第3話 夜の世界

 託児所などに通っていない俺は平日の昼、由利と二人だ。

 何をするかというと、ごろごろと寝転がって子どもには難しい本を一緒に読んでみたり、トランプなどの大人でもするようなゲームをやったりと、子どもと一緒にするとは思えない過ごし方である。


 最初は絵本も読んでいたのだが、あまり興味がなかったのがばれてしまっただろうか。時々読み聞かせさせられた時に大体内容を知ってしまっているので、何回も結末を知っているドラマを見せられている気分になるのだ。忙しい中読んでもらっているのはわかっているので、申し訳ないとは思っている。


 一方、もしかしたら由利は俺の正体に薄々気づいているのかもしれないと考える時もある。子育てを二回経験しているのだ。わからないことばかりでもない。むしろ慣れっこだろう。

 そもそも由利はあまり本を読む方でもなかった。結構活発な方だった。がしかし、今は楽しそうだ。もしかしたら本当に楽しんでいるのかもしれない。お互い大学に行かなかったから余計に、この時間が楽しいのだろう。由利は勉強熱心だった節がある。


 由利は俺と二人でいる時はリラックスしてるように思う。昔も、そして今も。智といる時は何かぎこちなさがあるように思うのは気のせいだろうか。咲良や大希がいると慌ただしい。特に大希にも気遣っている節がある。難しい年頃だからと考えているからかもしれない。単なるツンデレのように思うのだが、違うのだろうか。


 昼寝のタイミングなどに今でも時々、俺の写真を撮って誰かに送っていたりするみたいなのだが、誰に送っているか知らない。結構うるさ……強調していたし、由利のご両親なのかもしれない。はたまた智なのかもしれない。もしかして俺だったり……しなくはないかな。


 まだ俺が生まれ変わる前、そもそも漁師という職業柄平日の家にあまりいなかったのでよく知らない。写真はまあ、幼かったからか、あんまり会えなかったからか、ちょこちょこメールで貰ったりした。それと同じなのかもしれないなとは思っているのだが……もし俺の携帯に送られていても、携帯が手元にないので分からない。それにしてはこの頃になっても写真を送るらしい。まあ確かに、いつまでも我が子はかわいいとは言うが……。


「仁くん」


 昼間、由利はそうやって俺を呼ぶ。そしてご飯をくれたり本を読んでくれたりする。普通の母のようにふるまう。

 だが夜は少し違うみたいだった。


 夜中にふと目が覚めると、暗い中電気をつけて何か読んでいる由利の姿があった。


「かか……?」


 その声に驚いた様子の由利はしかし、変に隠れたり隠したりする様子はない。


「仁ちゃん、おいで」


 普段呼ばれない呼び方に驚く。仁ちゃんではなく慎ちゃんと聞こえたのは気のせいだろうか。甘えたい時、由利は慎ちゃんと俺を呼んだものだった。

 近づいていくと広げていたのは、少し前のアルバム―俺の生前のアルバムだった。思わず頬が緩む。何だか懐かしい。写真で俺は、由利たちと幸せそうに笑っていた。

 由利が絵本を読むときのように膝元に座るよう促してきたので、俺はその通り座る。すると由利は少し俺の背中にもたれかかってきた。身体に負担がかからないほどの重みと、少し伸びた髪が顔に触れるのを感じた。


「これは前のとと。前のととの名前はね、慎二っていうの」


 何も言えず、黙っていると由利はなぜか俺の話を始めた。


「優しくてね、かっこよくてね、素敵な人。かかは大好きなの。ずーっと大好き。みんなには言わないでね」


 由利は両腕で俺を抱きしめた。その力は多少加減されているが、やや強い。ぶつけられる好意、そして久しぶりのこの感じに胸がときめく。

 俺も由利のこと大好きだ、そう言いたくなった。生前、恥ずかしくて言うのを避けてきたけど。

 可愛くて、優しくて、時々我が儘なところが。そしていつも一生懸命なところも。好きなところを並び立てればきりがないな、なんて考える。

 それどころではないと分かっていても。


「だけどね、突然いなくなっちゃったの」


 由利が、俺が死んだことを今だに知らないんだとその時初めて知った。

 俺は申し訳ない気持ちに襲われる。


「かかはね、ととに会いたい」


 探している俺はそばにいるのに。


「どこにいるかも……分からないんだけどね」


 それを言えずに、ただ見つめるしかできない。言ってしまったら、由利にとってこの身体は慎二という人間になってしまう。

 仁という、いるかもしれない息子の存在が消えてしまう。

 


 ……でも、言うべきだろうか。

 由利を苦しめるくらいなら、言うべきだろうか。



 しばらく由利は、俺を抱きしめたまま黙っていた。鼻をすする音がした。泣いているのだろうか。


「……ごめんね、泣いちゃって。びっくりさせちゃったかな」


 しばらくして、由利は抱擁を解いた。少し涙声のような気がした。


「でもね、仁ちゃんにしか言えないんだ」


 だけど、心なしかすっきりしているように思った。涙の跡があったものの、そこには笑顔が浮かんでいたから。


「仁ちゃんなら、話せるって思ったんだ」


 話してすっきりしたのなら、それでいい。隠すものがない笑顔に俺は思わず安堵する。

 とりあえず、今のところは言わなくていいだろう。仁にしか言えないのなら、俺は仁のままで、いつでも話を聞こう。

 慎二としてそばにいてやれないけれど、仁としてならそばにいられる。


 でもそのうち、俺が大きくなったら、話してもらえなくなるのだろうか。仁として聞けるというのは、そういうことではないだろうか。

 何にも分かっていない、無垢な子どもだったから……だとしたら。

 この家は、事情を知った人間ばかりだから。

 そう思うと寂しいけれど、由利の心中を俺だけが知れたという優越感が、また距離が近くなったように思わせた。


「アルバム、これからも一緒に見てくれないかな」


「うん、いいよ」


 断る理由なんてない、俺は迷うことなく頷く。


「ありがとう」

 由利はまた、笑顔を浮かべた。

 そうしてしばらく、二人でゆっくり見た。

 いつまで見ていただろう、久しぶりに見たアルバムは、とても懐かしいものだった。

 それと同時に、あのころの記憶が、俺のすべてだ。

 それを由利とまた一緒に見ることができるのは、このうえない喜びだった。

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