空と青


 フローラとコウが住む屋敷ほどでは無いが他の住宅よりも幾分か大きな家屋に案内されたラズは、その座敷でカンダと机を挟んで見合っていた。外からは祭りの賑やかな喧騒が聞こえる。食べかけの料理も机に置いているが、ラズは目の前でじっと自身を見つめるカンダの視線が気になってそれを食べる気にはならなかった。


「……フローラ様からある程度の事は伺っているんだが、直接話をしたいと思ってね。祭りを楽しんでいた所に急にこんな所に呼び出したりして、すまないな」


 しばらくの沈黙の中、注がれた茶の揺れをぼうっと眺めていると、不意にカンダが口を開いた。ラズは視線をカンダの方へと上げ、大丈夫だと言う意思表示のために首を横に振った。


「コウから私のことは聞かされているだろう。大方いつも怒っている、顔が厳ついだなんだと言っているはずだ」

「!」


 まさにその通りの事をコウが漏らしていたのを聞いていたラズは気まずそうに視線を泳がせた。否定も肯定もしない正直なラズの態度にカンダは無理もないと真顔で頷く。


「君は、この世界についての記憶も無くしてしまっているそうだね」

「はい、気がついたらここに居て……自分の名前も何も覚えていなくて」

「そうか……何かあればフローラ様やコウだけでなく私にも相談してもらって構わない。と言っても私はただの人間だからフローラ様のようなお力は使えないがな」


 カンダは自嘲気味に肩をすくめる。ラズは「人間……」と呟いた。


「あの、それじゃあ質問をしても良いですか?」

「なんでも聞きたまえ」

「人間とミネレイって、何が違うんですか?」


 カンダは仏頂面を崩し目を丸くした。


「フローラ様から聞かされていないのか?」

「何がどう違うのか、とかはまだちゃんと教わってなくて……今日のお祭りでキラキラ光る粒みたいな物を出したのは、フローラがミネレイだから出せるのかなって言うのはなんとなく」

「あぁ、あれは輝力きりょくと呼ばれるエネルギーの一つだ。正確にはミネレイ以外にも扱える力なのだが――」


 カンダは「例えば」と自身の顎に生える髭を親指で撫でながら立ち上がり、客間の棚に置いてある小皿を手に取った。その小皿の上には、小さな黄金色に光る正方形の塊が乗せられている。


「これは黄鉄鉱パイライトと呼ばれる鉱石だ」


 石が乗せられた小皿をラズの前の横長の机に置き、向かいに座る。ラズは置かれた石をまじまじと見つめた。形は均衡がとれた歪みの無い美しい正方形で、僅かに淡い光を放ち周囲を照らしている。カンダが再びその石に手を伸ばし、指でそれを軽く弾いた。小気味の良い金属音が鳴った瞬間、指と石が接触した部分から火花が散りパイライトの放つ光が強くなった。ラズはその光景に驚愕し目を瞬かせる。


「これは私が光らせたのではなく、この石に蓄積されていた輝力きりょくが衝撃によって作用して光るのだ」


 パイライトの光は暫くすると淡く優しい明るさに戻った。


「この世界の全ての生物、物質には一定の輝力きりょくが宿っている。このパイライトも、そして人間である私、もちろん君にもだ」

「僕にも?」


 頷くカンダの視線がパイライトからラズへと移る。


「はるか昔、この世が穢れに侵され全ての生き物が絶滅寸前にまで追い詰められた。その時に現れた神石スペクトラと呼ばれるミネレイの始祖が輝力きりょく、そしてフローラ様のようなミネレイを多数生み出したのだ。太陽の光を源にする輝力きりょくによって、世界は救われ地上の種の存続は守られた。元は輝力きりょくを操れるのはミネレイだけだったのだが、永い時をかけて輝力きりょくの影響を受けた地上の生物たちも進化によって輝力きりょくを扱える様になったのだ」

「人間でも輝力きりょくを操れるということですか?」

輝力きりょくを操れるように進化したものと、進化しなかったものがいる。全ての物質に輝力きりょくは宿るが、操る事はまた別だ。我々カガリの住民は後者だが、君は――どうだろうな。フローラ様なら君から何か感じているのかもしれないが……すまないが私にはわからない」


 カンダの謝罪にラズは首を横に振る。ラズは「大丈夫です」と言ってから考えるように目を伏せてから、すぐにカンダの目をじっと見た。


「それから、僕の名前はラズです」

「名前を思い出したのか?」

「いえ、コウが僕に名前を付けてくれたんです。ラズリアっていう花が僕に似ているからって」

「ラズリア……そうか、言われてみるとそうかもしれないな」


 カンダは納得したように頷き、「良い名前だ」と初めて口を緩め小さな笑みを浮かべた。


「ラズリアはミネレイと深い所縁がある聖なる地にしか咲かないとされていて、昔はこの地でも道を歩けばすぐに見つけられるほど群生していたが……太陽が無くなった今ではルベウス様が居られるキャスケット付近でも滅多に咲かない非常に希少な花だ。君はあの花を見たのか?」

「はい、お屋敷の敷地内に咲いてました」

「そうか、あの場所であれば咲くだろうな……。太陽があれば美しい"空"の色に輝く」


 空という単語に、ラズは座敷の窓から薄暗い曇天を見上げる。カンダの言う空の色というのがあの暗い灰色で無いことだけはラズでも解った。カンダは再び立ち上がる。


「見せたいものがある」


 カンダはパイライトを乗せた小皿を手に持ち座敷の襖を開けると、隣接する部屋へとラズを誘う。ラズがその部屋へ入るとカンダも続き、襖を閉めた。

 部屋の中は先ほどまでいた座敷と同じ畳だが、薄暗のなかでわかるのは家具などが一切置かれていない、四方は全て襖で囲われている部屋だった。カンダは手にしていた小皿を部屋の中央に置くと、今度は強い力でパイライトを弾いた。キンと高い音が響いたと同時に火花の様な光が弾けるように散ると小さいパイライトの薄明かりが強くなり部屋を照らした。

 ラズは照らされた部屋の――四方の襖の面に彩られている物を目にして息を呑んだ。襖はそれぞれ順に濃紺から明るい青、赤、薄紫、そして深い闇の黒と移り変わり、そして視線が一周すると最初の明るい青色へと戻る。美しいグラデーションで彩られた四辺の大きな襖がカンダとラズを囲っていた。ラズは一番に目を引く明るい青が塗られた襖の前に立った。

 その青は白色や複数の青の染料が混ぜられている為に全体に濃淡があり絵特有の不自然さが無い。そして絵の右上の所に白い丸がぽつりと描かれているそれが光源である事を表現する様に、白い丸の周りの青には白と黄がうっすらと混ぜられている。視界いっぱいに広がる美しい青にラズは息をする事すら忘れた。


「それが昼間の"空"だ。実はラズリアの花弁は太陽光を浴びるとこの様な薄青の美しい色に変化する性質を持っている。太陽光の有無でその色を変えることから空の花と呼ばれている」


 カンダは続けて白い丸を指さし「これが太陽。その光と熱はこの地全ての命を育んだ。そして輝力の根源だ。……今は雲に遮られ失われてしまったが」と続けた。

 そして、右隣の襖は青から漸次的に赤へと染まる様子が描かれ、太陽らしき丸は白から明るい橙色へと変化している。


「太陽が傾くと、空は燃え赤に染まる——そして完全に日が沈むと、夜になる」


 移りゆく色は太陽が無くなったことで闇の色になる。濃紺と黒が混ぜられた色の襖には、点々と小さな白い粒が散りばめられ、太陽よりも幾分か小さな丸が一つ浮かぶように描かれている。


「太陽は月に光を与え、そこにいなくとも我々を照らした。遥か遠くの星々は我々の行くべき方角へ導いた」


 そして日が昇り夜が明け、始めの青の襖に戻ってくる。


「だが、ここ十年空は雲に覆われ太陽が姿を現したことは一度たりとも無い。地上では命の循環に必要不可欠な存在である太陽が無くなる事がどういう事か、思いつくかね?」

「……命が生まれなくなる?」


 ラズが自信なさげに答えると、カンダは頷いた。


「まさにその通り。食物連鎖の基盤となるのは植物だ。しかし日照不足で気温は下がり光合成も満足にできなくなると成長を止め、環境に適応できなければ種として絶滅の一途を辿る。そうするとそれを養分として生きる虫や草食動物、そして更にそれらを食らう肉食動物にまで大きく影響が及ぶ。我々人間も同じく作物が育たない事で飢餓きがに晒され、人間同士で資源や食糧を奪い合い……負の連鎖が続きいずれは地上の生命の殆どが失われるだろう。だがこの十年、太陽が失われても尚命は続いている。その理由は――」

「――ミネレイと、輝力きりょくがあるから」


 カンダの言葉を繋げるように、ラズは思いついた事を続けて言った。カンダは感心する様に唸り「君は理解力のある子だ」と自身の顎髭を撫でた。

 直後、パイライトが光を失い再び部屋が薄暗くなった。それを機にカンダが座敷への襖を開ける。


「また見たくなったら、見せてあげよう」


 戻るよう促されたラズは言われるままにおとなしくも、名残惜しみながらカンダに続いて元の座敷へと移動する。カンダはそのまま座敷からも出るようにラズを廊下へと案内をする。隣を並び廊下を進みながら、カンダは再び口を開く。


「キャスケットの事は?」

「話だけで、ミネレイが生まれるところという事だけです」

「それでは、紅玉ルベウスというミネレイの事は?」


 ラズが首を横に振ると、カンダは廊下の大窓を開けてまっすぐ先――フローラとコウが住む屋敷が見える坂の上の方を指さした。


「フローラ様の屋敷の裏手にキャスケットがある。キャスケットは世界に三つしかなく、そこにはそれぞれ母石グレースというミネレイの母と呼ばれる存在がいる。ルベウス様はその内の一体。しかしお姿はフローラ様の様なミネレイとは違って人の形を成さず、輝く大きな"石"なのだ」

「……あ」


 大窓の先を覗き込んだラズは思い出したように声を漏らした。その視線の先にある何かを求めている様な渇望、そして強い焦燥と期待が身体の内側から沸き上がるのを感じた。あの場に行かなければならない。そうラズが思ったその瞬間――ラズの瞳に"青"が宿る。


「ルベウス様の輝力きりょくが穢れを祓い、大地に光を与えこのカガリの生命をお守りくださっている。そのおかげで我々は今も生き残る事が出来て――」


 カンダはラズの変化に気付かずに説明を続けていたが、ふとラズの方へ視線を移すとその薄青の瞳に目を奪われる。先ほど目にした襖に描かれた空がその双眼に存在していた。カンダは言葉に出来ず息を吐く。


「君は……」


 カンダは衝撃的な物を目の当たりにしたと言わんばかりの表情でラズの両肩を、縋る様に掴む。突然の事にラズは驚きカンダを見上げた。


「ラズ。君に頼みたいことがある……きっと君にしかできない」

「カンダさん?」

「実を言うとこの十年で……我々の盾となっていたルベウス様の輝力きりょくは尽き欠けていた。そして今日、この煌天祭の日にフローラ様は御身を犠牲にし、輝力きりょくをルベウス様へ捧げようとしている」

「え……?」


 信じがたい事実を告げられ、ラズは動揺した。


「そんな、フローラはこの街を導くミネレイなんですよね? ルベウスが居ても、フローラがいなくなったら……」

「私は反対だった。フローラ様無くしてはカガリの再建はあり得ない。だがフローラ様のお考えは違っていたのだ」

「他に……他に方法は無いんですか?」

「非常に悔しいが、我々に出来る事は無い。誰も……"素質"が無かった」


 ラズの両肩を掴むカンダの手は震えている。出会った頃の厳格な姿とは打って変わって感情を露わにするカンダを見て、ラズは思わず口を開いた。


「……カンダさん、僕にしかできない事って何ですか? フローラを、この街の助けになりたいです」

「ラズ……」


 カンダは一瞬顔を伏せて言い淀むが、次に顔を上げた時には覚悟を決めた表情になっていた。


「とにかくキャスケットへ向かってほしい。そしてホタル……フローラ様の頼みを聞いてくれ。あの方が、砕ける前に」


 その言葉を聞いたラズは弾かれるようにカンダの家を出た。屋敷への坂道を走って駆けあがる。息を切らしながら、ゆるく結われた髪がほどけても、コウから借りた草履が脱げて裸足になってもその脚を止めること無く走り続けた。屋敷の敷地内へ入り庭の小道を通ると、生垣の人一人分の隙間を抜ける。


 ラズはキャスケットの明確な位置を知らされていなかったにもかかわらず、その脚は確実に目的地に近づいていた。そしてそこに近づくにつれ、何かが焼き焦げたような異臭が漂ってくる。臭いの根源はラズが目指す先と同じ方向からの様で、距離が縮まるほどにそれは強まっていく。今朝から続いていた突き刺す様な冷たい空気も一変して生ぬるくなり不穏な気配が感じられた。異様な空気を感じても尚ラズは進んだ。


 石で出来た一本道を走り抜けた末に、たどり着いた大きな窪地。大きな赤い石が窪地の中央に浮遊している。そしてラズの眼に映ったのは――



 身体を二つに分断され地に伏せるフローラの姿だった。

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