第122話 芍薬の花
「お父さん、向こうにしたって大切な息子さんなんだから無理言わないで」
お母さんが小言を言う。
「啓ちゃんは出来も良くて自慢の息子でしょう?
わたしだって啓ちゃんのこと、好きだけど、世の中無理なこともあるでしょう」
「いや、あの、今までそういうお話がなかったので、驚いてしまって……。考えて、親と相談してみます。一応、次男なんですが、兄は結婚に興味がないみたいで……」
あのお父さんは啓がかわいくてかわいくて仕方ない感じだったから、きっと反対だろうなぁ。もしかしたら、啓は、啓を産んだお母さんに似てるのかもしれない。遺影の写真はあまり大きくなかったし、今のお母さんも雰囲気的にはすでに「啓のお母さん」でしかなかったけれど。
どちらにしても、啓も、お母さんの仏壇がある以上、あの実家を本当の意味で出てしまうのは嫌なんだろう。冗談では「
「お母さん、冷たい枕ちょうだい」
「ほら、風、熱が上がったんじゃないの? だから、そんなとこにいるから」
啓がわたしの両脇を「どっこいしょ」と持って立ち上がらせる。わたしは布団に歩いていく。
「ねぇ?」
「ん?」
「無理しなくていいからね。わたし、どっちでも構わないもん」
「風はそんな感じだね。名字に縛られたりしなさそう」
「まあね」と小さく言って、布団に入る。隣で啓が団扇で扇いでくれる。
「熱、上がってるじゃん。……風の看病でお盆、終わるな」
啓が笑う。困った顔になる。少ないお休みが、わたしのくだらない熱のせいでもっと少なくなる。どこにも行けないし、寝ていることしかできない。
「そんな、心細そうな顔するなよ。明日には帰るようにご両親にお話しておくからさ」
啓こそ、明日は亡くなった人と実家で過ごさなくていいのかしら?……すべてはわたしのせい、ぐだぐだだ。
「なぁに? お父さん、啓ちゃんをお婿さんにしたいんだって?」
ちょっと意地悪なところのあるお姉ちゃんが、わたしをからかう。お姉ちゃんは夫の秀一郎さんの都合で、今日と明日、実家に泊まる。
「うーん、そんなこと言ってなかったのに」
「そうなんだ?」
「むしろ、わたしたちが冗談で言ってはいたけどさ。お姉ちゃん、お婿さんになるって大変じゃないの?」
お姉ちゃんは少し、難しい顔をした。
「うちは違うからわからないけど、よそ様の息子さんをいただくわけだから、ポイポーイってわけにはいかないわよね」
「まぁ、それはそうだよね……」
「風、熱、落ち着いたんじゃない?」
「うん、今日、帰るように啓が話してくれたから安心したのかも」
「……」
お姉ちゃんは急に黙ってしまった。
狭い庭に小さなタープを設置しようと、男3人、「よっこいしょ」という声が聞こえる。
「あんたはまだお嫁に言ってないのに、『この家の子』じゃないんだね。帰る場所は『啓ちゃん』なんだろうけど」
顔が赤くなる。恥ずかしくも思ったし、同時に、「この家の子じゃない」と言われて、早々に家を出た自分を親不孝に思った。
「まぁ、こればかりはあんたも含めてうちサイドばかりじゃ決められないんだから、そんなに思い詰めないことだよ。結婚情報誌でも読んで、指輪とかドレスとか、選んでたらいいよ」
そういうと、お姉ちゃんは大きくて重い包みを渡してくれた。……本当に、結婚情報誌だった。
「別に嫌じゃないよ」
恒例のBBQのあと、縁台でふたりで話をした。何故かお母さんが、どこに出かけるわけでもないのに浴衣を着せてくれた。
しっかりした藍染めに芍薬の花。大きな芍薬はわたしのすきな花だ。
「無理することないよ? わたしが『小清水』になるのはなんの抵抗もないし、むしろ、啓のものになるって実感がわくじゃない?」
啓は手で団扇を弄んでいた。
朝顔の柄の房州団扇。
「風、浴衣、似合うね」
「あ、ありがとう」
「柄も。その花、何の花?」
「芍薬だよ。女の子が着ると、『しあわせ』になれるんだって」
わたしは笑顔で答えた。単純に、浴衣を褒められてうれしかったから。
「『しあわせ』って一口に言うけど、難しいなぁ」
「え?」
「自分たちの『しあわせ』だけを追求してもダメなんだね。オレたちが『しあわせ』になりつつ、周りの人の『しあわせ』を考えないと……」
「ごめんね、お父さんが……」
啓はしゃがんでわたしの両手を取って、顔を見た。彼の顔は特に悩んでるようでもなく、曇っているのでもなく、安心する。
「母さんに電話したんだ。母さんはそうしたいなら、って言ってくれたよ。『啓ちゃんの好きにしなさい』って、あの人は子どもの頃からそればかりなんだよ。気持ちが決まったら、お父さんに話してくれるって」
お母さんは実の子ではない啓を、できるだけ縛らないように育てたんじゃないかな、と思う。そして啓は、自由に、水のように、今の啓になった。
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