砂上チェイス

 白いたてがみの馬が軽やかに砂丘を駆け上がる最中、その上に跨がるテンガロンハットの男――ウィルドは右手で先ほどの合図を送る為に使用した信号銃とは別の回転式拳銃リボルバーを腰のホルダーから引き抜いた。艶めく黒い銃身は丁寧に手入れをされており、愛用している事がよくわかる。ウィルドは拳銃のグリップをしっかりと握り締めた。


「ねぇ、アレを一体どうするの?」


 砂丘を越えた直後、あるはずのない少女の声が自身のすぐ真後ろから聞こえ、ウィルドは弾かれたように振り向く。すると声の主である少女の青い瞳とばっちりと視線が交わった。


「お前ッいつの間に――」


 ぶら下がるように馬の尻にしがみついていたエレミアは自力で馬によじ登ると、動揺するウィルドの背にぴったりとくっついた。さも当然と言った風な少女の居住まいに呆気にとられたウィルドだったが、すぐさまに釣り目を更に鋭くさせ険しい表情を少女に向けた。


「遊びじゃねえんだ。下手すりゃお前の相棒の所に戻れなくなるぞ」

「アナタさっきまで勝つ気満々って顔だったじゃない」

「……それは、俺一人でやればの話だ。お前みたいな輝力もロクにねぇぽんぽこりんが居たところで戦力どころかお荷物だぜ」

「ぽん……? それを言うなら"ちんちくりん"でしょう。だったら囮にでも使ってちょうだい。」

「お前なぁ……」


 ウィルドは呆れた様に少女を見下ろすが、エレミアは図々しいとも言えるほどに毅然きぜんとした態度で降りる気配はなく、ウィルドもまた無理やり馬から降ろそうとはしなかった。それからテンガロンハットのつばを摘まみ一考するように男は口を噤む。


 少女の言う通りモル・ラヴァルの標的は自身が助けた二人である為、どちらかが居れば誘導は容易いだろうという考えはウィルドの中にも当然あった。

 一刻を争う状況で今更引き返せない場所まで来てしまったからには成功率を上げる為にこれを利用しない手はない。そして何よりも、今この場で少女を馬から降ろすよりは手の届く範囲に置いておいた方が幾分かは安全だ。――少女が大人しくしていればの話だが。

 ままならない状況にウィルドは小さく舌打ちをした。


 巨大フォールン、モル・ラヴァルは太い前足を砂に叩きつけ地団駄を踏む様に暴れている。このまま放置すれば人々が住まう街の方にまで被害が及ぶ可能性は高く、悩んでいる時間すら惜しい。

 ウィルドは「しょうがねえ……」と腹を括ったように呟いた。


「チビ助、振り落とされたくなかったら大人しくしてろよ」

「どうするの?」

「そりゃあ勿論――こうだ」


 ウィルドは握ったままの黒く艶めく回転式拳銃リボルバーを構え、引き金に指をかけた。その銃口は真っすぐにモル・ラヴァルへと向けられている。しかし、標的までは八十メートル以上の距離があり拳銃で狙うには最適な距離とは決して言い難い。どれだけ精密に狙いを定めても放たれた弾丸は高確率で外れるか、届いたとしてもあの巨体を退けるほどの十分な威力はでないだろう。だがそんなものは関係ないと言いたげに、ウィルドはテンガロンハットの下でほくそ笑むと引き金にかけた指に力を込めた。

 

「見てな」


 ウィルドが引き金を引いた瞬間、銃口から乾いた音と共に弾丸が飛び出す。長細い黄金の弾頭が光線のように真っ直ぐに標的へと飛んで行き、有効射程よりも遥かに遠い場所に位置するモル・ラヴァルの白色の横腹に着弾した。

 モル・ラヴァルの身体の表面は体毛に絡まった白い砂が鎧の様に固まって重厚な装甲となっている所為で、どれだけ矢や爆弾、そして銃弾を撃ち込もうともダメージを与えるには及ばないが、ウィルドの放った弾丸は違った。

 命中した横腹の白い砂の装甲から気泡が次々と飛び出て、マグマの様に沸騰した音を立てていく。その現象は着弾した部分だけだったところが、次第に腕や背にまで広がっていき連鎖する。そしてそれが全身に行き渡り全身を波打った瞬間、モル・ラヴァルの身体を包んでいた白砂の鎧は溶けるように全方位にはじけ飛んだ。砂煙が空高く飛びあがり風に舞い散ると、モル・ラヴァルの光を飲み込む漆黒の体毛が毛羽立つ本来の姿が晒された。呆気なく解かれた白砂の装甲に、エレミアは目を見張った。


「アナタの力……砂を操ることができるのね」

「俺の輝力の性質——≪土性サトン≫の力だ。ああなりゃでかいだけのモグラだな。これにビビって逃げ出してくれりゃあ楽なんだが……」


 ウィルドの願いも虚しく、モル・ラヴァルは黒い体毛を逆立たせ怒り狂ったように空に向かって咆哮した。ウィルドは「そう簡単にはいかねぇか」と特に残念がる様子もなく言うと、二人が乗る白馬を走らせモル・ラヴァルは向かって砂丘を下り始めた。

 モル・ラヴァルは地を駆ける馬の軽快な足音に過敏に反応を示し、鳴き声を上げ威嚇する。ウィルドは馬を走らせながら挑発するように軽快な音色の口笛を鳴らした。


「こっちだデカブツ!」


 ウィルドが叫びながら街とは正反対の方角へと馬を走らせた。モル・ラヴァルはその背を追うように砂を掻き進みし追駆ついくが始まると、二人が乗る馬は速度を上げた。両者とも同等の速度での疾走のために距離が縮まることはない。


 ウィルドは再び腰のホルダーから拳銃を引き抜くと、身体を捩り背後のモル・ラヴァルに向かって再び引き金を引く。放たれた黄金の弾頭は先ほどのものよりも一層強い輝きを放っており、一直線の光線を描きその巨体の鼻先に直撃すると弾けるようにモル・ラヴァルの顔面全体に火花が散った。

 モル・ラヴァルは連続する小さな爆発音と強い光の刺激に微かに怯みながらも、その足を止めることは無く怒りの咆哮を上げながら二人を追いかける。ウィルドの挑発は見事に成功した。


「このまま誘導して街から引き離す!」


 エレミアは後を追うモル・ラヴァルに振り向いた。一心不乱に荒々しく砂上を泳ぎ迫りくる巨体の様子からは理性のかけらも感じられない。このまま素直にモル・ラヴァルが追いかけてくるのであれば街から遠ざけるのは容易いが、一つの疑問に少女は口を開く。


「ねぇ、街から引き離せたとしてワタシたちはどうやって戻るつもり? 結局アレを連れてきてしまうのではないかしら?」

「手段はある。成功率は"八十割"ってところだがな」

「……八割? まぁ、悪くはないわね」


 エレミアは「アナタの言語能力は別として」と呆れた様に付け加え首を振る。少女のその言葉が聞こえているのか否か、ウィルドはフンと鼻を鳴らした。


「ともかく、ヤツを街から遠ざければこっちのモン――」


 二人の会話を遮る様にモル・ラヴァルの動きに変化が現れる。砂上でもがくように泳ぎ進めていたのを突然止めると、今度は柔らかな砂の大地を鋭利な両爪で掘り出し、その巨大な身体を砂の海へと自ら沈めたのだ。モル・ラヴァルが潜った地点は丘の様に盛り上がっており、全身が完全に白砂の中に隠れるとその砂の山は動き出し、一直線にウィルドたちを追い迫った。


「来るわ!」

「掴まってろ!」


 モル・ラヴァルの地中での移動は地上で走っていた時よりも遥かに早く、瞬く間に二人の乗る馬へと距離を詰める。そして真下にまで到達した瞬間、モル・ラヴァルは砂の海から勢いよく飛び出し避ける間も与えずに馬ごと空中へと突き上げた。それから軽々と空へと投げ出された二人に向かって、丸呑みにせんとばかりに口を開いた。口端は二人を馬ごと一口で吞み込めるほど不自然に大きく裂け、口内からは漆黒の泥が溢れ出てくる。

 このまま重力に従えば、二人はモル・ラヴァルの胃の中へ直行するだろう。打開を模索する暇も無い。ウィルドは咄嗟に拳銃を素早く構え、漆黒の泥が二人に手を伸ばす様に溢れ出る口内へ向かって四度引き金を引いた。

 四つの弾丸が輝きを放ちながら闇の中へと吸い込まれ。一瞬の閃光が闇を照らしたが、モル・ラヴァルは怯む様子も無くその大きな口を開いたままだ。異常な量の泥を浄化し退けるにはウィルドの輝力では不十分だった。避けきれない事を悟ったウィルドが自身の背にしがみ付いていたエレミアを逃がそうとその細い首根に手を伸ばすが、少女はその手からすり抜け、ウィルドの身体を突き放す様に両腕を離した。


「……お前ッ!」


 少女の小柄な体躯に見合わない力で押し退けられたウィルドは離れゆくエレミアへと腕を伸ばすが、その手が届くことはない。透き通る空色がウィルドの瞠目する白と茶の瞳を見据えた瞬間、黒い巨体に飲み込まれた。


 エレミアに押し退けられた事でモル・ラヴァルの捕食を逃れたウィルドは、砂の大地へと軽やかに着地した。その拍子にテンガロンハットが外れ落ち、茶色のメッシュが入った白髪が晒される。ウィルドは真ん中で分けられた前髪をかき上げると、テンガロンハットを拾い上げて再び深く被り直す。そしてつばの下から、エレミアを喰らったモル・ラヴァルを睨むように鋭い眼光で見上げた。

 空中に投げられバランスを失った事で着地に失敗した馬は大地に叩きつけられ力なく横たわると、その白い身体が溶けるように砂漠のものと同じ白砂へと変化していく。ウィルドが自身の脚のように乗りこなしていた白馬は生き物では無く、輝力きりょくと砂で作られた人工物だったのだ。


 一方、モル・ラヴァルは丸のみにした少女を咀嚼する様に閉じた口を動かすと、喉を鳴らしながら口内のものを飲み込んだ。それからウィルドに目もくれずに方向転換をする。もう一人の標的――ラズの方へと。


「行かせるかよ!」


 ウィルドは着地時の屈んだ態勢のまま、素早く拳銃を構え引き金を引いた。銃口から飛び出た一つの弾丸はモル・ラヴァル本体では無く、その足元の砂の丘へと命中する。直後、着弾箇所の砂場一帯が光り輝きながら波打つように動き出し、高く大きな壁のような砂の荒波がうまれモル・ラヴァルに直撃する。巨体はわずかに押し流されるが、ウィルドに目もくれずに次々と打ち付ける波に逆らうように前足で砂を掻き進んでいく。ウィルドがダメ押しにもう一発、と銃口を砂の海へと向けると、突然モル・ラヴァルの動きが止まりかさを増す砂の波に飲み込まれていく。

 巨大な身体が砂に埋もれるその寸前、モル・ラヴァルは大きく口を開いた。黒い身体を真っ二つに引き裂いたように異常に広げられた口からおぞましい程の漆黒の泥が溢れ出る。白い砂を汚すように流れ落ちた泥は脈動しながら変形すると、泥から黒一色の人間が形作られた。その手足は異常に長く、顔は大きな口だけで目も鼻も無い、人型のフォールンだった。モル・ラヴァルは一体のフォールンを吐き出すと、そのまま砂の荒波の中へと飲み込まれるように再び潜り込んだ。ウィルドはそれを阻止しようと立ち上がるが、目の前に立ちはだかった人型のフォールンが行く手を阻む。フォールンは歪な口を大きく開けると、ウィルドに向けて金切り声を上げ威嚇した。


「うるせぇ、退け」


 ウィルドはフォールンに向かって目にも止まらぬ早撃ちでその頭部を拳銃で撃ち抜いた。火花が散り乾いた爆発音が響き、丸いフォールンの頭がぶくぶくと歪みながら膨らむと、水風船のように弾けた。飛び散る泥のような黒い半固形の肉片が白砂を黒く染め、フォールンは膝から崩れ落ちるように呆気なく倒れる。弾丸の輝力に浄化されたフォールンの身体からは白く輝く光の粒が煙のように舞い上がる。


「お前に構ってる暇はねぇよ」


 ウィルドは溶けるように光の粒となって消えゆく人型のフォールンへ言い捨てると、何も無い砂の山へと銃口を向け引き金を引いた。

 放たれた光る弾丸が砂の山へと着弾すると、砂は光を帯び砂粒の擦れ合う音をたてながら動き出す。光る砂は一つの大きな塊に収縮し、つい先ほど砂と化した馬と全く同じものへと形を変えた。


「クソ、間に合うか……?」


 砂で出来た馬はウィルドが跨ると同時にモル・ラヴァルへと向かって素早く駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る