♯173 西域戦線(傭兵王の逡巡)



 見上げる空がどこまでも深い。


 晩秋の空は吸い込まれそうな程に青く澄み渡り、変わり無く在り続けている。それは例え、遠く異国の地より見上げたものであっても同じらしい。


 一つ大きく息を吐き、現実と向き合う。


 アリステア第二の商業都市、ダルマルク。

 約40万人の住民を抱える大陸有数の大都市の、その中心に建てられている大守官邸。陽当たりの良い窓際の椅子に座り、上げられた報告に耳を傾ける。


「……見事に嵌められたな」


「……してやられました」


 占拠した大守官邸の一室で副官のワインズと二人、力の無い呟きが重なる。馴染みの薄い執務室の空気が、より一層深く沈んでいく。


 聖教国アリステアが魔族と手を組んで侵略を企てている。


 ありえない流言が広まったかと思えば、たちまちの内に発動されてしまった『対魔王協定』。


 皮肉にもロシディアの傭兵王として名前が売れていた所為で、王国連合西域方面軍総司令官なんて大層な役目を任されはしたが、……正直、気はすすまなかった。


 親指でコメカミを押さえつけながら、のとぼけた面を脳裏に浮かべ、瞑目する。


「このやり方は。……多分ミリアルド法主だろう。痛い所をついてきやがる」


 自然と溢れるため息が大きくもなる。

 それは心労から来るものなのか、それとも直接対決せずに済んだ事に対する刹那の安堵の為か。


 アリステアの国境沿いに西域軍を展開し、開戦の報せと共に進軍を開始して一週間。王国連合西域方面軍はアリステア第二の都市、ダルマルクを占拠した。


 結果だけ聞けば大きな戦果を上げたようにも聞こえるが、その実体は実に情けないものだった。


 誰もいない藻抜けの領地を、文字通り無人の野を進むが如く通り抜け、一戦も交えぬ内に無血開城で迎え入れられた。……ただそれだけの事。


 全く被害を出さぬまま、ここまで来れた事を喜ぶべきなのだろうが、事は早々簡単にも済ませてはくれない。


 開かれた城門をくぐり、入都を果たした俺達を待っていたのは都市の許容量を超える、80万人のアリステアの領民達だった。


 アリステア全体の人口分布を考えれば、おおよそこの西域に渡る全領民が、ダルマルクに避難している計算になる。


 大きく息を吐き、頭を抱える。


「ヴォルド様……」


「大丈夫だ。少し気が重いだけで、言う程悩んでる訳でもない」


「いえ、そうではなく、王国連合に参加した他国の者達より、陳情の書状が山の様に届いております」


 申し訳なさそうに、けれどもはっきりと言うワインズの言葉に、眉間の奥が重くなる。

 半眼でちらりと睨みつけるが、別にこの副官が悪い訳でもない。そっと視線を外して椅子へと深く沈み込む。


「略奪の許可か、……認める訳にもいかんだろ」


 よくもまぁ、人の足元を見てくれやがる。


 都市の許容量を超える避難民の扱いも面倒ではあるが、それより更に頭を悩ませる問題が、……これだ。


 ロシディアは平坦な地形が極端に少なく、耕作に適さない土地が国土の大半を占める。そんな土地柄では物流の整備も追い付かず、国の主産業は産出する鉱石の輸出と、それらによって鍛え上げられた鍛冶技術。その賜物である武器防具を身につけた兵士の傭兵稼業で成り立っている。


 傭兵稼業で国を回す。そんなロシディアだからこそ、そこには決して守らねばならない鉄の掟というものが存在する。


 それは傭兵稼業を続けていく上で、恨みを残さず、殺し合いをビジネスに昇華する為の、鉄の不文律。


 ……その一つが今、問題となっている。


 『無血開城をした相手に対しての略奪の禁止』


 戦争に略奪暴行はつきものであり、それは敗者に対する勝者の権利でもある。


 だからこそこの掟は、味方の被害を極力減らし、より効率的に戦果を挙げる事に大きな効果をもたらしもした。


 金を貰って戦線に参加する俺達にとって、必要以上に恨みを引き摺る事はあまり喜ばしい事では無い。状況によっては、日替わりで陣営を渡り歩く事も珍しくないからだ。略奪を禁止する事は俺達自身の利益にも通じていた。


 その掟がまさか、自分の首を絞める事になるとは。


 鉄の掟はあくまでロシディア傭兵のもの。

 王国連合に参加する他のヤツラにとっては、それを守る義務も責任も何も無い。むしろ勝者として略奪は当然の権利でもあるのだから、嬉々としてその許可を求めてくる。


 正直、勝手にやればいいと思わないでもない。


 だが、例え王国連合西域方面軍総司令官であったとしても、あくまで俺は、ロシディアの王ヴォルドだ。

 ここでロシディアの掟に背いてまで、俺の名で略奪の許可を出す訳にはいかない。むしろ王であるからこそ、掟を自ら破る事が許されないってのに。


 結果、次々と上げられてくる山のような陳情。

 正直この現状には、ため息しか出てこない。


「……そんなに略奪したいなら、俺を総司令官なんかにしなきゃいいだろうに」


「傭兵国家ロシディアの王たるヴォルド様を差し置いて、これだけの軍を指揮できる将が他にいるとも思えませんが」


 思わず溢した本音に壮年の副官が追従をかえす。

 鼻先でそれを流し、よっこらと姿勢を正す。

 

「今は皮肉にしか聞こえんな。公館に貯蔵されていた穀物はまだだいぶ残っていたハズだろ? そいつを追加で配ってやれ。多少の憂さ晴らしにはなるだろ」


「どこの国も今年は不作ばかりだそうなので、それでしばらくは不満を逸らす事も出来るかと。早急にそのように手配いたします」


「……しばらくは、か」


 とりあえずは目先を誤魔化しているに過ぎない。

 それは十分に分かっている。


 だがそれでも、そうするしか無いのだから仕方無い。


「しかし実際、この目で見て驚かされました」


 口の中に苦いものを感じていると、ワインズが感嘆をこめながら手にした書類束へと視線を落とした。

 釣られて覗き込む書面には、ダルマルクを中心とした西域一帯の今年の収穫高が記載されている。


「……見事な豊作だな。うらやましい限りだ」


「今年はどの地域も例年に無い不作で、小麦の値上りに本国の文官達も頭を悩ませています。アリステアがこれだけ豊作であったと知っていればこうなる前に何か、手を打てたかもしれませんね」


 こうなる前に、……か。


「占いババァどもが言ってた事を覚えてるか?」


 ロシディア王宮が抱える専属占術師達。女神の救済を求めて祈る事など滅多にしないロシディア傭兵であっても、不思議と験担ぎには縋るヤツラが多い。

 結果、王宮ではアイツらクソババァどもの発言が時として、見過ごせない力を持つ事にもなる。


「何でも今年の各国の不作は『土地守』達のの怒りをかった所為なのだと。眉唾ものではありますが占術師達の言う通り、アリステアだけがそれを宥め、不作を免れたのだとしたら、些か看過出来ない事実ではあります」


「……偶然だと思うか?」


「私には何とも判断しかねます」


「そもそもその『土地守』ってのは何だ? 確かに占いババァどもはことある毎にやれ精霊だ土地守だのと今までも言ってたが、ソイツらが本当に存在するだなんて、そんな事がありえるのか?」


「噂によれば夏の初め頃、聖都にて『土地守』と思われる何かが出現したとかしないとか。信憑性に欠ける噂でもありましたし、その後すぐに聖都は封鎖されてしまいましたので、事実確認も難しく。申し訳ありません」


「……七夜熱か」


 深々と頭を下げる副官に、頭を上げるように指示を出す。タイミング的にも、何かが出来る状況では無かった。


 聖都で七夜熱の発生が確認されたと、確かにその報せは俺も受けた。国崩しとまで呼ばれ、発生が確認されれば膨大な数の人命が失われると恐れられる疫病、七夜熱。


 その七夜熱の発生が確認された今までの都市の中でも、聖都は最大の規模を誇る都市になる。あわや数十万の犠牲者とともに、あの聖都も沈んでしまうのかと各国がその動向を注意深く見守る中、次いで届いた報せは耳を疑うものだった。


 たった16人の犠牲者を出したのみで、聖都で発生した七夜熱は終息を迎えたのだという。


 それは、ありえない事だった。


 最悪、聖都を中心とした更なる七夜熱の感染拡大に恐怖していた周辺国家は、俺達を含めて皆、その結果に驚嘆した。そしてもたらされた、驚愕の事実。


 七夜熱の特効薬の発見。


 その特効薬の存在こそが、事態をさらにややこしくしてる要因にも繋がっている。


「やはり今回の肝は、その特効薬なのですね」


「……忌々しい事にな」


 副官のどこか沈んだ声にも、思いが籠る。


「アリステアが特効薬を持っている以上、それが広がる前にラダレストは取り上げるだろうな。この戦いにアリステアの勝ち目は薄い。その後はラダレストがそれを独占する形になるだろう」


「それで今回の参戦を?」


「不満は分かるが仕方無い。不参加を理由に特効薬の取り引きを断られてみろ、目も当てられん」


「狙いはその、特効薬の独占でしょうか」


「……さぁな。もしそうなのだとすれば随分とお粗末なやり方だとは思うが、正直分からん。今回のこれは、分からない事が多すぎる。なのに状況的には選択肢の無い、雁字搦めな状態に陥ってる感じも否めない」


 息の詰まるような不自由な感触。

 不自然に整えられた環境。


「参戦を後悔されていますか?」


「何とも判断のつかん所ではあるが、とりあえず目下の問題が片付くまではこれ以上の進軍は出来そうにない。日和見を決め込むさ」


「それでラダレストが納得してくれれば良いのですが」


「納得も何もこれだけの難民を放って進軍なんかしてみろ、わざわざ背中に爆弾を仕込むようなもんだ。無理なもんは無理だと言うしかないだろ。……ガハックの方はどうなってる?」


 今回王国連合軍は軍勢を三つに分け、三方面からそれぞれに聖都を目指して進軍する事になっている。その南域方面軍の総司令官であるサウスランドの王ガハックは色々と良くない噂の多い輩でもあり、その動向が少し、気にかかる。

 特に今年のサウスランドの不作は、飢饉とも呼べるようなレベルで深刻らしいと聞けば尚更だ。


「南域方面軍も城砦都市サバラを陥落させたそうですが、あちらは打って変わって何一つ無かったそうです。当てにしていた糧食も虜囚も獲られず、そのまま聖都に向かって北上を続けるつもりのようです」


 ……おいおいおいおい。


「……よくもまぁ、扱いに差をつけてくれる。ミリアルド法主は顔に似合わず、とんだ食わせもんだったらしい」 


「こちらの足並みを崩しておいて、聖都にて各個撃破するつもりなのでしょうか。それでも南域方面軍は10万を越える編成になっています。さすがに難しいとも思いますが」


「そこまでは知らん。ただまぁ、10万といっても腹を空かせた寄せ集めでもある。そんなヤツラを統率出来るかどうかと言われれば、難しいだろうな。額面通りには判断出来ん」


 実際の所、戦略のイニシアチブはがっつりと握られてしまっている。おかげで総数20万を越える大軍で囲いこんでいるというのに、どうにも先行きが見えない。


「まったく。分からん事だらけだな」


「失礼しますっ!」


 気を引き締め直さねばと姿勢を正した所で、年若い衛兵が執務室へと入ってきた。


 入室を許可するとその若い衛兵は足早に駆け寄り、耳打ちを受けたワインズの表情が微妙な変化を見せる。


「……どうした。何かあったのか?」


「いえ、大した事では無いのですが。……どうやらコンラッド自由商人組合の商人が一人、ヴォルド様に面会を求めているそうです」


「コンラッド自由商人組合? ……一介の商人が直接俺に面会を? またえらく度胸のあるヤツだな、ソイツも」


 コンラッド自由商人組合。確か国籍に拘らず自由交易を求める交易商人達の集まりだったはずだが、それほど深い交流がある訳でもない。

 そこそこに大きな組合でもあるが、王である俺に直接面会を求めてくるとは珍しい。


 ……いや、待て。


 ワインズのどこか困ったような、微妙な表情からピンと来るものを感じとり、声音の中に厳かな威厳を込め、年若い衛兵に対して直接問いただす。


「……ソイツは、美人か?」


「へ? あ、はい。相当……。って、はい?」


「よしっ! 会おう!」


 二つ返事で勢いよく立ち上がる。

 やっぱり女だったか。しかも衛兵の様子からしてまず間違いなく相当な美人っぽい。


 何はなくとも善は急げ。

 人生という名の時間は有限だ。


 きょとんと戸惑う衛兵の横で、ワインズの深いため息がもれる。コイツも相当疲れが溜まっているらしい。気持ちは分かる。俺も心の潤いが必要だと感じてた頃合いだ。


 グズグズしている衛兵を急かしてさっさと執務室の扉へと向かう。何をぼんやりしてるんだか。


 そして一つ、重大な確認を怠っていた事に気付く。


「そのご婦人の名はなんというんだ?」


「……ユリフェルナ・ハラデテンドだそうです」


 渋面の副官は一人取り残された執務室の中から疲れも顕にそう、答えを返した。





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