♯123 見てました(魔王の憂鬱16)
多分、お茶の時間なんだろう。
山百合の描かれた白磁のティーポットから、ほのかに香る水色の透明な液体がカップへと注がれる。
「ヒカリモモゴケの中でも特に若いものを選んで、よく乾燥させたものを丁寧に煎じたものだ」
螺旋を描いてなだらかに口を広げるティーカップを満たすそれは、うっすらと光ってるようにも見えた。
賢者は白く細い指先をティーカップに絡め、口元へとゆっくり近づけると、その香りを存分に楽しむ。
石造りのテーブルに優雅に腰かける賢者。
至福の一時を楽しむ姿を、俺は黙って睨み付けていた。
依然として身体は自由にならない。
「清涼な中にあるほのかな甘さが心地よい」
「……心地よい。じゃねーよ。何考えてやがる」
預かるだのまかせろだの言ってたクセに。
何もせずに茶なんか飲みやがって。
そもそもの意味が分からん。
「見ての通りだな。……お前こそ、いつまでそうしてるつもりなのかと私は問いたいぞ?」
「知るかっ! 身体が動かねぇんだから仕方ねぇだろっ!」
何故か顔だけは動けるようになったので、怒鳴りつける事だけは出来るが……。
正直情けない事この上ない。
怒鳴りつけた所でどこ吹く風な様子が忌々しい。
「ふむ……」
何を思ったのか賢者は一つ深く頷き、カップをテーブルに下ろすと、立ちあがってゆっくりとこちらへ近づいてきた。
身構えようにもピクリとも動かない身体に、嫌な緊張が走る。
黒いローブを目深に被っている所為で表情も読めないし、何を考えてるのかさっぱり分からない。
賢者がすっと片手を伸ばす。
ごくりと喉がなるが、その指先から視線を外す事が出来ない。
白く細い指先がどんどんと近付いてくる。
耳を掠めるようにして、顔の前を横切った。
「な、何をっ……」
頭の後ろで何かを手折る音がする。
視界に戻って来た指先には、一房の木の実が申し訳程度に摘み取られていた。
「茶請けにリコの実を取りに来ただけだ。そのように無駄に気構えずとも良い」
どこか楽しげにそう言うと、房の中から一粒の実をもぎ取り、口に含む。
……このやろう。
わざとやりやがったな。
完全におちょくってやがる。
ローブの奥で性悪そうに頬笑む口元が見に目えるようで、いっそうむかっ腹が立つ。
「……てめぇ。性格悪いって言われた事あるだろ」
「……答える必要は無いな。余計な事を考えてる暇があったら、とっととするべき事を覚えよ」
もう少し近ければ噛みついてやるのに……。
賢者は甘い匂いを残してすぐに背を向けてしまう。
全くもって意図が掴めない。
敵意が無いのだけは何となく分かるが、敵意が無いからといって害意が無いとも限らないし、はっきり言って友好的であるとは言い難い。
最奥の賢者……。
何者なんだ、こいつ。
「……まったく。ままならぬな」
ため息に呆れを含ませて、賢者の視線が俺の斜め前に落とされる。
そこにはぷかーっとレフィアが浮いていた。
どういう原理なのかは分からんが、……幻影、なのだという事は分かる。
等身大のレフィアの幻影が、まるで実際にそこにいるかのように映し出されていた。
空を眺めながら、気持ち良さそうに水にぷかーっと浮かんだまま、さっきからまったく動く気配が見られない。
やたら達観した目で遠くを見てやがる。
こういう顔をしている時のレフィアは、あんまりろくな事を考えていない事が多い。多分、面倒臭いとか思ってんだろうなコイツ。
……らしいっちゃ、らしいが。
不安とか危機感とか無いのか、お前は。
「一人見知らぬ森の中へと放り投げられたのだ。普通は焦ったり、先行きの不安に悩むものであろうに。……どういう娘なのだ、これは」
「そういうヤツとしか、言いようが無いな……」
何か、……あれだよな。
レフィアを見てると、憤ってたりするのがどこかに飛んでいきそうになる。
……自由に生きてるよな。
いつまで浮かんでんだ、コイツ。
「ふむ。どうやら観念して動きだしおったか」
馬鹿みたいに浮かんでいたレフィアがとぷんと唐突に沈み込み、くるっと身体をひっくり返して泳ぎはじめた。
幻影はレフィアとそのすぐ側しか映し出されていないので、周りの状況はあまりよく分からない。
……多分、水の中っぽいので、岸に向かって泳ぎはじめたのだろう。水をかき分けている様子は何となく分かるが、幻影の映し出されている場所は移動しないので、どこに向かっているのかはさっぱり分からない。
「安心せよ。約束通り身の安全だけは守ってやる。そうそう容易く手は出さぬがな」
約束を守るつもりはあるのか。
信用出来るものでは無いが、こうして無事な姿が見られるだけでも安心する。
様子を眺めていると突然、レフィアが慌てはじめた。
酷く驚いた表情で大きく手足をバタつかせ、何かから逃げようとしている。
「……何かに、襲われてるんじゃないのか?」
「はて。一体何を見たのか。酷く慌てておるようだな」
うっすらと涙目になりながらも必死で逃げようとしてるっぽい。
ただ、よほど慌てているのかその場でバシャバシャと水飛沫を立てているようにしか見えない。
正直、逃げているのか遊んでるのか分からん。
一頻り暴れた後、肩で大きく息をしてあらぬ方向を呆然と眺めたかと思うと、慌てて水の中から這い上がっていった。
「何やってんだ、コイツ……」
ゾンビのようにのっそりと歩きだしたかと思うと、今度は突然表情を輝かせ、魔法の構築をはじめる。
浮き沈みの激しいヤツだよな。
……知ってたけど。
注意深く観察していると、どうやら『乾燥』の魔法で服を乾かそうとしているのだと分かる。
確か分類的に生活魔法なハズだが、いつの間に生活魔法なんて覚えたんだ。……使えるのか?
魔法の構築が完成して、『乾燥』が発動する。
どうやらちゃんと発動したようで、ずぶ濡れだったレフィアの服がみるみる乾いていく。
無事に発動して乾いていくのはいいんだが、どうも様子がおかしい。
ぐっしょりとずぶ濡れの衣服があっという間にカラッカラになってるようにも見えるが、『乾燥』の魔法って普通はそんなに急速には乾かないハズ。
異常な程の速乾性に一抹の不安を感じる。
自分の身に起こった異常性にようやく気づいたのか、喜色満面だった表情が一瞬で青ざめていく。
慌てて風化し始める衣服を押さえるが……。
もう遅い。
……。
……。
全裸で何やってんだ。お前は……。
「……身一つでとは言ったが、何故自ら進んで丸裸になっておるのだ? この娘は」
身体を隠しながらあわてふためいてしゃがみ込む姿に、賢者でさえも呆れ返っていた。
……。
……。
正直、ちょっとラッキーだと思わなくもない。
状況が状況だけに、素直に喜ぶ訳にもいかないけど。
いや、嬉しくない訳でもなくて。
何と言えばいいのか。……その。
……。
形が好きだ。
「ふむ。中々メリハリのある体つきをしておるな」
「……変な目でアイツを見るな」
例え同性であってもイラッとするものはする。
意外だったのか、賢者が俺の様子に驚いたような反応を示す。ゆっくりと裸のレフィアと俺を見比べ、無言で何かを考え込んでしまった。
「アスラの子であるお前が、人族の、それも『器』の娘に劣情を抱くか」
「……劣情って言うな」
「では何と言うと?」
……。
……。
聞くなよ。
ぐっと堪えて睨み付ける。
「まさか愛だとかと言い出すつもりではなかろうな。なるほど、見れば美しい娘だ。性欲を刺激されるのも頷ける。情婦として肢体を貪りたくなるのも分からぬではない」
「婚約者だ」
わざとだと分かった。
わざと下品な言い方を選び、こちらを挑発してるのだろうと言う事は分かったが、……面白くもない。
賢者の下らない戯れ言を止める為に、敢えて挑発にのってやる。
「レフィアは俺が唯一人として望んだ、俺の婚約者だ。性欲だの劣情だの、下らねぇ事言ってんじゃねぇ」
俺は変な目では見ていない。
純粋な心で見てた。……うん。
「……本気か、お前。自分が何を言ってるのか分かっているのか? あれは『器』の娘だ。それがどういう事なのか、本当に分かっておるのか?」
またかよ。
『器』の娘。セルアザムと賢者の会話でも散々出てきた言葉だ。
聖都で勇者から聞いた話と照らし合わせれば、レフィアが『福音の聖女』であるという事を言ってるんだろう。
『福音の聖女』は魔王を倒す為に女神をその身に降臨させる事の出来る『器』となる事が出来る。だから、『器』の娘か……。
知るかそんなの。
「レフィアはレフィアだ。器だの何だの関係ねぇ」
聖女と魔王じゃ駄目だってか。
それとも人族とアスラ神族の違いか?
そんなもん、どーでもいい。
一々雑音を絡めてくるじゃねぇ。
「アスラの子が『器』の娘を求めるか。……因果だな」
何を言われようともぶったぎってやろうとして、意外な賢者の反応に肩すかしを食らう。
もっとこう、種族だの立場だので突っかかってくるかと思ってたのに、意外にも賢者はどこか納得したように押し黙ってしまう。
……因果?
何を言ってんだ、コイツ。
さっぱり訳が分からん。
「『器』についてはどこまで知っておるのだ?」
からかい気味だったさっきまでとは明らかに様子を変え、静かにそう問いかけてきた。
「自分の命と引き換えに、光の女神をその身に降臨させる事が出来る……、それが出来るだけの魂の器を持ってるんだろ」
素直に答える義理も無いが、賢者の真剣な様子に、知っている事を答える。
その答えに納得がいったのか、賢者は一つ頷くと、くるりと踵を返してテーブルへと戻る。
「降臨の儀に挑んだ者が塩の塊となって砕け散るのは、魂の器が許容限界を超えて砕けるからだ。魂の器が直接砕ける時に感じる激痛は身体で感じる痛みを遥かに凌駕する。文字通り全身が塩の塊となって砕け散る程の、想像を絶する痛みをともなうのだ。……それが故に、死に至る」
カップに口をつけ、落ち着いた様子で淡々と説明をはじめる賢者。何だか降臨の儀の事に詳しそうな所は、さすがに賢者と呼ばれるだけの事はあるのかもしれない。
レフィアに関係してる事かとも思えば、先を遮る理由もない。
コイツが何を知ってるのか。
それが気になった。
「だが過去に一人だけ、降臨に耐えきった器を持つ娘がいた。驚くべき事にその娘は、女神の降臨に耐えきれるだけの魂の器を持っていたのだ。……それがアリシアだ」
アリシア。
初代聖女アリシアの事か。
確かに初代聖女アリシアは女神をその身に降ろし、初代魔王を討伐したというのは何度も聞いたが……。
……耐えきった?
「違うだろ? 初代聖女は女神の降臨に耐えきれず、塩の塊になって砕け散ったと聞いている。……耐えきってねぇだろ」
「あれはアリシアが自ら望んだのだ」
「……は? 望んだって、……何を」
賢者の言いたい事が今一つよく分からない。
女神を降臨させた代償は命を失う事だと、勇者は確かに言っていた。勇者が嘘をつくとも思えんし、事実としてアリシアは塩の塊になって砕け散ったんじゃないのか?
怪訝に眉を潜める俺に、賢者がそっと答えを返す。
「あの娘の望みは悪魔王を討ち滅ぼす事ではなく、救済する事にあったのだ。悪魔王にとどめを差す直前、あの娘は自らで自身の魂を砕き、塩の塊となって果てた」
……。
……。
は? どういう……。
何を言ってるんだ、コイツは……。
初代聖女が初代魔王を助けた?
……初耳だぞ、そんなん。
初代魔王は初代聖女に倒されたんだろ?
それじゃあまるで、初代魔王が生き延びたかのように……。
「その顔だと何も聞いておらぬようだな」
「何をだ……」
一つ間を置き、賢者ははっきりと言いきる。
「悪魔王は死んではおらぬ」
……なっ!?
は?
死んではいないって、初代魔王がまだ生きてる?
生きてる訳ねーだろ。
何を突拍子も無い事を突然……。
「唯一人、女神を受け止める事の出来たアリシアは、悪魔王を助ける為に死んだ。……レフィアとか言ったか。あの娘の『器』は、そのアリシアと比べても遥かに大きい」
「……レフィアが、初代聖女よりも?」
「死なぬよ、あの娘は。例え降臨の儀を行ったとしても」
魂の器が降臨に耐えられるのなら、死なない?
レフィアの器は初代聖女を、……超える?
困惑を深める俺に、さらに賢者が追い討ちをかける。
「本当に、何も話しておらぬとは」
「誰の話だ……。誰の事を言ってやがる」
賢者の言葉に、最も身近な人物の姿が思い浮かぶ。
誰よりも長い時間、ともにあった人物。
まさかという思いが込み上げてくるが、それ以外に思い当たる人物がいない。
賢者の口から、予想通りの名前が告げられる。
「……セルアザムだ。あの悪魔王はかつてアリシアによって、救われたのだよ」
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