Ver3.2 影の王攻略戦《魔法暦94年》 後編

影の王攻略戦《魔法暦94年》 後編(1)

 戦場は静まり返っていた。聖弓魔法兵団の力を過小評価していたわけではなかったが、目の前で起こった光景は魔法士たちの想像を超えている。私は幼なじみの立つ第7部隊を振り返った。彼女もまた真摯な瞳で上空を見つめていた。


 沈黙を破り急激に湧き上がる歓声――。影の王への先制攻撃と銘打った作戦は成功を収めた。夕闇の空は遠くにまとまった雲が漂っていたが、雨の降る気配はなく祝杯は星空の下で挙げられそうだ。


 聖弓魔法兵団右手側のはるか先は西側国境にそびえる山脈が地平線を歪めている。そこに身体の大半をうずめた太陽が厚い雲の一部に隠れた。辺りや上空が薄暗闇に包まれる。魔法弾によって燃え盛っていた炎もほとんど消えていた。濃紺の暗がりと静寂だけが存在する世界。数秒間の沈黙は長かった。ほどなく雲の端から太陽の光が再び視界を照らす。


 歓声が消えた――。


 頭上に浮かんでいるのは、先ほどと違わぬ漆黒の球体だった。龍の首を9本各所から突き出し、宙空から魔法士の集団を睥睨へいげいしていた。


 中心に大きな風穴が空いたはずの身体は黒い液体が覆う真球に戻り、大砲弓バリスタを浴びる前の姿が平然と漂っている。波立つ液体の動き、輝く龍の双眸……むしろ戦闘前より活力に溢れているようだ。原因は全くわからない……魔法弾が何か作用したのだろうか。一転、歓声からどよめきへと変わった声色から魔法士たちの落胆と動揺が伝わってくる。


 再び姿を現したのは漆黒の球体だけではない。先に吹き飛ばしたはずの影の子や抜け殻の塊さえも地表に復活していた。さらに一部で上がった悲鳴に従って目を凝らすと、影の王のはるか向こう側、緋色に染まった地平線から数百を超える黒い人影が姿を現した。影の集団には4本足の動物らしき群れも混ざり、漆黒の軍隊を作り上げていた。


 隣にいた同じ部隊に所属する砲台役魔法士の顔が真っ青になった。どうしたのか、との問いに震える声で返答した。


「……2年前に退治した影の子と同じ奴らだ」


 黒い兵隊は大量に発生した蟻のごとく魔法士たちに向かって近づいてきた。地平線は軍勢を赤黒く輝かせていたが、距離はまだ大きく隔てている。ただ馬や牛など家畜を含めた動物の形状が、過去目にした仇敵の姿そっくりらしい。


 撃退した影の子が復活して再び現れるという事例は一度もなかった。2年前に私は投獄され地下牢で過ごし、任務に参加していなかった。詳細は広報で読んだ程度しか知らない。


「使った魔法弾の属性は『風』だったんだな?」


 目の前の光景を受け入れられない様子の魔法士は、ああ、と首を縦に振った。少ない事象から結論に至るべきではないが関連性は認めなければならない。「風」の属性は生命活動を停止させる効果を持つゆえ、敵を死滅させる為には有効だと思っていた。しかし、影の王が「生命体」である保証はない。自分たちの知っている生命とは根源から構造が異なる可能性もある。


 くれないに染まる地平線から発生した影の子らは、漆黒の球体と魔法兵団のいる方角に風のような速度で迫っていた。時を同じくして地面に横たわる塊から飛び出した人影も薄暗闇の中、行動を開始した。


 命令の声は聞こえなかった。予想外の事態を前に指揮系統が混乱しているのかもしれない。私は大きく息を吸って銀髪の魔法兵団長がいる第7部隊付近に向かって声を張り上げた。


「風の属性はダメだ。火の属性で迎え撃つしかない!」


 光に乏しい視界の中、暗闇を切り裂く声は確実に魔法士たちの注意を集めた。「風」の属性を付加した魔法弾で倒したはずの敵がことごとく復活している現状から、前回の影の子討伐の折に入手した風属性の有用性は誤情報だったと認めざるを得ない。


 運の悪いことに影の王本体との対決の只中、最悪のタイミングで間違いに気づいた。決戦は仕切り直さなければならない。日を改めて再攻勢をかけたいところだが簡単に退却を許す相手ではないだろう。魔法士たちの多くも同じ事実に気づき始めたようだ。急場をしのぐため、今は効果に実績のある「火」属性で迫り来る敵と戦わねばならない。





 指揮官がようやく声を取り戻したようだ。濃紺が強くなった黄昏たそがれの空に向かってデスティンの号令が上がる。


「攻撃用意、第二陣形直列魔法、火属性発射準備せよ。目標、V字中央第5・6・7・8部隊は前面の影の塊へ。他の部隊は地平線より迫り来る影の軍勢へ。30秒間隔にて連続発射!」


 全16部隊のうち奇数番号の部隊が最初に魔法弾を放ち、30秒後に偶数番号の部隊が魔法弾を放つ……次弾装填までの空白時間を30秒間隔に縮めた連続発射。


 おそらく銀髪の魔法兵団長は現状で最も的確な指示を出したのかもしれない。直角に折れ曲がったV字型の中央4部隊に限定して、地面に落ちた黒い塊と影の子へ攻撃するのには意図がある。間近に現れた敵の注意をV字の奥に引きつければ、遠くから迫る影の軍勢との挟撃から魔法兵団の両翼を守ることができる。私は地響きの発せられる方角に手のひらの照準を合わせた。


 大挙して押し寄せる影の子らは馬や牛といった動物型が混在し、真横に広がった先頭集団は人馬同じ速度で魔法兵団へ近づいてきた。地平線に近づくほど赤く輝く陽光の残滓は、敵の姿を明瞭に映し出していた。


 先頭集団の数は目算で200以上。先頭が揃っているのは馬が遅いのではなく、人型の影の子が尋常ならざる速さだった。かつて図鑑で見たことのある、サバンナを駆ける肉食動物が地面を滑走するような体勢で近づく彼らは、力を得て活性化しているように見える。考えたくはないが、ティータから放たれた風の魔法弾が逆効果を与えてしまったようだ。


 影の軍勢が抜け殻の塊へ届こうとする直前に、隣の第15部隊から放たれた炎の光条が先頭の一部へ深々と突き刺さった。暗闇に覆われていた周囲の世界は、炎の発する光を受けて至近にうごめく敵の姿まで浮かび上がらせる。間髪入れず5本の火炎が敵の軍勢に撃ち込まれた。


 合計6部隊による一斉発射。人型、動物型が混在した影の子らは自らの推進力と、前方で発生した爆発の反発力にはさまれて空中へ弾け飛んだ。


 地面に生じた火柱によって戦場全体に照明が灯された。影の王、地面に落ちた塊から出現する影の子、魔法兵団の外側から迫る影の群れが一斉に姿をあらわにする。


 迫る先頭集団の半数近くが炎で移動を妨げられ、残る半数も前進する速度が鈍った。30秒を経て私の手のひらから火属性の連結魔法弾が飛び出す。時間差を置いた6部隊による追撃が始まった。爆煙の隙間、空中へ破片となって吹き飛ぶ影の子の姿があった。合計12部隊が連携して撃ち出した魔法弾の光条は宵闇の空の下に光の残像を残した。

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