RHASE:03 三つの戦場

ラ・ウール防衛組 ~ 夜を駆る獣 ~

 「……っ!!」


 「ぐはっ!!」


 草木も眠る丑三つ時。


 草木や花々に限らず、小動物に魔獣、そして時間でさえも眠りついているような静寂を侵し、穢す、影一つ。


 「……っ!!!」


 「うがぁ!!!」


 真夜中という時刻よりも。


 月明りが射し込む隙間もないほど濃密に木々が折り重なったせいで、夜が一層深く暗く立ち込める森の闇から闇へと跳び移る、影一つ。


 「っく!怯むなぁ!!怯んではならんぞぉぉ!!」


 その男は、兵士としても人間としてもそれなりに優秀な男であった。


 ドラゴノア教団の主力であるズペリン国境関所隊。


 その最先鋒たる自身の小隊が夜の闇に乗じて何者かの襲撃を受けているということをいち早く察した男は、すぐさま隊の兵に目印となってしまう松明の灯りを消させた。


 ただでさえ夜、ただでさえ奥深い森の中。


 こちらも身動きができなくはなったが、それは相手方も同じこと。


 襲撃の手法から、どうやら大人数による大がかりな闇討ちというわけでもないと判断した男は、兵のすべてにその場で身を屈めて待機し、相手が根負けして灯りを点けるか、諦めて逃げ去るのを待つことにしたのだ。


 ……しかし。


 「うぎゃぁぁ!!」


 「ぐわぁぁぁ!!!」


 「か、神よぉぉぉ!!!!」


 一人、一人、また一人……。


 何も見えない暗がりに、何も聞こえないはずの静寂に。


 同志たちの吹き出す赤い血飛沫と、断末魔の叫び声ばかりが上がっていく。


 ―― なんだ!!なんだなんだなんだ!!!なんなのだぁぁ!! ――


 過去、己が妄信する崇高にして絶対的覇者であるドラゴンを神と崇め奉るドラゴノア教を、謂れのない言いがかかりを付けて排斥、滅ぼした憎き怨敵・ラクロナ帝国……。


 おごり高ぶり、我らが神からその覇権を簒奪したかの帝国を滅さんとする此度の聖戦で勝利することは、男ならずとも、教団の信者にとっては宿願を越えて宿業と言っても過言ではない。


 数多の辛酸を舐め、艱難辛苦を乗り越え、志半ばで散った多くの同志を見送ってきた。


 憎い、憎い、ああ、憎い。


 この胸の内側で渦巻く熱量は、とても憎悪という言葉だけでは表しきれない。


 そのもどかしさ、その遣り切れなさがまた、彼の帝国への憎しみをさらに増大させていったのであった。


 教祖・ノックス・ヘヴンリ―大神官は、彼のそんな激情に深く深く共感してくれた。


 辛かろう、苦しかろう、哀しかろう、憎かろう。


 自分も同じだ。自分もそうだ。


 こんな屈辱にただ甘んじ、何もできないでいる自分の無力さが悔しくてたまらないのだ。


 すまない。申し訳ない。ごめんなさい。申し訳ない。


 我が身が至らないばかりに、同志諸兄の聖なる御魂にいつまでも安息を与えられないでいる。


 本当にすまない。申し訳ない……。


 そう、涙ながらに謝り続ける教祖の切なる想いに心を震わせた男は、このお方に絶対の服従を誓い、生涯を捧げて再びドラゴノア教というこの世で唯一、世界の正しい在り方を説く教えを大陸全土に広げて人々を救済せねばと燃え上がった。


 だから、我らが悪の根源たる帝国ではなく、その悪に味方するラ・ウール王国を堕とすためにと兵を向けることにも、なんの疑念も抱かなかった。


 同盟関係を結んだ『革命の七人』なる、我らと同様に帝国憎しを掲げているものの、どうにも胡散臭い連中を内心では面白く思わなくとも、聖戦を勝ち残るための単なる手駒として利用しているに過ぎないのだという教祖の言葉に一も二もなく納得した。


 なんでもいい。なんだっていい。


 教祖様に付いていけば間違いはない。


 教祖様の命じたことであるならば、それは我らの悲願成就のためには必ず必要なことなのだ。


 だからこの聖戦と呼ぶにはいささかイビツで特殊な戦争に言い知れぬ違和感を覚えても気にしてはいけない。


 教祖様がこのところ殆ど我らの前に顔を出さなくなったことにも疑問を持ってはいけない。


 間者だ裏切り者だと言われて、何人もの同志を粛清してきたことに心を痛めてはいけない。


 俺はただ愚直にこの小隊を守り抜けばいい。


 俺が率いるこの先鋒隊が崩れれば、ラ・ウールへの進軍の足は著しく遅くなる。


 そして遅れた分だけ、我らの勝利もまた遅れてしまうのだ。


 戦え、守れ、信じろ、前を向け。

 

 気にするな、疑うな、顔をしかめるな。

 

 迷うな、惑うな、省みるな。


 憎め、憎め、憎め、憎め、憎め。


 ただ帝国だけを、ただただ憎んで憎み切るのだ。


 「っっっ!!同志諸君!!絶対に、絶対にくっする……!!!」


 「…………」

 


 ザシュッ……



 あれ?なんだ?声が出ない……。


 小隊長として、仲間として。


 屈するなと、絶対に屈するなと同志たちの心を鼓舞しなければならないのに……。


 あれ?なんでだ?声が……声がでない……声が……聞こえない……。


 自身で発したはずの声が耳に届かないことを不思議に思う男。


 代わりにヒユーヒューと、どこからか空気が漏れる音ばかりが聞こえる。


 誰だ?なんだ?バカ者が……。


 そんな大きな音を立てたら敵に自分の居場所を教えているようなものだろう?


 黙れ、落ち着け、黙れ、黙れ!黙れ!!!


 男がそう叫ぶのを嘲笑うかのように、ヒューヒューという音は大きくなる。


 そうしていくうちに、男は自分の体から力が抜けていくのを感じる。


 地面に膝をつき、その体勢から何一つ体を動かすことができない。


 膝をついた場所に、何か大量のドロリとした液体の感触を感じたが、首や視線を動かしてそちらを確認することもできない。


 体力はまだある。心だって折れてはいない。


 何度屈しようとも、何度でも立ち上がってやるという気概も十分だ。


 だが、立てない。

  だが、動けない。


 なんだ?なんだ?なんなのだ?


 動かない体の代わりに、同じところをグルグルと回る思考速度ばかりが早くなる。


 ザッ……


 そんな男の面前に、ぬらりと何者かが立ちふさがる。


 気配はなかった。気が付かなかった。


 それどころか、目の前に立つ何かには何もない。


 輪郭も、匂いも、温度も、音もない。


 「…………」


 言葉もない、呼吸もない、影すらもない。


 「…………」


 唯一あるとすれば、闇夜に映える二つの黄色い猫瞳。


 獣?……我らの部隊を襲ったのはこの獣なのか?


 ようやく視認できたその瞳から何かを探ろうとするが、何も感じ取れない。


 そこにはやはり何もない。


 矜持もない、志もない、宿命も宿業も何一つとして見受けられない。


 ただ事務的、ただただ機械的。


 こんなものは単なる仕事なのだと。


 とくに恨みも憎しみもないが、これが己のやることなのだと言わんばかりに。


 その黄色く、冴え冴えと光る両の瞳から、男は何も感じ取れない。


 「あががが……こ、こんな……こんな……ところ……で……」


 やっとまともな声を出せた思ったところ、零れてくるのはやはり怨嗟。


 帝国に、歴史に、時代に、我らが神を迫害してきたすべての者に。


 そして、確かな志を掲げて戦おうとする自分の命を、このような得体の知れない何かに奪わせた運命や神に、男はありったけの憎悪を向ける。


 ……あれ?

 ……俺は、今、神を憎んだのか?


 ……あれ?どうして?どうして俺はそんな不敬を犯してしまったのだ?


 ……違う。違う。違うのです、我が主神


 ……私は、御身のため……御身への崇拝を忘れた愚かなる者たちへ罰を下すため


 ……ただそれだけのために生きてきたのです


 ……そうです、それだけ、ただそれだけのためにしか生きてはこなかったのです


 ……だから、お願いです、神。


 ……どうか、どうか……この俺の生涯を


 ……ただ憎しみだけに彩られたこの俺の人生を意味のある……もの、に……


 「お、おま……おまえ、は……な、なに、なにもの……」


 ザシュッツ……


 「…………」


 問いには答えず、何者かは無言のまま、男の首を撥ね飛ばす。


 ゴロゴロと転がる首。

  喉を切り裂いた時よりも一層の血しぶきをあげる胴体。


 「…………」


 それらに一瞥を投げただけで、黄色い猫目はまた、フッと闇夜に姿を埋めてしまう。


 今、自分が殺した男がどれだけこの戦いに賭けていたのか。


 まったくその死に様に興味を抱かなかった男がどれほどドラゴノア教というものの教えに心酔し、自身の生涯と無償の愛を捧げていたのか。


 そんなものなど、どうでもいいとばかりに……。



 獣はまた次の獲物を求めて、夜を駆る。



            ☆★☆★☆



 「……聞こえるか、姉さん?」


 『(ピィ……ザザ…)はい、ゼノさん。聞こえます』


 とりあえずの仕事が一段落したところで、ゼノは王宮の司令部に待機するアンナへと通信を入れることにした。


 「一先ずは、ズペリンの関所から来る敵の出鼻は挫いた。隊の再編成やら状況の整理やらで少しは時間を稼ぐことはできたと思う」


 『お疲れ様でした。助かります』


 「だけど昼間に報告した通り、他の四つの関所を無理矢理ぶち破ってきた奴らの足止めまではあまり期待しないでくれ。一応、途中の橋を落としたり、同じように撹乱はしてきたが、少なからずそっちに辿り着くのもいるだろう」


 『いいえ。十分に働いてくれました。おかげでそちらに対する迎撃の態勢は整えられましたので、こちらはお気になさらず』


 「そんでドラゴノア……白装束の僧兵たちの戦力分析だが、剣に槍に棍棒に弓矢にと武器に統一性は無し。あと魔術を使える奴や魔道具を操る奴がチラホラ。一応、大所帯の軍っていう体裁で動いてるから分隊みたいなのが存在していて、それぞれに部隊長が指揮を執っている。統率は割とできてる方かな」


 『一人一人の練度はどうでしょう?』


 「大したことはねーな。個人差はもちろんあるんだろうが、基本的にザコしかいない。分隊長クラスはそこそこデキるから少しでも見込みのある奴をそこに据えたんだろうけど、それだって取るには足らない。訓練された本職の兵隊なら蹴散らすのもわけねーだろ」


 『僧兵として武装しているとはいえ、やはり元はただ信仰に敬虔な一般民ということですか』


 「だが、その敬虔さが怖いところでもある。戦い方なんて知らねー普通の奴らのクセに志ばかりやたらと高いもんだから、どんな小さな小競り合いにも命を賭けて向かってくる。そして総計3千という物量。兵の数はほとんどこっち側に回っているとはいえ、訓練された本職であるはずの警備兵がいる四つの関所を破られたのは事実だ。油断は出来ねーよ」


 『はい、もちろんです。ゼノさんも油断はせず、続けて本隊への圧力をかけて下さい』


 「了解。これからもう少し、敵さんの陣地へ踏み込んでみる。何かおかしなところがあったらまた報告するわ」


 『お願いしますね……』


 報告を終えて回線を切ろうとしたゼノだったが、決して言葉にはせずとも、通信機の向こう側にいるアンナがひどく疲れている様子なのが少し気になった。


 「……大丈夫か、姉さん?」


 『え?ああ……すいません。大丈夫、まったく問題ありませんよ』


 「……ま、あんたの頭が痛くなるのもわかる」


 『……いいえ、いいんです。もはや過ぎたことですから。……はぁぁぁ……』


 アンナがあからさまな溜息を吐く理由もゼノにはよくわかる。


 なにせ、予定時刻より半日も早く、戦争の幕が上がってしまったのだ。


 ……しかも、百パーセントこちら側の不手際で。


 「帝都に到着するや否や、あの馬鹿デカイ列車で『宝玉宮ほうぎょくきゅう』に突っ込んだんだったっけか?」


 『あの真っ黒幼女……この戦いが終わったら絶対にシメる……』


 「おいおい、おっかねーな……」


 イチジやアルルの前では絶対に見せなさそうな堅物女のガラの悪い部分に触れて、ゼノは微かに口元を緩めてしまう。


 「あっちは今も絶賛、交戦中なのか?」


 『はい。それはそれはもうもうもう……正直、目も当てられない騒ぎになっています。とりあえず、このラ・ウールに攻め込んできた『革命の七人』に目立った動きは見られないので、やはり帝国軍と彼らの連携……そもそもの繋がりは薄いのだろうという仮説が実証された形にはなりましたが……』


 「いいじゃねーか。元々が戦争とかいう形に当てはめること自体おかしな話なんだ。どんだけ書面でやり取りし、理屈をあーだこーだこねても、あくまでこれはラ・ウールとアイツらの私闘だろーに。今更、格式ばってお行儀よくやることもねーよ」


 『本当に今更ですけどね。……まぁ、いいです。ともかく、ゼノさんは撹乱に専念してください』


 「了解」


 『ココさん?ココさん聞こえますか?』


 「ん?あーおねぇさん♪おねぇさんの声が聞こえるんだゾ♪」


 ゼノへの回線を開いたまま、アンナはココの方へも呼びかける。


 頭が痛い割に随分と余裕だな、と思いつつも、ゼノは日頃からココを可愛がっているアンナの気遣いに何も無粋な口を挟まない。


 『大丈夫ですか?ケガとかしていませんか?』


 「ぜーんぜん。ダイジョブだゾ」


 『そうですか。それならば良かったです。ココさんはあまり無理をしないようにして下さいね?怖くなったらすぐにでも隠れて』


 「ダイジョブ!!ココとゼノ君はコンビだから!」


 『コンビ……そうでしたね。ずっとそうやって二人で生きてきたのでしたね』


 「そうだゾ。ココがいないとゼノ君、ぜんぜんダメダメだから!!」


 「おい」


 『ふふふ。ならばゼノさんがあまり無茶なことをしないよう、ココさんが守って上げてくださいね?』


 「うん!!じゃなかった……うむ、こころえたゾ!!」


 「ちょーしのんな、ゴラ」


 「みゃみゃ!!……ぶぅぅぅぅ、いたいんだゾ……」


 「そんなわけで、そろそろ行くわ」


 『はい。では、よろしくお願いします……(プツン)』


 「…………」


 通信が切れると、また森には奥行きのある静けさが戻ってくる。


 この一帯に、もはや敵の影はない。


 それどころか、本来はこの森の主たる魔物や魔獣の気配すらもない。


 「……ココさんがしっかり守って下さい……ねぇ」


 アンナが子供をあやすような感じに、冗談交じりで言った軽い言葉を、ゼノはやけに真剣な表情で反芻する。


 「あながち間違ってねーんだよな……これが……」


 「ゼノ君?」


 暗闇の中でもよく映える、クリクリとした大きな目でそんなゼノを見つめるココ。


 その無垢さ、その純真さは、これまでゼノの背に乗りながら幾多の残虐な人の死を目の当たりにしてきても一切、穢れることはなかった。


 それはもちろん、こうしている今だってそうだ。


 ナイフで首の動脈を切られ、まだ微かに体をピクピクと痙攣させている死体を横に置いている今だって、ココは顔色一つ変えることはない。


 「…………」


 「ゼノ君?どうしたんだゾ??」


 「……いや、なんでもない……」


 そんなココを見つめているうち、ふと心に沸き出でた何かを、ゼノはグッと抑え込む。


 今はいい。後でいい。いつかでいい。


 「……次、いくぞ」


 今は、その何かについて考えを巡らせ、名前を与え、そして飲まれているような場合ではないのだから。


 「また、サポート頼むな?」


 「うむり、らじゃでーす!!」


 「……いろいろ混ざってんぞ」


 そして、狐幼女を背に乗せた猫目の青年がまたどこまでも広がる暗闇に向かって跳び上がる。


 ただドラゴンという唯一神を狂信的に崇める一心だけでこの戦いに参加した白装束の集団たちの願いを踏みにじるべく。


また一つ、また二つ、また三つと彼らの命を淡々と刈り取る死神獣人が。



闇夜の中を駆っていく。

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