♯208 残された違和感
寄り添う身体が、温かかった。
静謐な冷たい部屋の中でほんの少しだけ、心を温もりに預け、気持ちを切り替えていく。
お互いにちょっと見せられない顔をしている。さすがに少し気恥ずかしさが勝って、すぐに離れる事が出来なかった。
多分ちょっと、……ぶさい。
「……ごめんな」
昂った感情に落ち着きを取り戻していく。
伝わる体温の心地好さを感じている所に、ベルアドネがそっと耳元で囁いた。
「ううん。私の方こそ、ごめんね。ありが……」
「鼻水、ついてまった」
ぬぅぉぉおおおおおいっ!
反射的に身体が仰け反ってしまい、お互いの身体が離れる。慌ててベルアドネが顔を埋めていた肩口の様子を確認すると、そこは微かに湿っているだけで粘性の跡などついてはいなかった。
……あ。
ベルアドネに視線を戻すと、彼女は照れ臭そうに顔を逸らし、こちらに背中を向けていた。
「……鼻水だがね」
自然に頬が緩む。
本当に、……どいつもこいつも。
素直じゃないのばっかりで困る。
なんだか少しくすぐったい。
マオリが死んで、とても悲しいハズなのに。
気持ちはまだ沈んだままだけど。
そんな風に思えてしまう事が少し不思議で、そう思えてしまえる事が妙に心地よくて、ありがたかった。
ゴシゴシと目元をこする彼女の背中にちょっとだけ、感謝の気持ちを重ねる。
「……けど、また半端な事しよらっせやすな」
空気を変えたいのか、背中を向けたままのベルアドネが調子を切り替えた声でぼやいた。
「半端な事?」
何の事なのか分からず、ついポカンと聞き返してしまう。
「だって、ほだがね。聖都を囮にして魔王城を攻める。嫌らしい事この上あらせんが、結局魔王城は落ちとらせんがん。むしろ聖都の方が落ちてまっとる」
「だからそれは、ベルアドネやマオリが……」
言いかけて、ふと言葉が止まった。
聖教国を潰す。
そうはっきりと名言して、コノハナサクヤは王国連合軍を利用して聖教国への侵攻を始めさせた。『ヒルコ』と同調を果たした時に知り得たスンラの知識でも、それは確かに
スンラは直接コノハナサクヤから指示を受けていた。
そのスンラが魔王城に姿を見せた。
本来の目的は魔王城を潰す事だったから。
聖教国は囮で、本当は狙いは魔王城。
コノハナサクヤは魔族を憎んでいる。
イワナガ様の祝福を受けて生まれた魔族を、根絶やしにしたいと願っているから。
イワナガ様に対する憎しみを、その祝福の子らである魔族に向けているから。それは多分、間違いない。
それで間違いないと思いつつも、何かが違う。
何かが違うような、そんな気がしてならない。
だからこの計画の本命はスンラで、聖教国を囮にして魔王軍の主力を引き寄せ、そのスンラに魔王城を攻めさせた。
「……違う」
改めて今回の一件を振り返ると、そこに妙な違和感がある。何かがおかしい。何かを見落としている。それが何かまでは分からないけれど、何かが違うような気がしてならない。
何かが違う。でも、何が違うの?
何がそんなに引っ掛かるのか、それが分からない。けれども釈然としない何かが、そこにある。
「まぁ、スンラを討ち果たせたのは何よりでやあした。まだ聖女も勇者も捕まったままであらせやすが、殺された訳であらせん。聖都も落とされたとはいえ、まだ取り返す事も出来やっせる」
捕らわれた聖女様。勇者様、法主様。
陥落した聖都。
そして、半壊した魔王城。
確かにマオリはスンラと相討つようにして倒れてしまった。私達はマオリを、魔王様を失ってしまった。
私達は負けた。
けれどそれが、コノハナサクヤの狙いだった?
何かが、……何かが、違う。
「……スンラは何故、魔王城に」
残された違和感。
その全てが、そこにあるような気がした。
スンラは何故、魔王城に姿を見せたのか。
そこが魔の国の中心だから?
再びスンラを、魔王の座につかせる為?
それとも『ヒルコ』の分体の一つが地下迷宮にあったから?
魔王軍の主力がいなければ簡単に潰せる?
……違う。そうじゃない。
「……どうしやっせた。そんなおそがい顔して」
違和感がある一つの確信となって形を持つ。
「コノハナサクヤが潰したいのは魔族であって、魔の国や魔王城じゃない。誰もいない、魔王のいない魔王城を潰しても、……意味なんてない」
中途半端。
確かにベルアドネの言うように、何もかもが中途半端なような気がしてならない。事実、結果としてどれも中途半端なままだ。
「……レフィア?」
怪訝に除きこむベルアドネに、勢いよく振り返る。
「コノハナサクヤは魔族と、その魔族に味方しようとしていた聖教国を潰したがっていた。そして自分の手駒である総大主教を通じて王国連合軍を組織させ、聖教国を攻めさせると同時にスンラには魔王城を攻めさせた」
「……そう、だから本命は魔王城で」
……今なら分かる。
何に違和感を感じていたのか。
結果に疑問を持った今なら、それがおかしいと。
だとしたら。
だとしたら、何故。
「だとしたら何故、コノハナサクヤはスンラに聖都を攻めさなかったの?」
「……聖都、を?」
「スンラが魔王城を攻める理由が無い。魔王城を落とした所で主力は聖都にいたんだし、そもそもマオリを倒さなければ再び魔王の座につく事も出来ない」
「その、『ヒルコ』の弱点が地下迷宮にあらっせったから、それをどうにかしたくてこっちに来た、……とか」
「……その割には、そんなに慌てているようには見えなかった。多分、そう。あれはあくまで分体の一つでしかないのだもの、それを潰された所で構わなかったんだと思う。そこから何かが出来るとは思ってなかった。……そう考えていたとしか思えない」
「だったら、何でスンラは魔王城に……」
言いかけたベルアドネが、途中で言葉を止めた。言葉を止め、何かに気づいたかのように目を見開く。
「魔王城の方が、……囮」
更に呟きが零れ、同じ結論に至った視線が互いに合わさる。
「スンラを倒せたのはその不死性を失わせたから。でも、もしスンラが魔王城でなく聖都を襲っていたとしたら多分、間に合わなかった。スンラが魔王城に攻めてきたからこそ、倒す事が出来たように思う」
「……そもそもスンラは聖都の近くまで来とらっせた。なのに時間をかけてまで魔王城まで来やあした」
「半壊した魔王城。……でもそれは、マオリとスンラがここで戦ったからであって、聖都を潰したいのであればそのままスンラが聖都に攻め込めばそれで済むのに、それをしなかった」
「……聖都を壊したくなかった、から? もしくは壊したくない何かが、聖都にあらっせやすから」
「スンラが魔王城に姿を現せば、マオリは必ずそっちへ向かう。単体であるか魔王軍を率いてかは分からないけど、マオリは間違いなく、聖都からは離れる」
だから、魔王城だったんだ。
他のどこでも無く、スンラは魔王城に姿を現した。
そうすれば必ず、その報せはマオリに届く。
「……スンラが、囮だった」
マオリを、魔王を聖都から引き離す為。
マオリに聖都にいて欲しくなかったから。
「聖都は確かに陥落しやっせた。けどその住民は無事。聖女達も捕らわれているとはいえ、殺された訳ではあらせん」
「本命は聖都。コノハナサクヤは聖都を手に入れたかった」
「けど、王国連合は聖都を落としはしても住民の財産と命の保証をしとらっせる。それがどこまで守られとるかは知らんが、それで何を」
「王国連合は今、聖都で何を……」
「住民からは何も取り上げる事が出来んから、代わりに中央神殿から物資と資金を根刮ぎ。あとは正式には誰も住んどらん事になっとる旧市街を占拠しとらっせるらしいけど……」
「旧市街……」
「あそこに住んどるんは貧困層ばかりでやすし、そもそもがすでに廃墟に近い。あんな所を占拠した所で何も得られるもんなんかあらせん」
「……違う」
「違う?」
「旧市街には、旧市街の中心にはあれがある」
旧市街だけじゃない。そもそも聖都をはじめとした聖教国自体が、そこを中心として建国されている。
そここそが、聖教国の中心。
「聖地。……フィリアーノ修道院跡地」
聖地。捕らわれたままの聖女様。
そして、……コノハナサクヤ。
聖地が聖地である由来、その理由。
それぞれのピースが、明確な目的を持って繋がる。
一つの意思の下で、繋がっていく。
「そもそも疑問に思うべきだった。先代聖女ソフィアをあんなに簡単にスンラに殺させた女神が、聖女マリエル様には髪の毛程の傷一つ着けずに、生かしたまま捕らえている。その理由をまず疑うべきだった」
コノハナサクヤはスンラに聖女マリエル様を捕らえるように指示はしたけれど、傷つける事の無いようにと厳命もしている。
その事をもっと深く、考えるべきだった。
「光の女神の本当の目的はその聖地で、その聖地を壊しとうなかったが為に、マオリ様を聖都から引き離した。……スンラを使って魔王城に、誘き寄せやあした」
聖教国を潰したいのも。
魔族を滅ぼしたいのも多分、本当なのだろう。
でもそれはきっと、……違う。
その手段としてスンラや、王国連合軍を使った訳じゃない。
「……アイツは違う。違ってた。違うんだ。そうじゃないっ」
ここに来てようやく、コノハナサクヤの意思が見えてきた。その明確に過ぎる考え方が、見えてくる。
「利用はしても、最初から一切信じてなどいないし、頼ってなんかいなかったんだ。……王国連合軍も総大主教も、スンラでさえ駒に過ぎない。使い捨てに過ぎないんだ」
――私の望みはただ一つ。
間の空間での記憶が甦る。
あの時、コノハナサクヤは歪な笑みを浮かべながら確かに、はっきりとそう言っていた。
――私の世界へと再び、肉体を持って戻る事。
「アイツは最初からそのつもりだったんだ。あの女神は最初から自分の手で、片をつけるつもりだったんだ」
聖地であるフィリアーノ修道院跡地は、聖女にとっての到達地。最後に至る、至高の地。
聖地でマリエル様から聞いた言葉が、重くのし掛かる。
――聖女とはつまり、女神様に捧げられる生贄なんです。
女神の為に用意された、肉体としての器。
マリエル様には福音が無い。
けれどそもそも福音とは、それだけの器を持つ者を指し示す、コノハナサクヤが下した指標のようなもの。明確にそうだとする何かがある訳じゃない。
「イワナガ様が言ってた。女神をその身に降ろした聖女が死ぬのは、器が耐えられないからだと。女神の存在力に魂の器が耐えきれず、壊れてしまうからだって」
「……魂の器は個人差が大きいがね。レフィアのそれがありえんぐらい大きかったとしても、聖女の魂の器だって相当なもんでやあす。常人の域ははるかに超えとらっせる」
焦燥が戦慄となってこみあげる。
聖都は落ちた。
私達はマオリを失ってしまった。
けど、まだ終わってない。
女神の計画はまだ、終わってなんかなかった。
「……強制降臨。コノハナサクヤは直接この世界に降臨しようとしているっ。その為の、……聖地」
「レフィアっ!」
「うん。早く知らせないと。早く皆にこの事を知らせないと、取り返しのつかない事に、……なる」
まだ何も終わってなどいなかった。
女神の意思は、その計画はここからこそが、その真意であったのだと気付く。
静謐な空気が弾け飛ぶ。
まだ何も、終わってなどいなかったんだと。
その事にただ、言い知れぬ不安と焦燥が込み上げると同時に、静かな闘志が再燃していくのを強く、自覚もしていた。
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