ラ・ウール防衛組~ リリック・ドールズ ~

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 お絵描きをして遊びましょ?

  ――だけどここには鉛筆も絵具もクレヨンもないわ


 積み木を積んで遊びましょ?

  ――だけどこの部屋には木切れ一つないわ


 絵本を読んで遊びましょ?

  ――そんな作りものでは楽しくないわ


 それでは何をして遊びましょ?

  ――それではお人形遊びをしましょうか?


 だけどここにはお人形がないわ

  ――そうね、ここにはないわね


 そもそも私がお人形なのよ?

  ――いいえ、アナタはお人形ではないわ


 お人形というのはね?


 お外にたくさん歩いてる


 ヒトのフリして歩いている


 アレのことを言うのだから



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 「……ふぅ……」


 念話の為に添えていた指をこめかみからはずし、眼鏡の才女は小さく溜息を吐く。


 疲れ半分、呆れ半分、おまけに憂鬱と気を引き締めるのとでもう半分ずつ。


 普段よりも五割り増しくらい、あれやこれやと感情が余剰気味に盛られたその小さくも深い溜息に、彼女の心労の溜まり具合を容易に推し量ることができる。


 「遠隔で起動ができるなら緊急停止装置も一緒に付けておいて欲しかったものです。……まさかわざとじゃないでしょうね、あの幼女。暴走して手が付けられなくなっても『それはそれで面白いじゃろ?』とか言って笑っている顔がありありと浮かんできやがりますでございますね……」


 朝日を受けて艶めく肩の辺りで切りそろえられた黒と金の混じるまだらな髪。


 一部の隙も無く着こなされた無骨な団服が浮き彫りにするのは、完璧に整えられた女性的曲線。


 中でも特筆すべきは、いつもなら黒いストッキングで隠されたそのスラリと長い脚。


 世が世なら、世界が世界ならば超一線級のファッションモデルにでもなっていたのではないかというぐらいの見事な脚線美を今覆っているのは膝丈を越えた長いソックス。


 タイトなスカートとの間にできたいわゆる絶対領域に何気なく走るガーターベルトの黒さが、元より十二分に醸し出されていた彼女の大人っぽい色気を殊更に増長させ、殺伐とした戦場の雰囲気が途端に華やいだものとなる。


 それこそがアンナベル=ベルベット。


 それこそが場に降り立ったが最後、美しくてさり気なくて……それでいて得も言われぬ冷え冷えとした威圧感に誰もが目と心を奪われる、≪戦場の麗人≫と呼ばれる女が持った圧倒的な支配力だった。


 「……まぁ、ともあれ、です……」


 クイッと眼鏡の弦をいじる仕草は、アンナが苛立っている時の癖。


 その眼鏡の奥に閃く切れ長の目でまず彼女が見据えたのは、ピクリとも動かなくなった機械人形の群れ。


 「思っていた以上に効果があってよかったです。魔術抵抗がさほど高くないと踏んではいましたが、ここまで素直に術が通ってくれるとは」


 「なに?なんなんなの?くそっ!動け!動けぇ!!」


 「ああ、もう動かすことは無理ですよ、ソレ?」


 「ひっ!」


 必死で魔力の糸を伸ばして機械人形を動かそうとする姉・カロンに向かい、視線と同じくらいの冷たさでアンナが言い切る。


 「貴女方が≪人形遣いパペッタ―≫と判明した時点で幾ら核を破壊した抜け殻であっても残骸を操れることはわかっていましたから、10体すべてに私の魔力で障壁を張っておきました。簡易的なものではありますが、そうそう破られていい強度ではありません。糸を貼り付けることはもう出来ませんよ?」


 「なに?なに??なんなの?なにが起こったの?ねぇ、カノン?ねぇ!?」


 あまりにも唐突なタイミング、あまりにも鮮やかな手際、あまりにも美しい佇まいで機械人形たちを無力化した新たな敵の登場に、姉・カロンは盛大に取り乱す。


 「……即死魔術・≪ダイ・ドリーマーズ・ハイ≫。……実際に見たのは初めてね」


 そんな姉の問い掛けにもならない戦慄わななきに答えたという体をとりつつ、妹・カノンの冷静な思考はすべて状況の把握へと注がれる。


 「ヒタヒタと這い寄ってくる冷たい死の影の感触と、ジワリジワリと染み込んでくる恐怖から対象はヒステリーを起こしてショック死してしまう。解釈は≪死の夢に狂い嗤う者≫だったかしら?皮肉と可笑しみが散りばめられた童話みたいで素敵な世界観だと思っていたのだけれど……その実、腕を象った魔力の影で直接心臓を握りつぶして破壊する、随分と野蛮な魔術だったみたいね?」


 「野蛮ですか。……否定はしません」


 疑問形になった後半部分に、アンナも同意を示す。


 「とはいえ本物の心臓ではなく、心臓的な役割を持った人形の核にまでその解釈が及ぶかどうかまでは賭けでしたが」


 「賭け、ねぇ……」


 「ねぇ、カノン?なに?何だったの?こわい!こわいよカノン!」


 「大丈夫、大丈夫よ、カロン。何も心配することはないわ」


 震える姉の頭をそっと胸に抱き、妹・カノンは優しく甘く囁きかける。


 まるで怖い夢に脅える娘をあやす母親のように柔らかく。


 まるで生き惑う子羊を包み込む聖母のように温かく……。


 「確かに恐ろしい大魔術ではあるけれど、それ故にリスクや制約、発動条件のしばりがとっても厳しいものよ。そうね……たとえば、ほら。ワタシたちがこうやってまだ元気に立っているのが証拠。一定値の魔術抵抗を持っているからか、同質・同系の魔術系統を有しているからか、はたまたそのどちらもか。……もしもワタシたちがそのしばりの中に納まっていたのなら、きっとお人形さんではなく、彼女は直接ワタシたちの心臓を潰しにきていたハズよ」


 「ホント?ホントに大丈夫、カノン?」


 「ええ、保証するわ」


 「ホント?ホントだね?」


 「ええ、本当。本当よ。ワタシが姉さんに嘘を吐いたことがこれまで一度だってあったかしら?」


 「っつ!……うん……うんうん!!そうだね!そうだったね!!」


 「いい子、いい子よ、姉さん。ほら、自分の口でも言ってごらんなさい」


 「カノンは嘘を吐かない!」


 「ええ、カノンは嘘を吐かない」


 「あの魔術はボクらには効かない!!」


 「ええ、ええ、その通り。あの魔術はワタシたちには使えない。……そうよね?お姉さん?」


 「……どうでしょう。試してみましょうか?」


 姉を抱きながら首だけを回し、挑発的にアンナを見据える妹・カノン。


 その視線に一つも怯むことなく、アンナもまたカノンを静かに睨み返す。


 「もしかしたら、そう油断させる策なのかもしれませんよ?」


 「賭け、試し、もしかしたら……。何よりもね?アナタが実戦でそんな不確定要素を頼りするほどの博徒にはとても見えないというのが、一番の根拠なのだけれど?」


 「そうですね……自分でもそう思っていたのですが……」


 アンナベル=ベルベットはそこで小さく微笑む。


 自戒が半分、呆れが半分……そしてどこか誇らしさと恥ずかしさが半分以上込められた、不敵にして素敵なハニカミだった。


 「つい最近、もっともっと分の悪い賭けへと真っ逆さまに真っすぐに、単身で飛び込んで行った人がおりまして。愚かしいなぁ、浅はかだなぁと思いつつも、そんな彼の大きな背中がとても眩しく、とても格好良く見えてしまったんですよ」


 「その命知らずのおバカさんに感化されてしまったと?」


 「はい。そんなところです」


 「手並みに比べて嘘を吐くのは下手くそね、アナタ。ハッキリ言って似合わないわよ?……とてもじゃないけれど、感情論……というのも烏滸がましい乙女理論に流されて一か八かの博打を打った女がしていい目じゃない。……そんな全てが計算通りとでも言いたげな涼しい目なんてね」


 「貴女こそ、その幼い容姿と今までの行動や言動とはまるで似つかわしくない落ち着きようですが?」


 「あら、そうかしら?どこからどう見ても社交界の華に相応しい容姿と一人前の淑女の立ち居振る舞いだと思うのだけれど」


 そうして妹・カノンは姉から体を離し、クルリとその場で一回転。


 白いワンピースの裾の端をつまみドレスに見立てて広げつつ、深々と頭を下げる。


 その惚れ惚れするほど堂に入っているお辞儀の作法は、確かにどこぞの貴族の令嬢かと思えるほど優雅で蠱惑的だった。


 「初めまして、ワタシの名前はカノン・エルロン。そしてこちらの愛らしい女の子が双子の姉のカロン・エルロン。別に細かな隊分けも明確な上下関係も存在しない烏合の衆ではありますが、ともに『革命の七人』において幹部という何やら胡乱で甚だ曖昧な任を首領デレク・カッサンドラより拝命されております。お目にかかれて光栄ですわ、≪戦場の麗人≫・アンナベル=ベルベット副団長。お噂はかねがね……」


 「……こちらの情報は筒抜けというわけですか」


 「ええ。というよりも、アナタ目立ち過ぎではないかしら?ここは戦いの最前線よ?軍師なり参謀なりという頭脳労働者は本来、本営の奥に詰めて大将首の隣にどっしり腰を据えていなければならないものだと思うのだけれど」


 「はい。返す言葉もありません。しかし、それが私の……ラ・ウールの戦い方なのです」


 「だからこその武勲と名声。だからこその≪戦場の麗人≫。穴倉にこもった暗い女では、そんな二つ名が付きようもないものね。ウチの引きこもり軍師様にも見習ってもらいたいものだわ」


 「穴倉から見据えるからこそ見えてくるものもあるのでしょう。結果として対処はできましたが、策がはまったのはそちら側です。……こうも容易くこちらの切り札を奪われ、逆に利用されてしまえば、計略合戦は私の完敗ですね」


 「ほぉら、また出たタヌキさん。そうやってお為ごかしてばかりの腹黒さ……アナタは骨の髄まで策士気質ね。さぞや男性を篭絡する手管にも慣れているんでしょう。メイリーンのように、肉欲と恐怖に任せた、なんちゃってとは違って……」


 「メイリーン?あの元帝国軍所属≪現代の魔女≫メイリーン・サザンクライのことですか?」


 「ええ、その魔女さんのこと。『革命の七人』でワタシたちと並んで幹部をしていた性悪痴女よ」


 「……していた」


 「察しがいいわね。ええ、そうよ。ワタシも聞いたばかりなのだけれど、ついさっき幹部七人の中でいち早く脱落してしまったみたい。……いつまでも飽きさせることのないイイ玩具でワタシたちは大好きだったから残念ね。でも、こんなにアッサリと負けてしまうほどに弱くはないはずだから、よっぽど強烈な相手をあてがわれたのかしら?」


 「なるほど、強烈な相手。もう嫌になるくらいに心当たりはありますが、少し貴女の物言いが引っかかりますね。……あてがわれた……それもまた穴倉の軍師さんの采配だと聞こえてしまいますが?」


 「本当に察しがいいわね、お姉さん?素敵よ」


 クスクスと、やはり貴婦人のような上品な笑い声をあげる妹・カノン。


 「アレはワタシでさえ……ううん、違うわね。多分デレク様でさえ腹中の底を完全には計り切れていない恐ろしい女よ。我らが首領様にどんな考えがあるのかは分からないけれど、アレを引き込んでからワタシたちの組織が単なる暴力集団から『革命の七人』といういっぱしの組織にまで成り上がったことは確か。……明確な目的が有り、手段を行使するだけの力を有していても、肝心のハケ口というものを見つけられずに持て余していたワタシたちが、ね」


 「それは……素直に大したものだと思います」


 「だからアナタも気を付けることね、お姉さん?たとえこの場を生き延びられても、どこまでがあのネクラス・ボーングラフの策中、手のひらの上なのか分かったものではないわ」


 「……あるいは、この戦争自体そのネクラスという女性の手のひらの上だとでも?」


 「それを確かめるためにも、アナタは必ずここで勝たなくてはならないわよ?……もしかしたら、アナタならばこのとっても下らなくて大仰に過ぎる茶番劇の裏に隠された真相に辿り着けるのかもしれないわね」


 「またしても引っかかります、カノン・エルロン?その物言いではまるで私が貴女方を打倒し、生き延びて欲しいという風にも聞こえてしまいますよ?」


 「クスクス、さぁて、どうかしら?」


 「貴女方……いいえ、貴女は一体どんな目的があってこの戦争に……」


 「ボクたちは負けないよっ!!」


 アンナの言葉を断ち切るように、それまで横で妹と敵対者の会話をハラハラしながら聞いていた姉・カロンが声を張り上げる。


 双子ということで似通った声質。


 しかし、終始つかみどころのない優雅さとからかいの滲む妹の口調とは異なった、幼く、故にこそ外連味のない真っすぐな大声は、やはり二人は別の人格を持った別個体なのだと改めてアンナに認識させる。


 「オマエなんかにボクたちが負けるはずないよ!ねぇ、そうだよね、カノン?」


 「……ええ、そうね。そうだったわね、カロン。ワタシたちが負けるはずないわよね」


 「だってボクたちはさいきょーなんだ!ボクたちが揃えばこわいものなんてないんだ!!」


 「ええ、そうね。そうだったわね。ワタシたちは『最凶』のエルロン姉妹。ワタシたちの前に立ちはだかった者は、例外なく愉快で痛快で惨たらしいわざわいを身に受けて命を散らしてきたものね」


 「もう難しいお話はいいよ。さくっと殺っちゃおうよ、カノン?」


 「うん、そうだね。ざくっと殺っちゃいましょうよ、カロン?」


 「…………」


 ――なんでしょう?また急に雰囲気が変わりましたね。


 姉・カロンの言葉……というよりも彼女が言葉に乗せた感情の高まりに釣られるように、それまで理知的で理性的な口ぶりで会話していた妹・カノンの口調が一変して幼いものとなる。


 口調だけではない。


 優雅だった佇まいから失われた品性。

  洗練された所作から消えた余裕。


 ともすれば達観したように浮かべられた静かな微笑みは、無邪気に尖るただただ残虐なだけの薄くて寒々しいものへと変質してしまった。


 ……そうして並んだエルロン姉妹の姿は本当に似ている。


 「大人なんてみんな死んじゃえばいいんだっ!!」

 「大人なんてみんな殺しちゃえばいいんだっ!!」

 

 口調も容姿も、怒りも恐怖も、どこへ向けていいのかもわからない苛立ちも。


 チャキチャキチャキンンン!!


 両手の指の数だけ、どこからか取り出した一人あたり十本の鋭利なナイフ。


 それを細く編んだ不可視の魔力の糸で繋げ、空中に展開する様子までも一緒。


 そのイチイチがあまりにも酷似した立ち姿はもはや……。


 「「さぁさぁ……お遊戯の時間だよっ!!!!」」


 双子の域を越えた、鏡映しのようだった。



 「うりゃぁぁぁぁぁ!!」


 初手先手は姉・カロン。

  投擲するかのように腕を振り、十本のナイフでアンナに斬りかかる。


 「……ふっ!!」


 キンキンキンキンキン!!


 威力、速度、精度、緩急……どの点に置いてもお粗末な初撃は、アンナが腰の鞘から引き抜いた右手の小太刀の一刀によってあっけなく弾かれる。


 「うりゃぁぁぁぁぁ!!!!」


 その斬撃の隙間を縫うように繰り出される、姉・カノンの十本。


 得物にしろ威力にしろ速度にしろ何にしろ、姉の放った初撃をただ追ったような稚拙な攻撃。


 「っ!!」


 キンキンキンキンキン!!


 もちろん、そんな刃がアンナに届くわけもない。


 初撃を弾いた態勢から素早くもう一本、腰に下げた小太刀を左手で抜き放ち、追撃を事も無げにいなす。

 

 しかし、エルロン姉妹もまた防がれるのは織り込み済みといった具合に、既に追撃の準備を終えていた。


 「まだまだいくよぉぉぉぉ!!!」


 今度の姉・カノンの攻撃は幾らか変則的。


 巧みに指先で糸を操り、十本それぞれに上下と奥行きに幅をもたせた螺旋軌道のナイフ。


 「まだまだ逝かせるよぉぉぉぉ!!!」


 そして妹・カノンも姉に習い、後方から同じようにナイフを飛ばす。


 それはまるで大口を開いた二匹のヘビが回転しながら跳ねてきたかのような趣。


 意図して設けられた僅かな着弾のラグ。


 右から迫る姉のナイフに対処すれば、左から遅れて来る妹のナイフに食われるという絶妙なタイミング。


 もしも後方に避けて姉の方を躱せばおそらく後追いの妹の方が軌道を操作。


 逃げた先でヘビのあぎとに食らわれるという二段構え。


 合図らしい合図もないというのに不思議と揃う双子ならではの阿吽の呼吸。


 そして理性が霧散してはいても、どこかで冷静さを残しているらしい妹・カノンの繊細な指先の動きがなせる、エルロン姉妹の得意戦法の一つだ。


 ただでさえ距離感が掴み辛い螺旋状の動きに加えて、どんな状況にも対処してくる後衛の器用さに、どれだけの猛者が餌食になってきたかわからない。


 そんな曲芸じみた鉄板の一手。


 二方から迫りくる少女達の凶気を……。


 「ふっ!!」

 

 キンキンキンキンキン!!

  キンキンキンキンキン!!


 アンナは真っ向から弾き飛ばす。


 「えっ!?」


 驚きの声は姉・カロン。


 「…………」


 目だけを見開いたのは妹・カノン。


 やはりあっけなく。

  やはり事もなく。


 僅かに態勢をズラしただけでほぼ立ち位置を変えないまま、両手に携えた双剣を幾度か振るうだけで、二匹のヘビを簡単に刈り取ってしまう。


 「っつ!!このぉぉぉ!!」


 「まだよ、姉さん!!」


 「うん!!うん!!まだだ!まだだね、カノン!!」


 「……なるほど……そういう関係性……」


 「やっちゃうよぉぉぉぉぉ!!!!」

 「殺っちゃうよぉぉぉぉぉ!!!!」


 その聡明な頭脳と抜け目ない瞳で何かを察したアンナの呟きを聞かず、エルロン姉妹は更に畳みかける。


 「とっておきのぉぉぉ……」

 「……殺人殺戮殺害殺法ぉぉぉぉ!!」


 そう続けて叫んだ二人の少女は自身の手首をパンと一度だけぶつけ合わせる。


 すると、まるで手品のようにまたどこからか追加のナイフが出現。


 一人当たりニ十本、合計で四十本の凶器が宙に浮かぶ。


 原理としてはそれまでと何も変わらない。


 指一本につき一本の糸で操っていたナイフを、単純に二本に増やしただけのこと。


 ただその単純さ故に、攻撃力にしても殺傷力にしても純粋に増加。


 そして、四十本にも及ぶ鋭利な刃物が二人の少女の小さな体をフヨフヨと取り巻いている姿は、壮観にして、どこか痛ましい。


 「……嫌なものですね」


 それが、このところ子供好きを自覚しはじめたアンナの目にはなおのこと悲愴的に映る。


 こんな見た目も中身も幼気いたいけな少女が嬉々として刃物を振り回す様子に胸が締め付けられるほどの嫌悪感。


 それ以上に、彼女たちの生涯において少なからず周りに居たであろう者たち……幼子の心の歪みを正しも導きもしなかった大人たちの至らなさと怠慢に向かって、アンナは激しい怒りを覚える。


 「どんな人生を送れば、そんなにも……」


 「いっちゃえぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 「逝っちゃえぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 ズゥゥゥババババババババババッッッ!!!!


 アンナの嘆きを踏みにじる第三撃は、直線的でも変則的でもなく、言うなれば立体的。


 縦、横、上、下、直線、曲線、ななめ、前に後ろに奥の奥……。


 姉妹が同時に操る四十本のナイフは一本一本がバラバラな挙動。


 一見すると不規則にバラ撒かれただけのようにも見えるが、総じてとらえれば確かな定点を刻み、精密にとある図形を描き出している。


 それは球。


 配置されたナイフを点とし、その点を線で繋げてみると、丸々とした球体状となってアンナをグルリと囲んでいる。


 「これがボクたち……」

 「……ワタシたちのとっておき」

 

「「 ≪球籠遊戯たまかごゆうぎ≫だよっ!! 」」


 まさしく形状は球で役割は籠。


 無数のナイフによって対象の全方位・360度を囲み、逃げ場も迎撃の暇も与えない、鉄壁にして完璧、絶対にして絶命を約束する技。


 物理的に囲いが覆っているわけでもなく、ナイフとナイフの隙間をかいくぐれば……もしくは強行突破で道を切り拓けばどうとでも脱出が可能のようにも思える。


 しかし、その球体は既にエルロン姉妹の支配下にある。


 籠の中に捕えた対象の動きに合わせ、彼女たちは常に細かくナイフを操作して隙間を埋め、穴が穿たれたならば空かさずまた別の点にあるナイフを寄せて補完する。


 エルロン姉妹の胸先ならぬ指先三寸。


 致命傷にならない程度の細かな刀傷をチマチマと与え続け、肉体か精神かのどちらか一方、時には双方が壊れるまで何度も何十度も何百度も切りつけ続ける、子供らしいひたむきさと残酷さ。


 『遊戯』という名を冠するだけあってそれは彼女たちにとっては児戯の一環でしかなく、遊びというのは楽しく、楽しいことはいつまでやっても飽きることはない。


 体力、魔力が許す限り、彼女たちは何時間でも籠を維持できる。


 「きゃははははははぁぁぁ!!!」

 「ぎゃははははははぁぁぁ!!!」


 何度でも何十度でも何百度でも何千度でも、愉快に痛快に、相手を切り続けることができる。


 「これで終わりだね、カノン?」

 「これで終わりだよ、カロン?」


 「……そうですか……」


 「……へ?」

 

 バキィィィィィィィィンンンン!!!!


 音は一閃。


 パラパラパラパラパラ……


 実としては数十合。


 「なっ!?」


 「……そう、これも防ぐのね……」


 絶対に絶命を与えるはずの籠の中で展開されたのは、剣の舞。


 踊るようにクルクルと、

  舞うようにユラユラと、

   流れるようにサラサラと……。

 

 左手に持った白柄の小太刀、銘は『白光びゃっこう』。

 右手に持った黒柄の小太刀、銘は『黒冥こくめい』。


 癒しの『光』と滅びの『闇』が刻まれた二本の小太刀を、回りながら薙ぎ、飛びながら振り、沈みながら払い、反りながら斬り、アンナはナイフを次々と落としていった。

 

 その剣戟の速度は尋常を越え。

 その剣技の流麗さはもはや演舞。

 

 来歴も素材も物騒極まりない舞台をことごとく弾き飛ばした金属音は、エルロン姉妹の耳にはただの一度、大きく乾いて響いただけだった。 


……そして、聞こえてくるものがもう一つ。


パラパラパラパラパラ……


 ただ弾かれただけでなく、魔力の糸ごと断ち切られた総数・四十本のナイフが未だ雨のように降り注ぐ間。


 その中心で腕を交差させたまま屈むアンナベル=ベルベットの……。


 ≪戦場の麗人≫という決して美しさへの称賛からではなく、確かな畏怖を持ってしてそう名付けられた一人の戦士の……。


 「……これで、終わりなのですね?」


 冷静というよりは冷徹で。

  冷徹というよりは冷酷な。


 恐ろしいほど凍え切った硬質な声による問いかけが、幼気いたいけな殺戮者たちの耳へと届く。



 「そ、そんな……」


 「っ!カロン!飛んで!!」


 「ああ……ああああ……」


 「ダメっ!!」


 言うが早いか、妹・カノンがその場から跳躍。


 そのまま体をぶつけるようにして、ショックで硬直した姉・カロンをムリヤリ離脱させる。

 

 ……その間際。


 ブワァァァァ!!


 それまで彼女たちが立っていた足元から勢いよく無数の影のかいなが伸びてくる。


 「……ぐっ!」


 姉を庇ったおかげでその一端に触れてしまった妹・カノンが、地面に付したまま右足を押さえて短く苦悶をこぼす。


 「か、カノン!!」


 苦し気な妹の様子に、パニックに拍車がかかる姉・カロン。


 そんな少女たちのことなど我関せず。


 黒々とした影の腕は何かを探し求めるかのように、石畳の地面の上でワラワラと薄気味悪く揺れるばかりだ。


 「残念。直撃とはいきませんでしたか」


 そしてこちらも、心に一切の乱れもなくクールに言い放つアンナベル=ベルベット。


 「さすが侮れませんね、カノン・エルロン」


 「……ふふふ、当然よ。アナタの手癖の悪さと抜け目の無さは、さっきのお人形さんで学んでいたもの」


 弱々しい声色での軽口。


 ひしゃげてしまった右足首の状態を見れば虚勢としか思えない強気な態度だが、それでも再び理知的な微笑みが戻った彼女には、どこか余裕がうかがえる。


 「か、カノン!?」


 「大丈夫、大丈夫よ姉さん」


 「だって、あ、足が、足が!!」


 「そうね、そうだわ。足がとってもヒドイ状態。だけど大丈夫よ」


 「あれ、影、腕、が……」


 「そうね、影ね。単なる≪影縛り≫の魔術ね」


 妹・カノンの言う通り、アンナが剣の舞を踊りながら人知れず仕掛けたのは黒冥魔術の影縛り≪ヒドゥン・ハンド≫。


 生み出した影の手で対象を捕縛し、動きを封じるだけのもの。


 拘束力もさほど強いわけではなく、魔術の心得がある者や魔術抵抗が備わる者ならば容易に解呪できる、ランク的には最低級に属する魔術だ。


 「だ、だけど詠唱も術名も唱えてないよっ!?」


 「ええ、そうね。唱えていないわね」


 「そ、それに、ボクたちの籠が……≪球籠遊戯たまかごゆうぎ≫が!!」


 「落ち着きなさい、姉さん。籠を破ったのはただの剣技。ワタシの右足を奪ったのはただの≪無詠唱クリアドロー≫よ」


 「剣?≪無詠唱クリアドロー≫???」


 「剣は剣。卓越した技量でただナイフを落としただけ。魔術にしたって、メイリーンもバンバン無詠唱で使っていたじゃない。これも相当な熟練者しか扱えないけれど、さして驚くほどのことではないわ。あのお姉さんであればそれくらいやってのけるでしょう。……ま、どちらも『ただの』で片づけられるかどうかは怪しいものだけれど……」


 妹・カノンは、結局、使命をまっとうできずに霧散していく影の腕を見つめてつぶやく。


 彼女の見立ては正しい。


 アンナベル=ベルベットの魔術は単なる影縛り、ただの無詠唱には留まらない。


 低級魔術でも術者によっては威力の壁もランクの枠も越え、効果や性質さえも変質させてしまえることは、魔女たちの饗宴で明らかになっているので改めて言及する必要はないだろう。


 アンナもまたその領域へと踏み込んだ術者だった。


 専業の魔術師というわけでもなければ、とび抜けた魔術的センスがあるわけでもなく、ひどく局地的で限定的なものではあるので、踏み込んだとは言っても一歩ないし半歩ほど、その末端に触れた程度ではある。


 なにより、その道程がいささか王道から外れた特殊な事例であるので、正確に比べることはできないのかもしれない。


 なにせ彼女は、持ち前の思考力を惜しみなく振るい、術式の解読からの効率化・最適化を追求、低級魔術の≪無詠唱クリアドロー≫化に至っただけにはとどまらず、そこにオリジナルのアレンジを加えるところまでを、『魔』的な概念からではなく、ただの『理』的方面のアプローチだけでやってのけた。


 想像力で創造するというのが魔術の基本の基にして大前提の提。


 身も蓋もなく言ってしまえばフンワリファジーな不思議パワーを、アンナは徹底的な理詰めでもってガチガチに固めた挙句、結果として大魔術師たちが至る頂き近くまで強引に、知的に、スマートに上り詰めたのだった。


 「本当に野蛮。縛るどころか危うく首をへし折られてしまうところだったわ。……ワタシの右足一本で済んだのなら安いものかしらね」


 おそらくもう二度とは機能することはないであろう潰れた右足首をさすり、妹・カノンはそれでも穏やかに微笑む。


 「正直に言えば、ここで決めきれなかったのは痛恨ですね」


 かたや手負い、かたや絶賛戦意喪失中。


 勝負は決したかと思いきや、アンナは二本の小太刀を構えたまま警戒を解かない。


 「カノン・エルロン。貴女の枷が外れてしまう前に」


 「あら」


 大きな瞳をわざとらしく丸くするカノン。


 只でさえ演技じみた佇まいが、更に胡散臭いものとなる。


 「驚いた。やっぱりアナタったら察しが良すぎるわ。そんなに回転する頭を持っていては、さぞこの世界は生きにくくて仕方がないでしょう?知りたくもないものまで知ってしまい、見たくもないものまで見えてしまって」


 「……ご心配なく。それなりに楽しく生きていますよ」


 「そお?それは素敵なことね。アナタほどの頭脳もないというのに、ワタシの知っている世界や見てきたヒトたちは、本当に醜くて汚くて、度し難いほどに愚かなものばかりだったのだけれど」


 「カノン……」


 「ええ、そうね。そうよね。カロン……アナタ以外、この世にキレイなものなんて何一つないわ……」


 そして、妹・カノンは姉に向かって慈しみのこもった笑みを向けながら、ゆっくりと立ち上がる。


 ゆっくりと、しっかりと、どっしりと。


 破壊されたはずの右足で。

  機能を失ったはずの右足で。


 、地面を確かに踏みしめながら。


 「見苦しくて、ごめんなさい。とりあえず最低限の機能だけは回復したのだけれど、表層の修復にはもう少し時間がかかるみたい。でも、仕方がないじゃない?なにせ生身の人間だったのなら、一生モノの重症なのよ」


 カノンはクスクスと、相変わらず上品に笑う。


 「……双子の姉妹カロン・エルロンとカノン・エルロンですか……」


 アンナはアンナで、そんな剥き出しになった少女の機械部分を見て、抱いていた疑念に確信を持つ。


 「ただでさえ被害規模の大きさの割に情報量が乏しい『革命の七人』という組織の中でも、まったく顔も名前も知られていない幹部メンバー。謎ばかりではありましたが、こんな秘密が隠されていたとはさすがに思ってもみませんでした」


 「あら、別に隠していたわけではないのよ。ワタシたちの顔が知られていないのは、ワタシたちに会ったヒトたちが誰一人として生き残っていないせいなのだし。……コレだって、わざわざ吹聴して回るようなことでもないでしょう?」


 「その正体は、双子でもなければ姉妹でもない。それどころか少女でも子供でも……人間ですらない」


 アンナが眼鏡の弦をいじるのは、彼女が苛立った時の癖。


 それは同時に……知りたくもないものを知り、見たくもないものを見て、言いたくないことを言わなくてはならない時に感じるストレスを、気休めにでも誤魔化すための大事な儀式でもあった。


 「……カノン・エルロン。貴女は≪人形遣いパペッタ―≫たちの目指す最高峰、自我を持った『自活駆動型』の人形なのですね?」


 「ふふふ、お見事ね、優しくて残酷なお姉さん?」


 正体を見破られ、それでもカノンの余裕の微笑みは翳らない。


 「それでは少しだけ、語らせてもらってもいいかしら?戦いの最中に不謹慎だとは思うけれど、死体の転がる戦場には相応しくはないけれど、それでも語らせてくれないかしら?」


 「語り……ですか?」


 「ええ、語り。物語……」


 そこでカノンはわざわざ負傷した右足を軸にクルリと一回転。


 白いワンピースの裾がフワリと花がほころぶように舞う様は、素直に可憐。


 妙に芝居がかってはいるが、改まって物を語るには、これくらいの仰々しい導入の方が丁度良いのかもしれない。


 これから語られる話の美しさと凄惨さを暗示するという意味合いにおいて……。


 「かつて人形と呼ばれた少女と、少女として作られた人形の、とっても甘くて苦々しくて、とっても幸せで不幸せな、素敵で不気味でやっぱり素敵な物語……」



――さぁ、人形たちの叙事詩を語りましょう……



そして、人形は語る。


己が内部機関に残された記録という名の記憶を元に。



ヒトのふりして、物語る。



 

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