♯97 裏切られた信頼
「全く……、信じられん事をする」
衝立ての向こうからガマ先生の嘆息が聞こえる。
診断が終わり、下着をつけながらうなだれる。
「すみません。……ただ、助けたい一心で」
「お願いですから、もっと自分を大切にして下さい。見ているこっちの方が心労で倒れそうです」
側に立つ聖女様にも怒られた。
けど、ああでもしないと、きっとダウドさんはあのまま……。それだけは、やっぱり我慢なんか出来ない。
謝りはするけど、もし同じ場面があったら、私はまた同じ事をすると思う。せずにはいられない。
「ごめんなさい。でも、後悔はしていません」
「……ですよね。レフィアさんですもの」
上着に袖を通して、衝立ての向こうのガマ先生に声をかける。
検査の結果、ダウドさんは陽性反応だった。
やっぱりあれは、七夜熱の高熱期の症状で間違いないらしい。すぐさま神殿内に防疫体制が整えられ、今は特効薬の継続投与が試みられている。
予断を許さない状況なのは変わらないけど、これはある程度、予想と覚悟の出来ていた事。
むしろ問題なのは、私の方だった。
ダウドさんの救命行動の説明を聞いたガマ先生に、怒髪天を衝く勢いで叱られた。
「感染者に人口呼吸するなっ、死にたいのかっ!」
要救助者に疾患の疑いがある時は無理に人口呼吸を行わず、心臓マッサージだけでも良いのだそうだ。
……それはそうかもしれないけど、こっちだって必死だったんだもん。
すぐさまガマ先生の診断を受ける事になった。
どうでもいいけど、ガマ先生の言葉使いが素に戻ってる。法主様に言われて、言葉使いを無理に正す事を止めたのだそうだ。
……法主様、いらん事を。
聖女様が手伝いを申し出てくれて、奥の小部屋へと入る。ガマ先生が衝立ての向こう側へと周り込むと、下着を含めて衣服を脱ぐようにと言われたので、ぱっぱっと脱ぎ捨てる。
「……下はそのままでいいんです」
「あ、……はい」
準備が出来た事を伝えると、ガマ先生が衝立ての向こう側からいくつか質問を重ねていく。
白目の色や口腔内の様子なんかは、聖女様が確認して、ガマ先生に答えてくれる。
驚いたのは触診で、ガマ先生の指示した場所を聖女様がガマ先生に代わって触り、その様子を事細かに伝えていく。
聞いてみるとこれが、身分のある女性の一般的な診断方法なのだそうだ。
なんちゅーまどろっこしい事を。
「信じられん事に、感染の兆候が全くみられん」
衝立ての向こう側から出てきたガマ先生が、呆れた様子で頭を抱えていた。
直前にやった検査薬の反応も、全くの陰性だったらしい。
「……感染の疑いは無いみたいですね」
「感染者に経口で人口呼吸しといてまったく何も無いとか、にわかには信じられんが、陰性だ。疑いは無い」
うん。落ち着いて考えれば怖い事をしていた。
疫病患者の口に、直接経口で息を吹き込むとか。
頭に血が昇ってカッとなってしまっていたけど、多分あれは、私を止めた護衛騎士の人の行動の方が正しかったんだと思う。
……名前も知らないけど、突き飛ばしたりしてごめんなさい。
「女神の加護、なのだと思います」
聖女様がポソリと呟く。
女神の……、加護?
「レフィアさんには女神の加護があるのだと思います。そういうのを、以前に聞いた事があります」
「何ですか? それ」
「女神の加護を持つ者には、一切の毒や薬が効果を見せず、病気や瘴気の類いも寄せ付けないのだとか。……何か、心当たりはありませんか?」
心当たり言われても。
女神の加護?
そんなもん、今ここで初めて聞きましたとも。
……なんじゃそりゃ。
「……毒や薬と言われても、今まで病気になった事が無いので、あまり薬を飲む事も無かったですし。お酒にも酔わないので魔来香もどうだか。腐ったものを口にしても、胃腸が丈夫なのでお腹を壊した事もありませんし……」
超健康優良児でしたから。
もちろん現在進行形で。
「瘴気の類いは、加護が無くても、……ほら、ね。何というか、まだ乙女なので。……こう」
「……何の事だ? そりゃ」
さすがに、男の人であるガマ先生の前では言いづらい。
瘴気は未経験の乙女には効果が薄いので、まだ未経験の自分は大丈夫! ……とは言えんわな。
聖女様が何かを察したのか、物凄く疲れた顔をして、眉間を押さえた。
「……レフィアさん」
「……はい」
「瘴気と性行為の有無は関係ありません」
「……はい?」
えっと。
……はい?
「例え未経験の処女であっても、瘴気には冒されます。まったく関係無いんです」
「……え? だって、……はい?」
だって、そんなの。
アドルファスの時だって、亡者の時だって。
瘴気は全く問題にならなかった。
……。
乙女である事と瘴気が関係無い!?
何で、それなら、何で今まで……。
「どうしてそう思ったのか甚だ疑問ではありますが、その様子からして……。まず間違いないでしょうね」
女神の加護。
いつまに、そんなものが私に……。
「よく分からんが、一切病気にかからないとか理解の範疇を超える。全くもって、常識の埒外だ」
「はははっ……。ですよね」
私の理解の範疇だって超えてますとも。
女神の加護か……。
これも、福音に関係してるんだろうか。
そっと言外に意味を含んで聖女様を見ると、黙って頷いてくれた。
……福音と関係してるらしい。
何だこれ。
福音って、何かすげー。
「ともあれ、皆が心配しています。今後の事もありますし、急いで皆の所へ戻りましょう」
「ああ……。ここからが、正念場だ」
三人で深く頷いて、小走りで小部屋を後にする。
私に感染はしていなかった。
それには胸を一つ撫で下ろすけど、実際、高熱期の感染者が一人出てきてしまっているのだ。
ガマ先生は言っていた。
高熱期の感染者が一人出ると、爆発的に感染が広がると。
……でも、何故。
薬は、法主様の決断で聖都に住む全員に無償で配られたハズだ。配布漏れが無いように、徹底して行われていたにも関わらず、配布漏れがあったんだろうか。
それとも、飲まなかった? 何故。
飲んだにも関わらず発病したのだとしたら、それはそれで別の問題も出てくる。
高熱期の感染者の発生に、疑問がつきない。
足早に会議室へ戻ると、部屋の中は剣呑な雰囲気に包まれていた。
「貴殿は何を考えているのだ!」
「釈明出来るものなら、今すぐここでせよ!」
事態が事態だけに、皆も興奮してるのかと思ったけど、何か雰囲気が微妙に違う気がする。
「戻りました。レフィアさんに感染の疑いはありませんでした」
「……それは何よりだ。ここでレフィアさんにまで感染させてしまったとなっては、あちらに顔向けが出来なくなる所だった」
聖女様が法主様に結果を告げ、部屋の奥へと進んでいく。
私も聖女様と別れて、リーンシェイド達の側へと並んだ。
何か普通に顔を並べてるけど、私達部外者だよね。今さら無関係面するのも変だけどさ。
いいんだろうか、これ。
こういう場に同席してたりしても。
「……何かあったの? えらい怒号が飛び交ってたけど」
「感染者の発生について、その原因が分かったからだと思います」
「……え? 分かったの? もう?」
物凄いスピード解決じゃないか。
アリステア首脳陣も、中々やりおる。
「旧市街に配られた薬の一部が、中身をただの胃薬にすり替えられて配られていたようです」
リーンシェイドの言葉に耳を疑う。
「何……、それ」
スーッと、全身の血の気が引いた。
血の気が引いて、どす黒い感情が再び沸き上がる。
意味が分からない。
……どういう事だろうか。
「ハラデテンド伯爵の指示だったそうです。先程まで、薬をすり替えた当人がここにいました。良心の呵責に耐えきれず自ら名乗り出たそうなのですが……、何を今更ですね」
「ハラデテンド伯爵が? ……何故」
「その追及に至っている所です」
薬の一部を胃薬とすり替えて配った?
ありえない。……ありえないでしょ、そんなの。
一人でも高熱期の感染者を出したら、薬の効果が弱まってしまう。ガマ先生は確かにそう言っていた。
だからこそ、だからこそ法主様は、漏れなく聖都の全住民に薬が行き渡るよう、無償配布に踏み切ったって言うのに。
薬を飲んでない人達がいるのなら、それらの行為に意味が無くなってしまう。
何で、何でわざわざそんな事を……。
「ハラデテンド伯! 黙ってないで何か言うべきではないのか!」
「……私は、私が悪い訳では無い! 仕方の無い事なのだ! 私は、自分が間違っているとは思っておりません!」
「貴殿の所為で高熱期の感染者が確認されたのですぞ! この期に及んで何を申されるか!」
ハラデテンド伯爵が一人、周りから吊し上げを食らってる状態になっている。
こういうやり方は、あまり好きじゃないけど、ハラデテンド伯爵のやった事がやった事だ。決して許される事ではない。
何で、そんな事を……。
「貴殿らは口を揃えて薬と言うが、それが一体、何の薬なのか、本当に分かっておられるのか!」
「言わずと知れた事、七夜熱の特効薬ではないか! だからこそこうして国をあげて、防疫体制を整えているのだろう!」
「それが七夜熱の特効薬だと、何故分かる? どうやって証明すればよいのだ! ガマ殿はなるほど、確かに権威のあるお方に違いない、だが、ガマ殿一人がそう言ってるだけでは、何の証左にもならないではないか!」
「貴殿はガマ殿と、ガマ殿を信頼する法主の判断を信用ならんと申されるか!」
「私ではない。私が信じるか信じないかではないのだ。それを他の国が信用出来るかどうかが大事なのだ。その証拠が必要なのだ!」
他の、……国?
ハラデテンド伯爵の言わんとする事の先に、とても嫌なものがあるような気がして、眉をひそめた。
……まさか。この人。
「貴殿らは分かっておらぬ! 本当に分かっておられぬ! もしこれが本当に七夜熱の特効薬だとして、その処方を我らが持つという事の、本当の価値を!」
「……ハラデテンド伯。それは、どういう事であろうか」
カーディナル卿が難しい顔をして進み出てきた。
「今まで七夜熱は不治の病として、その病理研究もままならぬままただ怖れられてきました。けれども我らは、その特効薬となる薬の処方を手にしたのです! これは、我らの力となります! 対外的に資金を集める事の出来る、我らの武器になりうるのです!」
「我らの武器であると?」
「七夜熱の特効薬の処方を我らが有する。これは、何と素晴らしき我らの武器でありましょうか! リグニア石の買い取りや、薬の無償配布で損なったものを補うに余りある利益を、我らにもたらしましょうぞ! だがそれは、他の誰が見ても七夜熱の特効薬だと認めざる得ない、実証を経てこそのものでもあるのです!」
……待て。
だから、……何。
だからと言って、お前は何をしたと言うの。
だからお前は……。
どす黒い感情が、腹の奥底でのたうちわまる。
「それが薬をすり替えた事に対する、貴殿の言い分か」
「これは必要な事なのです! 発生を完全回避してしまっては、証にならぬのです! どの道、我らの慈悲がなければ薬を購う事も出来ぬ者達です。その対価に多少の犠牲を求めたとして、それがいか程のものか!」
何を言ってるんだ、コイツ。
わざと七夜熱の発症を求めた?
薬の中身を、……すり替えてまで?
今まで、好きにはなれなかったけど、コイツの言い分にもそれなりの理があるとは思っていた。
ただ、考え方や意見が違うだけなのだと。
でも、これは、……違う。
貧乏人は死ねと、そう言ってるのと同じだ。
生まれが貧しければ犠牲になっても構わない?
違うだろっ!
「彼らの尊い犠牲によって、我らの利が生まれるのです!」
ふっざけんなぁ!
衝動にかられて身体が勝手に動き出す。
勢いをつけて人の間をすり抜け、ハラデテンド伯爵の胸ぐらを掴み、力まかせにひねり上げた。
「っひ!? な、何をっ!?」
驚愕に表情を歪ませるのを見ても、怒りが収まらない。
頭の中がまっ白になっていた。
コイツだけは、許せない。
コイツのした事が、絶対に許せないっ!
沸き上がるどす黒い感情のまま。
私は、握りしめた拳を大きく振り上げていた。
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