第110話 同じ屋根の下

 BBQは思っていたよりも盛り上がって、わたしもいつもよりいろいろ食べてしまった。そしてまたしてもビールを飲むと、お父さんが「なんだ、飲めるようになったのか」と喜んで、次々と注いでくれた。啓はもう、諦め顔だった。

「あのー、風、すごくアルコール弱いんで」

「お父さん、飲ませすぎよ」

 わたしはもう、啓もいてくれて、うれしくて、たくさん食べてたくさん飲んでしまった。


「ねえ」

「ん?」

「なんでLINEだけで、直電してこなかったの?」

 啓は少し考えていた。わたしたちは、いつもの縁台の足元に蚊取線香を焚いて、トウモロコシを食べていた。

「うーん、しようかなってけっこう考えた」

「でもしなかったんだ?」

「怒ってるの? ……声を聞いたら会いたくなるじゃん? つまりはそういうこと」


 啓の体にもたれかかる。数日離れていただけなのに、懐かしい体温を感じる。足先でサンダルをぷらぷらぶら下げる。

「すき」

「うん、知ってる」

 言葉はそれだけで十分だった。夏の夕陽が燃えながら消えていく。


 わたしがお風呂を出ると、大変なことになっていた。

 啓はすっかり硬直して、ご機嫌なお父さん、お母さんと飲み直していた。


「どうしたの?」

「啓ちゃんの新しいお布団、敷いてみたの。どう?」


 その布団はお母さんの言った通り、客間に敷かれていた。特になんの特徴もなかったけれど、当たり前のように隣にわたしの布団が敷かれていて……。

「お母さん、温泉旅館じゃないんだし」

「迷ったんだけど、ほら、物分りの悪いお母さんだと思われたくなくてー。というわけで、そこで寝て」

「啓くんも、たまには断らないと。うちはね、自分の意見を言ったもの勝ちだからね、言わないと損するよ」


 たっぷり飲んでいるお父さんは、ご機嫌だった。何しろ啓はお酒に強い。お父さんは飲める相手が増えてうれしそうだった。

「あ、はい。そうします。えーと、お風呂をお借りしていいですか?」

「さっぱりしていらっしゃい」



 お父さんとお母さんは時間になると寝てしまった。


 パチン、と明かりを消すと、不自然なくらいの静けさに包まれた。

 啓は、布団の上で何故かあぐらをかいて座って、うなだれていた。お母さんが啓のために買った布団は、新しい上に干してあったのでふかふかだった。

 わたしは普段はお姉ちゃんが泊まる時に使っている布団を借りて、すっかり体を伸ばしてごろごろしていた。


「どうしたの? 知らない家だと落ち着かないタイプだっけ?」

「いやー……」

 それきり彼は黙ってしまって、動こうとしない。わたしはごろんと転がって、彼の膝に頭を乗せた。

「あ、風! なんだよ、膝枕は立場が逆だろ、普通」

「普通なんて関係ないよ」

 わたしは、えへへ、と笑った。


「あのさー。やっぱり川の字に布団って、生々しくない?」

「生々しい?」

「んー。ま、いいや。膝枕は降りなさい」

 わたしは彼と、自分の家で泊まれることに、ちょっとした喜びを感じていた。それは、子供の頃のお泊まり会に似ていた。


「腕枕、する?」

「いいの?」

「んー、たぶん、いいんだと思う。そういうこと、想定内で『川の字』なんだと思うんだけど」

「ふぅん?」

 要するに啓が気にしているのは、うちのお父さんとお母さんのことなのか、と合点した。なるほど、お父さんとお母さんと同じ屋根の下、わたしといつもみたいにいることが問題だったのか。


「ねぇ、気になるならわたし、自分の部屋に行くよ」

「……腕枕する前ならそれも考えたかもしれないけど……。もうダメ。逃がしてあげない」

「お父さんたちのことが気になるんじゃないの?」

「だからさ、このおしゃべりな口は閉じてもらわないと……みんな聞こえちゃうでしょ?」


 鼻と鼻が近すぎるほどだったわたしたちは、静かに長く、ゆっくりとお互いの唇を味わった。それから小鳥がついばむようなキスを、何度か重ねた。体が熱くなって、自然に手が、彼の体に触れる……。

「待って」

「?」

「これ以上、ダメ」

「なんで? 啓が先にキスしてきたじゃん」

「……ダメだよ。できないから。お父さんたち、いるでしょう?」


 わたしにとっては勝手知ったる我が家だけど、啓にとってはまだまだ他人の家なのは当たり前だった。

「わたし、啓のそういうとこ、好き」

「……だから言葉で刺激しないでって……ありがとう、うれしいよ」

 髪をくしゃっとされて、頬を撫でられる。

「まだ、風のお父さんとお母さんに嫌われるわけに行かないからね。……大好きだよ、風」

 ぎゅっと抱きしめられたけど、どうしたらいいのかわからなくて、そっと啓の胸に手を添えた。啓はわたしが眠くなるまでずっと、髪を撫でてくれた。



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