マテオ・ソーサの推理

 大公宮表の、カイエンの執務室の机の前に呼び出された、ルビー・ピカッソ。彼女は去年の秋募集で採用され、訓練ののち、治安維持部隊に配属されたのだが……は、カイエンが見るところ、一見してなるほど「男前女子」だった。

 男前女子なる不可思議な言葉は、大公軍団最高顧問である、教授ことマテオ・ソーサの造語である。

 教授の決めた定義によれば、「男前女子」とは以下のような成人女性を指すものらしい。

 曰く。


 一、同年代の男性には女性として認知されにくく、敬遠されがちである。その理由は、男が男とだけしたい種類の話題に、普通に参加できる知識と脳の作りを持っているからである。

 二、一般的な仕事は出来るが、どこか抜けており、女性が得意である分野の仕事は苦手なことが多い。そしてそのことにコンプレックスがある。だが、上手になろうという努力はあまりしない。

 三、年上の男性には「自分の娘」、または「妹」。それも「出来の悪い」それ、として認知される。そのため、年上の男性からは色気皆無の指導を、それも娘や妹にするような態度でされることが多い。

 四、さばさばしていてはっきりものを言うので、同年代、または年下の女性に慕われる。おばさん受けも悪くない。おばさんにとっても「出来の悪い自分の娘」的に見えるからであろう。

 五、容姿は悪くないが、無愛想で目つきが悪い。態度がでかい。だがそれでいてあまり嫌われない人徳のようなものを醸し出している。


 ……という定義に当てはまる女性のことであるそうだ。

 そして、教授が言うには、カイエンも、そして今カイエンの目の前に突っ立っているルビー・ピカッソも、彼の主張するところこの「男前女子」なるカテゴリーに入るのだそうだ。だが、カイエンには自分がこんな定義に当てはまるとは、とても思えなかったので、今まで、教授の言うことには懐疑的だった。

 だが。

 こうして、ルビー・ピカッソを呼び出して眺めてみれば。納得できるところがいくつもあるではないか。

「なるほど。これが男前女子と言うものか」

 カイエンが思わず、声に出してそう言うと、大公カイエンの前とあって、ややぎこちなく緊張した面持ちだったルビーの表情が変わった。

「……失礼いたします。今、なんとおっしゃいましたか」

 なるほど。

 態度がでかい。だが、ルビーはそれでも賢明だった。彼女は大公殿下であるカイエンの方を向いて聞くことはしなかった。彼女が食ってかかりそうな目で見たのは、カイエンの隣に座っている、最高顧問のマテオ・ソーサの方だったから。

「ん? どうしたね」

 だが、海千山千の教授は平気な顔だ。

 その様子を見て、ルビーは舌打ちでもしたそうな顔つきを一瞬だけ見せたが、それはすぐに真面目な表情の中に消えてしまった。この様子では、教授とルビーの間でこんなやりとりがあったのは、初めてではないのだろう。

「いえ。失礼いたしました。……それで、本日、こちらへ私をお呼びになったのはどういう……」

 年齢は二十三、四と言ったところか。前にもう、一回オドザヤの護衛の件で呼び出したことがあったから、今回もその件であろうと言うことは予想しているようだった。

 前回は、自分は治安維持部隊に入って帝都の安全に寄与するために入隊を希望したのであるから、皇宮での勤務は遠慮したいと言って、きっぱりはっきりと断って行ったのだ。

 だが、任官以降の様子を聞いてみても、ルビーが極めて正義感が強く、真面目で曲がった事が大嫌いな性格であること。武装神官だったから、腕っぷしにも問題なく、場末の署の隊員など、剣を抜くこともなくあしらえるとも聞いていた。

「そうだな。余計なことを言った。申し訳ないが、今日の件は以前一回、断られたあの件だ」

 カイエンがそう言うと、ルビーは今度は恐れげもなくカイエンの方をまっすぐに見てきた。

「……あの件なら、きっぱりと、治安維持部隊隊長の前でお断りしたはずですが」

 そう言って、カイエンの灰色の目にひたり、と合わせてきた目の色は赤っぽい茶色だった。 

 カイエンはもちろん、ルビー達、去年の秋募集の隊員達が今年になって配属されたときの「任命式」に出席している。秋募集の隊員の募集や選考、訓練の時には、ちょうどシイナドラドへ行っていたので立ち会っていなかった。だが、女性隊員ということで、今年に入って体調が戻ってからは幾度か訓練の様子を見に行ったりもしていたのだ。

 だから、カイエンがルビーを見るのは初めてではない。

 だが、その他の女性隊員候補生たちと一緒ではなく、一人だけ呼び出してこうして見てみれば。

 元、女神グロリア神殿の武装神官だったという、ルビー・ピカッソは確かに普通の女性たちとは一味違って見えた。

 ルビーという名前は、恐らくその目の色からつけられたのだろう。言うまでもなく、ルビーとは希少な宝石である紅玉のことだ。もっとも価値の高い色は「鳩の血の色」と呼ばれ、珍重される。

 彼女の目の色は柘榴色とでも言うべき色合いの、赤みがかった茶色だったが、光が当たるとルビー色に光るのだった。柘榴ならグラナダ、柘榴石色ならグラナテとでも名付けるべきだったかもしれないが、そこをルビーと言うかわいらしい名前を選んだのは、恐らくは親心からだったのではないか。

 ルビーの場合には、褐色の髪の色もやや赤みがかっていて、赤銅色、とでも言うべき色合いだったのも、その命名に関係していたのかも知れない。

 だが、ルビーと言うかわいらしい名前は、今の彼女にはやや「かわいらしすぎる」名前になってしまっていた。

 カイエンがサヴォナローラから聞いたところでは、ルビーはグロリア神殿で女神官達に大人気だったのだという。そして、それに嫌気がさして大公軍団に志願したのだとも。

 確かに、ルビーは男っ気のない場所に閉じ込められた、若い女達に騒がれそうな容貌だった。

 背は女性としては高い方だが、見世物小屋に勧誘されるような大女と言うわけではない。大公軍団の女性隊員の中ではトリニが抜きん出て長身だが、トリニほどの長身ではなかった。背の高さや体格で言えば、トリニの方がはるかに女丈夫だっただろう。

 だが、雰囲気の方では。

 トリニは体が大きく、顔立ちはきっぱりとしてはいるものの、優しい親しみやすい顔つきだ。だが、ルビーはちょっと違っている。

 まず、ルビーは目つきが悪い。と言うか、やや三白眼とも言える目は切れ長で、きっぱりと上方を向いた眉と相まって、なんとも粋な下町の姐さん、と言うよりも「あにさん」とでも言いたくなるような顔立ちなのだ。

 その上に、赤銅色の髪の毛が印象的だ。それは雄の獅子レオンのように渦巻き、ふわふわと膨らんで背中の半ばまでを覆っている。癖っ毛なので束ねずともまとまるようで、ルビーはその髪を結わずに梳かしっぱなしにしている。

 以上のような、なんとも野性味溢れるその外観。そして、先ほどカイエンに向かって喋った声がまた、その外観にぴったりだった。

「……今度はもう、断りきれなくなりそうですね」

 カイエンもその小柄な外観にそぐわない、太い大きな声をしているが、ルビーの声はもっと分厚くて、体を鍛えた者特有の重さがある。神殿で祝詞を唱えたら、さぞや聞きがいがあるだろう。その声はカイエンとは違って、かなり肉付きのいい胸元の、筋肉に覆われたあばらの中を響いて出てきているようだった。

「用件についてはもう、わかっているようだな。その通りだ。ここの最高顧問とも話したのだが、オドザヤ皇帝陛下の護衛として皇宮へ派遣しているトリニ・コンドルカンキ隊員の代わりをルビー・ピカッソ、あなたにお願いしたい」

 カイエンがそう言うと、ルビーはちょっと眩しそうな顔をした。前回断られた時はカイエンが直接、言ったのではなく、直接の上司である治安維持部隊長のマリオとヘススの双子と教授に伝えさせたのだ。だが、今回は断られたくないので、大公のカイエンが直接言い渡すことになったのだが……。

「私の言い様や態度が普通でないのは、承知いたしております。その上で一点、お伺い致したいのですが、お許しいただけるでしょうか」

 カイエンと教授は、一瞬、似たような灰色の目を見合わせた。

「構わない。言ってみよ」

 カイエンが答えると、執務机の前に直立不動で立ったまま、ルビーは核心をついてきた。

「それでは、お聞きいたします。私とトリニ・コンドルカンキ隊員では、私よりもはるかにコンドルカンキ隊員の方が腕が立ちます。で、あるのにここまで私を推される理由を伺いたく思います」

 聞くと、教授はうん、うん、とうなずく。ルビーがこう言いだすことなど、もちろん、彼には予想済みのことだった。

「そうだね」

 教授はそう言うと、突っ立っているルビーに向かってそっと顎をしゃくった。

「……それじゃあ、ちゃんとした話をしようか。ちょっと時間がかかるかもしれないから、君、あそこの椅子を持ってきてそこに座りたまえ」

 教授が横柄に顎で示した場所には、木の簡素だが丈夫で品のいい椅子がいくつか、壁に沿って並べてある。ルビーがその中の一つを運んできて、そこに座ると、教授は改まった顔つきになった。

「いいかね。これから話すことは、本来なら平隊員の君には話さない性質の話なのだよ。だが、君を納得させるには話した方がいいようだ。だから話すが、この話は他言無用にしてほしい。特に皇宮の関係者じゃない者たちにはね」

 そう聞くと、聞いているルビーの顔つきも真面目なものになった。グロリア神殿の武装神官だった彼女には、「口は災いの元」という諺の意味が身に染みているのだろう。神殿という場所は、庶民には厳格で清らかな場所だと思われているが、どうしてどうして、なかなかに生々しい人間関係の絡み合った世界なのである。

「わかりました」 

 柘榴色の瞳を持った三白眼がちらっとカイエンの方を見たのは、今更ながらにカイエンの身分に思いが至ったからだろう。この国の臣下の一番上である大公カイエンの上の身分となれば、それはすべて皇族ということになるのだから。

「君も疑問に思っているだろう。本来ならば、皇帝陛下の護衛は親衛隊の仕事だ。実際、先のサウル皇帝陛下の時代には親衛隊がすべて取り仕切っていた。だが、まあ、詳しくは言えんが、オドザヤ陛下の御即位に際して、親衛隊の隊長、モンドラゴン子爵は女帝即位に難色を示した貴族たちの側にいたのだ」

 カイエンは黙って少しだけ顎を引いて肯定の意を示した。

「対して、オドザヤ陛下を支える、宰相のサヴォナローラ殿や、元帥府の大将軍、エミリオ・ザラ殿は爵位を持たない。だから、オドザヤ陛下の御即位に当たって、宰相殿はご自分の護衛をアストロナータ神殿の武装神官に置き換え、オドザヤ陛下の身辺の護衛にも、まあ、これは陛下が未婚の女性であられることもあるのだが……うちの大公軍団から女性隊員を派遣して対応していた」

 ルビーは黙って聞いている。表情も変わらない。

「現在、オドザヤ陛下のご執務はほとんど、宰相殿がお側に付く形で進められている。その宰相殿に二十四時間付いて警備しているのは、アストロナータ神殿の武装神官で、宰相殿の弟弟子に当たるという、リカルドという者だ。先ほども言ったが、宰相殿の護衛はすべて武装神官が行なっている。つまり、現在の宰相府の内情は、皇帝陛下とこの大公殿下以外には、ほぼ、アストロナータ神官でもある宰相殿付きの武装神官にしか見えない状態になっているということだ」

 ここで、教授がカイエンの方をちらっと見たので、続きはカイエンが引き継いだ。

「現在、オドザヤ陛下の護衛として大公軍団から出しているのは、トリニとブランカ・ボリバル隊員だ。このうち、ブランカの方は実は元は私の奥向きの女騎士をしていた者で、宮殿の奥向きの事情には慣れている。だが、トリニは普通の家の娘だ。腕は立つが、皇宮で同僚は神官ばかり、という環境よりは市内で勤務させる方が向いているとは思わないか?」

 カイエンは暗に、トリニよりも元神官であるルビーの方が、オドザヤの護衛になるにはふさわしい背景があるのだ、ということを強調した。その上で、自分の意見を押し付けず、ルビーに判断を投げかけたのだ。この辺り、カイエンもずいぶん図々しくなっていた。

 ルビーはしばらくの間、仏頂面で黙っていた。口元のあたりには明らかに不満げな気持ちが現れていたが、不思議なことにそれが生意気ではなく、素朴でかわいらしく見える。この辺りも教授言うところの、「男前女子」的なのかもしれなかった。 

「どうかな」

 カイエンが、同じようにぶっきらぼうな言い方と顔つきで聞くと、ルビーはじろり、とカイエンではなく教授の方を睨んでから、カイエンの方へ向き直った。

「……武装神官崩れは武装神官と仲良くできると、そう思われるのですね。ご存知と思いますが、アストロナータ神殿とグロリア神殿ではそんなに繋がりが濃いわけでもございませんが」

 それはそうだろう。カイエンも教授もそんなことは百も承知だった。

「それは知っている。だが、宰相が言うには、あなたが大公軍団に志願したことは、他の神殿でも噂になっていたそうだ」

 カイエンはあの時のサヴォナローラの顔つきを思い出して、ふっと笑いを浮かべてしまった。

 サヴォナローラは彼には珍しく、変な笑いをその痩せた厳しい顔に浮かべて見せたのだ。そして、喋りながら、小さな含み笑いさえしたのである。

(ふふふ。リカルドが言うには、ルビー・ピカッソは女ばかりのグロリア神殿で、女神官たちに大人気。追いかけ回されて嫌気がさして大公軍団に応募したと、帝都中の様々な神殿の神官たちの間で評判だったそうですよ。仕える神は違っても、神官の世界など狭いものですから)

 カイエンがサヴォナローラの言ったことをそのまま、ルビーの前で言うと、ルビーは心底、嫌そうな顔をした。

「なんと! この国の宰相様ともあろう方がそんなことを? 嘆かわしいことです。そのリカルドとかいう宰相様の弟弟子殿も!」

 だが、そう言って憤慨しながらも、ルビーは「これはもうしょうがない」と覚悟を決めたようだった。

「……わかりました。大公殿下や最高顧問のおっしゃりたいことは理解できたと思います。つまりは同じような世界に身を置いていた者なら、話が通りやすい。そしてすべて言葉に出さずとも、察して動けるということでしょうか」

 カイエンは拍手したくなった。なんとも頼もしい。そして分かりやすい。実直、真面目、きっぱり。実務能力も高そうだ。

 教授の方も、うれしそうだった。彼は揉み手でもしそうな様子で前に乗り出した。

「それでは、引き受けてくれるかね! ピカッソ君」

 ルビーは、こうして前に座って並べて見てみると、なんとなく似て見える、カイエンと教授の顔をゆっくりと見比べた。顔の骨格は似ていないが、彼女と比べて見れば体がかなり小さいこと、黒っぽい髪に、灰色の目。青白い不健康そうな顔の色。「してやったり」という気持ちを隠そうともせずににやにやと微笑んでいる二人の様子は、彼女には二匹の小悪魔がニヤついているように見えた。

「仕方がありません。お引き受けいたします。ですが、皇宮の他の武装神官どもと仲良くなどできるかどうか……そちらの保証はいたしかねます」

 ルビーは、雄の獅子レオンのような髪の毛をぶるんと振ると、捨て台詞のように付け足した。

「グロリア神殿を出てきて、もう神官どもとはおさらばだと思っておりましたが。……かしましい女神官の次は、ずうずうしいアストロナータ神殿の神官どもと同僚とは! それでも、お引き受けしたからには、このルビー・ピカッソ、誠心誠意、お勤めさせていただきます」






 そうして、ルビー・ピカッソがカイエンの大公宮表の執務室から出て言った後。

 カイエンと教授は、扉がしまってしばらくすると、同時に思い切り吹き出していた。

「ね! あれが男前女子なんですよ、殿下。ね? あれでしょう? 殿下にそっくりで! 笑っちゃいますよ。あんな娘がどんどん大公軍団に来てくれたら面白いのになあ!」

「すごい分かりやすい! 全部顔に出てた! なのに憎めない。あはは。あれじゃ、サヴォナローラの野郎、とっちめられるな! 愉快愉快」

 二人の笑いのツボは違っていたようだったが、そんなことは二人とも気にしていない。それに、二人とも、寂しいオドザヤを個人的に支えられそうな人材として、ルビーを選んだことなど、綺麗さっぱり忘れていた。この辺りの「暢気さ」もこの二人に共通する性格だったのだろう。

 そうして二人が自分勝手なルビー・ピカッソ像にウケながら笑いあっていた時だった。

「失礼いたします」

 入って来たのは、表の侍従のベニグノだった。

「ご歓談中に失礼致します。軍団長様が御目通りを願っております」

 軍団長。

 それは、ここではあの大公軍団の恐怖の伊達男以外にはいない。

「え? なんかまたあったのか。……わかった、通せ」

 カイエンがそう答えると、間もなくせかせかとした様子ではあるが、七月中旬の暑さを感じさせない、異常な爽やかさをムダに撒き散らしながら、大公軍団長のイリヤボルト・ディアマンテスが部屋に入って来た。

「どうもー。呼ばれて来ました軍団長様ですよ〜」

 自分に「様」付けをしてはばからない男は、さっきまでそこにいた、清廉潔白真面目一徹男前、しかし女子、なルビーとは正反対の、怪しさ満載、真面目かもしれないが腹に一物も二物もありありの三十男よ、な男だ。もっとも、顔の美麗さという面では、恐ろしいことに女子で普通以上に整った顔のルビーを、遥かにしのいでいる。

「呼ばれて来た? 呼んでないが」

 カイエンは聞くなり、眉をしかめた。とりあえず、朝の朝礼では顔を合わすことが多いが、大きな事件でもない限り、この執務室にやってくる顔ではない。

「ええ〜。今日は殿下じゃなくってぇ、そこの最高顧問のせんせーに呼ばれて来たんですけどぉ〜」

 どうにも締まりのない声で答えつつ、イリヤはさっきまでルビーが座っていた椅子にさっさと座ってしまった。許可など求めないのはいつものことである。

「あれぇ? なんかこの椅子、あったかいねぇ。……誰か来てたの?」

 座った椅子の温度にも気が付くところは、さすがに軍団長ではあった。

「先生に呼ばれていたのか……。今まで、ルビー・ピカッソを説得していたんだ」

 カイエンが言うと、イリヤは途端に、今年の誕生日でめでたく三十路男になったが、未だ美麗な顔を笑みほころばせた。

「ああ、オドザヤ陛下の護衛の話ですか。まー、せんせーと殿下の二人掛かりじゃ、あの子も断れなかったでしょ。変に正義感が強い子だからねぇ〜。あれじゃあ、神官は勤まんなかったよね。殿下とよく似て、裏も表もスケスケだからね〜」

 カイエンはそこまで聞いて、ちょっとむかっと来た。教授だけならともかく、このイリヤまでが自分とルビーを同じカテゴリに入れようとするのか。

「表裏のないスケスケな性格は、さぞや、中身真っ黒なお前みたいなのには御しやすいだろうなあ」

 カイエンが嫌味丸出しでそう聞くと、イリヤはちょっとだけ真面目な目になった。もっとも、表情の方は馬鹿にしたような笑顔のままだ。

「あら。殿下がまた賢くなっちゃったわ。いやだ、せんせー。殿下をどんどん自分の側に引き込んでぇ」

 教授の方を嫌味ったらしく見るイリヤの目は、それでもかすかに真面目な光があった。

「君もその方が動きやすいだろう。……我々は今、それほど楽天的な状況にはないからね」

 返事をした教授の声は、さっきまでと違って静かで真面目な響きを持っていた。それは、カイエンにもイリヤにも冷水を浴びせるような効果があった。

「そうね」

 イリヤは、途端に顔つきを引き締めた。アルウィンの出先機関である「盾」であることをやめた彼にとっても、もう大公軍団という団体の盛衰、そしてその背後にあるハウヤ帝国の盛衰は自分の命の盛衰と直結した問題になっていたから。

「そう。それじゃあ、せんせー。今日ここに呼び出した訳を聞かせてもらいましょーか」 

 これは、カイエンもまだ聞いていないことだったので、教授を灰色と鉄色の双眸がまっすぐに突き刺すこととなった。

「ああ。それはね。あれなんだよ。頼 國仁先生の自殺の現場で預かっただろう。……あの青緑色の翡翠のペンダントと、三冊の『失われた地平線』のことでね。わかったことがあったから、来てもらったんだ」

 頼 國仁は、カイエンの家庭教師だった螺旋帝国の文人だ。彼はアルウィンの佯死後に、彼を伴って故郷へ帰り、そして革命によって滅ぼされた旧王朝「冬」の遺児二人を伴って、再びこのハウヤ帝国に戻って来た。

 そして。頼 國仁は、密やかに故郷へ戻っていたアルウィンたち一党が再びこの国を去るのと同時に、自死を選んだ。それ以上、アルウィンの企みに同道することを拒んで死を選んだのだ。

 あの自殺の現場で、パタンと広げられた「失われた水平線」のページの中に挟まっていたもの。

 それは、鮮やかな青緑色の螺旋帝国渡りの翡翠を彫刻して作られ、銀で縁取りされたペンダントだった。それも、桔梗星文の形をしていたのだ。

 それは、本と共にカイエンと教授が預かってこの大公宮に持ち帰っていた。

「あの時も言ったがね。頼 國仁先生は、螺旋帝国では天来神と呼ばれているアストロナータ信教の、それも桔梗星団派の信者だったらしいのですよ」

 教授は言いながら、カイエンの執務机の上に、三冊の同じ本を取り出して載せた。そして、最後に取り出したのが、あの青緑色の翡翠で作られた、桔梗星文様のペンダントだった。

 失われた水平線。

 それは、同じ本ではあったが、本の古び方にはかなりの違いがあった。

 一番、新しく見えるのは、五、六年前にカイエンが頼 國仁からもらったものだ。そして、その次に古いのは教授が同じく頼 國仁からもらったという一冊だろう。

 だから、一番古い本が、あの頼 國仁の自死の現場に残されていたものだった。

「これが?」

 カイエンとイリヤが目で尋ねると、教授は静かにうなずいた。

「まず、このペンダントですが。これはおそらく、螺旋帝国のアストロナータ信教、あちらでは天来神と言うが……の中でも、数百年前に分派した桔梗星団派の信徒として、聖なる洗礼名を与えられた者が持つものなのです」

 洗礼名。

 カイエンはすぐに思いついた。

「洗礼名というのは、あのサヴォナローラの名前のようなものですか」

 宰相サヴォナローラの親からもらった俗名は、フェリシモである。洗礼名を与え、俗名を捨てさせるのは、アストロナータ信教だけだ。だから、グロリア神殿の神官だったルビー・ピカッソは名前を変えたことはないだろう。

 カイエンの問いに、教授はすぐにうなずいた。

「はい。このペンダントの裏には、通常、螺旋帝国人の持つ、螺旋文字の意味で付けられた名前ではない名前が刻まれています。螺旋文字ですが、文字の意味は音のみで捉えたものでしょう。我々が螺旋文字で署名するときに、音が同じで、なるべくいい意味の文字を選んで当てはめるのと同じです」

 これは螺旋文字の性格を知らないイリヤにはわかりにくかったようだが、カイエンにはよく分かった。

「それで? 頼 國仁先生の洗礼名は?」

 カイエンはあの現場でペンダントは見たが、詳しく調べてはいなかった。教授は、ちょっとだけ躊躇してから、答えた。

「それが……先生の洗礼名は、『馬太』と言うらしいのです」

 言いながら、教授は机の上に螺旋文字を書いて見せた。

「ええ!?」

 カイエンはその文字の音韻がすぐに分かったので、びっくりして教授の顔を見た。

「これは……マテオ?」

 カイエンが聞くと、執務机の前からイリヤの不満そうな声が聞こえてきた。

「ちょっとちょっと。すみません。教養のない私にはわからないので、解説お願いします」

「ああ」 

 教授はすぐに気がついて、カイエンがさっと取り出したペンで紙に、「馬太」と螺旋文字で書いて見せた。

「この文字は、馬カバージョと、太ゴルドと言う意味の文字なのだが、音としては『マテオ』と読むんだよ」

 イリヤも大公軍団長をしているくらいだから、螺旋文字の性格はもう知っている。だから、すぐにうなずいた。

「あー。じゃあ、あの死んだ螺旋帝国の先生の洗礼名は、せんせーの名前と同じだったってことね?」

 カイエンと教授はうなずいた。

「へー。じゃあ、もうせんせーとかと会ったときには、この頼 國仁先生はこの洗礼名を持ってたってことでしょ。それじゃあ、せんせーと会ったときにはびっくりしたんじゃないの?」

 カイエンと教授は顔を見合わせた。

「うーん。それはどうかな。マテオって名前は、このハウヤ帝国ではそんなに珍しい名前じゃないし」

 カイエンが言えば、教授も言った。

「ここで問題になるのは、螺旋帝国のアストロナータ信教である天来信教の、それも桔梗星団派の中では、このパナメリゴ大陸の西側のありふれた名前が『洗礼名』になっていると言う事実なのだよ!」

 ここまで聞くと、さすがのイリヤも眉を顰めた。

「えーと。つまり、せんせーたちの言いたいのは、東側の螺旋帝国の人の名前の付け方じゃなくて、西側のこっちの名前の付け方に準じた『洗礼名』が、螺旋帝国の桔梗星団派の洗礼名に選ばれているってことですか?」

 さすがにイリヤは賢い。彼は螺旋文字の性質を知らずとも、この問題の真意に気がつけたのだ。

「その通り!」

 教授は、心底うれしそうにイリヤの顔に向けて、人差し指を突き出した。あまりいい作法ではないが、この際、それは許すべきだろう。

「じゃあ、この事実はこれでいいね。次はこの三冊の同じ題名の本のことなんだよ」

 教授は、そう言うとカイエンの前に古い順に本を並べて見せた。

「殿下、ご覧ください。この三冊は同じ本ですが、表紙からして恐らく、出版された時期の異なる三冊なのです」

「ああ」

 カイエンはそれにはもう気がついていたので、三冊の表紙を指差した。

「この、頼 國仁先生の本と、他の二冊。先生の本と私のもらった本は版が違うのではありませんか?」

 カイエンが言うまでもなく。 

 頼 國仁の自殺現場に残されていた本と、マテオ・ソーサのもらった本とカイエンのもらった本では、表紙からして違っていた。

「ええ。その通りです。この、頼 國仁先生の本は初版です。奥付けを見れば、もう三十年も昔のものだ。だから、表紙の意匠も、印刷された絵画も他の二冊とは違っています。ちなみに、私のもらったものは改訂第一版で、殿下のものは改訂第三版なのです」

「へえ〜」 

 イリヤが関心するまでもなく、カイエンは気がついていた。改訂第一版、第三版。と言うなら、中身が変わっているのではないか。

「……では、中身が違っているのですね?」

 カイエンがズバリと問うと、教授は得たり、と微笑んで見せたものだ。

「さすがは殿下。その通りです。我々のもらったのは改訂後の本でした。……改訂前の本と、改訂後の本では明らかに違っている部分があったのです」  

 カイエンはそれを聞いた途端、背中をひんやりとしたものが駆け上っていくのを感じないではいらえれなかった。

「私は、この三冊をじっくり読み比べました。時間をかけてね。そして、気がついたのは、改訂前と改訂後の明らかな誤植や表現の間違い以外の大きな差異でした」

 大きな差異。 

 そう言うからには、それは物語の流れに関わる物事の違いなのだろう。

 黙っているカイエンとイリヤを均等に見比べながら、教授はゆっくりと言った。

「殿下。殿下の読んだこの本では、『不幸なる王』は幾人でしたか?」

 カイエンはすぐに答えることができた。「失われた地平線」で誇大妄想狂メガロマニアの乗った阿呆船が旅する先で、出会っていく「不幸なる王」の数を忘れることなどなかったから。

「三人だ。……亡国の王ダビ、不死の王マトゥサレン、そして失楽の王アベル」

 この時、マテオ・ソーサが浮かべた表情ほど、うれしそうな顔は、そうそう見られないものだっただろう。

「その通りです。私が読んだ本でも、『不幸なる王』は三人だった! ですが、この初版では違っているのです!」

 えっ。

 カイエンは驚いた。初版と改訂版とは言え、出てくる登場人物の数まで違うと言うのは珍しい。それほどの「改訂」となれば、それなりのかなり強い理由があるはずだ。

「初版には、阿呆船に乗った人々が、最後に出会う王がいるのです。あの阿呆船が新世界へたどり着き、だが乗員全てが発狂してしまっていた時に、そこ場に現れた、救世主サルヴァドールのような王が!」

 救世主。

 カイエンはすぐに思い浮かべた。救世主サルヴァドール、それはこのハウヤ帝国建国の皇帝の名前だ。

 あの「失われた地平線」の最後、阿呆船の人々は一人残らず狂ってしまう。新世界シャングリラに着いた船から降りてきたのは、愚者ではなく、狂人たちの群れだったのだ。

「殿下! なんと初版では、あの狂人達の群の前に現れ、彼らすべてを正気に戻し、その魂の安寧を約束した王がいたのです!」

 カイエンは、夜に光った鏡のような目で、マテオ・ソーサの白っぽい灰色の冬の窓のような目を覗き込むしかなかった。

「その四人目の『不幸なる王』の名前は、無知の王フルトゥーロ。『無知の王』の名前は、未来フルトゥーロだったのです」


 四人目の『不幸なる王』の名前は、無知の王フルトゥーロだったのです。


 カイエンは身震いした。

 新世界で、長い旅路の最後に待っていたのが。

 無知の王フルトゥーロ。

 無知なる未来が、狂人達を正気に戻す。

 ああ。

 なんて物語か。

 この物語はまだ、終わっていないのではないか。

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