♯141 その腕に抱えるもの(剣聖の慟哭2)



 続け様に食らった二度の敗北。


 例え一度目に油断があったもしても、二度続けて同じ相手に負けては言い訳のしようもござらん。それが例え遊びに過ぎない『棒引き』であったとしても、敗北は敗北にござる。

 その敗北は、拙者の慢心をいとも容易くへし折ったのでござる。


 その日から拙者は、毎日のようにリンフィレット殿の元へと参じては銅貨二枚を賭け、挑戦し続けたのでござる。


 悔しくもあったでござるが、また、どこかその日々を楽しくも思っていたのも事実でござった。


 久しく忘れていた、がむしゃらになって何かに挑むという事。まだ自分には強くなれる余地があるのだという、確かな実感。


 それもまた確かにあったのでござるが、本音の部分で言えば。……嬉しかったのでござる。


 挑戦という口実の元、リンフィレット殿に会える事が何よりもただ、嬉しかったのでござる。


「剣聖! 今日は何を持ってきたのだ」


 毎日のように顔を会わせていれば、誰だってそれなりに気も安くなるものでござる。拙者が参じればリンフィレット殿の長子であるアドルファス殿もまた、家の入口にて拙者を迎えるようになっていたでござる。


「今日は銅貨二枚の他に鶏を二羽、油を一瓶に塩を一袋でござる!」


「よしっ! 許す。通れっ! ……っ痛」


 齢七つにしてすでに、どこか風格のようなモノをまとったアドルファス殿でござるが、リンフィレット殿にとっては子は子。ポカンと一つ、頭を小突かれれば年相応に肩をすくめ、互いに笑い合う事もござった。


「なーにが許すだ、何が。……ったく。剣聖さんも。毎回毎回、律儀に銅貨二枚出すのもどうかと思ってるのに、何でどんどんモノが増えていくのさ」


「これも連戦連敗が続くが故。心配めさるな。今日こそは是非ともリンフィレット殿を地面に転がし、これらの品を堂々と持って帰ってみせようぞ!」


「いや、意味分かんないし。それ」


「……剣聖さん。明日は甘いものが欲しいです」


 リンフィレット殿の傍らでリーンシェイド殿もよく、拙者を迎えてくれていたでござる。

 歳は四つと聞いていたのでござるが、いっそ兄君や母御前よりも、よっぽど落ち着いたお子にござった。


「心得たでござるよ」


「いや、心得たら駄目でしょ、そこ」


 困った様に頭を抱えるリンフィレット殿でござったが、アドルファス殿とリーンシェイド殿、二人のお子と一緒にどこか照れ臭そうに笑えば、釣られて笑みをこぼす事もしばしば。


 食べて行く為の生業に貴賎は無きもの。……とは言え、やはり拙者も人の子。二人の子を養う為とは言え、リンフィレット殿が見ず知らずの他人に春をひさぐ事を、どこか歯痒く思っていたのも事実にござった。


 施しのつもりなど、毛頭ござらん。


 そもそも、例えそのつもりであったとしても、謂われ無き施しを受けるような御仁ではござらぬ故。わずかばかりとは言え、何か拙者に出来る事がしたかった。……ただ、それだけの事にござった。


 それでも『棒引き』には一切の手を抜かないのがリンフィレット殿にござる。何度かいい勝負に持ち込めはしても、毎度の如く一瞬の間に、ころっと引っくり返されてしまうのでござる。


 剣聖の名も、リンフィレット殿の前では全くの形無しにござった。


 今までの半生が半生でござる。

 剣に生き、剣に死すと志して後、斯程かほどまでに他の誰かの事を思い過ごした事など到底ござらんかった。


 深い事情には踏み込まず、様々な事を曖昧にしたままのあやふやな関係でござったがそのあやふやさがこそ、心地よいとさえ感じていたのでござる。


 拙者は何も問わず。

 リンフィレット殿も何も問わない。

 どういう関係かと問われても答える事は出来ず。

 ただただ、あやふやな関係にござった。


 無論、そのような日々がそうそう続く訳もござらん。


 あの日、いつものように参じると、不穏な気配に肌がピリつくのを感じたのでござる。それまでのどこか穏やかな空気とは違った、むしろ、それ以前に拙者が身を置いていた殺伐とした雰囲気にござる。


 妙な胸騒ぎを覚えた拙者は腰の得物を確認しつつ、足早に駆け出したのでござる。


 黒ずくめの男達にござった。


 何処の誰とも分からぬ風貌をした男達が、複数人、その家から出てきた所に出くわせたのは僥倖。一足遅ければ全てが手遅れになっていたかもしれぬと思えば、まさに天の配剤でござろう。


 リンフィレット殿の家から出てきた男達はぐったりとしたリーンシェイド殿を縛り上げ、抱えていたのでござる。


 もはや誰何すいかの必要もござらぬ。


 『棒引き』でリンフィレット殿に引けは取っても、拙者とて巷に名の知れた剣聖にござる。返す刀に返り血も浴びせぬまま男達を叩き伏せ、リーンシェイド殿を助け出したのでござる。


 不穏なるはその男達で、痛みを覚えれば誰しも呻き声の一つもあげるもの。されどその黒ずくめの男達は一声をもらす事も無く、まるで霞か霧の如く、一斉に姿をくらましてござった。

 

 人らしからぬ様子には後味の悪さも残るでござるが、大事を誤る訳にもまいらぬ。拙者は、腕の中でぐったりしているリーンシェイド殿の無事を確かめようとしたのでござる。


「リーンシェイドっ!」


 ……間が悪かったのでござる。


 黒ずくめの男達の姿はすでになく、家の前には抜刀した拙者と、拙者に抱き抱えられた、ぐったりとしたリーンシェイド殿のみ。これでは勘違いしてくれと言わんばかりにござる。


「……リンフィレット殿?」


「剣聖っ! それがお前の狙いかっ!」


 怒気も顕に間合いを詰めてくるリンフィレット殿の踏み込みは、今まで見た事も無い程にするどいものにござった。


 一瞬にして間合いの内、目前に迫る白い影に何とか反応するのがやっと。いつの間に手にしていたのか蒼い槍が振るわれるのを、どうにか刃で受けるが精一杯にござった。


 必死で槍撃を打ち払った拙者が見たものは……。


 一人の白き夜叉女にござった。


 額より突き出した一対の角は気高く天を衝き、夜闇の雫のような黒髪は白に染まり、元の肌の白さと相まってさながら幽玄の如く。

 黒かった両瞳は怒りに紅く爛々と輝き、そこに映るモノを逃さぬ意思に満ちてござった。


「……聞いた事がござる。夜叉女の中に希に現れる、紅き瞳と白髪を持つ特異な存在。……リンフィレット殿」


 姫夜叉。……確か、そのように呼ばれる存在。


 戦闘力に秀でた鬼人族の中でも上位種である夜叉族。その夜叉族の中にあってさえも、一際飛び抜けた存在なのだと以前に耳にした事がござった。


「何をぬけぬけとっ! 知っていたのだろうがっ!」


 姫夜叉の頭蓋は値千金。高価に過ぎる魔術具の材料として取り引きされる事もあるらしいとの事。怒りと憎しみに滾る紅い瞳に睨み付けられながらも拙者は、どこか納得していたのでござる。


 話して見ればどこか教養を感じ、隠れ住むように慎ましやかに暮らしていても、立ち振舞いに卑しい所無し。


 何故、斯様かような御仁が斯様な場所にと、疑問に思いはしても聞かば失われそうな気がして、問えなかっただけの事。


「はは様っ! 待って下さいっ!」


 再度振るわれる槍撃に身構えた時、家の中から声を上げたはアドルファス殿にござった。


「アドルファスっ!」


 リーンシェイド殿に気を取られ、一緒にいたハズのアドルファス殿を失念していたのは拙者の失態にござる。

 アドルファス殿は全身血にまみれ、ふらつきながらも必死に戸口によりかかってござった。


「剣聖は違うっ。剣聖は助けてくれたんだっ、剣聖は拐われそうになったリーンシェイドをっ、奴らから助けてくれたんですはは様っ!」


「アドルファス殿っ!」


 必死で叫びながら倒れそうになる所を、手にしていた刀を放り投げ抱え込んだのでござる。


 ……咄嗟の事とは言え、それまでの拙者では考えられぬ行動にござった。


 殺気を放ち、怒りを顕に武器を持った相手を前にして拙者は、自ら己の命と定めた刀を、……放り投げたのでござる。


 後悔も逡巡もござらんかった。


 ただその時は、そうするべきであると。むしろ、何を考え思うでもなくアドルファス殿を抱き抱えたのでござる。


「剣聖は、違う。違うんですっ」


「傷に障るでござる。今は安静にっ!」


「はは様っ、剣聖は、……違うんですっ」


 アドルファス殿は出血は目立つが致命的な傷は無く、けれどもその傷の多さに、無慈悲に対する不快感を覚えたでござる。


 殺す気の無い傷は則ち嬲る為のモノ。

 リーンシェイド殿を拐おうとしていたのを思えば、リンフィレット殿を煽る為か、さもなくばリーンシェイド殿を脅す為のものにござろう。


 戸惑いながらも元の黒髪に戻ったリンフィレット殿は槍を消し、幼子二人の元へと駆け寄ってきたのでござる。


 必死な様子で二人を抱き抱えるその姿は、いつものリンフィレット殿と些かの違いもござらんかった。


 





 

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