♯82 前髪だけが……



 大通りから側道へと入る。


 新市街の綺麗な街並みをいくらか進んでいくと、大きな用水路が見えてくる。生活排水用の下水路だそうだ。

 その用水路に架けられた堅牢な石橋の上を、馬車は車輪の音をゴトッゴトと立てて渡っていく。


 用水路によって隔てられた先からが、旧市街と呼ばれる区域になる。


 目的の場所につくまでの間、再起動をしてもらったアネッサさんから、色々と話を聞く事も出来た。

 幼馴染み同士が結婚する話を聞いて、興奮気味のアネッサさんはとても上機嫌で、会話の内容もとても弾んでいた、……ように思う。


「はい。それで法主様が、広く才能を登用する為に試験制度を始められたんですっ」


 路面の様子が変わったのか、時折大きく車輪が跳ねる。

 元々丁寧に作られた、聖女様の印章がつけられた馬車である事もあり、中に伝わる振動はそんなに大きくもない。

 馬車を囲むように歩く勇者様やアドルファスにあわせて、ゆっくりと進んでるのも大きいけど。


「それで、その試験にアネッサさんは合格したんですね」

「いえ。がっつりと落ちてしまいました!」


 ……はい?

 アネッサさんの経歴を聞いていると、所々に分かりにくいボケが入ってくる。


 ごめん、意味が分からん。

 元気に言えばいいってもんじゃないよーっ。


「だって、それで登用制度を使って神殿に勤めるようになったんですよね?」

「頑張って勉強した甲斐もあって、試験問題そのものは大丈夫だったんです。けど、途中で試験監督官の人が交代して、そこで入って来た人が……」

「来た人が……?」


 アネッサさんが顔の前にぴょこんと立てた人差し指を、じっと見つめる。

 そぉーっと慎重に、アネッサさんはその指を自分のおでこに当てた。


「ハゲてるのに前髪だけが残ってたんです!」


 ……おい。こら。


(※以下のアネッサの発言は読む必要はありません)


「何でこの人は前髪だけ残ってるんだろう。前髪の一房だけ残して後は剃り上げてしまったんだろうか。それにしてはつやっとした頭皮には毛根の跡も見られず、不可抗力の内に抜け落ちてしまった跡地に違いない。ならばなぜあの前髪だけが綺麗に残ってしまったのか。実はアレは前髪に見えるだけで、前髪ではないんじゃないかと。そもそも前髪とは頭部の前方に生える髪の毛の事をいうのであれば、もしあれが前髪でないとしたら一体何なのか。人間はすべからずして眉毛は二本と決まってます。けれど、それは今まで私が見てきた、ほんの僅かな人達の共通項でしかないんです。これから先に出会う人に、必ずしも当てはまるものでもありません。だとしたら、前髪に見えるあの黒くてフサフサとした物体群が三本目の眉毛だとしても、それを否定する事は出来ません。前髪だと思わせといて眉毛だったなんて可能性も捨てきれないんです。なんで眉毛がおでこの上の方から生えているのか、その疑問を謎解く手掛かりとなるのはやはりフゴッハァゴフッ……」


 突然はじまったアネッサさんの一人喋りに、慌ててその口を両手で塞いでしまった。


「ちょ、ちょっとまったぁぁあああっ!」

「フゴッ?」


 掌の裏でフゴフゴと不思議そうに小首をかしげるアネッサさん。

 キョトンとしてこっちを見てるけど……。


 何!?


 一体今のは何だったのか、こっちが知りたい。

 

「分かった。前髪ハゲの事はもう分かったから。いい? 前髪ハゲの事は分かったから、それからどうしたのかを教えてね」


 目と目を合わせ、コクリと頷くのを確認して、そぉーっと両手を離した。

 教えてねとは言ったけど、試験に落ちた理由は……、何となく分かってしまう。


 ……そこで止まったのね。


「……とまぁ考え込んでいたらですね。終わってしまっていたんです。試験の時間が。びっくりでした」


 本当にびっくりだよっ!


「もしかしてアネッサさんが度々止まるのって……」

「よく言われます。止まってるつもりは全く無いのですが止まってるって。昔から珍しいものを見たりすると、つい考える事に没頭してしまうクセがあるみたいなんです。……中々直らないですよね、クセって」


 クセですましていいんだろうか、それ。

 止まってる時は何か色々考え込んでいた訳か。


 確か二回程、私を見て止まってた気もする。

 何を考えてたかは聞かぬが花だろう。


 ……さっきの内容からして。


「それで試験に落ちたと」

「はい。ですが、結果発表を見て落ち込んでいる時に、声をかけられたんです。私の答案用紙の内容に疑問を持っている人がいるから少し話を聞かせてくれないかと」

「答案用紙の内容に、疑問?」

「その時の試験問題の内容が実は、一問目に一番の難題を持ってきて、下にいくほど順番に難易度を下げてあったらしいんです」

「ごめん、……どういう事?」

「一般的に学問の習熟度を測るための試験では、簡単な問題から難しい問題へと順番に並んでいるのが普通なんです。どこまで身に付けたかを測る為のものですから。そうする事によって、習熟度が一目で分かり易いようにしてあるんです。ですが、その時の試験問題はそれを逆手に取って、難しい問題からはじめ、わざと受験者を焦らせようとする意図があったのだと言っていました」

「……誰が?」

「法主様がです。呼ばれていった先に法主様がいらしたのには驚きました。そこで、法主様にお話を聞く機会を設けていただいたんです!」


 試験問題か……。

 筆記試験とか、今までやった事ないし、どんなもんなのかが今一つ分からないんだけど、……大変そうだね。


「……って、答案用紙に疑問を持った人って、法主様だったの?」

「だったみたいです。びっくりですよね。法主様が直々に受験者の答案用紙を、それも不合格だった私の答案用紙にまで、一つ一つ目を通しているだなんて。私の答案用紙が、前半の難しい部分にだけ解答してある事を不思議に思われたそうなんです」

「聖女様が、法主様は神殿の誰よりも働いてるって言ってたけど、そりゃそうだ。そんな事までしてたら、そりゃ忙しすぎて多忙にもなるよね」


 すげぇな法主様。

 それがいいか悪いかは別として。

 働き過ぎなんでないかい?


「でもおかげで、法主様にもう一度試験に挑戦する機会をいただけまして。無事に神殿に登用して貰えたんです」

「あ、試験はちゃんと受け直したんだね」

「はい。別の日に改めて、一人きりで受けました!」


 ガタンっと馬車が止まる。


「着きましたね。では先に行って先生にご挨拶をしてこようと思いますので、失礼します!」


 アネッサさんが元気良く馬車から降りていく。

 その後ろ姿を見送りながら思う。


「だいぶ変わった人だよね。……頭はいいけど」

「人よりもちょっと変わった人ほど、他人を見て変わってるとは気づいても、自身は普通だと思うものですしね」


 振り向くとリーンシェイドに見られてた。


 ……普通だよ? 私は。

 

 アネッサさんの後から馬車を下りる。


 あのアネッサさんが師事した人か。

 ものすっごい面倒臭かったろうな。


 旧市街の石畳は新市街のものとは違い、かなり凸凹が目立っている。凹みには泥が入り込んで固まってしまっているようで、そこからチラホラと雑草群も顔を出していた。


 石畳の地面、……ではあるんだけど、一見するとむき出しの地面に、ちらほらと飛び石が埋まってるようにも見える。

 メンテナンスの行き届いた新市街とは、地面からして様子が違う。


 建物にいたってはさらにボロボロだった。

 以前は石造りの建物であっただろう名残りなのか、崩れかけた石壁がかろうじて残るばかり。とても建物の姿を保っているようには見えない。

 石壁の奥にあばら家のようなものが見えるので、あの中に住んでいるんだろうとは分かる。


 ……分かるけど。


 これ、旧市街というよりも最早廃墟に近い。

 新市街との思った以上の落差に驚く。


 ここ、……同じ聖都だよね?


「正直言うと、ちょっとびっくりしてる」

「同じ街の中なのに、ずいぶんと落差があるみたいですね。表が綺麗なだけ余計にそう思えるのかもしれません」


 リーンシェイドも同意見のようだ。


 ここにアネッサさんの先生がいるのか……。


 ……。


 ……。


 あれ?


「アネッサさんの先生ってどんな人だっけ?」

「その説明が一切ありませんでしたので、分かりかねます。かろうじて会話が出来ればいいという位に思っていれば、多分大丈夫なのではないでしょうか」

「……リーンシェイドのそれもどうかと思うけど」


 考えてみると、道中肝心の先生についての説明が無かった気がする。

 どんな人なんだろう。


 会えば分かるか。


 ポンタくんに馬車を見ててもらい、勇者様やアドルファス、リーンシェイドと一緒に、アネッサさんの入っていた一角へと続いて入っていく。


 崩れかけた石壁から中を覗き込んだ時、今にも大樽が飛んできそうな勢いで、ダミ声の怒声が聞こえてきた。


「何しにきやがった! とっとと神殿へ帰れ!」


 条件反射で一瞬ビクッと足をすくめてしまった。

 怒鳴りなれてる感じがする。

 何だかウチのお母さんみたい。


「せんせーい。私ですよ? アネッサです!」

「んな事ぁ見たら分かるわっ! とっとと帰れ!」

「良かったー。忘れられてるかと思って焦っちゃったじゃないですか。先生に会いたいって人達も一緒に来てるので、すぐに来ていただきますね」

「知らんっ! 連れてくんなっそんなもんっ!」


 ……とても元気な挨拶が聞こえてくる。

 聞こえてくるのはいいんだけど、これ、挨拶なんだろうか。とても歓迎されてるようには思えないんだけど。


 バタンッと戸が開いて、中からアネッサさんが出てくる。アネッサさんは私達に気付くと、腕をパタパタと振って呼び声を上げる。


「レフィアさーんっ! こっちですっこっちっ!」


 嬉々として呼んでくれているけど。


 ……何だろう。不安しか感じない。

 何か、怒ってやしないかい? 先生。


 大丈夫なんだろうか。


 アネッサさんに誘われるままに、戸の中へぞろぞろと入っていく。


外から見るとボロボロの廃屋のようだったその家は、中に入ってもやっぱりボロボロだった。


 けれど、建物のボロボロさ加減とは裏腹に、家の中はきっちりと整頓され、埃一つ無いように見えた。

 外見とのチグハグさに意外なものを感じる。

 埃っぽい外気と違い、中はまるで神殿内のように清潔に保たれていた。


 壁にはずらっと薬品が置かれた棚が並び、床の真ん中にはベッドが一つと、書類が山のように積まれた古い机がある。

 その机の前にドカッと座り込む御仁は、苦虫を噛み潰したような顔で腕組みをしていた。


 どっしりとした体格で、上背がある。

 鋭い目元は黒く落ち込んでいて、ボサボサの髪とヒゲとが相まって、威圧感が凄い。

 山奥で出会ったてたら、まず間違いなく山賊の頭だとしか思えない。


「ガマ先生。こちらが聖女様のご友人で、外から色々と学びに来ているレフィアさんです」

「えっと。レフィアです。はじめまして」


 何をどう言ったらいいのか分からないので、とりあえず頭を下げておく。


 何かすごい顔で睨まれてるんだけど。

 これ、……大丈夫なんだろうか。


「それで、こっちが私が以前に師事していた先生で、ガマ先生です」


 よろしく、と言おうとした所で、そのガマ先生がダァン! と目の前の机を勢い良く叩いた。


 ガマと言うよりクマの間違いじゃないの?


「ここは病人の来る所であって、健康な奴等が来る所じゃないっ! とっとと帰れ!」


 腹の底から響くような怒声を上げて、ガマ先生が吠える。

 何か知らないけど、めっちゃ怒ってる?


 ……何で?


 さて、どうしようかと考えてると、アネッサさんがトコトコとガマ先生の前に進み出てくる。


「所で先生、どうしても処方の事で行き詰まってしまったんですけど、先生のお知恵を是非お借りできませんでしょうか」


 ガマ先生の怒声を歯牙にもかけず切り出すアネッサに、ガマ先生は一人頭を抱え込んでいた。





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