第69話 試験期間
テスト勉強は結局夜中まで、啓の部屋で行うはめになった。
彼のために言及すると、彼は成績が悪い訳ではなくて、ムラがある。でもその分、きっと専門分野に移ったら伸びるんだろうなぁーとうらやま。
わたしの全然わからない有機化学も、頭の中にモデルがすっかり入ってる感じ。
そうやって、教えて、教えられて、……眠く……。
「風!」
「あ、はい!」
「まぁ、風はレポート終わってるし、明日のテストは大丈夫だと思うから、いっかな、寝せても」
わたしの顔を見ながら、啓がふと疲れた顔を見せる。
「バイトもどうするかなぁ。今まで通りじゃ行かない……」
寝かけてて体がぐったり動かないところに、上からしっかりホールドされてしまう。仕方が無いので、少し、我慢する。
「風、オレ、どうしたらいい? 初めて知ったんだけど、何かを決めるの、苦手だったみたいだよ。優柔不断だなぁ……」
「優柔不断なんかじゃないよ……」
ようやく口だけ動くようになる。でもまだ意識の根底に眠りが流れているけど……。
「啓は、わたしのこと迷わずに決めたじゃん。これからのことも、好きなことを選びなよ」
細ーく目が開いた。間近に啓の顔が見えた。
「おはよ。まだ夜中だよ」
「目が覚めちゃったよ」
「レポート終わったの?」
「まだ」
「手伝うことある?」
ううん、と彼は首を振った。
「ノート借りたから、まとめれば終わるよ」
わたしもにっこりとして、シャワーを浴びることにする。少し、頭が覚めてくる。シトラスのシャンプーが、さっぱりした香りでわたしに語りかける。
「お先に失礼。お布団。行ってもいいかな?」
声をかけようか迷ったけれど、かけることにした、という顔だった。
「風」
「はい?」
「ここに座りなさい」
えー? なんでー?
啓は自分のノートと私のノートを見比べて怖い顔をしてる……。わたしのノートは色ペンで訂正だらけだ……。
「化学式、嫌いなのわかるけどさ、まぁ、生物に進む女の子は大抵、化学と数学苦手だけどね」
「はぁい、その通りです……」
「あのね、化学式は1文字変わると全然意味が変わるんだから、間違えたらダメ」
「……」
「たしかにあの教授の、ついてこられるやつだけ来ればいいみたいなやり方は好きじゃないけどさ、ついて行かないといけないんだよ」
頭の上にポン、とされた。
「間違えてたとこ、直したから、もう少しよくわかると思うよ」
わたしは胸にノートを抱いたまま、軽く感動してしまった。啓に、こんなふうにリードされるのって初めてだったし、なんだか男っぽくて……。ちょっとうっとりしちゃったり。
でも、反面、啓が離れた研究所に行くことになったら、わたしはもうあんな顔は見られないんだなぁ……そう思うと、本当は行ってほしいわけなどない、本音の自分が顔を出す。こんなに毎日、まつげとまつ毛の先が着きそうな、漏れる吐息が聞こえるような近くにいて、離れちゃったらどうするんだろう……。不安なわけじゃない。
ガタン、と音を立てて啓がお風呂から上がってきた。髪の毛をわさわさ拭く音と、衣擦れの音。わたしは不自然にならないように、布団に横たわった。
「まだ起きてたの?」
「ほら、書き間違いのとこ見直してたの」
「勉強好きはいいけど、朝起きられないぞ」
くるっと振り向いて、わたしの顔を見た。正確には布団に隠れて上半分。
啓は席を立って、わたしのところに来て、わざわざわたしの寝ていた方から布団に入る。
「ぽっかぽかだな」
「……勉強は?」
「出来るわけないでしょう?」
「しないとダメだよ」
彼はわたしの瞳の奥をのぞき込むような目をして、
「じゃあ、オレの風がなんで泣いてるのか、教えて?」
「そ、それは……」
「怖い夢でも見たの?」
「……怖い現実」
啓のTシャツの胸元にしがみついた。
「わたしって欲張りだ。いつでも啓と一緒にいたいみたい。理性なし」
「それは同じでしょ?」
啓の指が私の髪を指で梳く。今まで、何度も何度もそうしてもらってきたのに、まだ足りないなんて。
「ねぇ、まだ何も決まらないうちから泣かないで。オレ、言ったよね? 風が悲しくなるところには行かないよ。みんなにバカだって言われてもいいよ。行かない。離さない」
彼は自分の顎をことりと私の顎に当てて、同じことを言った。
「離さないよ」
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