泥炭地からの使者


 十一月中旬。

 ハウヤ帝国と自治領スキュラ、今は一方的に独立宣言し、元首夫人だったマトゥサレン一族出身のイローナが女王を僭称している……との国境を流れる川沿い。

 川のこちら側に建つのは、ハウヤ帝国側の国境警備の物見の塔だ。

 時刻は、もうすぐに明け方、という時刻だった。

 ハウヤ帝国の最北部に当たる、物見の塔から見下ろす国境の川は、もう、朝にはあちらこちらで氷が張るようになっていた。

 実は、この川には名前がない。

 昔はあったのだが、次第にハウヤ帝国でもスキュラ側でも、この川を「国境の川」としか呼ばなくなったからだ。そのうちにこの川の名前はその両岸で忘れ去られた。

 そんな、名もなき川ではあったが、その川幅はかなり広く、簡単に泳いで渡れるような川ではなかった。

 時刻が時刻であり、月も無い。川面は真っ暗で、光といえば、川向こうのスキュラ側の物見の櫓の光だけだ。こちらの物見の塔でも、夜間の気温の低さもあって篝火を焚いている。だが、それも真っ黒な川面にはほとんど映っていなかった。

「本当に、来るのでしょうか?」

 そう言ったのは、短い灰色の髪と、顔の半分を覆う同じ色の髭を蓄えた偉丈夫だ。太い眉に、いかつい四角い顔。それに、美しい、長いあごひげが特徴的だ。それは、いかにも歴戦の戦士、といった容貌の男だった。

 ガルシア・コルテス。

 夏に起きたアルタマキア皇女の拉致事件と、スキュラの一方的な独立宣言への対応のためにハーマポスタールから派遣された、サウリオアルマの将軍である。

 彼とその軍隊は、それからずっとこの地に釘付けになっている。突発的な変事にも対応するため、日常的に鎖帷子を身につけて、もう何ヶ月になるのだろうか。

「さあね。……こちらが向こう岸に放った影使いに、向こうから接触してきたのだ。ご丁寧に、使者を寄越す時間も、使者の人数も、その年恰好まで知らせてよこしてね。来なければそれまでだよ。もう二度と、『彼ら』からの使者に惑わされる必要は無くなるかもね。ドネゴリアのスキュラ政府の出した兵隊に殺されたんじゃ、なかったらだけど」

 恐ろしげなことを、平坦な口調で言ってのけたのは、短い金茶色の髪をきれいに撫で付け、空色の目をした、いかにも貴族らしい端正な顔立ちの、だが、やや線の細い感じの男。

 この北の国境地帯の領主、ハウヤ帝国三代公爵の一人、テオドロ・フランコである。彼もまた、鎖帷子に身を固めている。

 ガルシア・コルテスも、テオドロ・フランコも三十代だろう。だが、コルテス将軍の方が、外見的にはかなり年かさに見える。

「川の上はこっちからも、あっちからも見張られている。さて、どこから現れるつもりかねえ」

 それは、どうでもいいような口調だったが、フランコ公爵の頭の中では様々な事態への対応が渦巻いていた。

「……閣下!」

 その時、塔の一番上の囲われた台から、台上に固定された遠眼鏡で川の向こう側を見ていた兵士が、緊張した声を上げた。

「何かね?」

 フランコ公爵の応えには、少しも慌てた調子はなかった。

「黒い、真っ黒な小舟が出てきます。……あれは、あれは向こう岸の奴らの『葬送船』です!」

 葬送船、とは聞き慣れない言葉だったが、この北方の領主であるフランコ公爵には、その言葉に聞き覚えがあった。

「葬送船ですと? そんな習慣はもう廃れたと思っていたが……」

 そう言ったのは、コルテス将軍。

「川向こうのスキュラでは、今でもいくつかの集落が葬送船を持っております。ここで物見をしておりますと、明け方、丁度こんな時刻に、たまに見かけます。ですが、向こうと膠着状態になってからは、あまり見かけませんでしたが……」

 公爵と将軍の上の階で、遠眼鏡に目を当てている物見の兵士は、そう喋りながらも、船の行方を追っている。

「まさか、あれですかな? おい、岸辺の者共に伝令だ!」

 コルテス将軍は、そう言いながらももう、階下へ向かって命じていた。時刻はまさに、先方がこちらの影使いを経由して知らせてきた時刻なのだ。

 公爵と将軍が塔の上から見守る中、真っ黒に塗られた「葬送船」は川の真ん中へ至り、しばらくの間、動かなかった。

「まさに、『葬送船』の作法通りだね。朝日を待っているんだ」

 フランコ公爵の声は、この事態を面白がっているようだ。

「朝日が川面に光った時、でしたな。おお、岸辺の者共は、朝日が川面いっぱいに広がるまで待たせておけ」

 コルテス将軍にも、もうなんとなく相手の次の動きは読めているようだ。そう命じる声にも張りがあった。

「しかし、向こう岸のやつら、よくあんな船を許可しましたな」

「いや、将軍。今の今まで、川の上は真っ暗だったのだ。月も無い。そこへあの黒塗りの船だ。……わからんよ、これは。とりあえず、川の真ん中を越えてこちら側へ入っていれば、弓矢もそうそうは届くまい」

 そして。

 しばらくすると、東の、川上の空が紫色に変わり始めた。葬送船の上で、これまた暗い色調の衣服を纏った二人の男が、小舟の上に並べられている、いくつかの皮袋を重たげに持ち上げた。

 葬送船とは、死者を川に流す船のことだ。北方にある習慣で、清冽な夜明けの太陽の光とともに、皮袋に入れた遺体を川に流すのである。朝日によって、死の穢れが払われ、海に流れた死者は来世に蘇る、という土着信仰である。

 ハウヤ帝国側では、もうかなり昔に廃れた信仰だが、スキュラ側ではまだ残っているらしい。

 やがて、眩しいほどの朝日が川面をまっすぐに照らす。

 この国境の川は、東西に流れているので朝日が川上から照らして行くのである。

「動きがありました!」

 物見の兵士が言うまでもなく、眩しい朝日の反射の中、葬送船から、どぼどぼと皮袋が川面に投げ出された。普通の葬送船と違っていたのは、皮袋を投げ入れた船頭たちも、ほとんど同時に川に身を投げたことだろう。

 これは、向こう岸からも見えたらしく、すぐに矢が飛んできた。だが、川の半分よりもこちら側に位置している船から落とされ、または飛び込んだ者たちには到底、当たらない距離がある。それでも、中には強弓を扱える強者が居たらしく、こちら側まで届く矢もあったが、皮袋も船頭たちも川の中に沈んだので、当たったとは思えない。

「皮袋は、いくつあった?」

 フランコ公爵が聞くと、コルテス将軍はすぐに答えた。

「皮袋が三つ、それに船頭が二人です。人数は、合っております」

「時間もあっているね。じゃあ、あれを回収しよう。でも、罠の可能性は多いにあるから、注意してね。回収したら、向こうから言ってきた人相風体と合っているかの照合も頼むよ」

 フランコ公爵は、そう命じると、もう川に背を向けていた。

「……泥炭加工ギルドからの使者、ね。丁度、これから寒くなってくる折もおりだ。今年の分はなんとか備蓄でしのげると計算していたが……。こちらへの供給を絶って、揺さぶりをかけて来ると思っていたのにな。それなのに、向こうから何やら頼み事、とでも言うのか、ねえ」

 そう、呟くフランコ公爵の顔は、冷静堅実な地方領主の顔だった。自分の領地を自分で守り、運用してきた、狡猾な支配者の顔だ。

「南からの異変の知らせはない。と、言うことはバンデラス公爵は無事にご領地へ戻ったと言うことだろう。……桔梗星紋の連中も、この頃は思惑の外れる事も多くなったようだ」

 ふいっと、フランコ公爵は顔を仰向けた。もう、日は登りきり、空は曙の多彩な色で塗り分けられていた。

「デボラは元気にしているかな。あいつは馬鹿じゃないが、正直者だから、まあ、かえって安全といえば安全か。クリストラ公爵夫人や、前バンデラス公爵夫人にくっついていれば、まあ、大丈夫だろう。オドザヤ様やカイエン様も、あの宰相も、後手後手ばかりではなくなってきたようだし、ね」

 あの、使者たちとの会見が終わったら、妻のデボラに手紙を書こう、とフランコ公爵テオドロは思った。

 彼と正夫人であるデボラとの間には、いまだに子供がいない。他の女にも出来なかったところをみれば、原因は自分かもしれない、とフランコ公爵は考えていた。そろそろ、養子を考える頃合いだろう。

「だけど、兄さんの所の子供はいけないなあ。そろそろ、兄さんの集めた仲間内でも亀裂が出来始めているころだろう。取り潰されそうなモリーナ侯爵家に関わるのは、巧くない!」 

 塔の階段を降りて行く、彼の言葉をその庶兄である、フィデル・モリーナ侯爵が聞いたら、普段はおとなしやかな異母弟のこんな一面を見て、恐怖したかもしれない。

「大貴族の粛清とはいえ、ハーマポスタールで軍隊を出すのはよろしくない。……大公殿下のところで、あいつらをなんとかしてくれると、助かるんだけどな」

 彼の表情は穏やかなままだったが、空色の瞳だけは冷たく冴えていた。

「泥炭加工の連中が、泥炭のことだけじゃなく、他にもいい情報を持ってきてくれていると、ありがたいな。もう冬だ。軍隊はもう動かせなくなるんだからなぁ」







 そして、十一月二十五日。

 皇子フロレンティーノの満一歳の誕生日の宴の最中に、その北方からの危急の使者は、皇宮へ到着したのだった。

 謁見の間へ急いだ、オドザヤとカイエン、そして宰相サヴォナローラと、大将軍ザラの前にかしこまっている使者は、サウリオアルマの制服の上に、鎖帷子を着込んでいた。横に同じような姿で膝をついている方は、鎖帷子は同じだが、その下の服は軍服ではない。それでも、彼の所属は鎖帷子の上から纏っている長衣の胸元の紋章で明らかだ。

「サウリオアルマと……それに、フランコ公爵家の方ですね」

 オドザヤは玉座に座ると、落ち着いた声で使者に声をかけた。オドザヤにも、もう一人の使者の胸元の紋章は明らかだったのだろう。

 カイエンは、皇帝のオドザヤの玉座の横に置かれた椅子に腰掛けた。サヴォナローラとザラ大将軍は、オドザヤの左右に無言で立つ。

「よい。報告なさい」

 オドザヤが促すと、フランコ公爵家の使いの方が話し始めた。これを見て、カイエンはすぐに「これは、軍事的な急使ではなく、政治的な事だな」と察した。サウリオアルマの使いの方は、護衛と確認のためについているのだろう。

「一週間前、夜明けにスキュラの泥炭地に本拠地があります、泥炭加工ギルドの使いが、国境の川を超えて参りました」

 オドザヤは黙っていたが、カイエンの後ろではサヴォナローラとザラ大将軍が、ちらりと目配せを交わしていた。

 それから、使者が話したのは、夜明けに葬送船が現れ、三つの皮袋とともに二人が川へ飛び込んだこと、そして皮袋を破り、または岸辺に泳ぎ着いた五人の男たちのこと。そして、その五人は事前にハウヤ帝国側の影使いに接触してきた、泥炭加工ギルドから伝えられていた通りの、時間、人数、年恰好であったこと、などから始まった。

「それで、その泥炭加工の連中の用向きはなんでしたか?」

 カイエンもオドザヤも、このハウヤ帝国が、燃料としての泥炭の産出を、北のスキュラに頼っていることは承知している。そもそも、ハウヤ帝国がスキュラを「自治領」として取り込んだのは、スキュラで産出する泥炭の流通権を独占する為だったのだ。

 だから、スキュラが離反した今、この冬は備蓄で賄えるとして、来年からの国内での泥炭の確保をどうすべきか、というのは重要な政治課題となっていた。

「元スキュラ元首夫人、今は夫を廃し、女王を名乗っているマトゥサレン一族のイローナですが、我が国に叛旗を翻すに当たって、ザイオンとの間に、泥炭の新しい輸出路を開拓する約束をしていたようなのです。ザイオンは我が国よりも高い原価での輸入を約束してきたそうです。それに、販路開拓の費用はすべてザイオンが持つ、と申し入れてきたそうです」

 ザイオンとの秘密裏の協力は、すでに疑われていたし、それにはスキュラの一番有効に使える産物である、泥炭が絡んでいるだろうということは、もうサヴォナローラによって予想されていた。ラ・フランカの領地へ戻る、フランコ公爵もまた、同じことを指摘していたのだ。

「なるほど。その話が本当なら、今度の独立劇の裏付けが取れる、というわけですね。……それにしても、ザイオンは思い切りましたね。それでは何年も利潤は上がらず、赤字続きでしょうに。販路開拓も、大森林地帯は冷感地。短い夏しか作業は進みません。割りが合うようになるにはかなりの年月がかかりますよ」

 サヴォナローラがそう言うと、フランコ公爵家の使いは深くうなずいた。

「おっしゃる通り、ザイオンとスキュラとの間には、大森林地帯が広がっております。ここに泥炭運搬のための販路を開拓するには相当の時間がかかります。もちろん、そんなことはザイオンもスキュラも承知していたでしょう。ですから、我が主人の考えでは、今回の独立騒ぎは、イローナの勇み足か、もしくは急にことを起こさなければならない、何か他の事情があったのでは、と」

 カイエンとオドザヤは顔を見合わせた。

「それでは、アルタマキアのことは、偶発的に起きたとでも言うの?」

 やがて、オドザヤがそう聞くと、使者はきっぱりと顔を上げた。

「はい。接触を図ってきた泥炭加工ギルドの使者の話が、まさにそのことでございました。泥炭採掘業者どもは、数年後、ザイオンとの間に秘密裏に泥炭の販路を築いてから、ハウヤ帝国との間に対してことを起こす、と聞かされていたそうなのです。これは、元首のエサイアスも承知のことで、自分の姪であるアルタマキア皇女を後継として受け入れ、こちらを油断させた上で、母上の第二妾妃キルケ様をなんとか、話をつけてスキュラへ訪問させ、それから、という心算だったとか」

 これには、オドザヤを中心とした、カイエン、サヴォナローラ、そしてザラ大将軍は無言のままではあったが、目線を交差させないわけにはいかなかった。

 それなら、今度のスキュラの奇妙な行動が、一応は、説明できるのである。

「では、どうしてザイオンとの間の販路を開拓する前に、ことに及んだのです?」

 オドザヤが、話をやや戻すと、使者はちょっと苛立った様子ながら、話を進めてきた。

「それは、接触してきた泥炭加工ギルドの連中も知らないそうです。それゆえに、先の見通しが立たず、困窮してこちらへ接触してきたそうです」

「つまり、この独立騒動で、ハウヤ帝国への加工泥炭の輸出は完全に止まってしまった。なのに、他へ持ち出す経路もない。それで、泥炭採掘業者から、加工業者までが収入の道を絶たれた、と言うのですか」

 サヴォナローラが聞くと、使者はうなずいた。

「連中はドネゴリアのイローナの元へ、今年の産出分の買い上げを要求したそうです。ですが、今だに色よい返事はなく、不安が増大し、ついに我が国の放った間諜と接触してきた模様です」

「じゃあ、泥炭加工業者は何か、土産話を持ってきたんだろうな? それじゃないと、話にもならない」

 カイエンがそう、口を挟むと、使者は得たり、という顔つきをした。

「それでございます。使者はアルタマキア皇女殿下の居場所を突き止め、それを教える代わりに、スキュラ女王を僭称するイローナを退け、マトゥサレン一族を北海の向こうの島、マトゥサレン島へ追いやってくれれば、スキュラ国民は、アルタマキア皇女殿下のスキュラ元首就任を支持するだろう、と。もちろん、泥炭の輸出も再び我が国の独占に戻すそうです」

 カイエンは、忙しく頭を働かせながら、この話を聞いていた。使者の話だけを聞けば、話の筋は通っている。だが、この話はわずか五人の、泥炭加工ギルドの使者を称する者の言ったことに過ぎない。

「裏付けを取らなければなりませんね」

 オドザヤの思考も、カイエンと同じところに接地したようだ。

「しかし、前に来た、フランコ公爵様からのお手紙でも、コルテス将軍からの使いでも、国境の向こうに送り込んだ影使い達の一部とは、すでに連絡が取れなくなっている、とありました。川一本のことですが、橋を焼かれ、船での侵攻も大人数の渡河を可能にするほどの船となれば、新造するしかないと聞いています。それに川を挟んで、住んでいる村人の顔つきまで違っていると言うことですから、影使い達を入れるにも、限界があります」

 サヴォナローラがそう言うと、それまで黙っていた、ザラ大将軍が口を開いた。

「……ネファールに密使を送り、息を合わせてベアトリアに侵攻でもするのが、一番、手っ取り早いのだがなあ。我が国とザイオンの間にはオリュンポス山脈がどっかりと寝ておるから、直接の侵攻はできん。スキュラにはアルタマキア皇女殿下を取られている。使える道筋は、ベアトリア国内を横切る道しかない」

 この発言には、フランコ公爵の使者も、サウリオアルマの使者も、度肝を抜かれたような顔をしている。

 逆に、オドザヤとカイエン、それにサヴォナローラの方は、落ち着いていた。今までに、色々と検討した中にこの案はとっくに出てきていたからだ。

「だがのう、今すぐにはこんな策は実行できん。少なくとも、我が国から始めるわけにはいかん。……百年前ならこんな策も可能だった。百年後も、可能かも知れん。だが、今は……今この時には、まだ巧くない」

「そうですね。それが可能なら、ザイオンはとっくにスキュラへ侵攻しているでしょう。もしかしたら、ベアトリアへも。ですが、そんな『野蛮な戦争』はこの数十年で、すっかり時代遅れになりました」

 サヴォナローラが、歴史の教科書を紐解くように説明するまでもなく、この百年で、パナメリゴ大陸の西側の国境線は、かなりの部分で固定され、国内が安定するのに従って、各国は外国への侵略のリスクを犯さなくなる傾向だったのだ。

 このハウヤ帝国でも、先年までベアトリアとの国境紛争があり、南のネグリア大陸や、新興のラ・ウニオン共和国との間にきな臭い空気はあったものの、それらはお互いの国土全体を手に入れようとするような、極度に野心的なものではなかった。

 スキュラがハウヤ帝国の自治領にされた時にも、国同士の衝突は起こってはいない。

「だけど、これからは分かりませんわ」

 そう言ったのは、オドザヤだった。

「私、今日のお話で分かってきました。ザイオンも、ベアトリアも、もしかしたら東のシイナドラドや螺旋帝国も、どこの国も、新たな『侵略の時代』の始まりを自分達から始めるのは避けたいんですわね。……でも」

 カイエンはオドザヤの言葉の後を引き取った。

「でも、どこの国も、そういう時代がこの先に待っていること、どこかが始めれば、次々に火種は飛び散り、もう簡単には止まらないことだけは分かっているのでしょう。百年前とは、各国の軍事力が違います。軍隊の装備もどんどん進歩しているのです。……先帝陛下は、このことを予測しておられたのでしょうね」

 カイエンが黙ると、しばらく、謁見の間の中は静寂に包まれた。

「……使者のお二人には、しばらくこの皇宮にてお待ちいただきます。今の最後の話は、公爵様や将軍閣下には話して構いませんよ。ですが、その他の人間には話さない方がいいでしょう」

 サヴォナローラがそう言うと、二人の使者は急に青ざめてきた顔を見合わせた。

「まあ、話しても信用されないでしょうけれどもね。今は、まだ……」

 その、サヴォナローラの声を聞きながら、カイエンはもう一つの使者のことの方を考え始めていた。

 裏で、ハウヤ帝国への侵攻を秘しているかも知れないザイオン。その国が、今、どうしてオドザヤへ自国の王子との縁談などを持ってきたのか、と。






 スキュラからの使者を退出させると、オドザヤとカイエン、それにザラ大将軍は、ひとまず、フロレンティーノの誕生の宴に戻った。

 その間に、サヴォナローラが宰相府で、ザイオンからの「危急のお願い」の方の対応をすることとなった。「お願い」に皇帝自らが出向く必要はない、と判断したのだ。

 睡蓮の間に戻ってみると、もう、そこでは宴がお開きになりかけていた。

 始まりは身分が下の方からの挨拶だったが、終わりも同じであったらしい。普通は違うのかも知れないが、今日のところはそういう流れであったらしく、彼らが戻って時には、もう下座の方の貴族たちは退出を始めていた。

「あら。……火急のご用件というのは、お済みになりましたの?」

 客の挨拶を受けていたマグダレーナが、オドザヤとカイエンへ、上機嫌な笑顔を向けて来た。この様子では、今日の誕生日の宴は盛会のうちに終わりそうだ。

「フロレンティーノは、さっき、眠ってしまいましたのよ。だからもう、乳母に命じて下がらせました。……リリエンスール様もつられたみたいにお眠むだったから、皇子殿下は裏で待機していた乳母にお預けしに行かれたようですわ」

 なるほど、会場にはエルネストの姿がなかった。

「そうですか。ああ、贈り物の箱が大変だ」

 カイエンももちろん、今日は贈り物を持参したが、マグダレーナとフロレンティーノの座っていた席の後ろには、贈り物の箱がうず高く重ねられていた。

 マグダレーナは、そっちへ誇らしげな笑顔を向けたが、すぐにカイエンの顔に視線を戻した。

「……ところで、大公殿下。もう二週間ほどでリリエンスール様もお誕生日でございましょう? それも、殿下と同じ日の」

 マグダレーナは、ザラ大将軍とフランコ公爵夫人のデボラ、それに前バンデラス公爵夫人のサンドラと、孫のフランセスクを送り出すと、カイエンとエルネスト、それにミルドラと娘二人だけを残したところで、儀礼的な挨拶をやめてしまった。

 残りは第一第二の妾妃に自分と、先帝サウルの血縁だから、というよりは、何かうち内で話したいことでもあるらしかった。

「ええ。そうですが、私の誕生日はいつも大公宮の中の者たちとだけで行なっておりますし。リリは皇女とはいえ、次の大公として育てるつもりですから、フロレンティーノ皇子殿下とは違います」

 言外に、「大きな宴などはするつもりがない」と匂わせると、マグダレーナは意外そうな顔をした。いや、そんな表情を作ったのかも知れない。

 カイエンは、すでに最大の女帝オドザヤ派と見られている。そこで、リリエンスールの誕生日を皇子のフロレンティーノと同じように盛大に行なったら、世間ではどう見るだろうか。そんな危険なことをするほど、カイエンは馬鹿ではなかった。

 そもそも、カイエンが妹で従姉妹のリリを養女にしたのは、たとえ将来フロレンティーノが即位することがあったとしても、この街の大公にはリリしかなれないからだったのだから。

「まあ、そうですの。それじゃあ、お祝いだけでも用意させていただかなくてはね」

 あっさりとそう言ってこの話を切り上げると、マグダレーナは緋色と緑の派手なドレスの裾をさばき、今度はミルドラと話しているオドザヤの方へ体を向けた。

 その時、エルネストが戻って来て、カイエンは彼の方へ体を捻ったので、マグダレーナとカイエンは背中を見せ合う格好となった。

「なんだ、戻っていたのか」

 エルネストはそう言うと、周りを見回したが、そこには今度こそ彼しか男の姿はなかった。フロレンティーノは眠ってしまい、ザラ大将軍は挨拶だけ済ませ、そそくさと宰相府の方へ向かって行ったからだ。

「俺たちはまだ、お暇しねえのか」

 カイエンにしか聞こえない声なので、ぞんざいな言い方でエルネストは聞いたが、その時、マグダレーナと二言三言、話した

オドザヤが注目を集めるように軽い咳払いをしたので、皆がオドザヤの方に顔を向けた。

 そこに残ったのは、血が繋がっている、いないの別はあったが、皇帝家の血を引くものと、その配偶者だった。

 オドザヤ、カイエン、ミルドラ、ミルドラの次女バルバラ、三女のコンスエラ。すでに下がっているフロレンティーノとリリを入れれば、ここまでは先帝サウルと血が繋がった人間ということになる。ネファールの王太女になったカリスマ、行方不明のアルタマキア、それにミルドラの長女アグスティナを入れても、たった十人しかいないのだ。

 そして、男子といえばフロレンティーノ一人なのである。

 そして、皇帝家の一員の配偶者、または配偶者だったものといえば、ここにはいない皇太后のアイーシャ、第一妾妃のラーラ、第二妾妃のキルケ、そして第三妾妃のマグダレーナ。

 他にはカイエンの配偶者であるエルネスト、それにミルドラの配偶者のクリストラ公爵ヘクトル。ここまでで十六人だ。

 クリストラ公爵家の長女アグスティナは、かなり格下のポンセ男爵家に嫁いでいる。だが、さすがに地方男爵家の当主は皇帝一家には数えられまい。

 そんなわけで、今、この「睡蓮の間」に残っているのは、その中のたった九人に過ぎなかった。

「お引き留めしてごめんなさい。でも、このように皆様が集まることは、なかなかありません。この機会に、お話ししたいことがございますの」

 オドザヤはそう言うと、まだデザートの皿や、お茶のカップの残ったテーブルをちらりと見た。

「陛下、よろしかったら、そちらの控えの間を使ったらいかがですか。ここはまだ、片付けに時間がかかりましょう」

 カイエンがすかさず、口を出すと、すぐにミルドラがあとを引き取った。

「そうね。それがいいわ。あちらにもソファとお椅子がありましたもの、ね」

 ミルドラが皆を見回す。こうしてみれば、今やミルドラは皇帝家の長老のような有様だった。

 夫のヘクトルがいれば、彼が最年長だろうが、彼は皇帝家の血筋ではない。クリストラ公爵家はさかのぼれば、一代目は臣籍降下した皇子ではあるが、それはもう関係ないことだろう。

 そして、九人が隣の部屋へ移動し、オドザヤとミルドラ、それにカイエンの三人を中心にして適当に座る。さすがにいつもは図々しいエルネストも、周りが高貴な女ばかりとなると居心地が悪そうで、カイエンの隣に大きな体を縮めるようにして座った。

「手短に話しますわ。あの、話というのは、その、母のことですのよ」

 オドザヤがそう言い出すまでもなく、その場の何人かにはこの話の流れは予想の付いていたことだった。もちろん、カイエンにもだ。

「皇太后陛下の……療養先のことですね」

 カイエンが言いにくいことを先に言ってやると、オドザヤは手袋をした手で扇を弄びながら、そっとうなずいた。

「皆様、ご存知と思いますけれど、もう、母はあれ以上回復の見込みはないそうです。その、あの、リリを産んだ時のこともありますが……あの、その後に、死にかかった時に……しばらく呼吸が止まったせいで、脳にかなりの損傷があるのだろうと……」

 オドザヤは言いにくそうに、言葉を選び選び言ったが、これは、そこにいた皆にはもう周知のことだった。

 アイーシャは、去年の十二月、カイエンと同じく、蟲を体に持って生まれてきたリリを出産したのちに、錯乱した。

 そして、五月。先帝サウルがその死出の旅に連れて行こうとした、あの心中未遂。あの時、アイーシャは短時間だが、呼吸が止まってしまっていたのだという。

「それで、後宮にお住いの方々はご存知でしょうけれど、ずっと薬が切れると暴れ出したり、叫び出したりで……もう、これ以上、後宮に置いておくのは難しいのではないか、と思うのです」

 そこまで聞いて、最初に口を開いたのは、ミルドラだった。彼女はすでにある程度このことについて、考えてきたのだろう。

「離宮の一つ、というのは無理なのかしらね。きっと、警備の点で問題があるのでしょうけれど」

 オドザヤと、そしてカイエンもうなずいた。

 帝都ハーマポスタールの郊外には、いくつか離宮があるが、最近はあまり使われなくなっていた。サウルの前のレアンドロ皇帝の頃までは、皇子皇女が幼い時、避暑に出かけたり、病気の療養に使われたりしていたそうだが、今ではあまり使われなくなっている。

 ラーラやキルケのような、外国から嫁いで来た皇后や、妾妃たちにはあまり皇宮の外へ出る自由もなかったのだ。

「このように、皇家の人数が限られてしまった今、離宮そのものがあまり必要ではなくなりつつありますから……今は、管理の者がいるだけだと聞いています」

 オドザヤがそう言うと、皆が一様に考え込む顔になった。

「警備の点からいえば、皇宮の中が一番なのよね。海神宮や後宮から離れた所となると、私たちが皇后宮から出て、結婚するまで住んでいた、皇子宮かしら。陛下も、御即位前の皇太女の時期に住んでおられたわね」

 ミルドラがそう言うと、オドザヤはちょっと迷うような顔を見せた。

「実のところ、それしかないのです。それで、近いうちにお移り願おうと思って、用意を進めているのですが……」

 ここまでは、そこにいた皆の大方の予想通りだった。

「何か、問題が?」

 オドザヤの様子に気が付いて、ミルドラはちょっと眉をひそめた。

「今までは、海神宮の皇帝の宮と、皇子皇女宮の警備は、親衛隊が担っておりました。未婚の皇女の宮には、その内側に女騎士を配して、安全を図っていたのです。これは、現在の私の住みかでも同じです。ただ、私の周りには、今、親衛隊の警備はありません。この理由は、叔母さまもご存知かと思いますが……」

 ああ。

 ここまで聞いて、皆が思い浮かべたのは、親衛隊隊長のモンドラゴン子爵の顔だった。後宮のラーラやキルケ、それにマグダレーナは顔までは知らないだろうが、名前と、オドザヤの即位に反対する勢力の一員だったことは知っているだろう。

「そうだったわね。陛下の周りは今、武装神官と、大公軍団から来た女性隊員、それに後宮の女騎士から選抜されたものが勤めていると伺っておりますわ」

「とりあえず、後宮の女騎士から、選抜するしかないでしょう。そして、親衛隊をなんとか再編成しないといけませんね」

 カイエンは話をまとめるように、こう言うしかなかった。さすがに、未だ数の少ない大公軍団の女性隊員を回す余裕はない。

 親衛隊の方は、死者の日ディア・デ・ムエルトスの事件の後、宰相府でサヴォナローラも含めて、話し合っていたことだった。

 反女帝派のモンドラゴンが親衛隊長である現状は、よろしくない。だが、先帝サウルによって任命された彼を、一気に罷免するほどの理由はまだないのだ。今は、カスティージョの息子のホアキンと、あの日暴行事件に加わった親衛隊員を辞めさせるのがせいぜいだろう。

 ザラ大将軍は、異例のことではあるが、近衛を入れてもいい、と言っていた。ただ、それをすれば親衛隊との対立は、確定的なものとなるだろう。 

「そうですわね。お住まいとして使うお部屋数を少なくして、警備に人手がかからないようにするしかないですわ」

 オドザヤがこう言うと、後宮の住人である、ラーラとキルケ、それにマグダレーナはホッとした顔になった。

 彼女たちこそ、皇太后アイーシャの一日でも早い後宮からの退出を願っていただろうが、血の繋がりのない彼女たちの方からは意見も言えなかったのだろう。



 そのまま、妾妃たちとフロレンティーノ達は後宮へ下がり、ミルドラは娘二人を連れて下がって行った。

 もう午後も遅い時間だった。

 カイエンもいいかげん、疲れていたが、まだ、ザイオンからの使いのことが残っていた。

 カイエンはエルネストと、リリを抱いたサグラチカを先に大公宮へ返した。

 そして、オドザヤと二人、海神宮の中のだだっ広い廊下を宰相府へと向かう。どこからともなく、オドザヤの護衛である、大公軍団員のブランカと、女騎士のリタ・カニャスが出て来て、カイエンの後ろを歩くシーヴと並んだ。

「疲れましたね」

 カイエンが言うと、オドザヤはちょっとだけ微笑みを見せた。

 そして。

 宰相府のサヴォナローラの執務室へ入った二人を待っていたのは、これもまた疲れた顔つきの、サヴォナローラとザラ大将軍の顔だった。

「使者は? もう帰ったのか」

 オドザヤの隣に並んで座ったカイエンがそう聞くと、サヴォナローラは真っ青な目の間の眉間を揉むようにした。

「はい……」

「危急のお願い、とやらは?」

 はい、から先がなかなか出てこないので、もう一度、カイエンが聞くと、これに答えたのはザラ大将軍の声だった。

「それが……何とも、馬鹿にしたお話でしたぞ」

 そう言うと、ザラ大将軍もまた、黙ってしまう。

「何なのだ?」

 オドザヤの方を見ると、この二人の様子に、ちょっと呆れているようだった。だから、ちょっとイラついた声でカイエンが聞くと、やっとサヴォナローラが口を開いた。

「まあ、手っ取り早く言えば、例の王子様と陛下とのご縁談の件に関することでした。……死者の日ディア・デ・ムエルトスの一日目に、陛下と殿下が、例の肖像画の件で、お話なさったことが現実味を帯びて来た、と言うことです」

 カイエンとオドザヤはすぐに思い出した。

 三王子の肖像画が、最初の特使の到着から、ひと月ほども後になって持ち込まれた、あの話だ。

 王子はもう、密かにハーマポスタール入りしていて、もう肖像画から手配されても街道沿いで引っかかることはないから、肖像画を出して来たのではないか、と、サヴォナローラも言い、カイエンとオドザヤもその意見でまとまっていた。

 あの後、カイエンは“メモリア”カマラを皇宮へ派遣して、肖像画の複製を作らせている。もう、それは銅版画師に命じて印刷し、街中の署に回していたが、引っかかる人物は、今のところでは出ていなかった。

「まさか、向こうから『もう王子はここに来ています。会ってください』とでも言って来たのか? いや、これは危急のお願い、には当たらないか……」

 カイエンが聞くと、サヴォナローラとザラ大将軍は、どちらもが相手を促すような様子である。それほどに、話すのが嫌なのだろうか。結局、説明を始めたのはサヴォナローラの方だった。

「……ああ、それが……。ここは、向こうの言った通りに申しましょう。ザイオンでは婿入りの候補は、三人の王子の誰でもいいと思っていたそうで、だからああして、三枚の肖像画を送って来たのだそうです。ですが、そのうちの三番目のトリスタン王子が……これから先は、使者が言った通りの文言です。……トリスタン王子はオドザヤ陛下の肖像画を見て、その美しさに一目惚れ。そして、一人、国を出奔同様に飛び出して、この国へと向かったのだそうです。ですが、パナメリゴ街道沿いにこのハウヤ帝国の版図に入ったあたりから、連絡が取れなくなった、ついてはこちらでも探してもらいたい、と言うお話でした」

 なんだそれ。馬鹿を言うのもいい加減にしろよ。

 カイエンはすぐにそう、頭の中で叫び、そしてそれが先ほどのザラ大将軍の発言と同じであることに気が付いた。

(何とも、馬鹿にしたお話でしたぞ)

 確かに、馬鹿にしたお話だ。

 オドザヤもとっさに声も出ないようだ。

「そんなことを、この宰相府へ通されて、使者が真面目な顔で言ってのけたのか?」

 ややあってから、カイエンが気を取り直して聞くと、サヴォナローラは「ほとほと呆れた」という表情になった。

「ええ。きっと、演技派を選んで送り込んで来たんでしょうね。泣かんばかりに心配そうな様子を作って、こちら様の善意だけが頼りでございます、と言っていました。これは、ザイオンは最初から縁談には、三男のトリスタン王子を出してくるつもりだったのでしょう。それにしても、スキュラと泥炭の取引きについて、あそこまで具体的に話を進めながら、ここで王子をこちらに送り込んでくるというのは……」

 話の続きは、椅子に仰け反るようにして座っている、ザラ大将軍の声に変わった。

「こうなって来ると、縁談話は、スキュラとの間の、泥炭の買い占め独占の計画と、販路の開拓が進むまでの時間稼ぎのつもりだったのかも知れん。こっちにはフランコ公爵からの使者が早く着いたから、イローナの勇み足かなんかで、スキュラの独立騒ぎが前倒しになって、スキュラ国内の泥炭加工ギルドが困窮していることが伝わったが……」

「……まあ、伝わっていなくとも、まだザイオンがスキュラの独立騒ぎの裏にいるという証拠はありません。ですから、王子を盾に取ることも、こちらにはまだ出来ない。そこへ王子を送り込んで来て、このハウヤ帝国の中心から取り崩そうとでもいうんでしょうか」

 サヴォナローラがここまで話すと、執務室には沈黙が降りて来た。

 それにしても、今度のザイオンの使者の話が、それにどう繋がるのかが、いま一つ、わからないのだ。

「ザイオンとは、桔梗星団派もつるんでいるだろう。最近は大人しくしているが、あのザイオンから来たって言う、奇術団コンチャイテラの件もある。あそこに、元スライゴ侯爵夫人のニエベスと、アルトゥールの声で話すあの魔術師アルットゥがいる以上、桔梗星団派とザイオンの繋がりは、間違いない。となると、王子の件と奇術団とも何か関係があるのかな? 話が出て来たのも、同じ時期だ」

 カイエンがそう言うと、それに、サヴォナローラも、ザラ大将軍も賛成した。

「ザイオンの使者への返答は保留にしてあります。ですが殿下、ここは例の王子の似顔絵を、至急、大公軍団で最重要扱いで手配していただけますか? 私の方では街道沿いの武装神官の連絡網に流します。ですが、王子を発見してもすぐに身柄は抑えないで、泳がせておいたほうがいいでしょう」

「向こうは、王子をこっっちで捕まえて欲しいのかも知れないからな。理由がはっきりしない以上、向こうの要望に乗ってやる必要はないことは確かだ」

 カイエンがそう答えると、ここまで来て、それまで黙って聞いていたオドザヤが、身震いしながら言葉を挟んできた。

 その声は甲高く、かなり神経質なものだったので、カイエンははっとした。ザイオンの王子の話題は、若いオドザヤにとっては、かなり神経質な話題であることに気が付いたのだ。

「なんてこと。本当に馬鹿にしているわ。いや! そんな、訳の分からない王子との縁談なんて、気持ち悪い! 誰だってそんなお話、お断りしたくなるはずだわ。どうしてザイオンは、私がそんな縁談をのむと思うの。何もかも、変なことばかり! お父様なら、こんな時にも慌てずに落ち着いておられたわ。なのに、私は!」

 だが、オドザヤはそこまで言ってしまってから、自分が感情の渦に飲み込まれてしまったことにすぐに気が付いた。

「……いいえ、ごめんなさい。私は皇帝なのに。宰相も将軍も、お姉様も、みんな、冷静に対処してくださっているのに。……今、おっしゃったこと、進めてください」

「陛下……大丈夫ですか」

 泣き出さないのが不思議なほど、取り乱して見えたオドザヤに、カイエンはそんな言葉しか、とっさにかけてやることが出来なかった。我ながら気が利かないと、自分が嫌になる。

 確かに、情勢はおかしなことばかりだ。

 裏には、桔梗星団派やザイオン、ベアトリア、それに螺旋帝国の思惑も動いている。だから、それらが複合化して絡み合い、各国の思惑を見えにくくしているのだろう。

 サウルの死と、ほぼ同時に巻き起こって来た他国の動き。

 それは、このハウヤ帝国を食い荒らし、周りの国々で分け合おうと、彼らが一致協力しているようにさえ見えるのだ。

 皇帝として、この国を背負っているオドザヤからすれば、今や周辺の国すべてが敵に見えるのだろう。

 そして、恐ろしいことにそれは真実なのかも知れないのだ。



 その日、もうとっくに日が暮れる時刻になっていたこともあって、カイエンはオドザヤの晩餐に招かれた。

 あの、十一月四日の夜と同じく、二人の姉妹で従姉妹は、お互いに、不愉快な話題にあえて触れることはなかった。

「もうすぐ、お姉様とリリのお誕生日ですわね」 

 オドザヤが殊更に楽しそうに話したのは、そんなたわいもない話ばかりだった。

 そして。

 カイエンとリリの誕生日、十二月九日は、もうすぐそこへと迫って来ていたのである。 

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