♯145 月下の剣撃(剣聖の慟哭6)



 武人のさがとはかくも度し難きものにござる。


 中天に座すは十六夜いざよいの月。

 虚空を裂いて弧を描きし蒼槍を、懐深くに構えたるは正に虎伏が如く。地に低く、天に遠きと屈めたるはおのが牙をぞ立てる為。


 張りつめた気勢にて、肌に迫るは必滅の気配。

 かかる間合いにて息をば飲めば、ついで風凪ぎ静を打つ。


 幽玄たる光景に拙者は、斯様な場であると言うにも関わらず、猛る思いを確かに感じてござった。


「足の一本は、覚悟して下さいね」


「望む所にござるっ!」


 幅八メートル程の石橋の上。

 決して広いとは言えぬ足場ではござるが、広さとしては十二分。ただ骸となって転がる者達を失念でもいたせば、思わぬ不遇にも陥よう。


 吐く息浅く間合いをば削らんとす。

 刷り出す足裏に固き石畳の冷たさをこそ返してござれば、これを強く踏みしめたるに、己が気勢を保つ為。


 瞬動一殺。踏み込み深く、リンフィレット殿の尖鋭たる穂先が一息の間さえ置かず、目前に突き出されたのでござる。


 兆しも初動も一切分からぬ神速の突き。

 目で追い頭で考えては到底受けきれぬもの。


 依るべきものは培いし勘と、身体に刻み込んだ長年の修練の技のみにござる。かかる間も無く体を半歩開きつつ、渾身の力でもってこれを斜めに斬り上げたのでござる。


 そこに生まれる確かな手応え。

 されど穂先は先に無し。


 咄嗟の判断で身を引かば、弾いたハズの穂先が皮膚の上すれすれを貫き通してござった。


 突きの速さ尋常たらざれば、引きもまた同じ。


 更にと突き出される穂先の白刃も見えぬまま、勢いにまかせて柄を叩き落とすのみにござる。


 間合いのある得物であれば、叩き払われた時の隙は大きくなるもの。……それが凡百の使い手であらば。


 払われるをこれに抗わず腕を交差させ、変幻自在に間合いを扱いて、鋭き石突きへと変わるのでござる。


 取り回しに有利な刀であってさえ、突いて払われる蒼槍に合わせ打つが精々にござった。


 打ち合うたびに、心が震えるのでござる。

 拙者の中にある野蛮で獰猛な衝動が、打ち合うたび、喜びに打ち震えてござった。


 互いに望むは二人の子の安否。

 共に願う所は同じであるハズ。


 されど刃を交えるに、いとう心は身にも無し。

 武人の性、かくありなん。


 槍撃に込められた意思より伝わるは、絶対の覚悟。

 足の一本とは、確かにそのつもりにござろう。言葉よりもなお深き意思として、気迫とともにその意思の強さを何よりも肌に感じてござった。


 それほど迄に、拙者の身を案じての事でござる。


 二人の子を救わんとすれば、顔見知りのあの者達を斬らねばならぬ。もとよりそのつもりでござれば、斬った後の拙者の事を憂いての事にござろう。


 人を斬って鬼救わば、拙者に還る所無しと。


 捕らわれの我が子を目前にしてまで、かかる拙者を遠ざけようとする意思が、痛い程に伝わってござった。


 斯様に思われてこそ、何を厭う事がござろうか。

 なればこそ、拙者とて引けぬのでござる。


 そのように案じて貰うは恐悦至極。されど二人のお子を救うのに、この身の事など如何程の事でござろう。


 互いに引けぬのであれば、武をもって押し通るが武人の常。まこと、度し難きは承知の上にござる。


 ……されど。


 されどまだまだ、足りぬでござるっ!


「足の一本とはまた甘き事にござるっ! この剣聖っ! 例え両の手足を失ったとしても、引かぬと決めたら引かぬでござるっ!」


「……このっ、分からず屋っ!」


 踏む込み深く槍元を大きく払う。さしものリンフィレット殿とて、手元に受けた一撃は逃がす術なし。勢いに抗い両の足が地面を踏みしめた所を狙い払う。


 されど払うは影ばかり。


 一瞬の内に跳び上がった頭上より、脳天めがけて振り下ろされた蒼槍の柄が石橋の面を抉ってござった。


「救うべきものを見誤ってござるっ。拙者の事など捨て置き、良い様に使ってでもっ、お子を助けるべきではござらぬかっ」


 覚悟とは斯様に非ず。

 拙者如きにかける心があるのならば、それをこそ全て、救うべき、守るべきものにかけるが道理。


「できる訳っ、ないでしょっそんなのっ!」


 後方へと避けた拙者を追うようにして、リンフィレット殿はらしくもなく、大振りを以て蒼槍を打ち下ろしてござった。


 拙者は敢えてそれを、鍔元にて受けたのでござる。


「私達なんかの為に、還るべき場所を捨てたりなんかしたら駄目っ。そんな事、絶対にさせられないっ。……そこまで剣聖さんに甘えていい訳ないじゃないっ」


 間近に迫り囁くその姿に、心よりの真意であろうと確かに伝わってござった。


 それが分かればこそ、拙者は押し合う手元に更に力を込めたのでござる。


「命をかけるに、これ程のものは他に無し」


「何を……っ」


「武人たるもの、我が意を通すは己の力のみにござる。例え修羅とならんとも、後悔などせぬでござる」


「鬼と人では一緒には行けないっ。生きる場所が違い過ぎるのっ! 駄目だよっそんなのっ!」


「なればこそっ! 我が身を穿つに他もなしっ! 助くべく者を打ち捨ててまでの人の世の名声になどっ、もはや未練もなしっ!」


 気迫を込めて押し返さば、リンフィレット殿もまた、渾身の力をもって受け止めござる。


「……駄目! そんなのっ駄目だってば!」


「結構至極っ! さにあらんっ! 元より戻れるハズもなしっ! 共にあらざる運命ならば、いっそここで朽ちるが本望っ! 引く気はござらんっ!」


「意味分かんないしっ! この馬鹿剣聖っ!」


 互いに弾かば距離を取り、正対にていざ構えん。


 リンフィレット殿のまとう気質が変わった瞬間にござった。


「……鬼と人。共に生きる場所なんか無い。それでも人である事を捨てると言うのなら、……そんな事、させられない」


 まとう気迫に紅き霞を幻視せし。

 唸りをあげて高まる気勢、炎の如く。


「それでも引かないなら、いっそ殺してでも。剣聖さんを人の中にこそとどめます」


「それをこそっ! 望む所にござるっ!」


 息を引き、霞む穂先にて闇をば裂かん。


 先程までの直線的な突きとはうって変わり、手心を無くした槍捌きは正に変幻自在。


 風切る音と勘を頼りに刃を合わせるも僅かに及ばず、せめて急所のみを防ぐにやっと。しなりを見せて打ち据えるその光景やまさに、荒れ狂う野獣の牙の群れの如し。


 単身たる槍撃とは思えぬ連撃に、武人の渇望たる境地をこそ見出だし、身体が打ち震えたのでござる。


 面とも思わば左を打たれ、合わす刀に肩をば割かれん。

 その技の冴え、想定の遥か高みを越えてござった。


 これほどの美技を前にして、己の武を示す。


「おぉぉぉおおおおおーっ!」


 武人の誉、ここに極まり。

 無上の喜びが全身を満たすのを感じてござった。


 一合打ち合うたびに研ぎ澄まされていく感覚。

 更に速く更に鋭くと、刀を合わすたび、内なる声に導かれ身体の奥底から滾る猛々しき衝動。


 皮一枚をかすめて頬を横切る穂先に、合わせて返す刀はされど、空を斬ってござる。

 身体を捻り、力まかせに叩きつけては更に迫り、歩を出さばさらなる剛撃にて迎え打たん。


 打っては払い、払い突きたる万丈のうねり。

 研ぎ澄まされいく剣閃にて描かれる、虚空の煌めき。


 剥き出しの魂をぶつけ合う喜び。


 すでに周りの事など、意識の外に飛んでござった。

 自身の身体の軋む音さえ埒の外。


 ただ目の前の相手だけを、相手の命を刈り取ろうとひたすらに思い見つめ合う刹那の迎合。


 至福の境地でござる。

 武人として、これほどの相手と剣を合わす。

 これほどの至福が他にござろうか。


 至る理由など構わぬのでござる。

 ただその一瞬に感じる、恍惚とした瞬間。


 例え褥にて肌を重ねむつみ合うとて、感じるは肉体のみの事。斯程までに、剥き出しの魂を互いに感じる事が出来ようハズもなし。


 心より惚れた相手との千年にも勝る刹那の逢瀬。

 

 歓喜満願。


 払われた剣先が外へと流れ、生まれし隙に突き出されし穂先が目の前を過ったのでござる。


 咄嗟の事でござった。


 片手を離して槍柄を掴むは無我の中。

 がしりと槍を押えたれば、リンフィレット殿もまた、両足にて地を掴みしめて力にて押し返す。


 一棹の槍にて両端を掴みたるは見慣れし状景。

 互いに機先を読み合うは一息の間もなし。


 押さば引き、引かば押さんと覚えし妙技にて、数度となく地に転がされたるは身にも忘れじ。


 抗う力の消失に、吸い込まれるように引き倒されるは過日の失態にござる。

 力を流し、握りに抗わず、気を合わせる技をこそ教わりしは他の誰ぞやいわん、目の前のリンフィレット殿にてござる。

 

 返す間合いに引いた槍にて大きく姿勢を崩したのは、リンフィレット殿の方にござった。


 地に転がすも槍を落とすも流石に能わず、されど拙者の目の前にこそ、その無防備なうなじを晒したのでござる。


 ……。


 ……。


 感無量にござった。


 元よりこれは拙者の詰まらぬ意地でござる。


 人の世にて剣聖たるを保てと、我が身に槍を突き立ててでも拙者の誇りを守ろうとしてくれたリンフィレット殿にござる。その思いこそ、我が名誉。

 されど黙して引く事も出来ずとあらば、他に選ぶも道は無し。


 意地に始まりしは意地にて終えん。

 拙者は、それで満足にござった。


 満ち足りて、ござった。


 共に行く事も出来ず。

 さりとて引くことも望まず。


 なればこの先の生に、如何程の意味こそあろう。


 リンフィレット殿から伝わるは観念の覚悟。

 されど、さにあらず。


 ……さに、あらず。


 人の世に未練無きは、リンフィレット殿に想いを寄せればこそにござる。


 渾身の力をして斬り結ぶ事も叶い、剥き出しの魂にて熱き抱擁以上のものを交わして尚、最期にて高きに届きし今、他に何をぞ望むでござろうか。


 満ち足りてござった。

 これ以上なく、満足にござった。


 もはやこの身に未練なし。 


 拙者はそこで静かに、両目を閉じたのでござる。





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