第五章・その男、漢につき~ARURU‘S view①~

 紫煙が煙る場末の酒場に琥珀色のお酒が似合うように。

 

 静謐な朝には紅茶がよく似合う。


 時刻はまだ世界の目蓋も開けきらぬ早朝。

 

 気温にしても草花の色づきにしても、ゆっくりと、しかし確実に夏めいていく今日この頃ですが、朝霧が薫るこの時間の空気は取り合わけ新鮮で清々しいものです。

 

 城下の市場で働く方々はとっくに動き始めていることでしょう。


 一般の家庭では母親が子供たちや夫のためにもはや一仕事を終えているくらいかもしれません。


 王宮にあってもそれは同じ。


 近衛騎士団の待機所では夜勤と常勤との引継ぎが行われています。


 王宮内の食事を一手に引き受ける大食堂の給仕にあたる方々は朝食の仕込みがちょうど佳境に差し掛かっている頃合いでしょうか。


 夜には夜の、昼には昼の喧騒があり、もちろん朝には朝の慌ただしさというものが確かに存在するのです。


 しかしここは人が暮らすには広大に過ぎる王宮のさらに最深部。


 意図的に街や宮内の騒ぎなどから切り離されている王族の私的な空間。


 その一角を占めるわたくしの私室もまた例外ではありません。


「…………」


「…………」


 ずぶずぶと、静々と……。


 静寂にくるまれた部屋の中で、こちらも沈み込むように黙然としている女が二人。


「……(ペラ)……」


 寝覚めのお茶に唇を濡らしつつ、数枚の書類に目を通すわたくしと。


「…………」


 テーブルを挟んだ向かいの席で、微動だにせずわたくしを待つアンナです。


「…………」


「…………」


 会話がないからといって、決して居心地の悪くなるような重々しい空気ではありません。


 たぶん、アンナだってわたくしと同じ気持ちでいるはずです。


 別段、話題に困って黙り込んでいるわけでなく。

 特段、互いの関係性が冷え込んでいるわけでもなく。


 これは意味のある沈黙。


 ただわたくしは書面を、アンナはそんなわたくしをジッと見据えたまま、わたくしたちはわたくしのいないところで起きた昨日の出来事について、それぞれに思いを真剣に馳せている結果なのです。


 「……ふぅ……」


 パサリと、テーブルの上に書類を置き、わたくしは小さく息を吐きます。


 「お疲れさまでした」


 その吐息が合図であるかのように、ただでさえ姿勢の良い背筋をさらに正してアンナも口を開きます。


 「そちらこそ疲れていたでしょうに。そんな中での迅速な報告、ご苦労様でした」


 「いえ、もったいないお言葉です」


 「傷の方は大丈夫ですの?」


 「はい、問題ありません。致命傷を受けたわけではありませんので、二三日あれば完治するかと思われます」


 ちらりと彼女の方をうかがいます。


 スッと伸びた背筋。

 整然とした佇まい。


 同性として、ただ座っているだけで滲み出る知性や品性には素直に憧れを抱いてしまいます。


 近衛騎士団に所属し、血や汗や泥にまみれる機会も多いというのに、不思議と損なわれない名家・ベルベット家の令嬢としての品格。


 それほど歳が離れているわけではありませんが、どうしても彼女の隣に立つと自分がまだまだ大人になりきれない、未熟な子供なのだと思い知らされます。


 そんな相も変わらず整った美しい顔立ちの頬にあてがわれたガーゼ。

 制服の下に幾重にも巻かれているであろう包帯。


 そして決して急かしたわけでもないというに一晩もかからずに仕上げてくれた報告書の内容や、日頃から示してくれるわたくしへの忠誠心を鑑みれば、二三日で治ってしまうような浅いケガでないことは明白でした。


 「ともあれ、あなたが無事で何よりでしたわ、アンナ」


 「……ご心配をおかけいたしました」


 「血統が途絶えていく久しいはずの種族・獣人族の青年と少女、己の体を獣へと作り変える獣化ですか。……わたくしは書物や伝承による聞きかじりの知識しか持ち合わせておりませんがその力、まさしく≪王を狩る者≫という呼び名に相応しかったのでしょうね?」


 「はい。あのゼノという青年、元から優れた身体能力と卓越した戦闘技能を有していたのですが、その全てが飛躍的に、そして際限なく底上げされていました」


 「魔力がオーバーフロウしたことによって姿形まで変質してしまったと報告書には書いてありましたけれど?」


 「はい。自らの力に正気ごと呑まれた単なるケダモノ。……純粋に膂力だけ見るなら途方もないものでした。しかし正直、その前段階で青年が見せていた強かさの方が私には余程おそろしかったですが」


 「理性なき獣の暴走……」


 「ココさん……青年と帯同していた狐型獣人の少女の話を聞く限り、どうやら獣人族と私たちヒト種ではオーバーフロウの定義が少し異なっているようなのです」


 「自らが生成した魔力が膨れ上がりすぎると安全のために停止してしまうのがわたくしたちの有する魔力炉の特性。しかし獣人族のソレにはそんな自衛のための枷が存在しないということなのでしょう」


 わたくしの言葉に、アンナがハッとした表情をします。


 「……なるほど。いくら程度の度が過ぎたものであるとはいえ、何故単純な術式である身体強化魔術が『獣化』などと別の呼び名を与えられ、あまつさえ獣人族のみに許された秘術となっているのか長年疑問ではあったのですが……。魔力炉の作りそのものが他の種族とは異なっているというのが姫様の見解なのですか?」


 「ええ、わたくしも同じように疑問を持ち、幾つか仮説をたてていたのですけれど、あなたの報告を見て聞いて、割と的を射ている説なのではというくらいには自信が持てましたわ。わたくしたちが魔力炉と呼んでいるものとは作りというか、成り立ちというか……同じような役割を担ってはいますが、その実、まったく別の理の元に成立している器官があるのだととらえた方がしっくりとくるでしょう。そしてその説にのっとるのならば炉で練られた魔力を体に巡らせるための路の方も、丈夫だとか太いだとか以上の特殊性を帯びている……そうして初めて、単なる身体強化魔術が『獣化』という固有にして稀有な一点物の能力にまで昇華されるのだと思いますわ」


 もちろん、それだけではないでしょう。


 数は少なくとも確かに存在している獣人族について書かれた書物には、獣化を行うには『血』が何よりも必要不可欠なのだと記されています。


 特殊な遺伝子。

 効率のよい魔力運用を行うためのシステム情報。


 随分古い文献ではありましたが、それが書かれた時点でもはや獣人族という種は歴史の狭間に埋もれていたそうです。


 機材にしても理論にしても現代よりはるかに乏しく拙かった時代、そこまでの結論を導き出した筆者たる過去の研究者たちの才覚と執念には恐れ入ってしまいます。


 「枷もなく、高まるだけ高まった魔力をそのまま自身の強化に回す獣化。……その力が孕むリスクは当人が一番よく理解していたハズですの」


 「実際に正気である時の彼は実にクレバーな性格をしていました。そうそう簡単に制御不能の暴走状態へ陥ることなど許さないとは思うのですが……」


 「おそらく、そのゼノという青年自身も想定外だったのでしょう。たとえば何らかのアクシデントや不穏因子の介入、たとえば……第三者の作為的な悪意」


 「第三者の悪意……」


 「あるいは悪意すら含まない、単なる予定調和の小さな一端」


 「そうなれば、彼のアレも、その一端と地続きであると?」


 「……さぁ、アンナ。せっかくあなたが淹れてくれた美味しいお茶が冷めてしまいます。わたくしのことは気にせず、飲んでくださいまし」


 「……いただきます……」

 

 獣人族の出現というのは確かに大きな驚きをわたくしに与えました。

 

 まだ季節が春らしさ満開であったあの日。

 

 夜の闇を焼き払うように赤く燃え立ったドナで、かの伝説と相対した時と同じくらいの衝撃です。

 

 奇しくもかつて世界の覇権を争った種族同士。


 それがほぼ同時期の同じ領地内。

 そしてまったく同じ時代の表舞台に登場してきたのは果たして偶然なのでしょうか?


 民草の平穏を守る義務がある王族として、魔術歴史学の一研究者として、もう一度真剣に憂慮するべき事態が持ち上がっているのかもしれません。


 ……ですが一個人として。


 あくまで一人の女としての目線で字面をなぞっていくと、アンナの報告書には種族の存続を賭けた争い以上に驚愕の事実が記されていました。


 ……いえ、どちらかと言えば心配……の成分がより多かったでしょうか。


 「ドラゴン化……ですか……」


 「……はい……」


 アンナもまたわたくしがそちらの方をより気に掛けるであろうことを理解していたようで、わたくしが零した『ドラゴン』という単語に、手つかずだった紅茶のカップに口をつけることで構えたような反応を示します。


 「根拠らしい根拠もなく、あくまで私の主観の域を越えず申し訳ないのですが……」


 「いいえ、近衛騎士団としての公式な報告を上げろと言っているわけではありません。これはあなたとわたくし、アンナとアルル個人間でのやり取りですから、存分に主観を含めてくださいまし。形式ばった報告よりも、実際に現場に居合わせたあなた目線からの所感……そちらの方を詳しく知りたいわたくしとしてはむしろ有難いですわ」


 「……間違いありません。あの時、イチ……タチガミさんの右腕に宿っていたのは確かに……ドラゴンのそれでした」

 

 「宿る……それは主観的に見たうえでの言い回しなのでしょうね?」

 

 「はい、あの朱色に閃く輝きは、外殻を覆うでも細胞を変質させるでもなく、右腕を丸ごと別のものへと置換した……まったく彼とは別の生命が宿ったかのような印象をわたしは受けました」


 「聡明なあなたの言うことです。その言葉、ありのままに受け取らせていただきますわ」


 「……ありがとうございます」


 「≪龍神の子≫……いよいよ笑えなくなってきましたわね、イチジ様……」


 「リュウジン?」


 「そういえばあなたにはその辺りの説明がまだでしたわね、アンナ?」


 「龍というのは……≪現世界あらよ≫の言葉でドラゴンを意味するものでしたか。それに神。……まさかドラゴノア教とイチ……タチガミさんに何か関係が?」


 「いえいえ、そういうわけではないんですの。……そうですわね、至極個人的な話になってしまいますので詳細については一応イチジ様の許可を得てからでもよろしいでしょうか?」


 「それはもちろんです」


 「まぁ、当人はとっくに折り合いをつけたらしく、全然まったくこれっぽっちも気にしていないのですが、聞かされた方としては中々にショックを受けてしまうような出生にまつわる逸話でして」


 「そんな衝撃発言を、相変わらずの鉄面皮で何気なく語っている場面が目に浮かびます」


 「でしょ?何を話しても同じ無表情、同じトーンで話すので冗談なのか本気なのかの区別がホントつきにくいんですの」


 わたくしたちは小さく笑い合います。


 「しかし、ドラゴノア教とはまた久しぶりに耳にしましたわ」


 「はい。ちょうど私たちが襲われたのが旧ドラゴノアの聖堂。話の流れでイチ……タチガミさんに教団について説明したことで改めて私も思い出したくらいですから」


 「ドラゴンを救世の神として崇める信仰と、田畑を守る水神として奉られた龍。……ふむ……」


 「姫様?」


 「いえ、あなたのその推測も的外れと断言してしまうには色々と符合する点があるなと思いまして……」


 「まさか本当に彼と教団の間には何か?」


 「教団というか、ドラゴンそのものの方ですわね」


 ドラゴノアの教えではドラゴンとは神聖性よりも、どちらかと言えばその人知を超えつつも純粋な力そのものを恐れ敬い世界の覇者となりうるというものです。


 一方で龍神とはどこまで行っても神。


 目にも見えなければ触れられもしない、在り方としては至極概念的・観念的なものです。


 「現存していないというだけであって、ドラゴンは一つの種族として確かに息づいていました。ドラゴノアでも世界の終末に終末が訪れた際には信心深い者から順にその背に乗って『ドラゴニア』という楽園へと導かれるのだと説いています。要するに見て、触れることのできる実際的な存在という定義づけになっていましたわね」


 「はい。救世主や覇王ではあっても、決して神ではない。限りなく神に近く、ある部分では神ですら越える力を持っていたとしても……」


 「ええ、それは結局、実像を伴った一生物でしかないのですわ」

 

 ドラゴンと龍神……。


 信仰という面では似て非なるものではありますが、一生物という見地から眺めた時、その関係性について少しだけ閃いたことがあったのです。


 ドラゴンと龍神。

 龍神と龍神の子。

 龍神の子とタチガミ・イチジ。


 タチガミ・イチジ……彼の箱庭として創造された≪幻世界とこよ≫という世界。


 タチガミ・イチジ……彼を世界にとどめさせている龍遺物ドラゴノーツ


 タチガミ・イチジ……右腕に宿ったドラゴン。


 「……むぅ……」


 ……ダメですわね。


 あまりにも取り止めがなさ過ぎて、まったく考えがまとまりません。


 すべてが繋がりそうで、その実すべてが無関係でありそうで。


 どちらにしても、もう少しだけ何か考える材料が揃えばすぐにでも答えが出そうな気がするのですが……。


 「大丈夫でしょうか、姫様?」


 「ああ、ごめんなさい」

 

 アンナの心配げな声に、わたくしは混濁して収拾のつかなくなった思考世界から引き戻されます。


 「姫様?」


 「ちょっと朝から頭を使いすぎてしまいましたわね」


 「お砂糖、足しますか?」


 「いいえ、大丈夫ですわ。それよりも妙なことを言ってしまって本当にごめんなさい。あなたも混乱したでしょう?」


 「いえ、そんなことは……」


 「後でリリラ=リリスにでもちょっと相談してみますわ。それで答えが出るとは限りませんが、日がな一日ダラダラとニート生活を満喫しているのですから、こんな時くらい役に立ってもらわないと」


 「……大丈夫ですか?」


 「……大丈夫……じゃないんですの?」


 「……大丈夫じゃないんじゃないですか……」


 自信なさげなわたくしの言葉に、アンナが一層、顔をしかめてこちらを見やります。


 いまいちあの魔女のことを信用してないんですわよね、アンナ。


 まぁ、わからなくもないですの。


 何でも知っているくせに何も知らないふりをしてみたり。

 何も知らないのにさも知ったような口を利いてみたり。


 わたくしだって、全然まったくこれっぽっちも、信用なんてできませんが、ことイチジ様のことに関してなら、あの性悪幼女も無暗に茶化したりはしないでしょう。


 ええ、あの単なる眷属としての忠誠心とはどこか趣の異なる。


 ともすれば歪ささえ感じてしまうほど絶対的なイチジ様に対する親愛があれば……。


 「そんな顔をするものではないですわ、アンナ」


 「え?」


 「こーこ」


 間の抜けたようなアンナの声に輪をかけて気の抜けた声を発しながら、わたくしは自分の銀色の目と目の間を指さします。


 「そんなにシワを寄せていてはせっかくの美人が台無しですわよ」


 「……ですが……」


 「わたくしのことを思いやってくれる気持ちは有難いです。そして同時に、今あなたがイチジ様のことを本気で心配していることが、本当にわたくしは嬉しいのですわ」


 「姫様……」


 「昨日は人生のうちでもおそらく一番長く、大変な一日になったのでしょう。大げさではなく、命のかかったやり取りをくぐり抜けた末にここにあなたはいるのでしょう。ですが、おかげで随分とイチジ様と打ち解けてくれたようで、わたくしは心からホッとしています」


 「そう……ですね、はい。少しは……そうなのかもしれません」


 気恥ずかしそうに眼鏡の弦をいじるアンナ。


 「これまでのあなたなら、彼のことをわたくしに近づく怪しげな男として警戒してばかり、心配なんてもってのほかといった感じでしたのに」


 「……一応……ある程度彼の人となりを見直してみてもいいかなとは……はい」


 「あらあら、それはそれは。一体、イチジ様との間に何があったのでしょうね?」


 「そ、それは……別に……」

 

 もう恥ずかしくて照れくさくてまともにわたくしのことを見ていられないと言った様子のアンナ。


 なんて可愛らしい顔をするのでしょう。


 さきほどまでの険しい表情からは一転。


 普段のクールでビューティーなデキる女然とした佇まいはどこへやら。


 指先をモジモジとさせている仕草は、まるで恋を覚えたての少女のよう……。


 「ふふふ、ほらほら~何があったか話してくださいましぃ~」


 「い、いえ。だから何も特別なことは……」


 「いいじゃないですのぉ~今ここにはわたくししかいませんし、誰にも言いませんからぁ~」


 「し、知りません!」


 そうしてアンナは真っ赤な顔を隠すかのようにグイッと紅茶のカップを傾けてすすります。


 すする、とは言っても口に含む時はもちろん、カップを持ち上げる音さえ立てない完璧な所作。


 見惚れてしまうほど絵になる姿。


 身に付いた作法とは、内面からにじみ出る本物の美しさというものは、少しくらいの心の動きにも決して揺るがないものなのですわね。


 「ねぇねぇ、何があったんですのぉ?」


 ええ、まったく、そのくらいの動揺では……。


 「で、ですから……」


 ……動揺?


 「ほらほらほらぁ~♡♡♡」


 ……動揺……。


 「わ、私とイチ……タチガミさんはあくまでもですね……」


 ……ドウ……ヨウ?


 ………

 ……

 …


 「……おい、マジで何があった?」


 「ぶほぉ!!」


 思っていた以上に険のある声で紡がれてしまったわたくしの言葉に、アンナはたまらず紅茶を吹き出してしまいます。


 「げほぉ!げほぉ!ひ、姫様!?」


 むせたことによる涙目でこちらを見やるアンナ。

 

 淑女にあるまじきはしたなさではありますが、それでも格が損なわれないところが本当に恐ろしい。


 ……というか萌える。

 てゆーか萌ゆる。


 普段しっかりしている分、こんなふうにやらかした時の愛おしさがオーバーフロウですわ。


 ああ、これがいわゆる『ギャップ萌え』という概念。


 貴族の令嬢でありながらあえて危険に身を置く芯の強い女。

 冷静にして冷徹、そのくせ意外に熱血で情に脆いところもある心の強い女。


 『白光』と『黒冥』という対になる色の武器を掲げ持つ戦う女。


 『白光』と『黒冥』という対となる魔属性を持つ美しい女。


 ……そのうえ、ウブさと愛らしさと眼鏡と萌え要素まで兼ね備えてしまった女。


 アンナベル=ベルベットはここまでやるか……。


 「ちょっとアンナ!なんですの!?なんなんですのその反応!?それ絶対なにかあったヤツじゃないですのぉ!!」


 「な、なにも、けほぉ!いえ、ホント、けほぉ!ない……」


 「てゆーか薄々わかってましたけれど!!会話の端々から察してはいましたけれど!!滲みに滲み出ていましたけれどぉ!!」


 「けほぉ……いや、姫様、お、落ち着いてください!本当に本当に、私とイチ……タチガミさんの間には……」


 「はい!それぇ!これまでもちょいちょいでてきたそれぇ!!普段は彼のことを下の名前で呼んでいるけれど、あの銀ピカの小娘がピィピィうるさそうだから一応苗字呼びを取り繕っておかなくちゃいけない、だけどやっぱりこの想いは隠しきれないからついつい『イチ……』と最初に出ちゃう……きゃぁ私ってなんて乙女なのかしらん……的なヤツぅ!!」


 「落ち着いて!!いいから落ち着きましょう、姫様!!」


 「あざといわぁ~ホントあざといわぁ~。あれですわよ?あえてスルーしてたんですわよ?本当なら最初のヤツで引っかかって、なんならその時点でツッこんでましたからね?いえいえいえ、なんなら昨日の念話の時点で問い詰めてましたからね?なんですの?胸の中でスヤスヤとって?あれ?あれどんな状況?生死を?賭けた?壮絶な?戦い?をしていたハズなのに?なんでイチジ様があなたの胸の中でスヤスヤと眠って?その寝顔を見ながらあなたがホッコリとした気持ちになるような状況になったんですの?この報告書に書かれていない行間部分に一体何があったんですの?ねぇ?ねぇ?アンナ?教えてくださいな?ねぇ?アンナ?」


 「怖いです!!怖いですから、姫様!!」


 「ねぇ?事後?もう事後ですの?もはや事を成したその後なんですの?辛い戦いをともに生き抜いた男女が火照った体を冷ますため貪るように互いの肉を求めあった後ですの?濡れそぼった秘肉を猛り切った必殺の矛が刺し穿った後ですの?」


 「で、ですからぁ……」


 「ロマンティックがオーバーフロウですの?あなたと二人でスカイハイですの?

 部屋とYシャツとイチジですの?ねぇ?ねぇ?ねぇぇ??」


 「もう……許して……」

 


 その後もしばらく荒ぶる姫君による半泣きの才女への尋問は続きました。


 尋問?詰問?拷問?


 ……まぁ、なんだっていいじゃありませんの。


 わたくしはあくまでも、こんなわたくしのためなんかに命も顧みずに日々つくしてくれている近衛騎士団副団長から昨日の業務報告を受けているだけ。


 ただそれだけのことなのですから。


 ふふふ……

  ふふふ……

   ふふふふふ……


             @@@@@


 「取り乱しました」

 

 わたくしは素直に頭を下げます。

 

 「……正直、あのままくびり殺されるのではないかと思いました……」

 

 アンナはアンナで遠回しではありますが、決して取り繕うことなく、素直にわたくしへの非難を述べます。

 

 「しかし……あんなに感情的になった姫様を見るのは初めてでした」

 

 「それを言うならあんなに乙女チックなリアクションをするあなたなんて見たことありませんでしたわよ」


 「……痛み分けということでよろしいでしょうか?」


 「ええ、そうした方がお互いのためですわね……」


 コツ、コツ、コツ……


 どちらともなくつぐんだ口。


 なのでその長い長い廊下に響くのはわたくしたちの靴音だけです。


 そう、業務報告(?)を終えたわたくしたちは、今は一路、イチジ様の部屋へと向かっています。


 わたくしを感情的にさせてしまう素敵な殿方。

 あの堅物なアンナでさえ途端に乙女チックにしてしまう不思議な殿方。


 ≪現世界あらよ≫という別世界からやってきた異世界人。

 ≪幻世界とこよ≫への転生者となったとはいえ、変わらず身元不明の馬の骨。


 わたくしが食客として半ば無理やりにねじ込んだことでとりあえず王宮内に囲うことができたとはいえ、それはあくまでも一時しのぎ。


 コツ、コツ、コツ……


 まぁ、常識的に考えて、当たり前といえば当たり前ですか。


 たとえイチジ様が元から≪幻人とこびと≫で、それも結構な家柄の生まれであったとしても、無条件で宮内に住まわせるなんてまずありえないこと。


 今すぐに追い出せだとか露骨な主張こそありませんでした。


 しかし、イチジ様を見やる王宮内の人々の目には隠しきれない冷やかさがありました。

 

 できる限りわたくしが傍にいて、そんな視線から遠ざけるようにはしていましたが、いい加減、それも限界。


 もちろん、わたくしには彼らを納得させる切り札がありました。

 どのような反対意見も屈服させる、揺るがぬ主張がありました。


 あとは頃合いを見図るところだけ……。


 わたくしは忸怩たる思いを抱きつつ、その時を待ち続けました。


 ……そうして昨日……。


コツ、コツ、コツ……ピタ……


 「……これで……ようやく……」


 イチジ様が寝泊まりする部屋の前へとたどり着いた時、わたくしは長く耐え忍んだ末につかみ取った今日という日……。


 わたくしが、魔法・≪次元接続コネクション≫を使ってまで≪現世界あらよ≫の住人をこちらの世界にまで招いた理由を、イチジ様に告げることができる記念すべき日を迎えることができた喜びを静かにかみしめます。


 「……よくぞあの頭の固い元老院や腹黒い国政執行部のタヌキたちを説き伏せたものです……」


 そしてわたくしの半歩後ろに立つアンナ。


 事情をすべて把握し、把握しているからこそアンナは複雑な感情の入り混じった声を出します。

 

 「私には……私などでは今でもこれが正しい選択であったのか判断がつきませんが……」


 「ごめんなさいね、アンナ。わたくしの傍仕えとして、結局はあなたを巻き込むような形になってしまいましたし、これからも結構な面倒を押し付けるかもしれません」


 「いえ、それはまったく気になさらないでください。姫様の歩む道に付き従うのが、私の歩む道なのですから……」


 「ごめんなさい……そして、ありがとう……」


コン、コン……


 ……ノックにイチジ様からの返事はありません。


 おそらくはまだ眠っているのでしょう。


 一時、同じ部屋で寝食を共にしていたこともあるので、日頃のイチジ様の眠りの浅さはよくよく存じ上げています。


 おそらく熟睡することが許されない環境の元で育ってきた弊害なのでしょう。


 控えめなノックでしたが、彼を目覚めさせるにはあれで十分すぎるはずです。


 ……しかし、一向にドアは開かれません。


 それだけのことで、イチジ様の体が相当疲弊していることがわかります。


 アンナ以上に全身を傷だらけにしただけではなく、あまつさえドラゴン化などという未知の力を闇雲に行使したのです。


 その疲労、その消耗、その痛み、その辛さ……。


 「……(グッ)……」


 思わず部屋のドアノブにかけた手の力が強まります。


 この扉を開ければ、もう後戻りはできません。

 

 きっと彼は、これからもっと傷つき、もっとすり減り、もっともっと命を削って戦いの中に進んで身を置くのでしょう。


 ……わたくしは非情な女です。

 

 彼の性格を知りながら、彼の平気で死の懐に飛び込んでいくような生き様を知りながら。

 

 それでも彼に『戦え』と告げようというのです。


 ……イチジ様

  ……わたくしの大好きなイチジ様


 ……ええ、それでもわたくしは行きましょう

  ……わたくしも共に『戦い』ましょう


 ……あの言葉、あの想い、あの覚悟は今でも変わっておりません

  ……あなたが消えてしまうその時は、わたくしも共に逝きましょう


 ……あなたを死へと向かわせるのならば

  ……その手をとってわたくしも一緒に参りましょう


 ……こんな小娘一人の命では足りないのかもしれません

  ……こんな小娘一人いたところでなんなのだと思うかもしれません


 ……しかし、わたくしにはそれくらいしかできません

  ……心も体も命も、わたくしの全部をあなたに捧げることしかできません


 ……ですからどうかイチジ様

  ……わたくしと共に……どうかこの世界の未来のために



 『戦って』くださいまし



 ………

 ……

 …


 「…………」


 「……ぐぅぅ……」


 「……あ……」


 「……え……」


 そう並々ならぬ決意を込めて踏み込んだイチジ様の部屋。


 そこで待ち構えていた光景に、わたくしも、そしてアンナも無意識のうちに言葉を漏らしてしまいます。


 「…………」


 包帯で巻かれた面積の方が圧倒的に多い、上半身裸のイチジ様。

 やはり予想通り、深い眠りの中にいるようです。


 ……ええ、はい。

  ……これはまぁ、予想通り。


 「……むにゃむにゃ……もう食べられない……こともないのじゃ……」


 その彼の右腕を抱くように、小さな体全部を使って絡みつくようにして、定番とは少しズレたなんとも食い意地のはった寝言を呟く幼女。


 朝から姿を見ないと思ったら、こんなところにいやがったのですわね。


 ……予想は……まぁ、つきますか。


 いえ、想像の遥か先をいく存在たるこの黒い幼女の行動に、そもそも最初から予想もなにもなかったのですわ。


 ええ、そう。

 生地の薄いベビードールの肩紐がはだけ、さらに薄くてペラペラな幼子の胸がイチジ様の体に押し当てられていることなんて、予想外のことも予想と想定のうちですわ。


 「……くるしゅうない……くるしゅうないぞ……むにゃむにゃ……」


 ええ、それはそれはくるしゅうないでしょう。

 ええ、ええ、むしろ至上の悦楽でしょう。


 そんな風にイチジ様の体に寄り添って眠り。


 寝言に乗じて自分の体を擦り付けて身悶えられるなんて、この世の至福と言っても過言ではないでしょう。


 「……事後ですの(ポツリ)……」


 「ひ、姫様?」


 「……ねぇ、アンナ……あれって……事後ですわよね?あなたの腕枕……もとい抱き枕で目覚める朝チュンですわよね?」


 「い、いえ、姫様が何を言っているのかちょっとわかりかねますが、そんなことは……ないでしょう。た、ただ子供が添い寝しているだけかと……」


 「子供……子供……そう……子供……あれは子供……無垢で無害な、イチジ様の好みである豊満さとは程遠い、単なる幼女にしか過ぎない……大丈夫、大丈夫、ダイジョウブ……事後じゃない……事後じゃない……(ブツブツブツ)……」


 「イっくんてば……こんな肉のない単なる幼女にしか過ぎない体がそんなによいのかぁ……むにゃむにゃ……」


 「事後じゃない事後じゃない事後じゃない(ブツブツブツ!!!)」

 

 ピョコ……


 「……うううんんん……」


 ピョコピョコ……


 わたくしの呟きというにはいささか大きくなってしまった声に誘われたというわけではないのでしょうが……イチジ様の左側。


 不自然に盛り上がっていた掛け布団の隙間から、何やらモコモコとしたものが這いずり出てきます。


「……もう……食べられない……なんてことはないんだゾ……はむはむ……」


あ、これもう、いいですよね?

言っちゃって、いいですわよね?


「じ……」


「ひ、姫様?」


「事後ですのぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」


「……イっくん、ぺろぺろぉ……」


「……はむはむはむぅ♪♪……」


 ……ってゆーか絶賛、幼女たちとの酒池肉林中ですの。

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