第41話 友だちのまま
「風、痛いでしょ? 女の子とは言え、殴られたら痛いよ」
啓が情けない声を出す。
「でもこれでおあいこでしょ? わたしが誰を選ぶかはわたしが決めることなのに、ふたりともどうかしてるよ」
情けないことに涙が滲む。
「二人とも反省しないと口きかないから」
「待てよ、風」
廊下に出ると、啓が駆けてきた。打ったところが真っ赤になっている。
「ごめんね」
彼の頬に触れようとして、手を戻した。
隣の空き教室にとりあえず入って話をする。
「悪かったよ、ごめん。オレ、なんかいろんなこと言われてイライラしてて」
「見ててわかったもん」
「許してくれないの? 」
子犬のような顔をしている。
わたしは机に座っている彼の頬に本当に軽くキスをする。たったそれだけのことなのに、彼はすごく驚いた顔をして、キスを、もっと濃厚なキスを返してきた。
「誰かに見られちゃうよ」
わたしは照れてそう言った。
「たまには家以外でするのもいいなぁ。オレ、男子校だったから憧れるなぁ」
「ダメですー!」
「ケチ」
啓の頬を冷やすためにハンカチを水に濡らして持ってくると、さっきの教室には堺くんが来ていた。
「小鳥遊さん、不愉快な思いさせてごめん!オレ、最低だよね」
啓の顔を見る。知らないふりをしている。
「大丈夫だよ。その……」
気まずくなる前に言わなくちゃいけない気がする。
「ごめんなさい。今は啓のことしか、考えられなくて……」
「だよね? 啓は良い奴だから小鳥遊さんを安心して任せられるというか、さ。オレが保護者じゃないのにおかしいか」
こんなときにも笑っていられる堺くんは強いな、と思った。同じ男の子でも啓なら文句言ってそうだもの。
「恥ずかしくてうまく言えないけど……好きになってくれてありがとう。本当に、ありがとう」
啓がたまりかねたのか、気を利かせたのか部屋を出て行った。
「ほっぺ、ひどいことになってるよ? 大丈夫、腫れちゃう」
屈んで堺くんの様子を伺う。
「研究室に行って氷を……」
突然、手を引かれる。バランスを失いそうになって、そこにいる人に掴まって危うく体勢を直す。
これは啓じゃない、と思って混乱して上を見上げると……。
頬に、キスをされた。熱いキスというのはこういうものなんだ、と頭の中で冷静に考えてた。
目と目がぴたりと合って、たぶん、わたしが怯んだ。だって、見ていられない。
少しずつ、スローモーションで彼が近寄って、見ていられなくて目をつぶる。体はすっかり硬直していた。
「小鳥遊さん、すきです……」
ゆっくり、その言葉に押されるように彼はわたしに口づけをした。それは、比べるべきではないかもしれないけど、柔らかくて甘いキスだった。包み込むような、彼の想いがわたしを温かくする。
そして、ゆっくり離れていった。
暗いところから明るいところへ出ていくときのように、薄目を開けて周りの朧気な風景に目を向けた。
どうやらわたしは息を止めていたみたいで、深い呼吸をしなければならなかった。
「こんなことしてごめんね。自分なりのケジメのつもり」
ははっと、彼は自嘲気味に笑った。
中庭の緑が部屋の中まで浸透しそうだ。
「キス、は驚いたけど……恋人にはなれないけど、今までみたいな友だちではいてくれる?」
「怒ったり、嫌ったりしないの?」
ふふ、とここは余裕で笑えた。
「啓は怒るよ、絶対に言っちゃダメだよ。わたし、わたしは、……そんなこともあったなぁって覚えとく」
「小鳥遊さんて、思ってたのとちょっと違う気が」
「そうかな? あんまり言われないけど。約束ね、友だちでいてね」
「もちろんだよ」
ふたりで指切りをした。
ドン、とドアを叩く音がして気がつくと、戸口に啓がいた。
「どこに行ってたの?」
「……堺に悪いことしたと思ってさ、これ」
冷たい飲み物を投げてよこした。
「冷やしておけよな」
啓は仏頂面でそう言った。
わたしはまさに心臓は早鐘を打って、椅子にふらーっと座った。今更ながら、なんてことをしちゃったんだろうと思う。これは啓が知ってはいけないことだ。
「風の分もあるよ」
「あ、ありがとう」
わたしが殴られたわけではないのに頬にペットボトルを当てた。めちゃくちゃ火照った頬に冷たかった。
「悪いな、行くわ、堺。おあいこってことで」
「わかった。またな、啓」
これがいわゆる男の友情というものなのかと考えた。男の子のことは、本当にわからない。
「行こう、風 」
「はい」
振り向いて堺くんに手を振る。彼は頬にペットボトルをあてて、笑顔で手を振った。
「お昼、ちょっと遅くなったけど、ちょっと美味しいもの食べに行かない?」
「うん、それはいいけど」
「どこにしようか?」
「うーん、突然言われると……駅裏のスパゲティとかは?」
「いいよ、そこ行こう」
わたしの顔なんか見ないでどんどん歩いていく。わたしは引かれるがままだ。
「ねぇ?」
止まる。
「なに、どうしたの?」
「……殴っちゃってごめんね」
啓は空を仰いで、「ああ、その事か」と小さく呟いた。
「オレさ、聞いてたよ」
どきり、とする。
「……言っても仕方ないのはわかってる。今日は殴ったオレが悪くて、バチが当たったんだよね」
啓らしくない、弱々しい愚痴だ。片手を繋いだまま、欅の木の下に立っていた。
「……してもいい?」
「え?」
「するから。嫌がっても……」
ああ、わたしから堺くんを拭い去ってしまいたいのか。つまり、みんなわかっていて、あの場は怒らないでいてくれたのね。
人前なので、みんなにバレないように啓は小さく頬にキスした。
「帰ったら、もう誰にも渡さないってこと、教えるから。特別なのは今回だけだよ」
おでこにもキスされる。
「あー、うどん食べたい。並んでもいいからうどんにしようよ」
「うどんでもいいよ。あそこのお店、美味しいし」
「じゃあ、うどん屋にゴー!!」
……もっと怒るかと思ったのに。でも啓が繋いでいる手がいつもより緊張している。まるでつきあい始めた時のように固く繋がれた手が、彼の気持ちを表しているように思えた。
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