♯121 オルオレーナ
「あり合わせで申し訳ないけど、どうぞ」
「……ありがとうございます」
マグカップに注がれた香草スープを啜る。
真夏とは言え、あれだけ水の中に入っていれば身体も冷える。ほどよい温かさが空っぽだった胃袋に心地よい。
ふわりと香るバジルの風味と、適度な胡椒の刺激に舌鼓を打つ。
「……美味しい」
やっぱり栄養は口に入れてナンボだ。
魔法に頼らなくてよかったと実感する。
「それはよかった。喜んでもらえて何よりかな」
小首を傾け、色っぽいウィンクとともに差し出される右手から静かにそっと、視線を逸らした。
……リアクションに困る。
「予備の着替えも中々似合ってる。まさか君みたいな可愛らしい女の子と、こんな森の奥深くで出会えるなんて。最初に見た時は本当、本物の泉の妖精に出会えたのかと思ったよ」
「……何か、色々とすみませんでした」
借りた着替えに身をすくめ、ペコリと頭を下げる。
恥をしのんで、予備の着替えがあったら譲ってもらえないかどうか交渉した結果、快く譲ってくれたのはかなり助かった。
さすがにこの先、素っ裸のままで歩き回る訳にもいかない。
……ただ、借りた白いブラウスと軍用ズボンがどちらも男モノなのには疑問も残る。
女の人、……だよね?
「その美しい裸体をいつまでも晒されてしまうと、僕にとっても目の毒だからね。遠慮はいらないよ」
「……お目汚しをすみません」
泉から少し離れた場所で倒木に腰掛け、こうしてスープまでご馳走になってしまっている。
申し訳なさが勝るけれど、妙な違和感も否定できない。
どこか芝居がかった所作や言い回しが少し気にはなるけど、スラリとした細面の美人さんで、お話の中に出てくる王子様が着ているような、青いベルベットの豪奢なジュストコールがとても様になっている。
いや、まぁ……。
何で女の人なのにジュストコールを着てるのか、ちょっと疑問には思うけど。
とりあえず、こんな森の中でばったり出会うような種類の人にも思えない。ここは綺羅びやかなお城の舞踏会場でもなければ、紳士淑女のサロンでもない。最果てと名のつく未開の地。
しかもほとんど手ぶらに近い。
身の回りにある荷物らしきものは、片手で抱えられる程の手提げ袋位しか見当たらない。借りた着替えもマグカップや調理器具なんかも、確かにあの袋から取り出したのを見てたけど、……容量が何かおかしくね?
とても普通の手提げ袋にも思えない。
じっと手提げ袋を見つめて不審に思っていると、私の視線に気づいたのかそっと双眸を崩して、手提げ袋をさっと目の前に持ち上げてくれた。
「これが気になるみたいだね。何やら難しい顔をしているようだけど、多分思ってる通りのものさ」
「魔術具、……ですか、それ」
「ある人から譲り受けたものでね。こんな小さな袋だけど、これでも中に荷馬車一台分の荷物が入るんだ。重宝させてもらってるよ」
……やっぱり。
でもだとすると、余計に違和感が残る。
魔術具なんてそんなにホイホイ出回るものでもないし、お値段だって天井知らずだろうに。そんなモノを無造作に扱ってる所や、譲り受けたとか言ってるんだから、相当な立場か、そりなりの身分の人なんだと予想はつく。
そんな人が、何でこんな所に一人で……。
少し不作法に過ぎる気もするけど、つい気になって、マジマジと様子を観察してしまう。
だってやっぱりおかしいもの。
私に言えた義理じゃないけどさ。
「それで……。何で君のような可憐なお嬢さんが、手荷物の一つも無く、こんな所で裸体を晒していたのかな?」
……ぶっ。
改めて聞かれた問いかけに、思わず口に含んでいたスープを吹き出してしまった。
……だよね。
そりゃ、普通は気になる。
私だってそんなのに遭遇したら疑問に思うもの。
こんな人気のない森の奥で荷物も何も持たずに一人、素っ裸で一体何してるんだと。
……自分で言ってて悲しくなってきた。
あまり客観的に考えるのは止めておこう。
恥ずかしくて悶死にしたくなる。
かぶりを振って思考を切り換える。
「……話せば長くなるんですが」
突然変な人に泉の中に飛ばされて、濡れた服を乾かそうとしたら全裸になりました。
……。
……。
やべ。長くならない。
意味も分からない。
どう説明したらいいんだろう、これ。
何と言っていいか分からず無言のまま押し黙ってしまう。その様子に何かを察してくれたのか、眉間を押さえ、苦悩の表情で目を伏せられてしまった。
「申し訳ない。配慮に欠けてしまっていたかな。言い出しづらければそれでも構わないんだ。……むしろ、早く忘れてしまえるように願っているよ」
うん。早く忘れてしまいたい。
そして盛大に勘違いされたっぽい。
どうやら乙女として傷を追ったかのように思われてしまった。
……ある意味、乙女としてあるまじき失態だけど。
私もどう説明したらいいのか分からないので、ここはあえて訂正しないで押し通しきりたい。
「……ごめんなさい。ありがとうございます」
心から心配してくれてる様子に良心が痛む。
……けど、そもそも、私自身が自分の置かれた状況をあまり把握しきれてないのだから、詳しく説明のしようもない。
さて困った。
ふと、袖のカフスがチラリと視界を掠める。
青いジュストコールによく似合う青緑のカフスだ。
……宝石だろうか。これもすっごい高価そう。
気になったのはそのカフスに刻まれた模様。
中心が左にずれた十字の形に見えるんだけど。
これ、もしかして……。
「……左、十字?」
覚えたばかりの図柄に思い当たる。
「ん? ああ……。これの事かな」
視線の先にあるカフスがキラリと光った。
「まだ名前も言ってなかったね。すまない。僕はオルオレーナ。ラダレスト本神殿で従士隊の隊長をしている」
「……レフィアです」
女神教の人だったのか。
弔いを済ませたあの人達の仲間、……だろうか。
従士隊。……従士隊って何だ?
騎士団とはまた違うものだったりするんだろうか。
「……レフィア。……レフィア?」
「はい?」
オルオレーナさんは一瞬きょとんとした後、顎に指を添えて小難しい表情で考え込む。
「確かそれは、アリステアの聖女の名ではなかったろうか。マリエル・フィリアーノ・エル・レフィア。……まさか、君が?」
「違います。ただのレフィアです。上にも下にも何もくっつきません」
いずれくっつく予定ではあるけど。
……。
……。
そう言えば、どんな名前がくっつくんだ?
よく考えたら魔王様のフルネームをよく知らない。
魔王リー様。リー様か……。
リーってファーストネームなのかファミリーネームなのか、どっちだろう。
それっぽくは無いけど、もしファミリーネームだとすると、私の名前にもリーがつくんだろうか。
レフィア・リー。
うん。まぁ……。
何のコメントもしようが無い。
私の名前がリリーとかじゃなくて良かった。
リリー・リー。
こんな名前じゃ愛を育めるか心配にもなる。
「そうか。それは失礼を。……もしかしてアリステアではよくある名前だったりするんだろうか?」
……おっと。全然関係無い事考えてた。
「どうでしょう。少なくても私の知る限りでは、同じ名前の人は周りにはいなかったような気がしますけど……」
「……そうか。綺麗な名前だね。麗しい見目にぴったりの良い名前だ」
「……ありがとう、ございます」
何故か瞳を潤ませて、キラリと歯を光らせるオルオレーナさん。
……確かに美形ではあるんだけど。
芝居がかったような仕草と言い回しがたまに気になる。魔王様じゃ逆立ちしたって出てこないような誉め言葉に、どこかくすぐったいものを感じる。
ここはわひゃひゃひゃと笑ってもいいんだろうか。
駄目だよね、多分。
あまり続くと笑い出してしまいそうでむず痒い。
よし。話題を変えよう。
「その、従士隊って何ですか? 騎士団とはまた違うものなのですか?」
「んー。あまりこういう言い方は好きでは無いのだけれど、言わば騎士団の中でも選ばれたエリート集団だと言えば、分かりやすいかもしれないかな。よりリディア教皇のお側に仕える為のものさ」
要するに、近衛騎士団のようなものか。
納得しました。
「……その隊長さんって事は、オルオレーナさんはエリートの中のエリートさんなんですね」
「いや、僕は……」
軽い気持ちで返した一言に、オルオレーナさんの表情が一瞬、強張ったように見えた。
……何か言い方を不味ったかな。
「……姉なんだ」
少しためらった後、オルオレーナさんは方頬をそっと持ち上げて苦々しくそう呟いた。
「リディア教皇は実の姉でね。身内だって事で僕みたいな放蕩者であってもこんな役職を任されてたりするんだ。だからエリートとは、……ちょっと違うかな。……ハハッ」
うん。これは言い方を間違えたっぽい。
芝居じみた雰囲気がなりをひそめ、力無く否定する様子がより素のようも思えた。
普段からよっぽど気にしてるんだろうなぁと思える。
会ったばかりのどこの誰とも知れぬ小娘の前でくらい、見栄を張っても良かろうに。
……悪い人では無いんだろうけど、損するタイプのようにも思えてしまう。
女神教の教皇の弟さん……。
ちゃう。妹さんか。
見た目が男の人の格好だから少し混乱してしまう。
そんな事で嘘をついた所で、後でバレたら大事だろうし、……まぁ、本当の事なんだろうなとは思う。
別にだったらどうだと、何をする訳でもないし。
逆にそれならそれで、身の回りの品物が高価そうな事にも納得しないでもない。
こんな所に一人でいる事の疑問が、さらに強くはなるけれど。
「……その、従士隊の隊長さんが、何でこんな所に一人でいたりするんですか?」
分からない事は直接聞いてみよう。
何よりそれが一番早い。
なるべくさらっと聞いたつもりだったけど、あまり触れられたく無い事だったみたいで、少し逡巡した後、オルオレーナさんは重い口を申し訳なさそうに開く。
「……隊員達とはぐれてしまってね」
……迷子かい。私もだけど。
「野営中に突然襲われたんだ。応戦しようとしたんだけど、これがまた厄介な相手でね。物理的な攻撃が全く効かなかったんだ。……それどころか、応戦すればするほどにより不利な状況へと追い込まれて行って。……逃げてしまったんだ、僕は」
落ち込んだ様子で、まるで懺悔でもするかのように話すその内容に、ふと言葉を飲み込んでしまう。
……おいおい。
まさか、それって。
「あれはまるで炎の蛇としか言いようがなかった。この世のものとも思えない恐ろしい怪物から無我夢中で逃げ出してしまい、気がつけば、……部下達からはぐれ、一人になってしまっていたんだ」
もしかしなくてももしかするかもしんない。
私達が弔ったあの人達の、……隊長さん?
「……情けなくて、申し訳ない」
オルオレーナさんは一言そう謝罪の言葉を口にすると、肩を落として頭を抱えた。
その謝罪の言葉が目の前にいる私に向けられたものでは無いのだろう。
何となくだけだけど、それだけは確かにはっきりと、感じられた気がした。
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