第93話 黄色い西瓜
翌日は啓が夕方からバイトだったので、何処にも行かないつもりで、昼間からだらだらとペディキュア塗ったりしてた。まだ季節が浅いから、薄いピンク。
「あのさぁ」
「ん?」
リビングに腰掛けて、ベランダに足を出している微妙な姿勢のときに、声をかけられる。
「どうしたの?」
「あのさぁ、風のお父さん、今日、話できるかな?」
「出かけてる時もあるから聞いてみないと行けないけど、なんで?」
「え?」
啓は驚きのモーションのまま止まった。真下の部屋の窓と、コンクリート塀の間に黄緑色の紫陽花の若い葉っぱが見える。
「電話してみるよ」
「やっぱいい……」
「あ、お母さん? 今日なんだけど、お父さんいる?……」
啓はなぜかおろおろして、所在なげだった。
「行こ。大丈夫だってよ」
「あ、うん。ありがとう」
わたしは足を止めた。
「何も、お礼を言われるようなことをしてないよ?」
天気のいい日だったので、二人して八百屋さんでかわいい小玉西瓜をお土産に買った。わたしは買ったばかりの麦わら帽子とワンピースで、すっかり夏気分だった。
「ねぇねぇ、西瓜、黄色いんだって!」
「うん、おじさん言ってたね」
「すごーい楽しみ」
わたしは恐らく、スキップでもし始めそうな勢いだったんだろう。
「ただいまー! お母さん、西瓜買ってきちゃった」
「あら、啓ちゃん、気にしなくていいのに。手ぶらで来なさいな」
「お父さん、ビールもあるよ」
よっこいしょ、と小さな掛け声がして、父はリビング奥の和室にいた。
「おう、啓くん、風、よく来たね。そんなふうにしてると、本当に新婚カップルみたいだな」
お父さんは大きな声で笑った。
席に着くとビールを開けて、みんなに父がお酌した。
「そうか、そうか。風が出るのは早そうだな。父さんもダイエットして、燕尾服をカッコよく着たいなぁ」
「そうねぇ、お父さんもお腹出てきたから、ふたりでウォーキングでも行きましょうか?」
「ジムとかスイミングのほうがカッコよくないか?」
ふたりを放っておくと、いつまでもいつまでも話しているので、遮らなくてはならない。
「お父さん」
「はいよ」
「なんか啓が話があるんだって。わたしは西瓜食べてるからー」
「ね、西瓜、楽しみだわね」
「啓くん、要するに結婚を反対されてるってことを話したいのかな?」
「いえ、もっと個人的なことで……。すみません、知り合ったばかりなのに」
「そんなことは構わないよ」
お父さんは、ははは…と軽快に笑った。
「なんでもとりあえず聞こうか」
ハラハラしたけど、お母さんが西瓜を切って、本当に中身が黄色い西瓜だったので、ひとしきり盛り上がっていた。
「それはいけないよ」
お父さんが珍しく大きな声を上げて、お母さんもはっとする。
「お父さん?」
「どんな親であろうと尊重すべきだろう? 私は君に結婚についてあれこれ言う気はないが、お父さんともう少しよく話し合って、お互いの妥協点を見つけないといけないね」
「……はい」
「もし君が大学院に進んでも、この子は待ってるよ、のんきだから。この子も最初は院に行きたがってたし、なんならふたりで院に行って、それから結婚ていうのもありだろう。……つきあい始めて日が浅いんだろう?」
父はそこでにやにやわらった。
「私は恋には運命が大いに関わると思ってるから、結婚前のつきあいが短くてもちっとも気にしないけど、他所の人が見たら、ちょっと短いかもな」
「はぁ……」
「さぁ、食い尽くされる前に西瓜を食べよう」と父は啓を促した。啓の顔はまだ曇り空で……わたしは遠くから見ているしかなかった。
「向き合うことでしか解決出来ないことがあるよ。これから社会に出るとたくさん」
啓は縁台でうなだれていた。お母さんがわたしを肘でつつく。
「とりあえず、西瓜食べようよ、ね」
「……うん」
啓は浮き沈みの振れ幅が大きい。今は真下で低空飛行中。
「ね、ふたりで一緒に買ってきた西瓜でしょう?
食べないと損をするよ。持ってくるの大変だったし 」
やっとこっちを向く。ほっぺに手で触れる。
「風の手、西瓜のにおい」
「当たり前じゃない。食べたくなってきたでしょ?」
「うん、なくなる前に食べる」
お父さんも、お母さんもみんなにこにこしていた。啓から見たら、うちの家族はまだ他人なんだけど、わたしたちはもう家族のような気持ちで彼を迎えているのに、気がつかないのかな?
「そうだ! 啓ちゃんに贈り物があるのよ。食べ終わったら風の部屋に行ってご覧なさい。言うの忘れるなんて、母さんも年だわねぇ」
わたしと啓は訳がわからなくて顔を見合わせた。
かわいらしい黄色い西瓜をごちそうさました後、ふたりでわたしの部屋に行く。きぃっと、たてつけが少し悪い部屋のドアを開ける。
「考えてみれば、風の部屋、入ったことないな」
「じろじろ見ないでよ……」
「今更、何言ってんだよ」
わたしたちはドアの向こうをのぞいてみた。
!!!
「おかあさーん、これ、これ、なぁに?」
「あら、見ての通りお布団よ。啓ちゃん来た時に寝るとこないと困るでしょう? 一応そこに置いておいたんだけど、啓ちゃん、気に入った?」
「あ、ありがとうございます」
啓はどうやらうちの家族の一員らしい。
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