム

9ー1


 先生が出て行ったあと、わたしたちはその場で動けず、各々おのおのだまりこくっていた。


 最初に動き出したのは、東阪くんだった。

 おもむろに立ち上がると、淡々と、楽器を片付けはじめる。

「ちょっと、光、何やってるの?」

 真彩ちゃんがあわてて声を上げた。

「ライドウが、今日は練習やめろって言ってるんだから、帰るわ」

 その行動があまりにも予想外で、みんな戸惑いながら東阪くんを目で追った。

「まだ終わりの時間まで一時間あるよ!」

「知るか」

 真彩ちゃんの止める声も聞かずに、東阪くんはユーフォニアムとランドセルを持って、出て行ってしまった。


 東阪くんがいなくなったあと、わたしたちはみんなで「話し合い」をすることになった。

 吹奏楽フェスティバルの出演について。

 わたしたちが直面している、問題について。

 

 部長の真彩ちゃんが、みんなの前に立つと、つとめて冷静に、語りかけた。

「ちゃんとさ、みんな練習のときは、練習に集中しよう。今の合奏の時間は、全然身になってないよ」

「はい……」

 数人の子たちが返事をするけれど、その声は弱々しい。真彩ちゃんは、いつもの笑顔を押し殺して、強めに言った。

「正直、このままのわたしたちじゃ、吹フェス、出られなくなっても仕方ないと思う」

「そんなの嫌だよ……」

 と孝太くん。もちろんだれもが、同じ気持ちだ。

「じゃあ余計なことは考えないで、集中しよう」

「うん……」

「でもさ、それじゃあ何も解決にならないじゃん」

 真彩ちゃんからいちばん遠く、ドラムに座っている紫姫ちゃんが、声をあげた。

「こんなことになったのも、全部、だれかが光の鉢を割ったからなんだよ? 光、絶対ほんとは傷ついてるよ? みんなのこと信じられなくなってると思うよ?」

 わたしもみんなも、紫姫ちゃんのほうを見ていた。

「このままじゃ、光だっていつも通りに吹けないよ」

 紫姫ちゃんは声をふるわせる。たかぶる感情を、おさえきれないように。だけど必死にがまんして。

「どうしてそんなことしたのか、教えてよ」


 小さなすすり泣きが聞こえた。

 とうとう明ちゃんが泣き出してしまったのだ。この重々しい空気にたえられなかったのだろう。

 それに今、話題に上っているのは、大好きなお兄ちゃんのことだもんね。しかたがない。

 わたしも泣きたいぐらい不安だったけれど、そうもいかない。一応、上級生だし。

 

 どうにかしなきゃ。考えなきゃ。


 植木鉢を割ったのは——


 証拠はない。

 だけどちょっとだけ、わかるんだ。


 そうやって、自分のものを、わざとこわしてしまう人のことを、見たことがあるから。

 それは——思い出したくはないけど、うちのママ。

 パパにもらったティーカップ、落として割っちゃったことがある。

 ママは言ってた。一瞬、周りが見えなくなって、頭に血が上って、こわしてしまったって。

 そして、あとからすごく後悔していたのだ。本当はそんなつもりじゃなかったのにって。

 きっと、東阪くんも心の中では悲しいことをしたなって、思っているはず。

 そう信じたい。


 紫姫ちゃんは、今でもたぶん、部員の中に植木鉢を割った人がいるんじゃないかって思ってる。

 東阪くんのことを心から大切な友達だと思っているから。

 信じているから。


 でも、わたしが知りたいのは、だれがやったか、じゃない。

 わたしが知りたいのは、東阪くんの本当の気持ち。

 

 、ってこと。


 真彩ちゃんが言っていたように、きっと、ひとりぼっちで抱えこんでしまっている何かがあるんだ。


「ひとりぼっち」?

 

 ——東阪くんは、ひとりぼっちなのだろうか。


 そのときだった。

 わたしは遠くに、『新世界』の鳴る音を聴いたんだ。


 東阪くんのユーフォニアムだ。


 わたしは心臓をぎゅっとしめつけられるような苦しさを覚えた。

 なぜならその音色は、暗くて苦しそうで、なのに今まで聴いたどんな演奏よりも、ずっとずっと、冷たく美しかったから。


「光、こんなときに……ふざけてんの?」

 紫姫ちゃんは、怒ったような困ったような声をあげた。

 わたしたちは、何も言えなかった。

 人それぞれ、きっと心に思うことはいろいろだろうけれど、みんなただただ、その美しさに聴きってしまって、動けなかったんだと思う。


 転校してきたばかりの夏の季節より、暗くなるのがずっと早い、冬のはじめ。

 もう、夕日が山の向こうに沈もうとしていた。


 東阪くん――。


 何を思いながら、吹いてるんだろう。

 


 ✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎♪✳︎



 次の日の朝練に、東阪くんは来なかった。

 部長の真彩ちゃんを中心に、昨日の話し合いの続きをすることになったけれど、本番まであと一ヶ月もないのに、いつまでもこんなことをやっている場合じゃない。

 だんだん、みんなのイライラとあせりが目に見えるようになってきた。

 空気は最悪。昨日よりさらに悪化している。


「だいたい、光が何も言わないし、先帰るし、今日休むからこんなことに——」

 東阪くんの煮え切らない態度に、文句を言いかける紫姫ちゃん。

「光は被害者じゃん! 何言ってんの?」

 華蓮ちゃんは当然、東阪くんをかばう。


 これじゃあ、わたしの考えを言っても、火に油をそそぐだけかもしれない。

 でも、早くみんなの疑いの気持ちを取りのぞかないと、前に進めない気もするし。

 ああもう、どうしよう。


 思い返せば、植木鉢事件は、突然起きた。

 それまでの東阪くんの様子に、さほど変わったところはなかった。

 でもその前に、何かきっかけがあったとすれば――ガーデンコンサートだ。


 みんなは知っているのだろうか。

 東阪くんのお母さんが、東阪くんに対してなんて言っているのか。


「音楽なんかやっても、意味がない」


 もしかしたら、このことと、今回の植木鉢事件、何か関係があるのかもしれない。


 でも何もまとまらないまま、朝練が終わってしまった。

 先生も来なかったし、このまま本当に、吹奏楽フェスティバルに出られなかったらどうしよう。


 だれもがそう、思い始めていた。


 わたしの頭の中にはぐるぐると、東阪くんと、みんなへの想いがうずまいていた。

 どうにか、花小ブラスの音がまた一つになれるようにしたい。


 どうすればいい?


「なんで朝練来なかったのさ」

 教室に戻るなり、つっかかって行った紫姫ちゃんを、東阪くんはさっきから無視し続けている。

「ねぇ、光が傷ついてることわかってるけどさ、光が何にも言わなきゃ、かえって敵を作るだけだよ⁉︎」

「わかってないよ……」

 もっと怒るかと思ったけど、東阪くんからは、力ないため息が返ってきただけだった。

 それから、


「でもまあ、いいんじゃない?」

 

 って、なぞの言葉。


 何がいいの?

 全然良くないよ!

 紫姫ちゃんが言うように、そんな態度じゃ、味方だった人だってはなれて行っちゃうよ?

 わたしは自分でもめずらしいと思うほどに、心の中でいらだちを感じた。

 こっちはずっと、なやんで考えているのに……。


 放課後、今日は紫姫ちゃんと華蓮ちゃんとわたし、三人で練習行こう、ってことになった。

 毎日音を出していないと、なまっちゃうからって。

 それに、こういうときこそ練習でストレス発散したいんだって、紫姫ちゃんが。

 たしかにドラムはたたくとすっきりしそうだ。

 けれど、音楽室に行く途中で真彩ちゃんに会って、「今日は練習おやすみだよ」って言われてしまった。

「さっき、先生に、今日のことを相談しに行ったら、それぞれ考える時間をとった方がいいって」

「ええ〜っ」

 抗議の声を上げる紫姫ちゃんを見て、真彩ちゃんは苦笑い。

「ほかの子に会ったら教えてあげてね。もうほとんどの子には伝えたけど」

「じゃあ、音楽室あいてないの?」

「たぶん。授業で使った後、閉めたと思う」

「むぅ」

「どうしてもっていうんなら、先生に鍵もらったら?」

「そうだなー。でも、先生の言うことにも一理あるからなぁ」

「わたしは帰るね。また明日の朝練で……」

「うん」「じゃあね」「バイバイ」


 くつばこに向かう真彩ちゃんを見送ってから、

「どうする? 帰る?」

 三人でひたいをつきあわせた。

「うーん……」

 明日の朝練も、同じような暗い話し合いになるのかと思うと、気が重かった。


 放課後の校舎は静かだ。

 古い床に、ひとりひとりの足音が、歩くたびにギシギシ鳴って、耳障りなぐらい。

 だからそのとき、遠くのほうで、カラカラ……と引き戸の音がしたのを、わたしたちは聞き取ることができた。

 あの軽い木の扉の音は、たぶん音楽室だ。


「あれ?」

「あいてる……のかな?」

「——行ってみよう」


 わたしたちは顔を見合わせて、うなずいた。

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