蝕むは黒か青か

 ラズは黄金と黒の甲冑かっちゅうを見に纏った男の言葉に従い、巨大フォールンのモル・ラヴァルから離れるように広大な砂漠を歩いていた。


 エレミア本人も充分な輝力を取り戻せていないと自覚していたにも関わらず、自ら飛び出して行った勝手な行動に動揺と僅かな憤りがあったラズだったが、不安と心配の気持ちが何よりも勝っていた。

 エレミアが例えフォールンに対抗出来うる強力な浄化の力を持ったミネレイだとしても、この地に辿り着くまでの間に輝力を大きく消耗した状態で巨大なフォールンに挑んで太刀打ちができるとはとても思えない。エレミアの本来の強さは未だラズも知らないが、フォールンに対抗するための輝力がなければ敵うはずがない。エレミアが無事に戻ってこれるかどうか——最悪の事態ばかりがラズの頭に浮かび上がり続ける。


 少女の身を案じるように時折振り返りながら歩くラズに、甲冑の男が口を開いた。


「少年、未だお互いに名乗っていなかったな」

「は、はい!」


 低く、威厳のある声に我に帰ったラズは反射的に上擦った声で返し、弾かれたように顔を甲冑の男へと向ける。前を歩いていたはずが、気が付けば気配無く自身の隣へと移動していた甲冑の男に驚きと緊張でラズは肩を強ばらせた。


「私はコテツだ。君は?」

「僕は……ラズ。ラズです」

「あのミネレイ——少女は、エレミアと言っていたな」


 甲冑の男——コテツの問いにラズが頷くと、コテツは「なるほど……そうか」と何かに納得したように呟き、不安な表情を隠さないラズを見下ろす。


「素性も知らない私から言われても気休めにもならないだろうが、ウィルドも手練れだ。苦戦はすれど敗北を喫する事は無いだろう」


 コテツは「――慢心しなければな」と胸中で付け足しながら、兜の下から視線だけを下げてラズを見る。

 ラズの表情は曇ったままだが、既に過ぎたことを今更考えたところでラズにできる事は無いのはラズ自身にも理解していた。ラズはコテツの言葉をなんとか飲み込もうと口を噤み静かに頷いた。


 コテツが立ち止まり、すぐ正面にまで近づいた高さのある砂丘を指差した。ラズも反射的に足を止め、コテツの指先を追うようにその砂丘を見上げる。


「あの砂の丘を越えれば我々の拠点がある。顔色が良く無いが、いけそうか?」

「は、はい。大丈夫です」


 砂丘は緩やかであるが高く広い。ラズの消耗した体力では足取りも重くなるが、決して行けないほどではない。ラズは脚に纏わりつく白砂を振り払いながらコテツの後を追っていく。


 砂丘の頂に着くと同時に見えたのは、白砂と同系色の布が張られた三つの大きなベルテントだった。それぞれのテントの中を忙しなく出入りする人々は上から見下ろしただけでも二十名はいる。先程のモル・ラヴァルを迎撃するために動員していた者たちを含めれば、コテツが仕切っているとされるこの団体の人数は少なくとも三十名はいるだろう。ラズは額から滲み出る汗を拭うのも忘れて拠点の景色に目を奪われていると、コテツがラズの方へと振り向いた。


「?」


 身じろぎ一つせず静かに凝視するコテツの視線はラズよりも後ろの方を向いていた。何も言わずにいるコテツの視線を追うように、ラズも自身の背後へと首を回す。高い砂丘から見える景色は白砂の広がる壮大な地平線だ。そして、遠くの大海原の波ように緩やかな凹凸のある砂地の中から黒い影、巨大フォールン——モル・ラヴァルが大きな口を開けて魚のように飛び出した。巨体とともに舞い上がる砂の飛沫が空気に舞い散る。


「奴め、派手に暴れているな。ウィルドはどうした?」


 コテツの言葉にはっとしたラズはモル・ラヴァルの標的となった二人の姿を探すが、飛び上がったモル・ラヴァルによって砂煙が巻き起こったせいでいくら目を凝らしても見つからない。——着地したモル・ラヴァルに踏み潰されてしまったのだろうか。巨大な身体に体当たりでもされたら、いくらミネレイでも無事ではすまないだろう。


「エレミア……!」


 最悪の予感に青ざめ、モル・ラヴァルの方へと走り出そうとするラズをコテツがすかさず腕を伸ばし制した。


「焦るなラズ。ミネレイはそう簡単に砕かれはしない」

「で、でも……!」

「落ち着け。気持ちは分かるが、輝力どころかフォールンに対抗できるすべも持たない君が行ったところでモル・ラヴァル相手に何が出来る? 理性の無い化け物に丸腰で立ち向かうのは蛮勇以外の何者でも無い」


 コテツのもっともな問いかけにラズは返す言葉が見つからず、頭に冷水をかけられたように肩をこわばらせる。


「兎も角、今は信じるしか無い。ウィルドが奴を食い止められないのならば我々が――」

かしらァ!あのデカブツこっちに来やがるッ!」


 遠方のどこかからジョーイの切迫した声が二人に届いた。途端、砂漠全体が震動し細かな流砂が小刻みに震えながら砂の丘から滑り落ちていく。

 コテツが視線をやった遠くの砂丘の砂の中から老人——ジョーイが飛び出す。その丸みのある全身には白砂がこびり付いており防塵のゴーグルまで砂まみれで見えているのかも怪しい姿だが、ジョーイは真っすぐにラズ達が来た道の方角を指さし示した。

 再び地鳴りが響き、大きくなっていく。確実に例の巨大フォールンがラズ達の居る方へと向かってきているのがわかった。自身よりも遥かに大きな怪物に命を狙われている事実に、既にラズは恐怖と不安で足が竦んでいた。


「……全く、ウィルドアイツに"油断するな"はむしろ逆効果だったか? ラズ、下手に動くとかえって危険だ。私の後ろにいるように」

「あ……は、はい!」


 コテツはその背に携えた長い太刀の柄を握り鞘から白銀が煌めく刀身を引き抜くと、精神を研ぎ澄ませるように丁寧な所作で鋭い刃先を前方へと向けてラズの前に出る。


きゅうを据えねばならんな」


 低く威嚇する様なコテツの声に、ラズは思わず息を呑んだ。目前の連なる砂の丘に遮られてモル・ラヴァルの動きは見えないが、すぐ間近にまで向かってきているのは大きくなる地鳴りでわかっていた。

 そして砂の山の頂からモル・ラヴァルが大きく跳ね上がりその姿を見せた瞬間、予見していたかの様にそれに合わせて僅かな遅れもなくコテツは大太刀を素早く振り上げた。

 コテツの白銀の刃から弾ける音と共に眩い稲妻が走り、モル・ラヴァルの黒い身体に直撃する。力強くも美しく輝く雷撃がモル・ラヴァルの巨大な身体に広がると、電流が弾ける爆発音が鳴り響く。

 凄まじい威力の光に耳をつんざく悲鳴を上げながらモル・ラヴァルが砂地に着地し後退すると、共鳴する様に砂漠の丘が青白く光り輝きだした。その直後、砂地から青い光の粒と共に四本の水流が勢いよく飛び出す。吹き上がった激流の水が竜巻のように渦巻くとモル・ラヴァルに絡みつき、その巨体を拘束した。

 コテツの一撃が効いたのかモル・ラヴァルの動きが明らかに鈍くなっており、大きな両手を振るい抵抗をしているものの水流の拘束を解くには到底及ばない。むしろ抵抗するほどに水流の威力は強まり、ますます抜け出すのが困難になっていく。


「≪オアシス≫にかかった。このまま両断したいところだが……」


 コテツは再び大太刀を構えるが、斬る事に躊躇いを見せた。


「何か、問題があるんですか?」

「フォールンには特性の異なるタイプがある。個々に地上を彷徨い出会った標的に襲い掛かる≪徘徊型ワンダラー≫、他のフォールンを呼び寄せ複数で襲い掛かる≪招集型コーラー≫、多数のフォールンを運び標的に放つ≪輸送型トランスポーター≫……他にも種類はいるがフォールンの大半はこの三型だ。この中で最も厄介なのは輸送型だ。もしあのモル・ラヴァルの巨大な体の中に大量のフォールンがいたとすれば、ここで斬ると……」

「たくさんのフォールンがあの身体から出てくるって事ですか!?」

「生半可な輝力きりょくでは奴の力を浄化しきれないだろう。フォールンを取り逃がせば最悪の場合街にまで被害が出る。輸送型でない事を祈って斬るなどの愚行は避けたいところだ」

「じゃ、じゃあどうすれば……」

「幸い仕掛けた罠で動きを封じられている。地道だが少しずつ浄化をし体内の冥性プルトの力を減らしていくしか……なんだ? 奴の動きが――」


 状況を水流に身体を拘束されているモル・ラヴァルは低い唸り声をあげた。太く鋭利な爪が生えた両腕は完全に拘束されており、なんとか巨大な身体を捩らせて脱出を試みていたのだが、突然その身体に絡みついている水流が青白く氷結していく。黒い身体に白い霜が纏わりつきモル・ラヴァルの大きな口すら氷結で開かなくなっている。


「何が起きている? ≪オアシス≫には氷結の機能は無いはずだが……」


 水流は青白く輝く完全な氷となり、モル・ラヴァルを氷の檻に閉じ込めた。水分が氷結し締め付ける様な軋む音が鳴る。青白い氷がモル・ラヴァルの全身を覆い尽くし、いともたやすく巨大な氷の塊が完成する。熱を帯びた空気が瞬く間に冷えきり、白い冷気が氷塊の周囲を漂った。

 その氷塊の青く美しい輝きは少女エレミアの瞳を彷彿させ、ラズは思わず呟いた。


「エレミア? ……ッ!」

「なんだと――どうした、ラズ!」


 ラズが少女の名をぽつりと漏らした途端、ラズの身体に異常が生じる。強い動悸と頭痛が全身を打ち付け、白い砂漠の景色が一瞬で暗転する。暫く水分補給をしていない身にも関わらず、身体中からは冷や汗が滝のように溢れる。痛みが身体を熱くさせているが、同時に凍えそうなほどの悪寒が背筋を這い回り感覚をかき乱す。


「あぁ……う? なにが……?」


 ラズは急激な身体の異常によろめき、膝から崩れ落ちる。コテツが咄嗟にラズの身体を片腕で支えると、ラズの全身に力が抜け次第に呼吸も荒くなっていく。


「ラズ、ゆっくりと呼吸をしろ!」


 意識がもうろうとして虚空を見上げるラズの瞳は、彩度は低くも清んだ紺色だったのが、今は全ての色が混ざりあった黒い靄のような濁りがうまれている。


「……冥性プルトの力に侵食されている。しかしいつの間に——」


 コテツはラズの瞳を穢す悍ましい黒に目を見張ると、軽快な馬の足音が砂丘を越えて近づいてくる。


「クソッ! 俺が後れを取るなんて……って何が起きたんだよ?」


 声の主はテンガロンハットの男――ウィルドだった。コテツはラズから視線を上げ、巨大な氷塊と化したモル・ラヴァルへと向けながらウィルドへと問う。


「お前に付いて行った少女はどうした?」

「このデカブツに喰われたんだ。……俺を庇いやがって」


 ウィルドは眉を顰め悔し気に言うと、コテツは動けなくなったラズをゆっくりと背負い立ち上がった。


「ウィルド、諦めるには早い。モル・ラヴァルに特大の一発を撃て」

「だがコイツは輸送型だぜ。下手に身体に穴を開けたら――」

「私もそう考え躊躇したが、状況が変わった。感じるか? この氷には"天性シェル"の輝力が宿っている。それも格段に純度の高い」

「!」

「そしてその力の出所は、奴の"体内"からだ」

「……マジでいいんだな?」

「あぁ、むしろ核がすべて無力化されている今しか無い」


 コテツの意図に気付いたウィルドはテンガロンハットのつばを掴み仕方ないと言わんばかりに首を振った。

 次の瞬間、ウィルドが鋭い眼光をモル・ラヴァルに向けたと同時に発砲音が鳴り響いた。目にも止まらない速さで抜かれた拳銃から飛び出た黄金の弾丸は、これまでと比べ物にならない程の輝きと力強さを放ちモル・ラヴァルの身体を貫いた。氷塊は撃ち抜かれた小さな穴から脆いガラスのようにヒビ割れていく。大きな亀裂が生まれると、そこから瞬く間に音を立てて破片を散らし、弾け、モル・ラヴァルの巨大な身体は文字通り粉々にあっけなく崩れ落ちた。砂粒ほどにまで砕けた細かな氷の破片が青白い光を反射しながら風に吹かれ空気に散ってゆく。


 コテツとウィルドが危惧していた体内に潜んでいるはずの多数のフォールンも、青い氷によって完全に凍結し破壊されており今や氷の残骸の山になっている。

 ウィルドは氷の山へと足速に近づくと、その山をかき分けはじめた。ウィルドの手が何かに触れると、それをしっかりと掴み上げた。勢いよく氷の山から引き抜かれたのは、青い少女エレミアだった。


「マジでコイツの力なのか……?」


 ウィルドは警戒する様にまじまじとエレミアの姿を観察する。その瞼は閉ざされており、輝力切れによる休眠状態であるのは明らかだった。小さな身体にはところどころにヒビが入っており、ヒビの隙間から青白い粒子が漏れ出ている。粒子から感じられるのは全てを凍てつかせるほどの冷たい光を放つ青白い輝力。モル・ラヴァルとその体内のフォールンを丸ごと凍らせて一網打尽にしたのは、紛れも無いこの少女なのだとウィルドは戸惑いながらも確信する。

 ウィルドが呆然と氷の山を見ていると、まみれの老人ジョーイが転がりそうな勢いでに砂の山を下りコテツに駆け寄ってきた。


かしらッ! こりゃあ一体何が起きたんだァ?」

「詳しくは後で説明する。今はこの二人をテントへ連れて行きたい。荷車を使ってあの氷の残骸を集めておいてくれ」

「あ、あァ、了解だ。すぐに取り掛かる」


 ジョーイは整理のつかない状況の中、戸惑いながらもコテツの指示に頷いた。コテツは体系に見合わない素早さで立ち去るジョーイを見送り、それからウィルドへと視線をやる。深く被ったテンガロンハットでコテツからウィルドの表情は伺えない。


「どうしたウィルド。何か問題が?」

「……あぁ、なんでもねぇよ。それよりそっちのチビ、ヤバいんじゃねぇか? さっさと戻ろうぜ」


 コテツから声をかけられてやっと顔を上げたウィルドは、何事もなかったかのような態度でエレミアを抱きかかえ、コテツを横切り砂の丘を下っていく。横目で見た少女から冥性プルトの侵食が一切感じられないのを確認したコテツは苦し気に唸るラズに負担がかからない様に慎重に砂の丘を下り始めた。


天性シェルのミネレイに、そしてこの少年……果たしてこれは吉兆か、それとも——」


 コテツの憂いと期待の混ざった小さな呟きは擦れ合う甲冑の金属音で掻き消され、誰の耳にも届かなかった。

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