第6話 わたし、フリューゲルパート吹きます!

6ー1

 授業参観の日に行われるガーデンコンサートが、あと二週間後にせまっている。

 わたしたちが挑戦している『ゲールフォース』も、いく度となくパート練習と合奏をくり返すうちに、ようやく演奏がかたちになってきた。

 わたし自身も、毎日腹筋やランニングを続けて、楽器を吹くのに必要な体力も、だんだんついてきたように思う。(ただランニングはあいかわらず遅くて、この前も体育の授業ではクラスでビリだったのですけれど……涙)

 高い音が出なかったり、パートの全員でなかなか音がそろわなかったり、課題はいろいろあるにしても、進歩もしていると思う。たぶんね。

 

 放課後、わたしはいつも、音楽庭に植えられているオレンジ色のバラ、エマの前で、練習をしている。

 ひとりで練習しているときは、エマのことを見ていて、たまに心の中で、

「今の音どうだった?」

 とか、話しかけていたりするんだ。

 そしたら、だんだん仲良くなってきたような気がするんだよね。

 なーんて。

 変な子だって思われると嫌だから、絶対だれにも見られないようにしないと。


 ——でも、わたし、実は知っているのです。

 東阪くんも、華蓮ちゃんみたいに、自分で育ているお花を持っていること。

 そして、音楽庭で練習するとき、いつも自分の育てているバラに向かって吹いていること。

 それは両手で抱えられるほどの大きさの陶器の鉢で、まだつぼみの付いていない30センチぐらいの苗。音楽庭の奥、井戸のそばに置いてある。日当たりのいいところ。何が咲くのかはわからないけど、東阪くんは毎日様子を見ていた。

 音楽以外のことは、どうでもよさそうな東阪くんだけど、ちゃんとお花も育てているんだって思うと、ちょっほっとする。

 

「久川さん、フリューゲルホルンのパートは、練習進んでる?」

 ある朝、鈴鹿先生が音楽庭で練習しているわたしたちの様子を見に来た。

「はい」

 わたしは背筋をぴっとのばして答えた。


 『フリューゲルホルンのパート』——この前先生に配られてから、コルネットパートの子たちは全員、いつでも吹けるように練習してきた。

 ただし、この学校には、フリューゲルホルンが一台しかないから、今は自分のコルネットを代わりに使って、練習しているのだけれど。 

 鈴鹿先生によると、フリューゲルホルンのパートがメロディを奏でる『中間部』のメロディは、『吟遊詩人の少年』という、外国の民謡がもととなっているのだそうだ。

 前に先生が、音楽室の古いピアノを弾きながら、英語で歌ってくれた。

 歌の内容は、吟遊詩人の少年が、ハープを背負ったまま戦争に行って、結局は死んでしまう、というもの。

 とても、悲しい歌なんだ。

 だからその旋律は、優しくも、とても切ない雰囲気を持つのだろう……。

 

 さて、先生はこの日、大きな旅行用トランクみたいな、茶色のケースを持ってきていた。

 わたしの視線は当然、そのケース(きっと楽器ケース)に注がれる。

 中から現れたのは予想通り——。


「これがフリューゲルホルンだよ」


 今まで何度も音は聞いたことがあったのに、実物を見るのは、これが初めて。


 ほかの金管楽器と同じように、金属質の光沢を持つけれど、他の楽器より、少しうすいカナリア色の、優しい金。コルネットより少し大きい。


 これが、いつも夕方に聴こえてふわりと耳に残る、あの音を奏でる楽器なんだ。


「きれい……!」

 思わず口に出していた。


「そうでしょ。『フリューゲル』ってね、ドイツ語で『つばさ』っていう意味なんよ。翼の形に似てるでしょ、えーっと、ほらこう、ここのカーブが、折りたたんだ天使の翼——みたいな……」


 先生は、楽器の、ぐるりとカーブを描く管の部分を指でなぞって説明してくれる。

 けれど。

 うーん、言われてみれば、そうなのか……も? 正直、あまりイメージわかないかな……。


 でもとにかく、フリューゲルホルンが『翼』という意味を持つことはわかりました、先生。


「久川さん、吹いてみる?」

「え?」

 先生がにやりとした。

 まあでも、楽器を持ってきてくれたってことは、そういうこと、ですよね。

「この曲のソロコルネットパートは、いそがしくて音も高い。このパートは、野上さんにしかできないよね。けれどずーっと吹き続けていると、後半のメロディを吹くのにバテちゃうと思う。そこで中間部のフリューゲルは、野上さんに吹いてもらいたいんだ」


「そんなの、わたしにできるでしょうか……」

 わたしの声は自然と小さくなってしまう。

 だって、わたし今までメロディを吹いたことないんだよ?

 先生、なんでいきなりわたしにって、言い出したんだろう……。


 だけど先生は、何か考えがあるような、少しいたずらっぽい笑顔で、

「まずはやってみようよ」

 と、フリューゲルホルンをケースから出して、わたしに持ち方を教えてくれた。


 重さは、コルネットよりちょっと重いかな。でもたいして変わらない。


 軽く音を出してみた。


 ♪——————————————————————————


 コルネットと似てるけど、やっぱりちょっと違う。もっと、ふわふわの、やわらかい音がする。


「練習したとこ、ちょっとやってみて」

「は、はいっ」


 先生に言われてすぐに、わたしはフリューゲルホルンをかまえた。

 胸が高鳴る。

 ちょっとの期待と、すごい緊張。

 いつも、ひとりで吹く練習しているはずなのに、それとは違う、っていう意識が、わたしの呼吸を、不安定にさせる。

 少しはなれたところで練習していた華蓮ちゃんも、音を止めてわたしを見ていた。

  

 思いっきり肺に空気を送り込んで、吹いたけれど——。


 ——感覚が違って吹きにくい!


 っていうイメージはあるのに、気持ちはあるのに、思ったように音が出てくれない。

 だんだん自信を失って、恥ずかしくなって、わたしは吹き終わるなり、首をかしげながら、うつむいてしまった。


「うんうん」

 腕組みをしながら、ちょっと考えたような様子だった先生が、口をひらいた。

「久川さんの音はねぇ、やわらかい音色をしています。フリューゲルホルンに、合うと思うよ」

 びっくりして、わたしは先生の顔を見た。

 全然うまく吹けなかったのに、そんなことを言ってくれるとは思わなかったから。

「そうなんですか?」

 フリューゲルホルンにはちょっとした思い入れがあったから、そう言ってもらえるとうれしくなる。


 だけどそこで。

「あの、先生」

 と、近くで見ていた華蓮ちゃんが手を挙げたのだった。

「フリューゲルは、華蓮が吹けます」

 強い眼差しで、華蓮ちゃんは主張した。


「野上さんは最初からソロコルネットのパートを一人で吹き続けているよね。実はそれはとてもすごいことなんだよ。高い音を出すには肺活量がいるし、それを維持する持久力も必要だ。中間部では少し休憩して、後半の速いテンポでのメロディに、そなえたほうがいいと思う」

「でも、ありさはひとりでメロディを吹いたことがないし、それだったらコルネットのほかの子でもいいと思う」

 華蓮ちゃんの言うことはもっともだ。けれど、

「ほかの子たちには、自分のパートに専念してもらいたいなぁ」

 先生は華蓮ちゃんの意見を聞き入れることはなかった。

「この二ヶ月間で、久川さんはかなり上達したよ。フリューゲルの楽譜は、久川さんに吹けないほど高い音は出てこないし、やってみても、いいんじゃないかな」



「納得いかない」

 準備室の楽器の棚に、楽器ケースを片付けながら、華蓮ちゃんが、だれにともなく不満をこぼした。

「華蓮、このソロ吹けるのに」

 周りのみんなも、何があったんだろうって、気になり始めたようで、楽器を片付けながら、ちらちらと私たちの様子をうかがっている。

「それに、どうしても華蓮が休んだ方がいいなら、静音だって明だって、ほかの子がやればいいじゃない。上級生だからって、ありさが優先なの? 最後に入ってきたのに」

「いいじゃん」

 横から紫姫ちゃんが口をはさんだ。

「ありさピアノやってたから楽譜すぐ読めるしさ」

「だからって——」

「最近は、みんなと同じように吹けるようになってきたし。ありさだって努力してるんだよ」

「あーあ。紫姫はさぁ、絶対ありさの肩持つよねぇ」

 いやみっぽく華蓮ちゃんはそう言ってから、東阪くんに向かって、

「光はどう思うの?」

「おれは、吹ける人が吹けばいいと思うよ」

 あまり、興味がなさそうな東阪くん。華蓮ちゃんはほおをふくらませた。

「だーかーらー、それはどっちだと思うの?」

「知らん」

 こういうときって、なんて言ったらいいのだろう?

 わたしは、みんなが言い合いするのを、不安な心持ちで見ていることしかできなかった。

 そして、華蓮ちゃんとわたしのあいだに流れる気まずい空気。

 朝練が終わって、いつものようにいっしょに五年生の教室に帰るときも、ずっと無言だった。


「あんま気にすんなよ」

 休み時間に、紫姫ちゃんがはげましの声をかけてくれた。

「気の強い子だからさ、華蓮。負けず嫌いなんだよ。でもわたしは、ありさがフリューゲルがんばったらいいと思うんだ。金管のことはよくわかんないけど、ずっとトップで吹いてる華蓮が息切れしちゃわないように、助けてあげてほしいな」

「紫姫ちゃん……」

 紫姫ちゃんは、まっすぐに意見をくれる。

「華蓮、今まで自分の演奏に自信あったし、実際うまいから、当然、自分がフリューゲルも吹くもんだと思ってたんだよ。長い間、努力してきたしさ。だから、こんな短い期間で、いきなりフリューゲル持たされたありさのこと、心配なんだと思う」

「うん」


 ふと目を向けると、華蓮ちゃんは、クラスのほかの子たちとおしゃべりしていつも通りに笑っていた。

 でも、わたしと目が合うと、ふいっとそらされてしまった。


 はぁ……。


 せっかく、フリューゲルホルンを持たせてもらえたのに。

 初めてで全然うまく吹けなかったけれど、『新世界』のメロディを奏でていた、あのときの音が、たしかにした。


 先生に言ってもらえた、「久川さんにはフリューゲルが合ってる」って言葉も、うれしかったのに……。


 心の中では、これでいいのかな、という気持ちがうず巻く。

 華蓮ちゃんだって、毎日がんばっている。わたしなんかより、ずっと前から、努力を重ねてきた。それに何より、あきらかに、わたしなんかよりずっと上手。その華蓮ちゃんが納得できていないのに、わたしがフリューゲルを吹くなんて……。


 わたしは、華蓮ちゃんと仲良くできなくなるぐらいなら、フリューゲルは……吹けなくてもいいかも……。


 その日は放課後も練習をして、紫姫ちゃんといっしょに帰ろうと学校を出た。

 ところがそこで、わたしは音楽室にふでばこを忘れたことに気がつく。

「いっしょに取りに戻ろ」

 と、紫姫ちゃんが言ってくれて、ふたりして音楽室に引き返した。


 まだ、だれか残っているかも。

 そう思いながら、音楽室に近づいたところで。

「あっ」

 『新世界』のメロディが、聞こえてきた。ただいつもと違うのは、今日はそれを奏でているのが、フリューゲルホルンじゃなくて、ユーフォニアムだってこと。

 低音楽器のユーフォニアムの音は、フリューゲルホルンより低くて、重厚な雰囲気をもつ。

「これ吹いてるの、光だね。まだ帰ってなかったんだ」

 と、紫姫ちゃん。東阪くんの音、合奏のときはいつも、みんなを支えてくれる強さと安定感があるのだ。

「光ー? 早く帰んないと、お母さんが心配するよー?」

 演奏が途切れたタイミングで音楽庭をのぞくと、東阪くんが自分の植木鉢の前で、ちょうど吹き終えた楽器を片付けようとしているところだった。

 ちょっと不機嫌そうに眉間にしわをよせる。

「うざ。紫姫って口うるさいクソババアみたいなこと言うよなぁ」

「はぁー? 光のそうやっていちいち文句言うところのほうがクソオヤジみたいなんですけどー」

 東阪くんの口の悪さに、ついつい紫姫ちゃんも言い返してしまう。これはもう、条件反射だね。

「あの……」

 ふたりがけんかを始めないように、わたしはやんわりと口をはさんだ。

「さっきの曲『新世界』……だよね」

「うん」

「東阪くんも、吹けたんだ」

「聴いたことあるんだから、吹けて当たり前じゃん」

 ん? 聴いただけで吹ける? それって当たり前なの?

「あんたにフリューゲルを吹かせようとするの、あいつのなのはわかる」

 東阪くんは、いきなり話し出した。

「はい?」

 思わず首をかしげてしまったけれど、わたしに言ってます? ……よね?

 そしてまた『あいつ』って。先生のことですか?

「でも今のあんたが適任かと言われればそれはギモン」

「は、はい……」

 それはたぶん、適任ではないです……。

「だからみんなで決めればいいと思う」

「え?」


 東阪くんは不機嫌な顔のまま、わたしをにらむと、こんなことを言い出したんだ。


「二人のうちどっちが吹くべきか、ほかの部員に決めてもらったら? ってこと」

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