第四章・王を宿す者《タチガミ・イチジ》~ANNA‘S view②~
「はぁ、はぁ、はぁ……」
痛い。
とにかく痛い。
顔も体も、足も手も。
体のどこを見渡してみても、傷がないところはなかったし、痛くないところもありません。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
苦しい。
ともあれ苦しい。
自分の身体能力が許す運動量の限界を迎えたのはとうの昔。
その限りを越えてもなお無理やりに体を動かしてからいく久しい。
わざわざ見渡さずとも、別段耳を澄まさずとも、五臓からは悲鳴、六腑からは悲嘆にも似た鈍い疼きが聞こえてきます。
「はぁ……はぁ……ふぅぅぅぅ……」
そんな痛みをやり過ごす。
そんな苦しみをなだめすかす。
今にもこの口から漏れ出しそうになる弱音を、大きく息を吐くことで飲み下します。
「…………」
それでも、こんなことに何の意味があるか、という疑問符は際限なく頭に浮かびます。
まるで居心地の良い木陰を見つけたキノコの胞子のように、それはそれは誰はばかることなく勢いよく繁茂しては、私の頭の中をあっという間に埋め尽くしてしまいます。
果たして、こんなことに意味があるのか?
『グヲヲヲヲォォォォン!!』
そんな私の疑問に答えをくれたわけでもないでしょうが、ケダモノと化した獣人族の青年がまた一つ、大きく大きく吠えたてながら爪を振るいます。
あの狡猾で強かで、そのくせどこまでも己の矜持にのっとった誇り高き戦い方とは打って変わり、ただただ力まかせの直情的な攻撃。
躱せないことはない。
受け流せないことはない。
どれだけ早く、重たい一撃であっても、私が現在持ちうるあらん限りの技術を駆使すれば、どうにか対処はできました。
「っつ!!」
……そう、できていたハズなのです。
『グヲヲォォン!グヲヲォォン!!』
それが躱せません。
もう流しきることなんてできません。
太く逞しい腕から振るわれた鋭利な爪。
その直撃をどうにか小太刀で防ぐことはできましたが、体重の乗った激しい横薙ぎの衝撃は私の体を紙きれのように吹き飛ばします。
『グヲヲヲヲォォォォン!!』
ヴゥン!ヴゥン!ヴゥン!!
バシュゥゥゥゥゥゥ!!!!!
刻々と高まり続けていく獣の魔力は、もはや明確に可視化できるほどです。
青白くて、瞬いて。
どの魔属性も、どのような性質も持たない無垢な形を維持した魔の力。
その魔力がそのまま彼の肉体にさらなる強化を施していきます。
まったく……幾ら建物の天井が抜けてしまったからといって、自身の殺傷力まで青天井になることもないでしょうに。
「……せやっ!!」
そんな呆れを抱きつつ、私は開いた距離をまた詰めるようにして斬りかかります。
ケダモノに負けず劣らず、芸も技前もあったものではない、ガムシャラな攻撃です。
こんな不格好な太刀筋など剣を握り始めた頃以来ではないでしょうか。
体に培ってきた技。
腕にしみ込んだ技。
そんな目を瞑っていても自然と型の通りに動いてしまう域にまで蓄積してきた私の剣技は、全身に走る痛みやら沸騰した頭やらのせいで、すっかりなりを潜めてしまいました。
『グヲヲォォン!!』
……それでもこうやって傷をつけることができます。
躱しもしなければ、流しもしない。
己の体の丈夫さを盾にして……いいえ、盾という意識すらなく、迫りくる剣を甘んじて受け入れてしまいます。
こと攻撃力という面では前著の通りかなりの脅威です。
しかし、自衛や防御という面においては、私の愚直な攻撃よりも更にお粗末なもののようです。
……理性を欠き、力に溺れたケダモノの戦い方というのはこういうものなのですか。
そこには誇りもなければ矜持もない。
洗練された技巧も、誰かの心を奪うような美しさもない。
自分のことを省みないだけではなく、対峙する相手に対する敬意もない。
ただ暴力をぶつけるだけ。
ただ気ままに破壊するだけ。
ただそれだけ。
「……そんな中身を伴わない空虚なものでは……」
『グヲヲォォン!!』
「私は壊せませんよっっ!!」
『グヲヲォォン!!グヲヲォォン!!』
はたから見れば、きっと私の戦い方もケダモノのそれと何ら変わりなく映っていることでしょう。
少なくとも、私自身はそう思っています。
力自慢の相手と真っ向から渡り合おうだなんて愚策も愚策。
戦術としては、一番最初に唾棄すべき愚かな選択です。
たとえるのなら、私にとって戦いとはいつでも盤上の上で繰り広げられる遊戯のようなものなのです。
だてに有事の際は軍師を拝命しているわけではありません。
かつての動乱期に比べれば安寧の時代と呼ばれる世の中ですが、国同士、あるいは魔物・魔獣の類との小競り合いは少なからず起こります。
そんな騎士団としての大々的な国防任務から、王族の護衛任務に至るまで、私はまず頭の中で『戦略』という大局的な目標を描き、その目標の達成にむけて幾つもの『戦術』を練ります。
結末だけを記した脚本を時に段階的に、時に逆説的に。
骨を接ぎ肉をつけるように、シナリオを埋めていきながら、一つの勝利への道筋を完成させるのです。
それはこと直接戦闘においても同じ。
適度に距離を取りつつ、折々の暗器による細々とした牽制と布石。
何手も先を読み、敵を自分の思惑の中に自然と引きずり込んで誘導し、決め手となる一手を打ちこみ、そして勝つ。
身に付けた武技も、会得した多くの魔術も、結局、私にとっては思い描いた通りの戦いを実践するための手段でしかないのです。
「せやぁぁぁ!!!」
『グヲヲォォ!!!』
だから何度となく頭によぎります。
ここで攻撃に紛れて遅効性の爆薬トラップをさりげなく仕掛ければもっと大きな隙が作れるだろう。
ここで先ほども放ち、『クナイ』と姫様が命名した魔道具にも込めた、体を止めるというよりは魔力路を循環する魔力そのものを縛り付けて対象の動きを封じる≪クロス・シェイド≫を唱えれば、もっと有利に戦いを進められるだろう。
決して予備として携行していたわけではなく、本来は二振りの小太刀を用いる私の剣技も、今ならば思う存分にその真価を発揮できるだろう。
アレをすればアアなり、
コレをすればソウなる……。
他にもいくつか切り札だって持ち合わせています。
次々と頭に去来する何通りもの策。
その策と策とをつなぎ合わせた、より強固で具体的な策。
たとえ相手が≪王を狩る者≫であったとしても、今のケダモノと化した青年であるならば、時間をかけさえすれば殺すことや圧倒はできずとも、打倒することくらいはできる……そう確信を抱けるくらい確かな戦術がありました。
「っぐ!!……はぁぁぁ!!!」
『グヲヲォォ!!!』
『獣化』というものについての対処法についても、実はもう答えは出ています。
理屈は単純ではあるけれど、彼らほどの強靭な肉体を有してこそはじめて実践できる固有能力。
己が肉体と魔力が密接に絡み合うそのシステムの成り立ちを考慮すれば割と簡単に打開策だって導き出すことができました。
裏を返せば、『獣化』に必要なのは無尽蔵に生成され続ける魔力を受け入れることのできる強い体のみ。
故にある程度の低い水準まで体を弱体化させれば能力の発動はできないということ。
つまりは膨大な魔力を受け入れる器の方を壊し、その力の恩恵を授かる資格をはく奪すること。
ココさんが『ボコボコ』にしてくれと言った言葉足らずな言葉の意味も、そう思えば理解できるというものです。
目的と、そこに向けた過程が合致します。
結果と、そこに至るまでの工程が開示されます。
『戦略』と『戦術』が組みあがります。
幼い少女の舌足らずな願いがここに叶います。
……叶えてあげることが……私にはできるのです。
『グヲヲヲヲォォォォン!!』
「くはぁぁぁぁぁ!!!」
少しだけチクリと胸を刺した罪悪感のために一瞬反応が遅れてしまった私の脇腹を、ケダモノの爪がついにとらえます。
着弾と同時に体を無理やりにねじってどうにか腰と胴が真っ二つに分かれるような事態だけは免れましたが、衝撃やかすり傷ではなく、深々とした爪痕が肉付きの悪い私の体につけられてしまいました。
「くぅぅぅ……」
強化繊維で編まれた騎士団の制服も、硬化の魔術を付与した鎖かたびらもまるで用をなさず、懸念していた通り、一撃を受けただけでこの有様。
破かれた服の隙間からボタリ、ボタリと重たげに血が流れ落ちます。
ほんの数秒前まで体の中を忙しなく巡り、私の生命の活動を支えてくれていた新鮮な血液。
その鮮やかな赤色が、一たびまとまった量で体外に吐き出された途端に明確な死の影を意識させてしまうのですから、不思議なものです。
どこまでも濁りのない、燃えるように命を灯す生の赤。
どこまでも澄み切った、凍えてしまうように冷たい死の赤。
どこまでも赤。
ことごとく赤。
決してそれは……朱色の輝きなど放つことはありません。
「……≪キュアブライト」……」
引きつるような痛みと、震えるような寒気が走る体を私は起こします。
見た目より大した傷ではない……なんてことはありません。
結構バッサリと肉を持っていかれましたし、骨だって何本も砕けています。
たとえこんな僅かな時間、治癒魔術を施したとしても応急処置にすらならないでしょう。
「…………」
それでも私は立ち上がります。
裂かれた傷口にポウっと柔らかな光が灯る左手を添えながら。
立って、構えて、前を見据えます。
「……なかなかにしぶといですよ、私は……」
誰に向けて言ったのか自分でもわからない強がりが、自然と口からこぼれます。
「ええ、はい……どれだけ血を流したところで……こんな風にすぐに治せますからね……幾らでも傷つき放題なんですよっっっ!!」
誰かに向かって見せつけるように、また私は愚行に身をやつして正面から突っ込んでいきます。
……はい、どうぞ見てください。
その雅やかな朱色に染まったってしまった両の目を見開き。
助力をしたくても指先一つ動かせないもどかしさと無力感を抱いたまま。
地力で劣る相手に策を弄するでもなければ、小手先の技術でのらりくらりと躱すでもなく。
ただ一振りの小太刀だけを頼りにボロボロに傷ついていくバカな女の姿を、しっかりと見届けてください。
「せやぁぁぁぁ!!」
どうです?
『グヲヲォォン!!』
今、どんな気持ちです?
「ぐぶっ!!……はぁぁぁ!!!!」
痛いでしょう?
『グ……グヲヲォォン!!グヲヲォォン!!』
苦しいでしょう?
「がはっつ!!……く……せやゃぁぁぁ!!」
別に自分の体が裂かれ、刻まれ、斬られているわけではないのに。
別に自分の口や傷から血が流れているわけでもないのに。
こんなに痛くて苦しいことはないでしょう?
『グヲヲヲヲォォォォン!!!!!』
「くぅぅぅぅぅ……」
膝をつき、血に染まり、傷だらけになってもなお。
「……きゅ……≪キュアブライト≫……」
ただ意地のためだけに強者へと立ち向かっていく誰かの蛮勇というものが。
自分を守るためだけに何度でも何度でも立ち上がる誰かの優しさが。
こんなにも醜く、こんなにも傲慢に見えて。
「……せぇぇぇいいいい!!」
そして、どれだけ自分の胸を締め付けるのか……。
少しは理解してくれましたか?……イチジさん……。
『グ……グヲヲォォン!!』
こんなことに何の意味があるのか?
ええ、はい……。
おそらく、意味なんてないのでしょう。
彼は……タチガミ・イチジという男は、たぶん、こんなことくらいでは変わらない。
どうして彼があんなにも自分の体や命をないがしろにするのか。
どんな人生を歩んできたら、あのような捨て鉢な生き方へとたどり着くのか。
彼のことを何も知らない……恋仲どころか友人にすらまだなれていない私は、理解に苦しむばかりです。
この世に生を受けて二十余年……あんな人と出会ったのは初めてです。
あんなにも打算なく誰かのために動くことができて。
その割に善意や正義は決して含まれなくて。
何かに駆り立てられるように。
何かを振りはらうように。
盲目的に、妄信的に。
ただ浄罪や贖罪以上の何かに突き動かされて自身を犠牲にする、そんな『命』というよりかは『死』を対価とするような生き様。
おそらくは彼の中で熟考に熟考を重ね、盛大にもがき、十二分に苦しんだその冷たく暗い泥の中で、ようやく導き出した一筋の答え。
そんな重たくて、誇りや尊さまで感じてしまう傷まみれの人生観……。
私ごとき若輩が何をしたところで、そもそも変えることなんてできるはずがないのです。
……ですが……。
『グヲヲォォン!!グヲヲォォン!!グヲヲォォン!!!!!』
ヴゥォン!ヴゥォン!ヴゥォン!!
ギュウィンンンンンンンン!!!
『グヲヲヲヲォォォォォォォォンンンンン!!!!!』
バジュュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!
「くぅぅ……まだ上げてきますか……」
棄て去られてもなお清廉さを失わないでいた廃聖堂の空気を振るわせ続け、渦巻いていた圧倒的な魔力。
その奔流はもはや嵐と呼ぶに相応しいまで苛烈なものとなっています。
足腰で踏ん張らなければ体は簡単に持っていかれそうになり、こうして吹き飛ばされるままに距離をとっているというのに、巻き上げられた木片や小石が肌の露出した部分に容赦なく新たな傷を作っていきます。
「……さすがに……ここまでですかね……」
私は小太刀を握った腕を、ダラリと垂らします。
諦めた……と表現するには妙に清々しい気分です。
私だって別に、まだ死にたいわけではありません。
戦いはじめのころに確率は薄くとも確かに見えていた勝利の芽は、完全に摘まれています。
いえ、あえて自分から摘んだといった方が正しいでしょうか。
私の目的……。
どこまでも私的で、身勝手な目標。
そんなもののために無視し続け、こんなにも衰弱した体では、せっかく助成しようとしてくれていた策の方から見限られたって文句は言えません。
万策は、文字通りに尽きました。
すべてはもう手遅れなのです。
……ごめんなさい、ココさん。
あなたの願い……ゼノというあなたにとって特別な存在であろう彼を救うことが、私にはできませんでした。
むしろ、その願いにかこつけて、自分の想いを叶えようとしてしまいました。
本当に……ごめんなさい、ココさん。……ごめんなさい。
そして……。
「……ごめんなさい……」
そっと胸に手を当てます。
そこにいる誰かに向けて。
ここにいる、名前も顔も知らない……しかし、なんとなく名も顔も、その正体も、その強い想いもわかるような気がする彼女に向かって。
私は心の底から詫びます。
ごめんなさい……
ごめんなさい……もう一人の私
あなたが自分の命を賭してまで守り、それでも救えなかった彼のこと。
そして私が自分の命を賭してまで救おうとしてみた彼のこと。
結局何も変えてあげることができませんでした。
あなたの命では足りなくて。
私の命でも足りなくて……。
本当に、なんて女泣かせな男なのでしょう。
というか何人の女が命を捧げればよいのでしょう。
まったく……不潔です……。
≪稀代の悪女≫もびっくりのジゴロです。
姫様も、とんだ男に引っかかってしまったものです。
その辺りの目を養って差し上げることも、世話係としての職務に組み込んでおけばよかったです。
……とはいえ、まぁ……。
どうせ私にはうまく熟せなかった仕事だったでしょうね。
はい、なにせ。
彼を変えてあげることはできずとも。
変えてあげようと必死に戦い、そして死んでいった女がいたということを。
あの死にたがりはきっと覚えていてくれる。
それだけでこんなにも満ち足りている私も十分……。
タチガミ・イチジの無自覚な手管に引っかかってしまった女なのですから……。
『グヲォpウガ■■qk■■■gw■■■■!!!!
暴走した魔力。
暴虐の権化と化した体。
咆哮ですらなくなった雄叫びをあげながら、≪王を狩る者≫がこちらに突進してきます。
自身の力に弾き飛ばされたかのような猛烈な速度。
それなのに、こうも時間の流れが緩慢に感じるのは、きっともう私の脳が数秒先の未来にもたらされる死を自覚し、少しでもこの世にとどまらせてあげようという優しを見せてくれたに違いありません。
「……ふぅぅぅ……」
では……姫様……。
これがアンナベル=ベルベット、最後のご奉仕です。
『不滅の光が孕むのは、不惑な闇の清らかさ……』
チャキ……
腰の鞘から、左手で白柄の小太刀を抜きとり、逆手に構えます。
『無明の闇が照らすのは、無慈悲な光の冷徹さ……』
チャキ……
右手に握った黒柄の小太刀を同じように逆手に持ち替えます。
『刻の
両手に持った小太刀、二本。
自分の体を抱きしめるように腕を交差して構えたその刃先を、それぞれ自分の脇腹にあてがいます。
白柄の銘は『
黒柄の銘は『
癒しの『光』と滅びの『闇』。
そう、私が扱うことをこの世界の理から許された魔属性そのものの名を冠する武器。
二つの魔属性を持つこと自体稀であるというのに、そのうえ相反し、矛盾するはずの属性を抱えた私の特殊性を象徴する、私だけの得物。
『塵は塵に、花は花に、白は黒に、黒は白に、変える、還る、帰る……』
あなたの傍にお仕えできたことを誇りに思います、アルル姫……。
重すぎる家名や、背負わされた業に押しつぶされそうになっていたあの頃。
あなたに温かなお声を掛けていただいたこと、本当に感謝致します。
こんな私のこと……実の姉のようだと……無二の友人だと言ってくれたこと……本当に、本当に、嬉しかったです。
……ですから、姫様?
あなたが絶対に使用を禁じたこの魔術、使わせていただきますね。
『救いの園に喝采は響かず、破滅の
太極魔術≪メサイア≫。
詠唱とぞれぞれの属性を付与した刃物による二重の錠によって閉ざされ。
さらには己の身を裂く恐怖や痛み、命を捧げなければいけない躊躇いなどを含めれば何重にも枷が巻かれた禁呪。
『白光』、『黒冥』に色付けされた魔力を混合し、光射すところに影ができ、影差すところに必ず光がある……そんな『光』と『闇』の表裏性をそのまま具象化した秘術。
こうして私が今生きている以上、もちろん過去に使ったことはありません。
書物や私とは違う意味でこの術を扱うことのできる唯一の存在である姫様から教わった知識があるのみ、それですら具体的に何が起こるのかは未だわかりません。
ただ確実に言えるのは死。
術者と被術者、双方に100%の死をもたらすということ。
≪メサイア≫……つまりは救世主という名がついていますが、それがただの皮肉なのか、はたまた何某かの、誰にとっての救いが起こるのか……。
機会があれば、すべての魔術・魔法の祖であるリリラ=リリス=リリラルルにいつか聞いてみたかったところです。
……この目でちゃんと見られるまで、私の命があるかどうかすらもわからないのですから。
ああ、でも……
確かに救いを見つけ出せないこともありません。
姫様の元へ……私の大切な人の元へ。
彼女の、そして私と彼女の大切な人をキチンと返すことだけはどうにかできそうです。
……術の発動に必要なイマジネーションは、これだけで十分ではないでしょうか?
ヴブゥゥゥンンン……
そして見たこともない術式の描かれた円環が私の足元に展開します。
色彩は白と黒の二色。
環のちょうど半分づつのスペースを分け合い、そして白の域に黒、黒の域にし白の点が一つだけ打たれています。
まさに光と闇の混合物。
極点にありながら、その性質を同じくした類似性。
幾らでもどちらかがいくらでも入れ替わることができるほどの互換性。
金色の光に焦がれた日陰の花。
日陰へと逃げ込んで楽になりたい日向の花。
……ああ、改めてこうして視覚化してみれば、実に私にピッタリな魔属性ではありませんか。
『グヲォ!?』
同時に、猛進してくる≪王を狩る者≫の四つ足の下にもまた同じような円環があらわれます。
驚いたような声をあげますが、特に動きを封じるものではないようで、相変わらずの殺人的な速度。
≪メサイア≫を唱えても唱えなくとも、どちらにせよ私の命がここまでなのは揺るぎません。
なら……いいでしょう?。
ねぇ……アンナ?
あなたは……
あなたの大切な人たちのために、この命を燃やせるのですから!!
『太極の対極はまた太極……数多を余さず
「あ」
「あぁ?≫……」
ボゴガシャァァァァァァァァァ!!!!!!
ズブブブブブゥゥゥゥゥゥゥゥンン!!!!!
「あーあ」
「ぁぁぁぁあああ???」
どれだけ禁呪であろうが秘術であろうが、魔術は魔術。
しかるべき魔力、しかるべき詠唱、しかるべきイメージがなければ発現することはありません。
「…………」
唐突に耳に入ってきた誰かの『あ』にぷつりと途切れた集中力。
最後の最後の一文字が『あぁ?』と思わず上ずってしまった詠唱。
呑気な調子の『あーあ』のせいで『こっちがガッカリ!!』というツッコミばかりが先行して霧散したイメージ。
肩から指先までにかけて、まるで朱色のドラゴンが固く絡みついたような右腕を晒す大きな背中。
その背中におぶさるように張り付く、モコモコとした濃い紫の毛玉。
横合いから思い切り殴り飛ばされた挙句壁にたたきつけられ、気を失っている猫耳の人影。
……まぁ、ようするにです。
……はい……ええ……なんといいますか……。
もちろん、太極魔術≪メサイア≫はどのような救いももたらさず、不発のままに終わってしまったわけです。
「……わるい、ゼノ君。加減ができなかった」
「ギッタン♪ギッタン♪」
「あれ?ココ、元に戻っちゃった?」
「んんん?ココはここだゾ?」
「そのキョトンとした顔は可愛いけれども、あの幼さと知的さを兼ね備えたココも悪くなかった」
「おにぃさん、がっかりしてる?」
「うむ……ちょっとだけ?」
「…………」
「でも、やっぱりココはココ。変わらずに可愛いよ(なでなで)」
「むっふぅぅぅ♪♪」
「…………」
「……えっと……アンナ?」
「…………」
「アンナ?」
「……はい……アンナです……」
「おねぇさんもナデナデ?」
「……いえ、結構です……」
「おねぇさん、がんばったからナデナデしてあげたいのに……」
「あ、君がするんだ」
「…………」
「あーあ……(シュン)」
「ほら、アンナ。子供をガッカリさせるもんじゃないよ」
「こ……(わなわな)……」
「こ?」
「こっちがガッカリ!!!」
はい、それはもう……色々とガッカリです。
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