蒼と少女


 静かな空間に布の擦れ合う音が鳴る。自分の身じろぎで意識が戻ったラズは暫く呆けてぼやける天井を見つめていた。何があったのか、自分は何をしていたのか……段々と鮮明になる思考の中で気を失う以前の記憶がだんだんと思い出されていく。煌天祭のにぎやかさ、様々な種類の食べ物、大きく荘厳なキャスケット、叫ぶコウにそれから――フローラ。

 ラズはフローラの微笑みを思い出すと、慌てて身体を起こそうとした。しかし、腹部全体に突き刺すような激痛が走り、ラズは反射的に脱力して起き上がりかけた半身を再び布団へと沈ませた。痛みは余韻を残し痺れるような感覚がラズの全身に倦怠感を与えた。


「いたい……」

「大丈夫か?」


 震え声で泣き言をぽつりと漏らしたラズの真隣から心配と若干の呆れの混ざった声がかけられる。自分一人だと思っていたラズは驚きながら首を捻らせて声のする方へと顔を向けると、隣にも敷かれていた布団の上であぐらをかくコウの姿があった。


「コウ、僕たちどうなったの? 僕、カンダさんに言われてフローラの所に行って、そしたらフローラが倒れていて、それで――」

「わかってるから、落ち着け。俺も途中で気を失ってたのかついさっき起きたばっかで何がどうなったのか良くわかってないんだ」


 焦ってもしょうがないとコウに諭されたラズはまとまらない言葉を紡ぐのを止め、自身の落ち着きを取り戻すために静かに、深く呼吸をした。全身を動かす様な真似をしなければ腹部に強烈な痛みが出る事も無いと学習したラズは首だけを動かし、寝転がりながらも室内を回した。


「ここって、お屋敷だよね?……帰ってきたんだね」

「たぶん街の人が俺たちの事を運んでくれたんだと思うけど。……誰かいないか見てくるから、お前はまだ動くなよ」


 コウはキャスケットでの一件で大きな怪我をする事が無かったため、両手を高く上げ柔軟運動をしながら軽やかに立ち上がる。反して身体を動かすどころか声を出すだけでも多少の痛みがじんじんと身体の中心で響いていたラズは絶対に動かないと言う意思を固め大人しく頷き、部屋を出るコウを横たわったままに見送る。


 静まる室内ではやけに感覚が研ぎ澄まされる。腹部の痛みは意識すればする程に強まり、ラズは小さく情けない声で呻いた。何か気が逸れる様な物が少しでもあれば違っていたものの、数ある客間の一つでしかない一室にはそのような気の利いた物は一切無いのだった。寝返りを打つのもつらいが同じ態勢のままも居心地が悪く脚を動かすと――ふと身体の足元の方で何かが動きラズに触れた。ひんやりとした感触に、ラズは謎の異物への驚きと寒気で身体をびくっと震わせた。

 何かがいる。布団の温もりで気が付かなかったが、どうやらその何かはラズの左脚にしっかりと絡みついているようだった。ラズは緊張からごくりと喉を鳴らし、自身の身体にかかっている布団を恐る恐るめくりながら器用に首をひねらせて布団の中を覗き込んだ。そこに居たのは――


「え……お、女の子?」


 その小さな体がラズの足にしっかりと抱き着き、より小さく縮こまっている。ラズは少女の存在への驚きよりも、その美しい薄青色の髪に目を奪われ、言葉を失った。作り物の作品の様に麗しい少女の、瞼がぴくりと動き長い青のまつ毛を揺らしながらゆっくりと開かれると、髪の色と同じ青色の大きな瞳がラズを見上げた。宝石を思わせる煌めく瞳が射抜くようにラズをじっと見つめており、ラズはその髪と瞳の色に、襖に描かれていた空の色を思い出す。


「おはよう、ワタシはエレミアよ」


 先に口を開いたのは少女の方だった。少女の幼さはあるが芯の通った凛とした声にラズは我に返ると、反射的に「えっと……ラズ、です」と答えていた。起きがけに突然の自己紹介をしたエレミアと名乗る少女はラズの右脚から離れ、何事もなかったかの様に起き上がった。


 何故少女が自分の布団の中に居たのか、ラズは全く状況がわからないままエレミアの様子を伺っている。そして立ち上がったエレミアは紺色のワンピースの皺を伸ばす様にはたくと、未だに寝転がったまま固まっているラズのことを得意顔で品定めするように見下ろすと、ラズを指差した。


「そう、ラズ。アナタはワタシと共に空を——太陽を取り戻すのよ」

「……へ?」


 突拍子も無いエレミアの言葉にラズは素っ頓狂な声を出した。堂々とした確信のある声で突然の発言をするエレミアに、理解が追いつかず返答に困ったラズは目を泳がせる。エレミアはラズの傍らでかがむと、ラズに向けられた指先がラズの顔に近づき、額につんと触れた。瞬間、凍りつく様な感覚がエレミアの指先から伝わる。しかしそれは不快なものでは無く、不安や余計な思考を打ち消し洗練していく様な不可思議な感覚だった。ラズがその感覚に目を瞬かせていると、部屋の襖が開かれる。


「お目覚めになりましたか」


 襖から現れたのはカンダだった。エレミアを一目見るとカンダはフローラに対してと同じような恭謙きょうけんな態度でエレミアに声をかける。エレミアはちらりとカンダの方を横目に見ると、額に触れていた手を下ろした。

 カンダの後ろにはコウも付いてきており、コウは先ほどまでいなかったはずのエレミアの姿を確認すると、その薄青の瞳に大きな既視感を覚え目を見開く。エレミアの瞳に宿るその色はラズが先日に続いてキャスケットでも見せた青の瞳と全く同じものであった。カンダは一礼しながら襖の一線を越え部屋に入る。


「この街の代表を務めるカンダと申します」

「エレミアよ」

「エレミア様。スペクトラ様の御使である貴方様のご誕生、大慶至極に存じます」


 カンダはエレミアの前で跪き頭を下げると、エレミアは首を傾げた。


「なんだか仰々しいわね。何故そんなに畏まるのかしら?」

「我々カガリの人間にとってミネレイは極めて尊く、畏怖すべき神聖な存在であるが故でございます」

「……そう。此処ではそういう習わしなのね」


 腑に落ちた、と頷くエレミアは未だ布団の中のラズへと向き直った。


「ラズ、いつまでもそんなケガ程度でこたえている場合ではないわ」

「そんな怪我って……腹刺されてるんだぞ!?」

「そうね。けれどもう、痛くないでしょう?」


 エレミアの言葉を聞いてラズは、じくじくと痛みが続いていたはずの腹の苦痛をすっかり感じなくなっていた事に気付き両手で確かめるように腹に触れた。


「……え、あれ?」


 いくら触れても、押してみても、腹に再び痛みを感じる事は無く、ラズは飛び跳ねるように半身を起こした。


「……痛くない」


 ぽつりと漏らしたラズの言葉にコウは「はあ?嘘だろ……?」と信じがたい様な目で見る。エレミアは驚く二人に呆れた様に首を振る。


「少し痛みを鈍くしただけよ。傷は既にほとんど癒えているわ」

「あれだけの傷がもう治っているなんて事あるのかよ!?」

「治っているのだからいいじゃない。些事さじに拘るのはヒトの悪癖ね」


 致命傷ともいえる大怪我が既に癒えている事を些細だと言うには無理があるだろうとコウは疑いの目を向けるが、反してカンダはエレミアの言葉に納得したと深く頷いた。


「やはり、エレミア様の輝晶核きしょうかくはラズの身体の中に取り込まれていたのですね」

「は?」

「え?」

「あら、ワタシから説明するまでも無かったわね」


 カンダの一言にラズとコウが同時に驚きの声を上げた。エレミアはカンダの洞察力に感銘を受け目を丸くした。カンダの言葉への肯定と捉えられるエレミアの反応に、コウはとある事が脳裏に過ぎった。つい先日ラズの肩にある傷を覆う包帯を変えようとした時、そこにあったであろう傷が一切無かった事があった。コウはフローラが輝晶術きしょうじゅつを用いて傷を癒したのだと決め込んでいたが、もしもそうで無いとすれば——、ペインによって貫かれた腹が即座に癒えるほどの治癒能力を持つエレミアがラズの体内に"居た"のだとすれば、ラズの身体に異常な回復力が宿るのも説明がつく。でも待てとコウは声を上げる。


「ミネレイが人間の身体に取り込まれるって、どういう事なんだよ?」

「ミネレイの本体にして力の源である輝晶核きしょうかくを粒子化し波長の合う生物と一体化する……非常に珍しい事象だが、ミネレイが地上の生物へ力を貸与たいよし手助けをする手段の一つだ」


 コウはエレミアの髪や瞳の色が、時折ラズが見せた青い瞳と同じものだった事を思い出した。あの現象がエレミアの輝晶核きしょうかくがラズの体内に在った証拠かと頭の中で納得をする。——だが、とカンダは続けた。


「一つ疑問があるとすれば、ご誕生前のエレミア様の核が既にラズの体内に存在していた事——エレミア様の核がラズの身体の中で生成され、そしてルベウス様から与えられた輝力きりょくで体を得た、という認識で間違い無いでしょうか?」

「そうね、たぶん概ねそう。実のところワタシもワタシ自身の事をあまり知らないわ。だって、生まれたばかりなのだから。誕生前のそれは意識をもたないただの輝力きりょくの器でしか無いのよ。彼の中に居たことは知っているけど、何故そこに居たのかはワタシには知る由も無いの」


 そこまで言うと、目覚めた直後の調子と打って変わって突然にエレミアの表情が眠たげなものへと一変する。


「……ところでワタシ、眠たいわ」


 目を擦る仕草をすると、素早くラズの布団に入り込み腰にぴったりとしがみついてそのまま動かなくなった。ついていけない話に呆然としていたラズはエレミアにされるがままとなっており、理解が追いついたころには既にエレミアはぐっすりと眠りについていた。


「えっ、さっき起きたばかりなのに?」

「マイペースにも程があるだろ……」


 余りにも素早いエレミアの行動に呆気にとられるラズとコウ。そしてカンダは健やかに眠るエレミアに緊張の糸を切らすと、床に付いていた膝を一度離し正座へと座り直した。ラズも咄嗟に姿勢を正そうとするが、眠っているにも関わらず強靭な力でしっかりと腰にしがみついたエレミアの存在がそれを阻む。コウはまるで親に甘える子供の様だと感じたが、ふとそんなエレミアを見て一つの疑問が浮かんだ。


「というか、ミネレイって寝るんだな」

輝力きりょくの消費を抑える為に一時的に休眠状態になる事があると聞いた事がある。ご誕生されたばかりのエレミア様は、恐らく輝力きりょくが安定していないのだろう」


 カンダは自身の顎髭を撫でながら言った。そして「話は変わるが」と続けた。


「コウ、ラズ。エレミア様がお眠りの状態のこの場で申し訳ないが、私が知る限りの現状と、君たちが知るキャスケットでの出来事について、互いの情報を整理しよう。ラズも布団の中のままで良い」


 廊下側から見ていたコウも部屋に入りカンダの隣に胡座をかく。ラズもエレミアに気を使いながら何とか半身を捩り二人に向き直ると、カンダは一つ咳払いをし口火を切った。


「まず、ラズには輝晶閃きしょうせんのことを説明していなかったな」

「はい」

輝晶閃きしょうせんというのはミネレイの輝晶核きしょうかく輝力きりょくを究極までに増幅させ、強力な浄化の光を解き放つことだ。これを行えば光を浴びた周囲のフォールンのほとんどは浄化、消滅されるだろう。ただしその代償に失われるのは――輝晶閃きしょうせんを放ったミネレイの命だ。フローラ様はこれを行いルベウス様へ輝力きりょくを捧げるためにキャスケットへ向かわれた」

「……フローラは、自分を犠牲にして僕たちを護ってくれたんですね」

「これが元より計画していた事だと言うのは、コウはフローラ様からキャスケットにて直接聞いただろう」


 コウは眉を顰め答えるまでも無いと黙ったまま目を伏せた。カンダはその反応を見るとそのまま続けた。


「キャスケットで起きていた事はフローラ様の輝晶閃きしょうせんだけでは無いと言うのはこちらもわかっているが、詳しく何が起きていたのか聞いても良いだろうか」

「……あの時は、フローラから輝晶閃きしょうせんをするって打ち明けられた直後に守護石ガーディナ――ペインが現れたんだ」

「ペイン様だと?」


 カンダはコウから出たその名に大きく目を見開き、ありえないと言いたげに首を振る。


「ペイン様は十年前の煌天祭――当時カガリにはご不在だった。ミネレイの始祖、スペクトラ様に最も近い地とされるレーゼル島にて煌天の儀を行ってからお戻りになるご予定だったが……天落によって世界中が混乱に陥った後、結局ペイン様がカガリにご帰還されることは無かった」

「ペインはレーゼル島に封印されていて、その封印を解いて出てきたとか何とかフローラが言っていた気がする。でもペインはフォールンになってて、輝晶閃きしょうせんを阻止しようとフローラとルベウスに……攻撃していた」


 コウはキャスケットでの恐ろしい光景を思い返しながら言葉にする。カンダは低く「そうか」と頷いた。ペインの名に聞き覚えの無かったラズは暫く黙っていたが、キャスケットに出会った恐ろしく禍々しい闘気を放つ黒い男の事かと納得した。


「そっか、あのひとペインって言うんだ」

「あぁ。その時にラズがキャスケットにきて、ラズは氷の力——多分あれってエレミアの力だったんだろうな。それでペインに攻撃していたんだけど……ラズはその時の事覚えているか?」


 ラズはキャスケットに駆けて辿り着いた時に見た衝撃的な光景の後の事を思い出し、苦し気に頷く。


「僕はあの時、カンダさんにキャスケットに行く様に頼まれて急いでいったんだけど、フローラが倒れているのを見つけて——身体が一気に冷えた感覚になって……たぶん僕、ペインにすごく怒っていた気がする。不思議な力を使っていたのは覚えているけど、殆ど身体が勝手に動いてて、なんだか夢を見てるときみたいな不思議な感じだった……それからフローラが強い光を身体から放って――」


 ラズはそこまで言うと、そこからは余り思い出せないと首を横に振る。同じくとコウもカンダに言うと顎鬚を撫で二人を見やる。


「そうか、大体は把握した。……フローラ様の輝晶閃きしょうせんは街からでも確認していた。しかしその後に再び強い輝力きりょくを感じさせる青い光が同じキャスケットから空へと放たれたのだ。その光の正体は恐らく――エレミア様のご誕生の光だろう」


 カンダは視線だけを動かしラズの傍らで眠るエレミアを見た。


「今と同じように、エレミア様はラズの傍でお眠りになっていた――しかし、ペイン様のお姿はその場には無かった」

「ペインもルベウスとラズの力でボロボロだったけど、あの状態で逃げるなんてできるのか?間近で輝晶閃きしょうせんを浴びていたのは間違いないし、浄化されて消えたのか……?」

「フローラ様の輝晶閃きしょうせんでルベウス様へ輝力を捧げる事には成功していた。輝晶閃きしょうせんの阻止に失敗したペイン様は浄化されるのを避けるためにその場を離れたのかもしれない……しかしどれも憶測でしかないな」


 これ以上は考えるだけ無駄だろう、とカンダはペインの話題を締めた。


「キャスケットに居たのはラズとコウ、そしてエレミア様だ。警備を呼んでお前たちを屋敷まで運んだのだが……」


 僅かに眉を顰めたカンダは、エレミアの方を再び一瞥しため息を吐く。


「エレミア様はキャスケットでお眠りになっていた時もこのようにラズの身体にしっかりとしがみついて離れなくてな、少々苦労をした」

「何だよそれ、赤ん坊みたいだな」


 コウが呆れた視線を未だ眠るエレミアに向け、エレミアに困ったように苦笑するラズに疑問を投げた。


「ラズはこいつに覚えは無いのか?……それかほら、何か思い出しそうみたいなのとか」

「う、う~ん」


 コウの問いにラズは暫くじっとエレミアを凝視していたが、思い当たる節は一切なく「全然ないや」と首を振った。


「フローラ様はラズについて何か強い確信をお持ちだったように見えたが、エレミア様の存在をご存知だったのだろうか」

「さぁ……だとしてもあいつが何も言わなかったって事は、話すつもりなんて毛頭なかっただろ。自分を犠牲にして満足してあとは任せたって……勝手なやつだよ」

「コウ」


 カンダはコウを咎めるように名を呼ぶ。コウは自身の発言に悪びれる様子もない態度で事実だろうと顔を背ける。しかしカンダもそれ以上は言わず、ため息をつくだけだった。


「一先ず状況はわかった。今後についてだが……もう日が暮れる。起きたばかりだが、今日は休みなさい。明日あすまた話し合おう」

「まだ日暮れ前?そんなに時間が経っていなかったんだな。夜は――煌夜祭こうやさいは予定通りやるのか?」


 カンダは立ち上がりながら、コウの問いかけに首を振る。


「いいや、既に終わった。煌天祭こうてんさいは昨日の話だ」

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