第18話 怖くないよ

 少し休んでから、波打ち際から浅瀬へと移る様子を再現した水槽を経て、外に出た。ここにはわたしのすきな生き物がいる。


「ペンギンー!やっとペンギンにたどり着いた」

 あの白と黒の憎めない生き物がわたしはだいすき。雛鳥なんか、まだ羽毛がもふもふしてて、お持ち帰りしたくなる。


「わたしね、この水族館でペンギンがいちばんすきなの」

「やっと笑顔になったね」

 小清水くんが笑った。

「外に出たからかな?」

ふうはきっと光合成してるんでしょ?」

 わたしも口を開けて笑ってしまった。日差しはやけそうな程、きらきらしていて子供に戻ったような気持ちだ。


「ねえ、下も見ていい?」

「いいよ、何があるの?」

 ふふっと笑って、強引に彼の手を引いて走る。水槽の下には、ペンギンの泳ぐ姿を見られるようになっているトンネルがある。

「ほら、羽毛に空気の気泡がついて、きらきらしてキレイでしょう?」


 わたしはガラスに顔がついてしまいそうな距離で、ペンギンを指さした。

「おおー、ペンギンて美しい流線形! 飛んでるみたいだね」

「そう! 水中を飛んでるの」

 わくわくして止まらない。思えば水族館の中にいたときの小清水くんも、こんな気持ちだったのかもしれない、と反省。


「風、写真撮ってあげるから、そこに立って」

「ええ?」

「ペンギンとツーショット! ちょっと待ってて、まだこっちに来ない……ダメだよ笑ってないと」

 しばらくの間、にこりと笑った顔を作って、わたしはペンギンが来てくれるのを待つことになった。小清水くんは妥協はできないらしく、ペンギンがいい形でフレームに入るのを待っている。


「よっし! 上手く撮れた!」

 ガッツポーズをして、彼は喜んだ。

「見て見て!」

 わたしは彼の元に急ぐ。彼のスマホの画面を覗くと、わたしの後ろからペンギンがこちらに向かってくる様子が並んで見えるように撮られていた。


「すごいー! 啓、上手だね!」

「だろー? こいつめ、憎い野郎だ」

「なんで?」

「……オレたち、まだ、写真撮ったことないし」

 まずい、また黙ってしまった。ヤキモチをやいてもらえるのはうれしいけど、ペンギン相手じゃなくても……。

「待ち受けにしよー」

「……やめて」


「ねぇ、向こうにレストランがあるんだけど、マグロカレーがあるんだよ」

 わたしは大げさに言ってみた。

「マグロ !? さっき見たのに食べちゃうの?」

と言いながら、彼の目は好奇心で少年のように輝いている。

「オレ、それ食べようっと! 風も同じの食べようよ」

「え? わたしはもうちょっとさっぱりしたものが……」

「ダメだよ、記念! 今日、ここに来た記念。マグロを見て、マグロを食べる」

 うんうん、とひとりで納得してるし。逃げ道はなさそうだ。


 水族館を出て、また外を歩く。潮風が吹いている。ちょうどいい感じに光の加減が傾いていて、向こう側に大きな観覧車が見える。ここの観覧車は今ではいちばんではなくなったけど、かなり大きい。


 わたしがぼんやり見ていたことが通じたのか、隣にいた小清水くんが、

「観覧車、乗ろうか?」

と笑顔で聞いてくれた。

「乗る? 高くて怖くないかな?」

「意外と怖がりだね。高所恐怖症?」

「ではないけど……苦手、かなぁ」

 ぎゅっと手を握られて、引っ張られる。

「じゃあ行こう! ふたりで乗れば怖くない」


 観覧車には少なからず人が並んでいて、家族連れやカップルが順番を待っていた。わたしたちも列に並ぶ。

「下に来るとやっぱ、大きいね」

 小清水くんがこそこそっと話しかけてくる。なんでも楽しめるんだなぁ、と感心する。そこは彼の長所。そして、一緒にいるわたしも、なんだかわくわくしてしまうのだ。


「ねぇ、写真、乗る前に撮ってくれるんだって。有料だけど、お金はオレが出すから撮ってもらってもいい?」

「……」

 潮風とか浴びちゃったし、一日中遊んだあとだけど、髪の毛とか大丈夫かな?でも、さっきも言ってたし、あの目は引きそうにないし。

「いいよ」

「楽しみ」

 上機嫌だ。

 係の人が、観覧車に乗る寸前、写真を撮ってくれる。小清水くんはここぞとばかり、わたしの肩に手を乗せて、ピースサイン。わたしは……笑うしかないよね、たとえ化粧がボロボロでも。


「観覧車なんて子供のとき以来かも」

「そっかー、あっちに見える遊園地、観覧車ないしね」

「うん、遊園地と言えばもうあそこしか行かないから」

「いつか行こう!ぜひ!」

「えー、別れのジンクス、あるよ」

 彼は真面目な顔になって、真剣に考えている。

「そんなのあるんだ……」

 うーん、と腕組みして考え込んでいる。

「ほら、ジンクスだから、ね?」

「いつか一緒に行こうと思って、バイトがんばってるのに」

 どこまでが本気なのか、わからない。わたしがぽかーんとしていると、彼は吹き出した。


「ほら、見てご覧よ、景色すごいよね」

 外の景色は夕焼けがうっすらと水平線をかすめようとしていて、反対側には東京の街の明かりが灯り始めていた。観覧車はものすごくゆっくり動いていて、気がつくと、海辺のせいかすごく風で揺れている。


 小さな揺りかごのようなこの乗り物は、考えてみれば床板一枚……。

「すごく、揺れてるよね?」

「高いところは風が強いからなぁ」

「もっと高いところに行ったら、もっと揺れるよね?」

 向かい合った席から、彼はわたしの顔を覗き込んだ。

「風ちゃん、怖いの?」

「……」

 彼が席を、観覧車が揺れないようにゆっくり移動して隣に座る。手を繋いでくれて、にっこり微笑んだ。


「大丈夫だよ、手を繋いでるし、オレは頼りないかもしれないけど、隣にいるよ」

 俯いていた目を、そっと上げる。わたしだって観覧車がこんなに怖いと思わなかったし。もうすぐ頂上まで着きそうなんだけど、一番上から、下りに変わるとき、ガタンとなったりしないのかな?

ふう

 ふり返る。

「さっきのお願い、聞いて?」


 彼はわたしにキスをした。

ああ、そう言えばここに着いた時、そんなことを言ってた……。目を閉じてしまえば、いちばんの見どころの景色は見えないけど、まぶたに、彼の向こう側の景色が見える気がしてふんわりとまぶたを下ろしたままでいた。


 一度、彼が離れて、つい薄目を開けてしまったら、わたしたちの後ろのカップルもキスしていて、恥ずかしくなった。


「怖くないよ」

 こくん、と小さく頷く。

「じゃあ、もう一度」

 息を吸って、瞳を閉じる。何も見えなくなる。彼のシルエット以外、何も。

 もう揺れるのも感じない。彼の体温だけを感じていた。

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