第二章 再起の調律師

乱気流を突き抜けて


 空中で吹き荒れる暴風の低く唸る様な轟音が鼓膜を振動する。白いシーリングライトに照らされた空間で隣同士並んで座る少年ラズと少女エレミアは、目の前に大きく映るスクリーンに映る黒い雲と夜闇をじっと見つめて沈黙する。輝晶竜は暴風豪雨を一身に受け止め右から左からと吹き付けるたびに身体を傾かせると、機内の二人も同時に左右に身体を揺らす。

 突風に抵抗しながらも確実に前へと進んでいるようだが、このままこの輝晶竜で無事に到着できるのだろうか、と出発して早々にラズは内心で不安を積もらせていた。そして何よりの不安の種は、何の準備もせずに輝晶竜に乗り込んでしまった事だった。最低限の食糧や薬などの消耗品すら手元に無く、明らかに準備不足の状態での出立だった。その場の勢いに乗せられて冷静さを欠いていたが、後々になって困る事態に陥るのでは無いのか、と考えが過ぎってからはそればかりがラズの思考の大半を占めていた。


 そんなラズを知ってか知らずか、「そういえば」とエレミアが口を開く。


「ワタシたちはこの輝晶竜に乗ってカガリへ来たらしいのだけれど、ラズ、何か思い出せそうなことはあるかしら?」

「へ?あ、あぁ、えっと」


 上の空であったラズはエレミアの不意の問いかけに我に返り、考えるように小さく唸った。


「乗り込んだ時に見たことあるような景色だなって感じたんだけど……でもやっぱりわからないや」

「……そう。それから、さっきラズが貰っていたものだけれど、ただのナイフではなさそうね」

「これ?」


 少女の視線がラズの手元へと向けられる。ラズは見ているようで見ていなかったスクリーンから視線を降ろして握り締めるナイフを見た。エレミアに言われて初めてラズは言われるがままに受け取ったナイフがどのようなものなのか気になり、刀身を包む黒い本革のカバーのストラップを外し柄を握ってカバーから抜き取ると、美しい乳白色の刃が姿を現した。銀でも鋼でもなく天然石のように美しいその刀身を目にしたラズは驚嘆する。


「すごくキレイ。何でできているんだろう?」

「それは……よく見せて」


 伸ばされた少女の手にラズはナイフの柄を向けて渡した。受け取ったエレミアはまじまじと乳白の刃を観察する。厚みのある刃の先は丸みを帯びていて殺傷能力は殆ど無く、悪く言えば子供のおもちゃの様だった。刀身はつややかで手入れが行き届いてはいるが、柄や革のカバーには小さな傷や汚れが付いており使い古されたものであることがわかる。エレミアは一通りナイフを眺めると、なるほどと納得したように頷きながらラズへと返した。受け取ったラズはその刃をカバーにしまい、自身の帯に絡ませるように差し込んだ。


「鉱石でできているようね。この刃からは洗練された輝力きりょくを感じるわ」

「あのひと、どうしてこれを渡したんだろう?」

「そうね。無意味なものを渡したとは思えないけれど、フォールンの考えることは理解しかねるわ」

「そっかぁ……って、フォールン?」


 さらりとエレミアの口から"フォールン"という単語が飛び出る。ラズは危うく聞き逃しかけたが、即座に脳がその言葉を理解して反応する。


「フォールンって、悪い力で魔物になっちゃうあの?……あのひと、フォールンなの⁉︎」

「……ちょっとラズ、フォールンへの理解が浅すぎないかしら?」

「えぇと、確か悪い力がみんなに悪いことをさせてるんだよね? 僕、コウたちからそういう話はあんまりちゃんと聞けていなかったから……とにかくみんながそれで困ってるってことだけは知ってるよ」

「まぁ、概ね正解だけれど……その根源についてまではきっと知らないでしょう?」

「根源?」


 ラズが首を傾げると、エレミアは自身の手のひらを空に向けてかざした。すると少女の手のひらから小さな光の球が生まれ、ふわりと宙に浮かぶ。


「これが輝力きりょく。あらゆる物質に宿る光のエネルギーでミネレイの力の源でもあるわ。知っているわね?」

「うん、太陽の光が輝力を生みだす……カンダさんから聞いたよ」

「そしてそれと相反するように負の力が存在するの。あらゆるものを狂気の底へと落として歪ませる、その名も――冥性プルトの力。その恐ろしい力を振りまいたのが≪メテオライト≫と呼ばれる存在」

「どうしてそんな事を……」

「理由はわからないわ。メテオライトについてただわかるのは、メテオライトは遥か上空から落ちてきた——と言う事だけ。そしてメテオライトは冥性プルトの力でこの地の生命をフォールンに変えているの。空が厚く暗い雲に覆われたのもメテオライトの仕業よ。太陽を失い、唯一の対抗手段であった輝力が枯渇し……ワタシ達の世界は滅びの一途を辿るしょうね。いえ、既にそうなっている、が正しいかしら。それを阻止する為にワタシは太陽を取り戻す」

「……そっか、コウがあの時言っていたのもそういう事だったんだね」


 街の案内を受けていた際、全てはメテオライトのせいだとコウが語っていたのをラズはやっと思い出し納得する。しかしそれとは別の疑問が過る。


「――どうしてエレミアはそれを知っているの?」

「メテオライトや冥性プルトの事はラズの身体から目覚めこの地に生まれる瞬間に母石グレース――ルベウスから輝力を通じて教わったの。ただ知識として知っているだけよ」

「そっか……それにしても、あのひとがフォールンってどうやってわかったの?」

「フォールンには万物に宿る輝力が一切感じられないわ。きっと輝力を呑み込む冥性プルトの力の性質ね。彼もそうだった」


 エレミアは小人の存在の異質さを思い出すように目を伏せる。


 エレミアを攫ったのは二人を輝晶竜の場所へと導くためであったとわかったが、結局小人の目的そのものは明かされないままだった。フォールンからすれば太陽を取り戻そうとするエレミアの存在は脅威と呼べる存在だが、輝晶竜のもとへ導いたり助言をする小人はむしろ二人に協力的な態度で、相対する敵というには矛盾が多く不可解極まりない言動ばかりだった。しかしエレミアは小人が完全な味方である確信には至らずとも、小人を疑うよりもこの島を出ることを優先したのだ。

 目に映るもの全てに襲い掛かる理性の無い獣のフォールンもいれば、ペインやフードの小人の様に自然に言葉を交わせる者もいる。言葉を使い自我や理性を持っている様に見えるフォールンはただ襲い掛かる者よりも悪質かつ厄介である事は間違い無く、そして小人もその狡猾なフォールンである可能性が大いにある。ラズの不安はますます増えていくばかりだった。


「……あのひとのこと信じてよかったのかな?」

「それは輝晶竜これに乗り込んだ時点で手遅れなのではないかしら?」

「う、それはそうだけど……考える暇なんて無かったじゃないか」


 不安げに俯くラズに反して、エレミアの表情は何かを期待するように口角を上げている。


「彼を信じて正解かどうかは、目的地ガングレアに無事に到着してから判断すれば良いわ」

「無事に着かなかったら、それこそ手遅れじゃ……」


 フォローにもならないエレミアの言葉にラズが肩を落とすと、大きく機体が縦に揺れる。浮かび上がった身体の浮遊感に驚く間も無く、緊急事態を告げる警報音と共に赤い文字列が並ぶパネルがエレミアの前に表示される。暴風の音と警報音に紛れて機体が悲鳴の様な軋む音も鳴り、シーリングライトの白い明かりがしばらく明滅し、だんだんとその光も弱まっていく。輝晶竜に異常が起きているのは明らかだった。


「口は災いの元ね」

「え……」


 不穏な物言いをする少女にラズは喉を引きつらせる。エレミアは目の前に現れるパネルを操作しながら忙しなく文字列の読む。


「どうやら乱気流の負荷に耐えられなくて原動機が故障寸前のようね。このままでは原動機が停止して……海に真っ逆さまね」

「えぇ⁉︎」


 そうエレミアが冷静に状況説明している間にも、輝晶竜は不安定に傾き急降下と急上昇を繰り返す。激しく揺らされるためにラズは歯を食いしばり、呼吸をするのも一苦労だった。原動機が停止すれば、浮力を失った輝晶竜の墜落は免れないだろう。遥か上空から海面に叩きつけられれば機内のラズたちも無事で済むはずが無い。輝晶竜の揺れが収まった一瞬を見計らってラズは叫ぶ。


「エレミア、ど、どうするの!?」


 エレミアは操作パネルを手で払うように消すと、その美しく青い瞳がより一層透き通った青に輝きだした。


「輝晶竜の動力源は輝力。ワタシの核を原動機に替えるわ」

「エレミアの核を?」


 エレミアの周囲に青白い光の粒が浮かびだすと、シーリングライトの光は明るさを取り戻し、輝晶竜の警報音が鳴りやんだ。機体は暴風によって相変わらず不安定かつ不規則に上下に揺れるが、動力源を得た事で墜落は免れたようだった。

 しかし、ラズが胸を撫で下ろしたのも束の間だった。


「後はこの激しい乱気流さえ抜ければ——」


 輝力の供給に集中するエレミアが言い終わる前に、不穏な破裂音が背後で響いた。そして何かが折れるような軋む音が断続的に鳴りだし、がくりと機体が急下降した。嫌な予感しかしない、とラズは軋む音のなる方を見上げた。再び現れる警告の赤い光の文字列をエレミアは至って冷静に読みあげた。


「右翼の損傷——つまり折れたのね。予想以上に風の勢いが酷いみたい」

「も、もう今度こそダメだ……」


 絶え間なく訪れる窮地に、ラズは絶望の表情で力無く呟く。エレミアは輝く瞳を閉じてしばし考えるように黙り込んだ後、「いいえ、諦めるにはまだ早いわ」と凛とした声で言った。


「ラズ、しっかり踏ん張っていなさい」


 少女の周囲を漂う光の粒の量が急激に増える。そして同時に機内の温度が一気に低下したような突然の肌寒さを感じた。ラズの身体の震えが揺れる輝晶竜によるものなのか、それとも寒さによるものなのかは本人にすらわからなかった。

 頭上の軋む音が止むと、下降して前のめりになっていた機体が再び平衡を取り戻して上昇した——瞬間、ラズの全身に大きな衝撃が正面からぶつかった。その見えない圧は一度きりのものでは無く、常にラズの身体を座席の背もたれに叩きつけ、押し潰すような強さで負荷をかけていく。輝晶竜の風を切る爆音が鼓膜を突き破るどころか脳をかき混ぜそうな勢いで鳴り続け、ラズの全身を揺さぶった。高速で過ぎ去っていく暗雲だけが映るスクリーンが視界に入ったラズは、自身の乗る輝晶竜が凄まじい速度で空を駆け抜けている事にやっと気付いた。


「えう、うあぁあぁ」


 視界が白み意識が飛びそうなほどの強力な圧は弱まる事を知らず、まともに言葉を発することもできないラズの口からは悲鳴と呻きの混ざった情けない声を漏れていく。


 異常な速度で空を突き抜ける輝晶竜のひしゃげた右翼は、とうとう耐え切れずその機体から外れ落ちる。次第に残された片翼からも悲鳴が上がり、翼の根元にひびが入った。しかし青い鱗がより一層光を放つと、機体の至る所の損傷を防ぐように氷の膜が覆われて補強されていく。それから右翼が生えていた場所から氷が張り巡り、氷でできた翼が代わりに形作られた事で左右の均衡を維持していた。


 そうして機体の半分以上が氷晶で覆われた輝晶竜は、流星の如く迷いなく一直線に目的の座標へと突き進むと、とうとうその荒く険しい乱気流を抜け出した。

 暴風を抜け出した事で激しい揺れや衝撃がだんだんと収まっていく。速度も次第に落ち着きを取り戻し始めると、凶暴な圧力に耐える事に必死だったラズにもやっと余裕ができてスクリーンに映る景色が目に入った。

 輝晶竜の凄まじい速度での飛行によってカガリでは既に沈んでいた陽にすら追いついていた。闇夜ではなく灰色の雲が輝晶竜の頭上に、その目下には濃紺の大海原が一面に広がっていた。そして広大な海の水平線から薄らと凹凸のある大陸がだんだんと見えてくると、ラズは目的地のガングレア大陸であろう目前の大地に胸を撫で下ろした。


「何とかなったの、かな」


 輝晶竜が飛行する空は、先ほどの激しい気流は嘘のように落ち着いている。耳を突き抜けた轟音が頭の中で未だにこだましているが、身体への負荷が無くなって漸く一息をついたラズはふと隣に座る少女の方へと目を向けた。エレミアの輝く青い瞳は瞼の裏へと閉ざされており微動だにしない。心配になったラズは声をかけた。


「エレミア、大丈夫?」


 ラズの問いかけにエレミアは沈黙で返す。しばらく様子を見ていたが、少女は眉一つ動かさなかった。

 眠っているような、または瞑想しているかのようなその居住いに、ラズはもう一度声をかけようと口を開いた――直後、がくりと輝晶竜が突然前のめりに傾いた。

 シートベルトによって固定されていたために身体が座席から投げ出される事はなかったが、スクリーンを見下ろすような体勢になって半ば強制的に正面を目にしたラズは、スクリーンに広がる大きな濃紺の海にひきつった悲鳴を漏らす。二人を乗せた竜は緩やかに、しかし確実に海に向かって一直線に下降していた。


「え、エレミア⁉︎」


 ラズは切迫した状況に声を荒げて少女の名を呼ぶが、エレミアの瞼が開かれる事はない。微かにその小さな身体の四肢に細かなヒビが入ってるのを目にしたラズの脳裏に"輝力切れ"の言葉が過ぎった。無理に輝力供給して限界以上の最高速度で飛ばした為に、エレミア自身の身体を維持することすらできなくなっているのだ。


 動力源の輝力を失った事で海面を映すスクリーンがとうとう暗転する。輝晶竜の急降下の勢いにラズの身体は座席へ抑えつけられて脱出しようにも身動きが取れない。


 そして輝晶竜の落下の速度が次第に上がっているのを身体で感じた数秒後、大きな震動と轟音がラズの身体を強く打ち付けた。

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