♯146 白羽根の散るが如く(剣聖の慟哭7)
共にあるをこれに能わず。
されどまた、引く事も望まず。
行くも戻るも出来ぬのであらば、今この場にて、この身の名誉を守らんが為の穂先により貫かれ、至福の内に今生を終える。
それもまた、悪くも無いと。
この身の終わり方として悪く無いと。
……そう思えたのでござる。
その相手が心より惚れた女人であれば尚の事。
なればこそ拙者は、心が満たされたその瞬間、両目を静かに閉じたのでござる。
己が生に、欠片の未練も無しと。
……。
空白の刻でござった。
実際には刹那の間でござったのであろう。されどそこに生まれし空白の刻は、千秋にも等しく感じられたのでござる。
命を穿つ一突きをこそ待つのみ。
それにて終えるを本望として。
されど……。
「……かふっ!?」
漏らす声は自身のものにあらず。
拙者の身を貫き、その生を終わらせるが為にもたらされる一撃は、ついぞ突かれる事は無かったのでござる。
鮮血が、月明かりに紅く映えてござった。
「リン……、フィレット、殿……」
再度目を見開き、目の当たりにしたその光景を拙者は、生涯忘れる事は出来ぬでござろう。
月明かりの下、眩いまでに白きその肢体を大きく仰け反らせて、リンフィレット殿はひどくゆっくりと、膝より崩れ落ちんとしていたのでござる。
無言の間にござった。
ひどくゆっくりとした動きの中、耳には何も聞こえず。目に見えるはただ、背後より胸を射抜かれて沈み行く、その白き輪郭のみ。
ドクンッと大きく際立つ鼓動は、果たしてこの身のものか、かの身のものか。
天高く羽ばたき至りしは白鶴の、大きく広げたるその翼より落つるが一条の白羽根が如く。
思わず差し出したる腕にてその身を受けたれば、その細き事、軽き事に酷く驚きもしたのでござる。
何故……。
一体何故このような事に……。
リンフィレット殿より突き出されし矢じりは、背中より心の臓をまっすぐに貫いてござった。
回した腕が大量の血に赤く濡れ、温かく、されど抱き止めたる四肢は、急速にその体温を失いつつござる。
視界の端に映るは弓を構えた近衛隊長殿。
拙者と相見えたるに、その背より射せしは明白にござった。
されど、そうではござらん。
リンフィレット殿であれば、背後より射られし矢を弾くなど、造作も無き事にござろう。
それが、何故……。
「……結局、こう、なっちゃったか。……ごめんね」
戸惑うばかりの拙者の腕の中にて、朦朧としたまま、リンフィレット殿はそう呟いたのでござる。
「何で、あそこで……、目を、閉じるかな……」
「……リンフィレット殿に貫かれるのであれば、拙者とて本望。……それで良かったのでござる」
「……だから、意味、分かんないってば」
元より白き相貌をさらに青くさせ、それでも朧気に笑みを作りたるは、いつもの少し困ったかのような微笑みにござった。
力無き指先にて、リンフィレット殿が拙者の腕へとしがみつくのに対し、拙者もそれを受けじと抱き抱える腕に力をこそこめたのでござる。
「……出来る訳、ないじゃん」
「リンフィレット殿っ」
「ごめんね……。甘えちゃ、いけないのに。何も返してなんて……、あげられ、ないのに……」
脳天を貫かば即座に意識も途絶えよう、されど心の臓を貫かれたるは苦しみもまた激しいもの。
苦しさに眉根をしかめながらも、リンフィレット殿はいとか細き声にて囁き続けてござった。
「ごめん、……ごめんね。……ごめん、ね」
「駄目でござるっ!」
「……これで、良かったのかも。あの、……子を、食らうか、……食らわれるか、……悩み、続ける事が、……辛かった」
腕の中にて紅き瞳より光が失われ、意識が薄れていくのが直に伝わってくるのでござる。
その肩が、腕が、……背中が。力無き、何か別のものへと変わり行く無慈悲な感覚にござる。
「……ごめん、ね」
「……リンフィレット殿っ!」
「どう、か、……子供、……達を」
寄り添いし身体から見る間に力を失いて、かかる身の重さが無情な意思にて増していくのでござる。
「……お願い」
すがる細腕が、するりと地に落ちたのでござる。
かくも容易く……。
かくもあっけなく……。
リンフィレット殿は拙者の腕の中で、静かに息を引き取ったのでござる。
「リンフィレット……、殿……」
その動かなくなった身体を一際強く抱きしめたるに、気づけば周りの者は皆、諸手を挙げて歓喜の声を上げてござった。
何をそんなに喜んでござるのか。
何がそんなに、嬉しいのでござろうか。
感情と理性がまだらに交錯してござった。
困惑と疑問が、ただ呆然と目の前の光景に対し、欠片のように浮かぶがばかりにござった。
子を思う母親が一人、死んだのでござる。
誇り高き女人が一人、死んだのでござる。
歯を食い縛り、互いを思い人を思い、懸命に生きていた者が、死んだのでござる。
それがそんなに喜ばしいのでござるか。
それが、そんなに嬉しいのでござるかっ。
拳が震えるは強く握りしめるが為。
視界がぼやけるは、両目が潤むが為。
鬼であれば何とせんっ。
隠れ潜んでござったではないかっ。
誰にも迷惑をかけまいと、ひっそりと、静かに。
ただ子を思う親として。
親を慕う子として。
懸命に生きていただけにござるっ!
矢を受けたは戸惑い、躊躇ったが為。
この身に穂先を突き立てるを迷ったばかりに。
拙者の名誉如きに気を使ったばかりに。
拙者が、愚かな意地を通したばかりにっ!
他に誰ぞあらんっ。拙者の愚かな意地こそがっ、リンフィレット殿を殺したのでござるっ!
「おおおおおっぉぉぉおおおーっ!」
肚の奥底より込み上げしは如何なる雄叫びか。
如何様にもし難き情念が、ただ身体中に満ちてござった。
「け、剣聖殿っ!? ど、どうしたと言うのだっ、すでに御前は討ち取ったのだ、気を確かにされよっ」
近衛隊長殿が叫ぶかのように喚きを上げ、次いで他の者もちらりほらりと近づき来る様子。
是も否もござらぬ。
拙者は抜き放ちたる刀を返したるに、アドルファス殿とリーンシェイド殿、二人のお子を縛り上げたる男に対し、猛然と斬りかかったのでござる。
かくなる上は、命に替えても二人を救わねばならぬと。
「ら、乱心したかっ! ゼン・モンドっ!」
「うぉぉおおおおおおーっ!」
大切なものであればある程、傷つけられた時に人は容易く激昂してしまうもの。
……それは、他の誰でもなき拙者が、リンフィレット殿を見て思った事にござった。真に未熟なりしは、我が身の事にござる。
頭に血が登り、振り回す刃にて斬れるものなどそこに無し、ましてや、そのナマクラで守れるものなど、あるハズもなかったのでござる。
片腕に亡骸を抱き、もう片腕にて子を求めん。
例え冷静さを失っていたにしても、多勢の中にてその行為は、無謀にも過ぎたのでござる。
「ゼン・モンドを取り押さえろっ! 鬼に魅入られおったわっ!」
「拙者にっ、触るなぁぁあああーっ!」
拙者は容易く取り押さえられ、重ねかけらるる『麻痺』の魔法に抵抗も出来ず、束縛の内に押さえ付けられてしまったのでござる。
「二人の小鬼を魔物商の所へ、御前の屍体は邪魔だっ、さっさと首級をあげよ!」
身動きの取れぬまま、声も上げられぬまま、抱えたる腕より強引に亡骸を奪いとられたのでござる。
そして、滂沱の涙にむせぶ拙者の目の前にて、男達の手が、リンフィレット殿の白きうなじにかかり……。
「やっ……おう、あがっおおーっ!」
叫べども声は届かず。
暴れようとも身動ぎも叶わず。
鈍き音と共に、リンフィレット殿の首級は沸き上がる歓声の中、男達の手に高く掲げられたのでござる。
「おおっ……、ごっがっ……、あごぉおおーっ!」
……。
……。
それからの事は、正直よく覚えてござらん。
そこから何をどうしたのか。
何が、どうなったのか……。
気づけば拙者は一人、座敷牢の中でござった。
粘りつくようなまどろみから覚め、石のように重たい身体を、酷く憂鬱に感じたのでござる。
救うか守るか。
そのどちらともを求めたが故に、そのどちらともを求めておきながら、容易く激昂してしまったが故に。
拙者はそのどちらともを、取りこぼしてしまったのでござる。
故に二人のお子は助けられず、リンフィレット殿の亡骸は辱しめを受け、……拙者の所為でござる。
拙者が未熟に過ぎるが故に。
一夜が明け、拙者は牢より解放されたのでござる。
かかる振る舞いは、鈴森御前と相対したが為、興奮冷めやらぬ所為であったと。
一時の乱心も致し方無しと、これまでの功績を考慮され、不問に処せられたのでござる。
皮肉にござる。
これ以上にない、皮肉にござった。
救わんとすれば捨てても構わないとした立場に寄って、拙者は、……放免されたのでござる。
聞けば二人のお子は魔物商に、リンフィレット殿の首級は、すでに王へと献上されたとの事。
一度庵へと戻った拙者は、身の回りのものを始末し、持てるだけの金銭と、大小の得物、予備の小太刀を用意したのでござる。
そして、最後に漆塗りの木箱を用立て、そこにリンフィレット殿へ贈るハズであった着物を、納めたのでござる。
覚悟はとうに決まってござった。
すでに心は凪ぎ、昨夜のような感情に振り回されるような失態は、二度と繰り返えさぬと誓ったのでござる。
如何に武に優れようと多勢に無勢たれば、救うか取り戻すか、その二つに一つしか望めはしないのでござる。
囚われの幼き命を救うか。
穢されし死を、誇りを以て奪い返すか。
なればこそ、本来悩むまでも無き事。
忌の際にて望まれしは、幼き命の行く道末。
例え生えたる腕がこの二本だとしても、二つを同時に抱え込むは、これ、至難の御技にて。一つ所を両腕にてしっかりと守らねば、畢竟、二つともを失う事にもなるのでござる。
住み慣れた庵に今生の別れを告げ、二度と戻らざるをこれにて誓い、拙者は覚悟を胸にと決めたのでござる。
人の世に、もはや欠片の未練なし。
かかる覚悟をぞ肚に据え、踏み出す歩みに淀みなし。
拙者は単身なりて、魔物商の檻舎へと向かったのでござる。
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