♯214 断る理由(傭兵王の逡巡9)
野営地を巡り、木立の間へと馬を進める。
吹きっさらしの野営地は今日も随分と冷え込み、肌に突き刺さる風の冷たさに肩が竦む。それも当然で、暦の上ではすでに冬を迎えている。
まだ本格的な寒さには程遠い。なのにそれでもしっかりと身体に堪える辺りは、いい加減、若くもなくなってきたのかもしれない。情熱だけなら有り余ってはいるが、それだけでは足りないらしい。
聖都からやや距離のある小高い丘の上。そのなだらかな丘陵地帯に張られた夜営地を見下ろす木立の間で止まり、よっこらせと馬から下りる。
のんびりと平和な野営地を視界におさめがら、側に立っていた一人の兵士へと馬の手綱を預けた。
ちらりと兵士に目線を送って確認を取り、端から見られて怪しまれないように敢えて視線を外す。
「今日もまた随分冷える。おつかれさん」
「本格的な寒さはまだこれからです。お身体にはくれぐれもお気をつけ下さい」
思いも寄らなかった丁寧な気遣いの言葉につい振り返り、手綱を受け取った兵士を思わず凝視してしまった。
よく見れば新兵用の真新しい装備をきっちりと着こんではいるが、どうにも装備が全身の雰囲気とあっていない。まるで熊が強引にウサギのちゃんちゃんこを着せられているかのような、そんな居心地の悪さがある。
「……似合わねぇな、それ」
「やっかましい。借り物に文句も言えるか」
「文句があっても聞かねぇけどな」
すぐさま返ってくる悪態に苦笑で返す。
目深にかぶったフェイスガード付きのヘルメットの奥に、汚ならしい無精髭が居心地悪そうに居座っているのが見える。いい加減剃りゃいいのに。
相変わらずだと呆れながら、再び視線を外す。
今更感もあるが出来るだけ用心はしたい。
「さっき、法主を連れてこいと通達があった」
声を潜めて必要な伝達事項を告げると、新兵の格好をしたおっさんが反応を示した。微かに緊張が増したのがしっかりと伝わってくる。
「のんべんだらりと引き延ばしては来たが、ここら辺りが限界だろう」
今この野営地には二人の人質を捕らえている。投降したミリアルド法主ともう一人、
あっちもあっちでそれを馬鹿正直に信じてる訳ではないだろう。互いに子供騙しの化かし合いで場を濁しているに過ぎない。
このまま身柄の引き渡しを拒み続けるのにも限界がある。というかもう限界。無理。
「ただでさえ勝手に出した降伏勧告に非難の嵐だ。まぁ、ワインズを残してきたから、あんまりこっちまで文句は届かんがな」
「……気の毒に」
「適材適所ってやつだな。……いけるか?」
目の前の新米兵士風のおっさんは今し方この野営地に戻ってきたばかり。包帯ぐるぐるの方と違って、やるべき事を色々とやって戻ってきている。その確認を取ると、浅くではあるけれどしっかりとした肯定が返された。
「おかげで準備は整った。そっちは?」
「まぁ、……目標の半分はどうにか、って所だな」
「……おい」
「そこは任せろ。なんともならなくてもなんとかしてみせるさ」
急に不安げに下がった声のトーンに対して、あくまでおおらかに答えを返す。ここまで来たらどう足掻こうとどうにもならん。
「状態が酷くて勇者の身柄はまだ動かせんと、それであっちにも納得させた。なので先に法主一人を聖都に送る事になってる。話は通してあるのでそのまま護送の兵士の中に入ってくれ」
「分かった。……感謝している。色々とすまなかった」
「らしくもねぇからやめとけ。こっちにもこっちの思惑がある。善意じゃねぇよ。ちゃんと利ザヤは確保させて貰う」
国家としての利益もさる事ながら、個人的な利益がそれを更に大きく上回っている。正直こっちがお礼を言いたい位ではあるが、そんな事は口が裂けても言ったりはしない。むしろ積極的にコイツにだけは言いたくない。
「出てくると思うか?」
胸の内でぐるぐる考えていると、不意に雰囲気が真面目なものへと変わった。
何が、とは口に出さなくても伝わる。
「間違いねぇだろうな」
色々と手を尽くして調べに調べた結果、今回の一連の動きは、ある一人の総大主教の強引なやり方で進められたものだという事がすぐに分かった。
それだけ権力を自由に出来る立場にあるという事は、当然それだけ敵の数も少なくない。むしろヤツには敵しかいない。
オハラ総大主教。
散々手の平の上で弄んでくれた分のお礼だけは、きっちりと返させて貰う。
だが、敵の多いオハラは滅多に人前に姿を現さない。
どこにいても何をしていても、必ずどこかに逃げ道を用意してやがりもする。決して逃がしてはならない相手だけに、少ないチャンスはしっかりと狙っていく。
「これも調べてたついでに分かった事なんだが、以前にヤツが大主教になる時、先にもう一人、名前が上がっていた人物がいてな」
「……ミリアルド法主だろ」
「なんだ。知ってたのか」
「本人から聞いた。女神教は俺達をあくまで分派の一つとしてしか見てないからな。呼べば来るとでも思ってたんだろ」
「丁寧にきっぱりと断ったらしいな。その開いた席にはまったのがオハラらしい。それ以来何かと聖女教を目の敵にしてたっつーから、相当根に持ってるのは間違いない」
本神殿のエリートの思考は俺には分からん。だがオハラはその中にあっても嫉妬心とプライドの塊のようなヤツらしい。そんなヤツが、目の敵にしていた相手を自分の手で始末できるチャンスに出てこない訳がない。ヤツは必ず、その特等席に姿を見せる。
「しかもリディア教皇直々の推挙だったらしい。間違いなく出てくるだろうよ、ヤツは」
出来るだけの手は回した。
限られた時間の中で精一杯時間を作り、考えつくだけの手は尽くしておいた。もしその中で不安があるとすれば、一つ。
「あとは魔王軍がどう動くかだな。このまま傍観するのか、それともまた共闘体制を築くのか、それとも……」
もし味方に引き込めるのであれば何よりも心強くはある。こと戦力面においてはめちゃくちゃありがたい。
共闘出来なかったとしても、傍観しててくれるのならそれはそれで構わない。だがもし漁夫の利を狙って攻めてくるのならばちょっと事情が変わってくる。両面から挟まれればもう逃げるしかない。本音で言えばそれだけは何とか避けたい所でもある。
「一応お前の言う通りに使者は出した。上手くいくかどうかはまだ分からんがな」
「使者には誰を?」
「前にお前んとこにいた忙しい嬢ちゃんだ。アネッサだったか? 魔王の花嫁とやらと面識があるって言うから数人の護衛とともに行って貰った」
「アネッサか……。不安が残らん訳でもないが、……何とも言えんな。あれでアイツもやるときゃやる」
博打みたいに言うんじゃない。
確かにちょっと危うい所もあるが、ユリフェルナからは間違いの無い人選だと一応太鼓判は貰っている。あれでいて肝の座った頭の良い娘だと。……違うのか?
実際、使者の人選よりも不安な要素がある。
急に過ぎた魔王軍の撤退と、その後にラダレストの奴等が広めたその理由について。
「どちらにせよ、魔王の生死次第ではある。もし本当にお前達のいう通りにその魔王が信用に値する者だったとしても、死んで代替りでもしてたら元も子もない」
「その心配なら必要ない」
「……実際に魔王軍は一度撤退している。魔王自身に何かあったのは事実なんじゃないのか」
「何かあったというか、まず間違いなくスンラだろう。様子からして直接ぶつかったのかもしれん」
暴虐の魔王スンラ。
勇者救出の際に見たその強さは出鱈目だった。あんなのとまともにぶつかるのは全力で遠慮したい。というか出来れば二度と会いたくない。夢に出る。
「……まさかスンラにやられたんじゃ。もしそれで魔王が交替してたりするなら、こっちもヤバくなる」
「無いな。どれだけスンラが強かろうがアイツが敗けるハズがない。アイツは死んだりなんかしねぇよ」
「やたら自信ありげに言い切るが、何か根拠でもあるのか?」
そのマオグリードとかいう魔王がどれだけ強いのかは知らんが、スンラを実際に目の当たりにもすれば、あれをどうにか出来る存在がいるとも想像しにくい。
「根拠という程でもないがもし仮にだ、ものすっごい美人がいてそれが自分の婚約者だとする。いづれ必ず自分の妻になるんだ。どうだ? 童貞のまま死ねるか?」
「……死ねんな。執念で生き延びる」
「そういう事だ」
「そういう事か。納得した」
魔王。童貞か。
そりゃ増々死んでる場合じゃない。
「……魔王の花嫁ね。実際に会った事は無いが一つ大きな恩がある。おかげで俺も身を固める事が出来そうだからな。出来れば一度は会ってみたいもんだ」
「間違いなくいい女だな、あれは。……じゃなくて、今さらりと何言った。笑えない冗談は寝てから夢の中だけで頼む」
まるっきり信じてないその様子に、心の中でニヤリとニヤケが止まらない。幸福感というものはこれほどまでに心に余裕を持たせるもなのだと強く実感もする。
「冗談じゃねぇよ。俺もようやく男ヤモメから卒業する時が来たって事だ。わりぃな」
「悪かねぇけど、人が懸命に働いてる影で何やってんだか。この助平じじぃが」
「何とでも言え。実際、一回りも年齢が離れてるからな。敢えて否定しづらい部分もある」
「……
「聞いて驚け。17だ」
年齢を聞いて驚いたのは俺も同じだ。
だが後悔はしていない。する訳もない。
「……可哀想に。こんな助平オヤジに騙されるとは」
「まぁ、流石にちょっと引き気味ではあったがな。それでもそこはほら、押しの一手ってやつだ」
「んで、レフィアさんにある恩ってなんだ?」
「ん、ああ、ほれ、こう見えて俺も一国の王だからな。妻とするともなればそれは王妃だ。自分には分不相応だから身を引くと言い出してな。そこで言ってやったさ」
「……何を?」
「ただの村娘が魔王の花嫁になる事に比べれば、元貴族令嬢が一国の王妃になるぐらい何て事は無い。十分常識の範疇だと」
「……おい」
「そしたら何と言ったと思う? その後少しはにかんだように微笑んで『困っています。お断りする理由が、無くなってしまいました』だとさ。いじらしいだろ」
「本当に困ってんじゃねぇのか、それ」
「困ってねぇよ。……困ってねぇ、よな?」
「そこで不安になるなよ。……んで?」
「あん?」
一通り話終えた後で更に先を促される。
さすがにこの忙しい時にあまり個人的な事を押し進めるのも憚られた。
一応それだけの分別はあるつもりではいる。
「それから?」
「それから?」
「……だから、その続きは?」
「特に無いが?」
「は?」
「ん?」
互いの意図が互いに伝わらず、微妙な空気が流れた。心無しかどこか疲れを感じているよう思えるのは気の所為だろうか。
「……いや、待て。正式に求婚して受けて貰った訳じゃねぇのか?」
「正式に求婚したさ。で、その返答が『断る理由が無い』だぞ? 断る理由がなけりゃ受けるって事だろが。ちゃんと言葉の裏を意を汲んどけお前は」
「断る理由が無いだけだろ。それで受けるとも言ってなくね?」
「いや、だってそこは……。いや、無いだろ。……いや、理由も無く断るとか、そんな……、な、なぁ?」
「……そろそろ行くわ。色々と助かった。後は手筈通りに」
人の不安を煽るだけ煽ったまま、ヘルメットを正して馬の背に飛び乗る性格の悪いヤツが一人。
「いや待て。ってこらっ。おまっ、普通ここでっ!? ……おーいっ!」
慌てて呼び止める声に背中で応じられる。
何だかんだで付き合いの長い友人はそれでも、間違いなく祝福はしてくれるだろう。相変わらず素直じゃなくて面倒臭いが。
一つ息を吐いて気持ちを切り替える。
より良い将来の為に。
麗しい新妻との楽しい新婚生活の為に。
今目の前にある障害は全力で排除しなければならない。
木立の間で一人、遠ざかる背中を見送る。
こっちはこっちでまだやる事が残ってる。正にここからが正念場ってやつだ。
武者震いを噛み殺して一つ、周りを見回す。
見回してふと一人である事に気付いた。
「……あれ? 俺の馬は?」
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