♯58 聖女の焦燥5



 レフィアさんの魔力で魔法陣が満たされる。


 ベルアドネさんが制御し、魔法陣から送られてくる魔力を私が術式に組み込む。

 『祝福』の魔法を、さらに広範囲に施す為の魔法陣を構築はしてみたものの……。


 ありえない。


 何!? 何なの!?


 後から後からどんどん送り込まれる魔力量が増えていく。

 現状でさえも、すでに相当な量の魔力を使っているというのに、使う量よりも送り込まれる量の方が多い。……多すぎるっ!


 術式の拡大が間に合わない。

 送り込まれてくる魔力量の増加に対応しながら、構築する魔法の術式を拡大、増幅しているけど、広げた端から足りなくなる。


 どこまで増えるのっ!? これっ!

 処理が、全く追い付かないっ!


「っぐ!」


 ベルアドネさんの表情が苦痛に歪む。

 魔法陣からの圧力を必死で押さえ込んでいる所為で、表皮の毛細血管が弾けて、両腕が赤く染まっていた。

 異様な光景に冷たい恐怖を感じる。


 ……尋常じゃない。何なの? これは。


 レフィアさんはうすぼんやりとした表情で魔力を供給し続けている。

 トランス状態へと入ったらしい。


 全ては最初の打ち合わせ通りだった。

 それで上手くいくハズだったのに。


 レフィアさんの内包していた魔力量が、ただひたすらに、想定していたレベルから遥かにかけ離れていた。


 人の内包する魔力量の最大値は、その人の魂の器の大きさに関係してくるのだと言う。

 魂の器は生れた時に決まるもので、訓練によって多少の拡張はあったとしても、自らの意思によってその大きさを変える事はほぼ出来ないと言われている。


 だからこそ、魂の器の大きさ、すなわち、内包する魔力量の最大値の値を以て、魔法使いの適正を測る事なんかもされている訳で。


 ……レフィアさんにその適性があるのは何となく感じてはいたけれど、まさか、ここまでのものとは。


 それまで普通に暮らしていたのに、ひょんな事からその適性が認められ、魔法職の才能を開花させた。……という話は確かによく聞くけれど、それにしても、レフィアさんのコレは常識外れにしても程がある。


 これだけ魔力を引き出しているというのに、まだ底が見えない。


 どこまで、……どこまで増え続けるのっ?


「あぐっ! がぁっ!?」

「ベルアドネさんっ!?」


 魔法陣からの圧力に負け、ベルアドネさんが立ち位置から弾き飛ばされた。内装の柱へと勢いよく背中から叩きつけられる。


 ……嘘でしょ。人一人を弾き飛ばすとか、何でそこまでの圧力がかかるのっ!?


「来たらあかんっ! その場から動きやーすなっ! 魔力が暴走してまうっ!」

「……はっ、はいっ!」


 思わず駆け寄りそうになった身体を止める。

 ベルアドネさんの言う通りだ。制御を失った魔力が、魔法陣の中で勢いを増して渦巻いている。

 不用意に動いていたら、あの魔力に飲み込まれてしまう。……慌てて、間違いを起こす所だった。


 溢れる魔力を少しでも減らすべく、必死で構築を続ける。


 間に合わない。

 こんなの、出来る訳がっ……。


 ふいに勢いが増した気がして顔を向けると、レフィアさんの身体が光に包まれていた。

 光に包まれたレフィアさんの身体がふわりと浮き上がった。


「嘘……。身体が、浮いてる……?」


 光がさらに膨れ上がり、部屋を満たす。


 力が、……氾濫した。


 ……。


 ……。


 ……ありえない。


 ありえないっ!


 こんなの、ありえないっ!?


 光に飲み込まれて視界が白一色に染まった。

 魔力の圧力差に感覚が酔わされる。右も左も、上下の感覚さえあやふやになる程にぐるんぐるんと目が回る。


 嘘だ。


 こんなの嘘だ!


 人一人の魔力がこんなに膨大な量になるなんて。

 こんなの、絶対にありえないっ!?


 ふと、誰かの言葉が困惑する脳裏を過る。


『これが本当に神託のあった子なのか?』


 ──違う。


『伝承はよほど大袈裟だったらしいな』

『こんなもんか。たかが知れるものよ』


 ──違う。違う。違うっ!


『この程度の者を、わざわざ神託で選ぶとは』


 ──嫌。嫌だ。


 確信を持って沸き上がる答えを、全身が否定する。


 それを否定して生きてきたハズだ。

 それらの声に負けないように生きてきた。


『星をも動かす力』


 今、目の前にあるものは何……。


『山をも消し飛ばす力』


 視界を全て覆い尽くす程の魔力……。


 頭の中の冷静な部分では分かっている。

 でも、身体がそれを理解する事を頑なに拒んだ。


 ──違う。嫌だ。嫌だっ!


 そう、違う。違ってた……。違ってた。

 叔父様はあの時、魔の国に来る前に何かを隠してた。

 何かを私に悟らせまいと、隠してた。


 ……気づいていたんだ。

 叔父様はあの時から、気づいていた?


 だから、……隠した。


『その方、まさか私に間違えられて!?』


 ──違う。嫌だ。そんなの、……嫌だ。


 間違えられていたのは、……違う。

 レフィアさんじゃない。


 間違えられていたのは……。


 ……。


 ……。


 私だ。


「嫌ぁぁぁぁぁああああああああ!」


 足に力が入らずに座り込んでしまった。

 必死に身体を抱き締めても震えが止まらない。


 ……怖い。怖い。怖い。

 ……誰か助けて。叔父様っ!


 嘘だった。全部嘘だった!?

 だったら何で、何で私は……。


 家族とも切り離された。

 生まれ故郷の記憶なんてほとんどない。

 石壁に囲まれた部屋で辛い修行に耐えてきた。

 同年代の子達が楽しそうにしてるのを横目で見ながらも、ひたすら役目に没頭してきた。


 ──嫌だ。そんなの、嫌だ。


 目の前に現実を突きつけられる。

 人の努力の及ばない力。魂の器。

 まるで太陽のような尋常ならざる魔力量。


 星をも動かす、山をも消し飛ばす力。

 神託の御子。福音の聖女……。


 この娘だ。


 レフィアさんこそが、本物の、福音の聖女だ。


 自分の身体を強く抱き締める。

 震えが、……止まらない。


 私は、……偽物だった。

 私の、12年間は……。嘘……。


 どこかで否定したい気持ちがあるのに、否定しきれない程の、歴然とした魔力量の差。


 こんなの、どれだけ頑張ったって敵わない。

 こんなの……、敵うわけない!


 天を引き裂いたかのような轟雷が轟く。


「ひぃっ!?」


 意識が現実世界に無理矢理引き戻された。

 白い闇が払われて音と視界が戻ってくる。


「こんの馬鹿娘がっ! 何やっとらーすか!」


 魔力で満たされた部屋の中に、小さな人影が入ってきた。

 よく見えない。まだぼんやりと視界が霞む。


「魔力の増幅経路をちゃっちゃっと切りやーせっ! こんなんいつまでも増幅しとったらあかんがねっ!」

「……おかあちゃん? 何で、ここに」

「何でもクソもあらーすか。クスハに頼んで連れてきて貰ったんだて。いつまでも帰ってこーせんと思ったらこんな所で。……まったく。……。……よう頑張らせったな。身体は動きやーすか? まぁちっと、気はりゃーせ」


 小さな人影は、倒れているベルアドネさんの側へ駆け寄ると、そっと抱き起こしている様子だった。


 ……おかあちゃん?


「起点の娘は、……心配ねぇだな。よう頑張っとらっせる。増幅経路を、そう、そうやって切り離して、開いた箇所を魔力プールにして、余圧を逃がすようにして、そう、やりゃできやーすがな」


 ベルアドネさんが魔法陣へと戻り、その人の言う通りに操作すると、氾濫していた魔力が収まっていくのが分かる。


 ……凄い。


 的確な指示で、魔法陣の魔力経路をあっという間に安定させてしまった。


「そう、魔法陣を満たす魔力経路は全体のバランスを保つようにしやらんと。経路の細部にとらわれとったら、全体がわやになるがね。しんどいだろうけど、あとまぁちっと辛抱しや」

「おかあちゃん。ありがとう……」

「……あとは、あっちの娘さんだがね」


 小さな人影が、こちらに近づいてくる。

 ベルアドネさんがおかぁちゃんと呼んだその人は、ずいぶんと……小柄だった。


「……嫌。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ」


 頭のどこか片隅では冷静でいられる自分がいるけど、口から出る言葉は駄々っ子のそれでしかなかった。

 身体の震えも止まらず、足腰に力も入らない。


 近づいて来たその人影に、ふいに抱き締められた。

 何が? と驚く間も無く、その温もりと優しい香りに身を委ねてしまった。


「もう大丈夫。大丈夫だがね。よう頑張りやーした。本当に、よう頑張りやーしたな」


 抱き締められ、その懐深くで頭を優しく撫でられる。

 撫でられるたびに、荒だっていた気持ちが凪いでいくような気がして、……涙が溢れてきた。


 ……私、泣いている。


「魔力の氾濫を目の当たりして、自分を見失っとるだけだがね。大丈夫。おんしゃなら、大丈夫だて。ゆっくりでええ、自分を落ち着かせやーせな」


 幼さを感じるけれど、どこかとても優しい、心地の良い穏やかな声だった。


 両手で押さえた口から嗚咽が漏れ、どこか麻痺していた感情が溢れだしてくるのが分かる。

 意識と身体のズレが重なりあう。

 いかに自分が混乱の極みにあったかを強く自覚させられた。


 ほんの僅かな時間だったけど、自分を取り戻した私を確認すると、抱き締められていた腕がほどかれる。

 ほどかれた事にふと寂しさを感じた私の両頬に、まるで涙の跡を覆うように小さな掌が添えられた。

 顔を向き合わせると、麗々とした象牙細工のような少女と目があった。……どこかベルアドネさんに似てるかもしれない。


「ベルアドネのおかあちゃんのシキだがね。心配はいらせん。えらい別嬪さんが台無しだて。……大丈夫、落ち着いて、少しずつ、少しずつ息を調えやーせな」

「……はい」

「わんしゃにも分かりやーす。おんしゃも、相当に頑張ってきやっせたんな。見れば、十分に分かりやーす。今、おんしゃは途方もない魔力に飲まれて自分を見失ってるだけだて、落ち着きさえすれば問題ねぇ。積み重ねてきた苦労は、決しておんしゃを裏切ったりはしねぇから」


 ……苦労は、裏切らない?


「えらい術の使い手さんみたいだが、そこまで鍛えるのも生半可な事じゃなかったハズだて。これまで、ようさん苦しい事もきつい事も乗り越えて、踏ん張ってきやーせとるハズだがね。それらの日々や、積み重ねてきた時間は、ちゃーんと、おんしゃの中に刻み込まれとりやーす」

「私の中に……」

「それは、おんしゃだけの本物だがね。他の誰にもどうにもできやーせん。おんしゃだけの確かな力だがね」


 ……積み重ねてきた時間。

 この、12年間の私。


 ……そうだ。私は、聖女として頑張ってきたんだ。

 そうあるべくとして、そうありたいとして。


 確かに、私は福音の聖女ではなかったけれど。

 聖女のすべてに福音がもたらされる訳ではない。

 むしろ、そうでない方が多いハズなのに。


 こんな事で、何を落ち込んでいたんだろうか。

 私が福音の聖女である事を、他の誰よりも疑問に思い、それを否定してきたのは、他ならぬ私じゃないか。


 私を肯定するものは、私がこれまで培ってきた時間。積み重ねてきた修行の日々だ。

 今までだって、それを誇りにして胸を張って生きてきたんだ。これからだって、それでいいハズだ。


 魔力の氾濫に自分を見失っていた。

 ……確かにそうだ。

 自分に福音があったかどうかなんて、今までどうでもいいと思って生きてきたじゃないか。


 私は誰だ。

 私は何だ。


「私はマリエル・フィリアーノ・エル・レフィア。ずいぶんと長くなってしまったけど、52代目の聖女。それが今の私の名前です」

「うん」

「ありがとうございます。おかげで落ち着く事ができました。……もう、大丈夫です」


 そうだ。

 例えレフィアさんが本当の福音の聖女であったとしても、52代目の、今代の聖女が私であることに変わりはないハズだ。


 レフィアさんが内包する魔力量は、確かに途方もないものだけど、レフィアさんにはまだ魔法を構築するだけの技術も知識も足りていない。

 今必要なのは、私が聖女として積み重ねてきた経験と技術だ。


 今後、レフィアさんが技術と知識を得て、聖女となる事を望むのであれば、私は聖女としての役割を、レフィアさんに譲り渡す事になるのかもしれない。


 でも、それは今、この時ではない。


 ならば私は、今、私が為すべき事を為すのみ。


 ベルアドネさんのお母さん、シキさんが見守る中、私は再び自分の足で立ち上がり、魔法の構築をはじめた。


 ──ありがとうございます。


 もう、ほとんど記憶には無いけれど、本当の私のお母さんもああやって、私をあやしてくれたりしたんだろうか。


 お母さんに、会いたいな……。


 祈りを込めて『祝福』を構築する。

 魔法陣に満たされている魔力量を見誤る事無く。

 広く、広く、深く、……優しく。


 これだけの魔力量だと、一体どれほどの大きさの『祝福』の魔法陣が出来上がる事か。

 ただ、魔力の圧力に逆らわぬよう、流れを澱ませぬよう、深い祈りをささげる。


 この地に住まう全ての命に。

 あまねく命に惜しみない祝福を。


 マリエル・フィリアーノ・エル・レフィア。

 聖女の名の元に。






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