番外・絢爛舞踏会~ 開幕 ~
アルルの討伐軍参加への決意表明が終わり、壮行会は速やかに次の段階へと移行した。
テーブルの再配置、照明器具の調整などなど、瞬く間に会場の装いが改められる。
数か月に一度、王室の主催で催されているらしい舞踏会。
そこに急遽、壮行会を組み込むよう調整したがための慌ただしさだったけれど、敏腕メイド長を筆頭に優秀なスタッフたちのキビキビとした動きは目を見張るほどに効率よく、蚊帳の外から眺めていて小気味いいくらいだった。
そして、来賓客のお色直し休憩なども挟まったところで、会場は雰囲気もろとも本来の趣を取り戻し、舞踏会が始まった。
一曲目。
楽団が肩慣らしとばかりに奏でたのはミディアムテンポながらとても陽気な旋律。
そして当然のように、四組の男女が一グループとなって簡単なステップを踏んでいく。
たしか……カドリールとかいうやつだっただろうか。
もちろん、こんな無粋な俺が社交界での立ち居振る舞い方やダンスの種類に精通しているわけじゃない。
ひとえに例の潜入任務の時、相方だったパクからどこかのメイド長もかくやというくらいのスパルタ指導を受けた名残だ。
≪
曲にだってまるで馴染みがない。
けれど、会場の真ん真ん中で縦横無尽に踊っている男女の顔は皆とても幸福そう。
作法だなんだと気にしてこの雰囲気を楽しめない方が、かえって無粋なのかもしれない。
「耽美じゃのぉ」
「……耽美だねぇ」
一曲目も山場に差し掛かったくらいだろうか。
壁に寄り掛かりながら、楽し気に踊る人々の姿をボンヤリ眺めていた俺の横にリリーがちょこんと現れ、当然のように声を掛けてきた。
現れ、なんて表現もおかしい気がするけれど、実際にこの幼女、壮行会をしていた前後にはまったく姿が見えなかった。
……まぁ、端的に言うと、ブッチしてやがったのだ。
「……どこに行ってた?」
「ちょいと二番に」
「デパートの隠語かな?」
「八丁目よりお越しのチュウバチ様~サービスカウンターまで起こし下さいませ~」
「ホントになんでもありだな、君は……」
「いやいや、ホントただの野暮用じゃよ、野暮用」
にょっほっほ、といつものペラペラな笑い声を上げるリリー。
普段から黒で統一された洒落たドレスを着ているけれど、今宵の装いは輪をかけてゴージャス。
しかし、中身はまったくのいつも通りでいつも調子。
この子もこの子で、いつでもいつもブレることがない。
「……別に、気にすることないのに」
「……この敏感系め」
そう、いつだってブレることなく、この伝説の大魔女は、俺らでは知覚すらもできない大局というものを俯瞰して見ている。
そして、傍若無人な振る舞いが目立ち、俗世の出来事にまるで興味がなさそうな態度のせいで非常にわかりづらいのだけれど。
これで人一倍、気遣いができたりする人でもあるのだ。
「……ま、あの壇上にポツンと、かわゆい幼女が紛れとったらおかしいじゃろ」
「君の強さが破格だってことは討伐軍のメンバ-誰もが知っている。……それにほら、俺がゼノ君と悶着している間、議会議員たちの前でも大暴れしたんじゃなかったっけ?」
「そうじゃな。我が創世の魔女・リリラ=リリス=リリラルル本人であることには大多数の者が懐疑的じゃったから、ちょちょいっとな。……まぁ、とはいえ搾りかすの残滓であることは確かじゃから、あながち間違いでもないんじゃが」
「創世の魔女はともかく、君が純粋な戦力足り得ることだって間違いない」
「にょっほっほ。じゃからそこら辺は有無も言わせず認めさせてやったわい」
「……あ、そう」
何をどうやってその力を知らしめたのかはわからない。
けれど、俺たちの処遇について改めて会議が執り行われていた議場の扉の前に『危険!!立ち入り禁止』の札が貼ってある事実と、ときたま廊下なんかでリリーとすれ違う議会議員が脅えるように端に寄っている様を鑑みるに、その時に吹き荒れた暴虐の嵐ぶりが簡単に想像できてしまう。
「それでもここに集った者の大半が我のことなぞ知らん。ゆえに皆、んん??と首を傾げるはずじゃ。姫様はあんな年端もいかぬ子供まで戦場に駆り出すのか、とな。……我自身はこれっぽっちも気にしておらんが、折角の小娘の晴れ舞台なのじゃ。余計な水を差すのもあれじゃろ?」
「素直にそう言ってやればきっと喜ぶよ?」
「素直にそう言えないお年頃なんじゃよ、二千とんでン歳とはな、にょっほっほ」
だから内緒なのじゃ、と悪戯っぽく笑うリリー。
ホントに天邪鬼なお子様で……。
カッコイイ、素敵な女性だ。
「二千ン歳とか聞くと途端に胡散臭くなるなぁ」
「肌年齢は6歳じゃ」
「実年齢とのふり幅よ」
「精神年齢は22歳」
「早熟な幼児だ」
「そんなミステリアスなところは魔女っぽいじゃろ?」
「魔女っぽい」
「これだけ見た目と年齢にギャップがあるところは正しく美魔女じゃろ?」
「ふり幅よ」
「我の入った風呂の残り湯を若返りの薬と称して売れば丸儲けできそうな気がする」
「たぶん、想定していたのとは違う層での需要が爆発しそうだからやめてね」
「では二千ン年にも及ぶ経験を元に人生相談でも受け付けるか。魔女の館へようこそ、と。丸儲けじゃ」
「お金に困ってるのかな、君は?……それに魔女というより占い師っぽい」
「あなたは人間関係に悩みを抱えているでしょう」
「出た、常套句」
「それは、あなたの繊細で優しく、けれど時折大胆に行動してしまう性格が原因です」
「『時折』って言葉の妙だ」
「ビブラートをもっと利かせてみては?」
「マダム・フォーチュン?」
「いいですか、みなさん?『人』という字はパリピとパリピとが『ウェーイ』と、ことあるごとにハイタッチをしている様子を表しているのです」
「脚色がドぎつくて分かりづらいけれど、三年B組ティーチャー・リリーの道徳かな?」
「そして、みなさん?『嬲』という字は、二人の男にそれぞれ『貴方しか頼れる人がいないの』と、それらしい言葉を匂わせて散々貢がせた挙句、最後には四回り以上年の離れた老い先短い実業家の老父と結婚し、まんまと莫大な遺産を相続したのはいいものの親族郎党に恨みを買い、その親族がかつて二股かけられていた男の片割れをそそのかした末に背中から刺されてしまう女の一生を表しているのです」
「……やっぱりただのリリーだったか」
「そしてこれは、実は男と女をまるきり反転させても同じ意味合いになるのです」
「なるほど」
「いや、割と他人事じゃないからね?」
二曲目。
準備体操的に陽気な曲調で体も空気もほぐれたところ。
今度はしっとりとしたワルツが厳かに響き渡る。
不特定多数と交代で踊っていた人々も、この緩やかな調べに身をゆだね、意中の相手と一時の逢瀬に浸っているようだ。
「……壁の花、ですか?」
そんな軽口と静かな微笑みとともに、近づいてきたのはアンナ。
両手に持ったグラスの片方を手渡しながら、彼女はそっとリリーとは逆の俺の横に立つ。
「……そんな上等なもんじゃないよ」
ありがとう、と言って受け取ったグラスを一口煽る。
黄金に発泡する見た目からシャンパンだと思ったけれど、もう少し舌触りがまろやかな、甘めの果実酒だったようだ。
「花は花でも枯れ尾花ってところか」
「あなたは幽霊だったのですか?」
「むしろ壁の方かも」
「あなたは無機物だったのですか?」
「似たようなもんだろ」
「似たようなものかもしれませんね。その無表情だと」
「冗談だったんだけれども」
「ふふふ、冗談ですよ、もちろん」
細さも軽さもそのままに、クスクスと上品に笑うアンナベル。
その美しさはまるでほころんだ花弁のようで……。
「花、というならむしろ君の方だな」
「え?あ……ううう……」
「冗談ではないからね?」
「ど、どうも……です……ううう……」
瞬時に顔が赤くなり、ハニカミながら下を向いてしまったアンナ。
冗談でもお世辞でもない。
お色直しの時間に彼女もまた団服から着替えたらしく、今は紫色のシックなイブニングドレス姿。
元からの手足の長いスレンダーな体型と、ポニーテールに纏められた髪。
いつもと同じ細い銀縁のフレームの眼鏡とも相まって、なんとも言えない知的で清楚な大人の色香が醸し出されている。
「萌えるのぉ」
「萌えるねぇ」
「ふ、ふたりでからかわないで下さい!」
「まさか、からかってなんかない。とても綺麗だ、アンナ」
「ふぎゅぅぅぅぅぅ……」
「今さっき我が道徳を説いたばかりだというのに、ホントこのジゴロは……」
「だって、本心だし」
「ふみゅぅぅぅぅ……」
「しかも鈍感系の天然ではなく、地味子の気持ちを知っておきながらこれじゃからな。……本気で刺されるぞ?嬲られるぞ?」
「でも、財産目当てじゃない。心から思った素直な気持ちだ」
「うにゅぅぅぅぅぅ!!!!」
「いや、素直だから良いってもんじゃなく。どうしてそこら辺りの細かい機微がわからんのかコヤツは……。そんな調子で久しく女扱いをされてこなかった人妻を軽々しく褒めたおかげで幾つかの幸せな家庭を人知れず壊してきたりしたんじゃないのかのぉ」
「???」
実際、舞踏会が始まる前後から、美しく着飾ったアンナに声を掛けている男が多く見られた。
それらの誘いすべてをすげなく、あるいは丁重に断ってこんな壁の端にまで来ているわけだけれど、彼女に向けられた無数の熱い視線は変わらずだ。
そして、少なからず。
その中には、隣に立っているこのノッペリとした冴えない男への妬み嫉みの視線も含まれている。
「……なんだか、申し訳ないな」
「……ああ、いいんです。イチジさんは気にしないで下さい」
アンナだってもちろん気づいているんだろう。
相変わらず赤面しているけれど、なんだかその赤に混じるように、うっすら疲れの色が見える。
「私個人がどうというより、彼らがお近づきになりたいのは『ベルベット家』の方でしょうから」
「なるほど、そういう……」
「小娘に聞いたことがあったのぉ。なんでもお主の生まれたベルベット家はこのラ・ウールにおいて貴族階級に属する家柄。それもそこらの成り上がり貴族や中堅どころでは及びもつかない飛び切りの大名家。本来ならば今まさに婿探しも兼ねて戯れとる子女たちと同じように、お主ももっとキラキラと着飾ってあそこで何も考えずに踊っていなければならない立場なんじゃろ?」
「……正確には、踊りさえしなくてもいい立場、でしょうか」
「そりゃなんとも、超一流だ」
踊らなくてもいい……ということは、国中の貴族が集まったこの舞踏会場の中ですら、ベルベット家と釣り合う家柄の者がいないということだ。
リリーの訓示じゃないけれど、婚姻目当て、財産目当て、地位目当てでダンスの誘いを申し込むことさえもはや不遜。
ベルベット家と良縁を結ぶには、ただの一貴族以上の立場……相当な格式のある同じ大貴族か王族くらいでなければいけないのか。
声をかけた男たちが案外あっさりと引いていった理由がこれでわかった。
彼らはただ単に顔と名前を覚えられ、どれだけ細く、たとえそれが『良』でなくとも、ベルベット家へ縁というものを繋ぎたかっただけのことらしい。
「俺には想像もつかない世界だな」
「……ただただ窮屈で閉鎖的なつまらない世界です」
少し表情を固くしながら、アンナは呟く。
「想像なんてつかなくてもいい。そんな世界を……私はあなたに見てほしくありません」
「心配しなくても、見たくたって一生見られないよ」
「……そう……断言しなくたって……私と……その……(ボソリ)」
「いや、断言しちゃえるだろ」
「もう、なんでそんなに耳聡いんですか!?」
「マスターは敏感系鈍感ジゴロじゃから。諦めろ、地味子よ」
「でも、家とか縁とか別に裏があって声を掛けてきた人ばかりじゃないだろ」
「え?」
「純粋にアンナの凛とした美しさに魅かれた人たちだって……」
「うにゅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
「……一回、刺された方がいいのかもしれんな、この弟……」
三曲目。
身も心も場の雰囲気に陶酔し、たなびくような弦楽器の残響に後ろ髪をひかれながら離れていく男女。
そんな甘ったるい名残をリセットするかのように、楽団は次にアップテンポの曲を力強く響かせる。
ポルカよりも遅く、タンゴよりも少しだけ穏やかな独特のリズム。
≪
それでも、人の気持ちを愉快にさせる曲だというのは存分に伝わってくる。
ワルツでは一歩引いていた面々も再びフロアに参上し、大きな笑顔を振りまいていることでそれはわかるし……。
「るんたったったぁ~♪るんたったったぁ~♪」
「おい、ココ。頭の上で暴れんなゴラ……」
何よりも、ゼノ君に肩車された無垢すぎる狐耳の幼女が、こんなにも楽しそうにはしゃいでいるのだから。
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