♯16 姫夜叉と私



 天井が崩れて迷宮トロルが埋まった。

 ついでに通路も埋まった。


 ……崩した張本人のカーライルさんは、瓦礫の向こう側だろうか。

 まさか巻き込まれてはいまい。

 もし巻き込まれてたりしたら……。


 別にそれでもどうにかなるか。


 それよりもリーンシェイドだ。

 改めて確認すると、左肩から背中にかけて大きく抉られている。

 おびただしい量の血で彼女の半身が赤く染まっていた。


 悩む前に動け。

 私はおもむろにチュニックを脱いだ。


「……何で訓練着の下に何も着てないんですか」


 リーンシェイドが呆れたように呟く。

 失礼な。人を露出狂扱いしないで欲しい。


「ちゃんと着てるじゃない」


「ボディシェイパーは下着です」


「隠すとこ隠れてればそれでいいよ」


 脱いだチュニックを勢いよく切り裂く。

 無理。切り裂けない。


 ……丈夫で何よりだ。

 勢いだけじゃ無理だった。


 何か無いかと辺りを探す。

 よく見ると足元に剣が転がっていた。

 さっき弾き飛ばされたカーライルさんのだ。


 これだ!


「レフィア様! リーンシェイド様ご無事ですか!」


 瓦礫の向こう側からカーライルさんが叫ぶ。

 あっちもどうやら無事らしくてほっとする。

 ちゃんと心配はしてたよ?


「無事じゃないけど大丈夫! リーンシェイドがヤバいから、カーライルさんので服を切り裂いてる所! だから心配しないで!」


「色々意味が分かりません!」


 何故分からない。


 あちらはどうやら無事なようなので、リーンシェイドの止血を優先する事にする。

 背中の場合はどうするんだっけか、確か圧迫止血で良かったような気がする。……違ったかな?


 とりあえず、成せば成る。


 服を脱がすと、傷口は思った以上に酷い状態だった。

 手早く傷口を布で押え、固定する。

 あられもない姿を晒すのもどうかと思い、背中を裂かれた服をどうにか工夫して肌を隠した。

 顔色はこれ以上ない位に悪い。

 だいぶ血を失ってるのかもしれない。


 でも、私にはこれ位しかしてあげられない。

 歯がゆさに苛立たしさを感じていると、瓦礫の向こう側からさらに声がかけられた。


「一度戻り、また迎えに来ますからそこで待ってて下さい! すぐ行きます!」


「その約束はしたくない!」


「全く聞いてませんよね! 人の話!」


 そう言われてもね。

 その約束はしたくないんだってば。

 人のトラウマをほじくらんどいて。


「カーライルさんは上に戻ってて! 私達はどこか迂回路を探してみるから!」


「言っても聞かないんですよね! 知ってました! 出来ればそこを動いて欲しくないんですが、気をつけて下さい! すぐ戻ってきます!」


 カーライルさんが半ばヤケ糞気味に叫ぶ。

 気配が遠ざかって行くのが分かるから、ちゃんと行ってくれたみたい。押し問答にならなくてよかった。

 素手で迷宮トロルを投げ飛ばしてしまう位だから、あっちはあっちで本当に大丈夫なのだろう。

 こっちはこっちの心配をしないといけない。


 どうにか止血はしたものの傷が深い。

 出来れば動かしたくないけど、一刻も早くちゃんと治療しないと傷も残るし命にも関わる。


「私の事はいいので、どうか一人でも先に……」


 身を起こしながらリーンシェイドが訴えてくる。

 私はそれを否定して彼女を背負い、来た道を戻ろうとした。


 ……やばい。戻れない。


 手近にある部屋の扉を開け、とっさに中に滑り込む。

 通路の向こうに迷宮トロルの影がはっきり見えた。

 あの方向はさっきまでリーンシェイドがいた部屋だ。

 慌てて部屋の扉を閉め、押さえ込む。


「さっきの部屋、開けっ放しできちゃったね」


「あの濃度です。こちらに気付かれない限り、あちらに集まると思います」


「どのみち少し様子を見るしかないかも。傷の方は? やっぱり痛むよね」


「魔来香の効果のお陰か、痛みはそれ程でもありません。人間のそれよりは丈夫な身体ですので、ご心配には及びません」


「……あ。うっかり忘れそうになるけど、リーンシェイドは魔物だったね。魔物の身体だとすぐに再生したりする?」


「中にはそのような者もおりますが、私にはそこまでの再生能力はありません。ですがレフィア様のお陰で今はどうにか出血は止まっているみたいです。ありがとうございました」


 少女を床に降ろして楽な姿勢を取らせる。

 可哀想だけど、背中に傷があるので横にはしてあげられない。ごめんね。

 彼女は床に座り込み、右肩から壁に身体を預けた。


 ええっと。


 ……。


 やばい、場がもたない。


「あの……」


「レフィア様。魔物と魔族の違いはご存知ですか」


 何か別の話で場を繋ごうとしたら、彼女からも話しかけて来た。

 何だろう。何かいつもと雰囲気が違う気がする。

 香は抜け始めてるっぽいから、傷の所為かもしんない。

 私が首を横に振ると、彼女は先を続けた。


「子を成し、寿命を持つものを魔族と呼び、子を成さず混沌の女神により増えるモノを魔物と呼びます。陛下の元、国を成す者達はほとんどが魔族で、先程の迷宮トロルのようなモノが魔物です」


「子供いないの? あれ」


「性別すらないものがほとんどです。彼らは子を成しませんが、この地下迷宮のようなモノが各地に存在していまして、そこから増えていきます」


「迷宮から生まれるんだ。何か不思議だね」


 知らなかった。そんな違いがあったのか。


「ですから魔族の中には、自分を魔物と混同される事を不快に思う者も少なくありません。お気をつけになられた方がよろしいかと」


「もしかして、リーンシェイドも?」


「不快と言えば不快ですが、それ程では」


「ごめんなさい。……知りませんでした」


 あちゃ。今まで散々混同してた気がする。

 誰も教えてくれなかったよそんな事。

 知ってて当たり前だからだろうか。

 それとも、私が人族だからだろうか。


 ……人族だからな気がする。


 住む世界が違うというものがどういう事なのか。

 人と魔族の隔たりを急に感じた気がした。


「……レフィア様には知って頂きたいと、そう思ってしまったもので。差し出がましい事を言いました。申し訳ありません」


「あ、そうか。何か違うと思ったら呼び方が変わってるんだ。王妃って言わなくなってる」


「そう自分で言い聞かせないと、自分を押さえる事が出来そうにありませんでした。非礼を承知で申し上げれば、レフィア様を認めたくありませんでした」


 今にも消え入りそうな声で呟く。

 そんな事、気にしなくていいのに。


「大丈夫。知ってたから」


「随分と軽く言われるのですね」


「でも、今は違うの?」


「今は尊敬すらしています」


「それもどうかと思う。極端過ぎやしないかい?」


 根が至極真面目なんだろうね。

 真面目過ぎて、自分で自分を追い詰めていそう。

 嫌われるよりはいいけど、美少女だし。


「元々ね、私には良い感情は無いだろうとは思ってたのさね。あるはずもないよ。それは当然だと思う。私は人間で、突然ひょっこり表れて、尊敬する魔王様への嫁入りまで断って。そら面白くないさね」


「お断りになられるのですか」


「正直な所、よく分からないかな。大体魔王様にしたって初日に会ったっきりで2週間会ってないもん。どこまで本気なのやら」


「陛下は本気です。ただ、何というか、その……」


 何故そこで視線を逸らして言い淀む。

 何かを含んでるんだろうけど、何だろう。


「でもね。それでも私はリーンシェイドを信じてもいいと思ったの。そう確信してた。私の事をどう思うかじゃなくて、リーンシェイドが魔王様をどう思うかだってね。貴女は魔王様を決して裏切ったりしない。魔王様が私に、無事に帰してくれるって約束したのなら、貴女はきっと魔王様を裏切らない。そう思ったの」


「私は……」


「違ったかな? もし違ってたならごめんね」


 リーンシェイドが顔をさらに俯かせる。


「ごめんなさい。違います。違うんです。私はそんなんじゃありませんでした。妬んでたんです。憎んでたんです。そ知らぬ顔をして恨んでたんです。陛下の信頼を裏切っていました。貴女を追い出そうと、目の前からいなくなればいいと、そう思ってたんです」


 言葉を吐き出すように続ける。

 自分で言った言葉で自分を傷付けるかのように。

 一杯、一杯悩んでたんだろうね。私なんかの事で。

 魔王様への忠誠を天秤にかける程に。


 でも、美少女に自虐は似合わないよ。


「大丈夫。それも知ってたから」


「貴女という方は……」


 今にも泣き出しそうな顔をあげる彼女に、悪戯気味に微笑み返す。ふふん。

 リーンシェイドが魔王様の言葉を守り続けているのなら、辻褄の合わない事がいくつかあったからね。

 裏切っているとまではいかなくても、どこかで別の意思で動いてるだろう事は気付いてたさ。


「でも、リーンシェイドの事はあまり知らないかな。聞いてもいい?聞いたら教えてくれる?」


 流れに乗って言ってみたけど、これじゃあ酒場でおっさんが口説いてるみたいだ。

 変態親父か私は。


「私とあに様は夜叉族なんです。オーガ種の中でも特殊な上位種として扱われる事が多い種族です」


 話を進めてくれた。いいのか変態親父で。


「夜叉族の女性はヤクシャーサと呼ばれ、その中でも号持ち、生まれた時から別の、特殊な名を持ったヤクシャーサは姫夜叉と呼ばれます。私とはは様はその姫夜叉でした」


 ふいに、凄惨な程自虐的な笑みを見せた。

 背筋が凍りつくかのような表情に目を見張る。


「ご存知ですか? 姫夜叉の頭蓋骨は、強力な魔術具の材料として、高額で取引されるんです」


 強い怨み、憎しみ、哀れみ、蔑み、様々な負の感情を要り混ぜて彼女は語った。


「相当な価格らしいですよ。私とはは様が号持ちであると知れるや否や、周りの者達は目の色を変えて襲いかかって来ました。魔族、人間を問わずにです」


「魔族人間を問わずって」


「ちち様は私達をこの国から逃す為に身を犠牲にして殺されたそうです。先代の魔王が私とはは様の頭蓋骨を欲したとかで。私はまだ幼かったのでちち様の事はほとんど覚えてません。私達は人間の世界へと逃げていきました」


 出たよ先代魔王。暴虐の魔王スンラだっけか。

 余程酷い魔王だったんだろうね。

 先代魔王は怨み事以外を聞いた事がない。


「人間の世界へ逃げ延びた私達を待っていたのは、更なる地獄のような毎日でした。身を隠し、襲撃者に怯え、また、戦い続けるよりなかったのです。はは様は私達の目の前で、人間に首をもぎ取られました」


 首をって……。


 ……。


 ……。


 それは何というか。ごめんね。

 私から聞いた事ではあるけれど、ごめん。

 少女の言葉を聞き逃さないように座り直した。


「それからはただひたすらに戦い続けました。死にたくなかったからです。死にたくなかったから殺して、生き延びる為に足掻く日々でした。その最中であに様は角を失いました。泥水をすすり、汚物にまみれながらも二人で生き延びてきたんです。互いに励まし合い、支え合いながら。そして、陛下にお会いしたのです」


 リーンシェイドの表情が、強張ったものから穏やかなものへと変わっていく。


「陛下とお会いした後は、驚くほどに世界が変わりました。それからの私達は、ただ陛下の為にあらんとしたんです。申し訳ありません。あまり上手く言えませんでした。お耳汚しになってしまいましたね」


「ううん。ありがとう。リーンシェイド」


 リーンシェイドが俯いていた顔を上げ、まっすぐに私の目を見つめてきた。


「陛下は素晴らしい方です」


「そうだね」


 懇願するかのような言葉に、短く肯定を返す。

 リーンシェイドの真剣な瞳が、涙が溺れ始めた。


「陛下はとてもお優しい方です。返しきれない恩があるんです。救っていただいたんです。全てを捧げてお仕えすると決めたんです。なのに。私は陛下を裏切ったんです」


「うん」


「陛下の為ではありませんでした。私が嫌だっただけなんです。私の我儘だったんです」


「うん」


 ずるいよね。泣顔まで可愛いとかさ。

 大粒の涙を溢して瞳を潤ませて。

 鼻水もでてるけと、かえって愛くるしいぞ、おい。


「あに様を取らないで下さい。陛下を取らないで下さい。私からもう奪わないで下さい」


「うん。……大丈夫だから。心配しないで」


 声を噛み殺してリーンシェイドは泣き始めた。

 私は震える彼女の頭をそっと抱き込む。

 小さくて温かいなぁ、この子は。


 暫くの間、リーンシェイドはそのまま泣き続けた。

 悩んでたんだろうね、辛かったんだね。

 こんな小さな身体でも頑張ってたんだよね。


 でも、大丈夫。

 貴女は裏切ってなんかいない。

 誰も裏切ってなんかいないし、誰も傷つけていない。


 そうしようと思っていた自分を、必要以上に責めているだけなんだから。

 自分で自分が、許せないんだね。

 そんなに思い悩む事なんか無いのに。

 何をしようとしてたかのかは知らないけど、まだやってない事で自分を責めるのは、違う気がする。


 現に私は、リーンシェイドから何もされてないもの。

 むしろ、守ってもらってたくらいだし。


 ……。


 ……。


「よしっ!」


 彼女の顔をぬぐってやって立ち上がる。

 だったらやらねば成さねばならぬ。


「レフィア……様?」


 キョトンと小首をかしげるリーンシェイド。

 そんな彼女の目の前でズボンを脱ぎ、縦に切り裂いた。

 ……だって他に使えそうなものがないし。


 即席のおんぶ紐を手早く作って彼女を背負い、落ちないようにしっかりと身体に固定する。


 下着姿で血まみれの美少女を背中に背負う。

 お父さんにもお母さんにも見せられない姿だ。


「だったらすぐにでも、あに様と魔王様の所に戻らないとね」


「外には迷宮トロル達が集まって来ています。あの中を通り抜けるのは、……難しいと思いますが」


 力はもらった、思いは届いた。

 下着姿が何だ! トロルが何だ!!


「田舎娘の体力を甘くみないでよね。戻って、謝って、叱ってもらうんでしょ。やってやろうじゃない。やってみせるわよ!」


 2週間っていう短い間だったけど、近衛騎士達とがっつり訓練して足腰も鍛えた。スタミナもばっちり。


 ……行けるハズだ。

 絶対に行き着いてやる。


「はい」


 リーンシェイドが私にしっかりとしがみつく。

 私達は部屋を飛び出した。


 トロル達よ、勝負だ!





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