♯90 お・ま・え・か



 一日置いて次の日の夜。

 内殿の一角。聖女様の私室。


「それでは。よろしくお願いします」


 ふっふっふっふ。


 世の男どもが妄想の中で切望して止まない、男子禁制の禁断の領域に今、私達はいる。


「あの……。何だか照れますね。こういうのも」


 少しはにかんだ聖女様が、落ち着かないのか、モジモジしながら遠慮がちに微笑んだ。


 くっ。そんな風にされると、封印したハズのおさーん心が、わっきわっきとムラムラーッシュしはじめてしまうではないか。

 自然と鼻の穴が広がる。

 聖女様の私室は、いい香りがした。


「女同士で何やっとらせるか。背景に不毛な花しょっとらんと、とっととはじめやーせ」


 少しぐらい乙女してもいいじゃん。どけち。


 ……乙女はしてないか。

 ムラムラーッシュなおさーんだった。


 綺麗に整えられた部屋の真ん中。

 本来であれば、テーブルを囲む感じなんだろうけど、今日は床の敷物の上に直接座り込んでいる。

 はりきって用意してくれたであろうお菓子が山盛りに置かれ、お茶の準備も一式用意されていた。


 フランクにしたいっていう私の要望に、精一杯答えようとしてくれたんだと分かる。

 部屋の中には新たにベッドも四つ、運び込まれて置かれてたりする。


 こんな横着、普段は絶対しないだろうに。

 それでも、私の為に出来うる事を懸命に考えてくれている姿が見に見えるようで、それが嬉しくもある。

 いつもの凛とした様子とは違い、ソワソワと落ち着きの無い様子がとても可愛らしい。


 らっぶりーっ! 噛みついてもいいですか。


 内心を隠して淑やかにつとめる。

 ふっふっふっふっ。

 私だってそれなりの猫は持ち合わせてるさ。


「……っという訳で、さっそくはじめましょう」

「はい。よろしくお願いいたします」

「何がという訳なのかは分かりませんが、煩悩を爆発させる前に、一つよろしいでしょうか。ご報告したい事があります」


 リーンシェイドさんからチラリと、どこか冷めたような呆れた視線を貰ってしまった。

 だから何で考えてる事が分かるんだ……。

 この鬼姫様、猫効かねーでやんの。


「何か、……悪い報せでしょうか」


 聖女様が不安気に問い返す。

 何だろう。怖い程の緊張が伝わってくる。


 リーンシェイドさんはすっと、四人の前に四枚のカードを差し出した。絵の描いてあるカードだ。

 カードっていうか、……ブロマイド?


 ……。


 ……。


 ……あれ? これ。もしかして。


「……私? リーンシェイドのもある」

「え? これ……、もしかして私達、ですか?」


 ブロマイドを直接手に取り眺める。

 私やリーンシェイド、聖女様やベルアドネがそれぞれに一人一枚ずつ、とても精巧に描かれていた。


 油絵でもなく水彩画でもない。

 実際の状景をそのまま切り取って張り付けたような、まるで生きてるかのように瑞々しい絵だ。


 ……絵、だよね? こんなの初めてみた。

 どうやって描いてあるんだろう。


 一つ不思議なのは、聖女様はともかく、私達のブロマイドまである事だ。

 ……ブロマイドだよね、これ。どう見ても。

 何で私達がブロマイドになってるんだろう。


「今、街の男性の間で密かに取り引きされてる、立体ブロマイドなるものだそうです。これらは昨日、たまたまから押収したものと、今日一日かけて集めてきたものです」

「密かにって……。確かにこのような物に、神殿は許可を与えてはいませんが、絵姿を記したブロマイドは以前からもありましたし。……ここまで精巧なものは初めてですけど。これ、どうやって描いてあるんでしょう」

「リーンシェイドが何だか怒ってるのは、もしかしてこれの所為? ……勝手に絵姿を売り買いされてるのが気に食わないのも分かるけど、何もそこまで怒らなくても……」


 聖女様と一緒に、ブロマイドをしげしげと眺めながら首を捻る。

 リーンシェイドはそんな私達をよそに、氷点下の視線をベルアドネにギロリと向けた。


「これ一枚、銀貨一枚で取り引きされているそうです」


 脂汗を垂らしながらベルアドネがそっと視線を反らした。

 何だろう。明らかに不審なヤツがいる。


「ぎ、銀貨一枚!? これ一枚で、ですか!?」

「ちょっと上質な食事処でそこそこのディナーのフルコースが食べれちゃうね。ブロマイドとしては高すぎる気がする」


 ガシッと。身をよじって逃げ出そうとするベルアドネの腕を、リーンシェイドが掴んで押さえた。


「……だそうです。ベルアドネ様」

「わ、わんしゃ、何の事だか……」


 お・ま・え・か。


 いや。……ちょっと待って。


 慌ててブロマイドをもう一度マジマジと見る。

 とても精巧に作られてはいるけど、ただそれだけだ。

 過去にベルアドネが作ったものを考えると、それだけで済むハズがない。


 ハッと思い立って魔力を少量注いでみる。


「……やっぱり」

「……え? 嘘」


 魔力を注がれたブロマイドから幻影が浮かび上がる。

 描かれていた絵柄そのままに、さながら小さな人形がそこにあるかのような、精密な幻影だ。


「なるほど。ブロマイドね」

「これ、どうなって……。幻影……? すごい。まるで生きてるみたい……」


 聖女様は目をまん丸にして驚いてるけど、私はある意味、とても安心していた。


 とりあえず、ちゃんと服は着てる。


 この阿呆の事だから、また全裸かと不安になってしまったじゃないか。

 色々前科があるから疑ってしかるべし。


 けど私の安心は、リーンシェイドによってさらりと崩された。


「それを、光源にかざしてみて下さい」

「なっ!? ちょっ待っ……。あかんっ」 


 ……。


 ……。


 ベルアドネの慌てように不吉なものを感じる。

 まさか……。


 私と聖女様は幻影をそっとランプにかざした。


「……なっ!? 嘘でしょ!?」

「……。……。おい」


 幻影の衣服が光に透けて、ボディラインのシルエットがはっきりと浮かび上がっていた。

 何というか、乳房の形だとか腰からお尻にかけてのラインだとか。シルエットラインが生々しい。


 おいこら残念変態ど阿呆娘……。


「すでに相当数が出回っており、回収は不可能だと思われます」

「ででで出回ってっ!? ここここれがっ!?」


 羞恥に身悶えする聖女様がどもる。

 普段どこで何やってるかと思えば。

 やっぱり、……しょーもない事やってたか。


「……まったく。あんたは」

「……何の事だか、わんしゃにはさっぱりだがね」

「ここにきてとぼけるか」

「知らんもんは知らんせん」

「よし、分かった。ならこうしよう」


 あくまでしらを切るベルアドネの前で、わざとらしくブロマイドをくるくると回し、ピタッと指ではさんでこれみよがしに見せつける。


「これを持って帰って、シキさんへのお土産にしよう。さぞや喜んでくれるに違いない」

「えろうっ、すみませんでしたっ!」


 ベルアドネは降伏した。


 ……そんなに怖いなら最初からやるんじゃない。

 本当、技術だけは高いくせに無駄使いばっかりしてやがる。


「……これは。……何というか。レフィアさんって、ずいぶんと着痩せするタイプなんですね。まさか、こんな……」


 聖女様が立体ブロマイドを光にかざして、実物の私とこっそり比べはじめてた。……主に胸を。

 さっきまでの羞恥はどこに行ったのか、何だか興味津々なご様子。


 ……ちょいと。聖女、……様?


「……身も心も捧げて忠誠を誓ったのに、交換? 交換って何ですか。あんっなに軽くほいほいと。……誰が誰の何ですって? いいじゃないですか。そんなに執着しなくたって、いずれは花嫁になるんですから。なのにブロマイドごときで、……たかがっブロマイドごときで」


 リーンシェイドも独りでブツブツと言い始めた。

 声がこもっててあまり内容がよく聞こえないけど、交換やらブロマイドごときだとかと聞こえてくる。


 正直、目が据わっておられます。

 ……一体何があったんだ。


 ……。


 ……。


 ヤバい。何だこの状況は。

 初っぱなからカオス過ぎる。

 何でこうなった。


「ベ・ル・ア・ド・ネ」

「わ、わーった! か、代わりにこ、これ! とっときのこれを提供しやーすから、そんな険のこもった目でみやーすな」

「……ん? 何かあるの?」


 カオスな状況の主犯をねめつけると、容疑者は懐からいくつかの包みを出し始めた。

 何だろう。手の平大の包みだ。

 綺麗な紙で一つ一つ丁寧に包んである。


 一つ手に取って包みを開けると、プニプニッとした一口大の饅頭が包みの中に入っていた。


 これ……。まさか。


「……花餅?」

「知っとらっせたんか。ヒサカ名物の花餅だがね」


 んー。花餅か。

 確かに美味しいけど、これでチャラには……。


 ……。


 いや。待てっ!


「くんくん……。香りが、……違うだとっ!?」

「ふっふっふっふっ。ただの花餅と思っとらしたか。これなるはヒサカでも老舗の名店、『まつや』の新作。そんじょそこいらにある花餅と一緒にしとったらあかんがね」


 し、老舗の名店!?

 何だかよく分からないけど、言葉の響きに確かなオーラを感じてしまう。


「こっちから、青梅餡。くるみ餡。芋餡」

「おおー。何か美味しそうじゃないかっ!」


 思わず拍手喝采してしまう。


「ふふふふ。これで満足したらかんがね。さらにはまだ売り出し前の新作を、何とかなだめすかせて煽てて掠め取ったこれっ!」


 ……実家で何やっとんのじゃお前は。


 心の中で呆れつつもベルアドネの出した最後の新作とやらにも興味を惹かれる。

 その花餅は、ほんのりと薄紅がかっていた。


「……これは? 何だか甘い匂いがするけど」

「ふふーん。はっはー。聞いて驚きやーすな。これぞ花餅の革命作っ! その名も、苺グミ餡っ!」

「い、苺グミ!?」

「プニプニのぷるぷる食感が特徴の花餅の皮で、甘さを控えたさらにコロコロのクニクニ食感の苺グミを包んだ意欲作! これぞまさに、まつやの究極最終決戦兵器だがねっ!」

「な、なんだとぉおおっ!? うぉおお!?」


 ヒサカの老舗の名店『まつや』の新作商品を並べて、ベルアドネは深々と頭を下げた。


「これらの品々で何卒。おかあちゃんには内密の方向で。……どうかお一つ」


 ……そう来たか。やりおる。


「致し方あるまい。その方の誠意、しかと見届けた」

「……おんしゃも意外とノリがええでやーすな」

「誘っといて先に素に戻るとか。……まぁ、甘いモノは別腹っていうし。よきかな、よきかな」


 まぁ、これで手打ちにしてやってもいいかな。

 苺グミ餡。苺グミ餡。

 未知の食感に期待が高まる。


「ベルアドネさん。今、どこから出したんですの?」

「ん? どこって、亜空間からに決まっとるがね」


 聖女様がベルアドネにおずおずと話しかける。


 亜空間? なんじゃそりゃ。


「わんしゃら幻魔の一族は、総じて高い魔力と限りの無い寿命を持っとらーすが、代わりこの身体はどの種族よりも虚弱であらっせる。それを克服したのが幻晶人形でやーす。……レフィアには一度説明した事があらーしたな」

「その人形に魂を移して、変わりに行動するんだよね?」

「人形に……、魂を移す?」

「そっ。仮りそめの人形に魂を移す事によって、毒も病も聞かない丈夫な身体を手に入れたんだがね。……けど、その時、本来の身体はどこにあると思いやーす?」

「魂の抜けた方の身体、……だよね。どこにあるって、どっかの棺に入れて隠したるとか?」

「……どこの吸血鬼でやーすか。魂の抜けた身体は何よりも無防備だがね。放っておいていい訳もあらせん」


 いい線行ってると思ったのに。

 隣りで聖女様がポンと手を打った。


「それが、亜空間!」

「そういう事だがね。幻魔の一族はすべからく、亜空間収納を使う事ができやーす。亜空間の中は時間も止まっとりやーしてな。えろう便利に使えやーすんよ」


 なるほど。なるほど。

 ふむふむ。


「はいっ! 先生。一つよろしいでしょうか」

「うむ。何でやーすかね。レフィアくん」

「亜空間って何でしょーか!」

「うーん。こことは違う空間? 別軸にある平行空間……、でやーすかね?」

「分っかりませっん!」


 空間が違うって、……どういう事だろうか。

 素直に質問すると、意外にもベルアドネは親身になって答えてくれた。

 こういう所もあるし、悪い子じゃないんだよね。

 頭いいくせに馬鹿だけど。


「実際に見た方が早いがね」


 思いついたように言うと、ベルアドネはすっと目を閉じた。


 ブンッと身体の輪郭がぼやけたような気がする。

 すると、ベルアドネの身体が前のめりにバタッと倒れ込んだ。


「……えっ!?」


 まるで今まで一つに重なっていたかのように、ベルアドネの身体が二つ身に分裂した。

 今の今までベルアドネの姿をしていたモノが人形に変わり、絨緞の上に横たわる。いつか見たあの水晶のようなもので出来た人形だ。

 けど、当のベルアドネは座ったままでいる。


 何これ、凄い。


「こういう事でやーすな」


 ふふんっと得意気になるベルアドネ。

 見ようによっては、ちょっとグロテスクにも感じるって分かってんだろうか。


「今のが、その、亜空間から出てきたってヤツ?」

「ま、そーいう事だがね」


 ドタッと、私の横で聖女様が倒れた。

 衝撃の光景に卒倒してしまったっぽい。


「ありゃりゃ。……ちと、聖女には刺激が強かったようでやーすな」

「……まぁ、それなりにショッキングな光景ではあったけどさ」


 一人ダークサイドにいるリーンシェイド。

 目を回して卒倒してしまった聖女様。


 ……まだお泊まり会は始まったばかりなのに。

 何だ、……これ。


 思ってたんと、ちょっと違う。

 もっと、和気あいあいとしたのがしたかったのに。


「……ま、夜は長いがね。気楽にいきやーせ」

「お・ま・え・が言うなーっ!」


 とりあえず、生身のベルアドネを殴っとく。

 ……なんでこうなった。





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