第二章・廃聖堂にて~ANNA‘s view⑤~

 一足飛びで距離を詰められたことも。

 構えていたはずの弓がいつの間にか槍へと変質していたことも。

 

 その槍が唯一の武器であった矢を叩き割り、タチガミ様の手の平ごと貫通させたことも……。

 

 すべてが一呼吸の間に巻き起こったことでした。

 

 状況変化のあまりの唐突さに一瞬呆けてしまいそうになりました。

 

 しかし、止めどなくタチガミ様の手から流れ出る鮮血の赤色と、それを見て思わず彼の名前を叫んでしまった自分の声の大きさで、私はかえって冷静さを飛ばさずに済みました。

 

 即時、反撃。

 

 私は自由の利く上半身を幸いと胸元にサッと手を差し込み、携帯していた暗器を取り出そうとします。

 

 「おっと、下手に動かない方がいいぞ、ねーちゃん」

 

 「何を言って……」

 

 「そうだ、動くな」

 

 敵たる猫目の青年ならばいざ知らず、助力しようとした相手からそう言われてしまうとは思ってもみませんでした。

 

 「しかし……」

 

 「動いたら君の首が飛ぶ」

 

 「?タチガミさ……はっ!!」

 

 そう言われて初めて私は自分の行動が浅はかだったことに気が付きます。

 

 ギリギリギリギリ……


 注意して目を凝らさなければわからないほど極細で透明なワイヤー。 

 

 それが猫目の青年の左手から伸びて、私の首にグルグルと巻き付いています。

 

 それもこうやって目視し、意識してもなお触れているという感触を抱かないほど絶妙な力加減。

 

 あのまま暗器を取り出して少しでもイキめば、タチガミ様の言う通りに私の首は今頃そこら辺りの柔らかな光の中に転がっていたことでしょう。

 

 「てめぇもだぞ。抵抗しようとしたらまず先にあのねーちゃんを殺す」

 

 「ああ、わかってる」

 

 「くっ……」

 

 最悪……。

 本当に最悪な一日です。

 

 いいえ、最悪なのは私ですか。

 

 あんなアホみたいな王子の命令に形だけでものっかっておこうとした保身。

 私なら大抵のことには対処できると自惚れていた慢心。

 逃げる選択を潰さざるを得なくなった油断。

 

 そして、青年のスピードについて行けずにあっさりと人質として囚われてしまった実力の不足。

 

 何をどうあげつらってみても、この危機的状況は自分自身が招いたもの。

 

 それも自分だけではなく、同行者のタチガミ様の足をことごとく引っ張っているではありませんか。

 

 ああ、本当に最悪……。

 

 「しかしよぉ……」

 

 状況的には圧倒的に有利なはずの猫目の青年。

 

 だというのに気を緩めるどころか、警戒心は何故だかより上がっている様子。

 

 語り掛ける言葉の端々に、どこか固いものが含まれています。

 

 「矢を叩き落としたことといい、ワイヤーのことといい、ホントにアンタは目がいいみたいだな」

 

 「勘がいいんだよ」

 

 そしてタチガミ様はタチガミ様で、人質をとられ、手の平を貫かれているというのにまったく動じた様子がありません。


 その不遜な態度が青年を、そして私をも揺り動かします。


 「それに槍を突くだけにしてはその左手、挙動が少し不自然だったし」


 「勘ねぇ……。じゃぁ、心臓を狙ったハズの槍がどうしてか手に刺さっているだけってのも勘のおかげか?」


 「いや、それは勘じゃない。単に見えたから避けただけ」


 「……やっぱり目じゃねーか。しかも避けきれてねぇし。……てゆーかよ?あえて躱さなかったろ?」


 「そんなことはないよ」


 「ちっ……食えねーやつ。……何を狙ってやがる?」


 「いや、ホントに結構早かったよ?」


 「ふん、励ましてんのか?余裕だな、おい……」


 「だからちゃんと早かったってば」


 「だから励ましてんじゃねーよ。別に気にしてねーし。なめてんのか?あっ?」


 「ところでその武器、どんな仕掛けがあるんだろうか?」


 「気にしてんじゃねーよ。今それどころじゃねーだろーが。やっぱなめてんだろゴラ?」


 「ボタン一つで組み替わるにしてはパーツに互換性がないし、ただ隠し持っていたにしてはそんな薄着じゃ無理そうだし……やっぱり何某か魔術的な働きかけが……」


 「気になり過ぎてんじゃねーよ!興味津々かよ!分析してんじゃねーよ!殺っちまうぞ、ゴラァ!?」


 「まぁまぁ、そんなに熱くなるなってば。せっかくのいい腕が鈍るよ?」


 「てめぇはもうちょっと熱くなれや!?なんだよ!?槍ささってんだぞ!?人質とられてんだぞ!?てめぇだけじゃねぇ、このねーちゃんの命かかってんだぞ!?マジで状況わかってんのか!?」


 「……君はいい奴だな。……そして若い」


 「あん!?」


 「悪役には向いてないよ、君」


 「何を言ってやがる、てめ……」


 「そういう俺は俺で……悪を成敗するような正義には決してなれない……」


 グググググググ……


 手の平に刺さったままの槍の先端など構わず、タチガミ様は右手を握り込みます。


 そしてそのまま、あろうことか自分からその手を青年の方へと押し込んでいきます。


 槍の柄に沿うようにして進むタチガミ様の右手。

 

 手の甲から穂先部分だけ顔を出していた刀身が、もはやその全貌をあらわしています。

 

 勢いよく噴き出し続ける血液……。

 

 その新鮮な赤色が、タチガミ様と猫目の青年双方の頬を濡らします。

 

 「た、タチガミさ……」

 

 「そんな正義の味方じゃない俺に、人質という手は通じない」

 

 「こ、こんの……」

 

 タチガミ様の奇行に動揺を隠し切れない猫目の青年。

 

 それでも彼はやはりその道の者。

 

 瞬時に頭を切り替え、わけのわからないことが現在進行形で向かってくる右手の槍のことを意識から一端放棄し。

 

 私の首を飛ばすべく左手に力を込めたのが、巻き付いたワイヤーの感触でわかりました。

 

 

 『私はこのまま殺されてしまうんだ』。

 


 ……とは不思議と思いませんでした。

 

 自らの手をグシャグシャに壊していっても止まらない男。

 人質のことを顧みない男。

 

 確かに、やっていることも言っていることも公明正大な英雄からはかけ離れた存在。

 

 正直、すっかり年相応な戸惑いの顔を見せている猫目の青年の方がよほど可愛げもあれば人間らしい態度です。

 

 ですが、なんでしょう……。

 

 私を庇うような位置でスッと伸びる背中。

 大きくて、広くて、頼もしい男性の背中。

 

 それを見ているだけで……。

 

 

 トク、トク、トク……

 

 

 またしても私の内側で。

 またしても心の奥のそのまた奥の一番深いところで。

 

 私のものであって私のものでないような感情が騒ぎ出します。


 大丈夫……。

  何も心配することはない……。

     彼を……彼のすべてを……。


 ―― 信じてあげて…… ――

  

 「え?」


 パチィィィィィンンン!!

 ボグシャァァァァァァ!!

 

 「ぐはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 張りつめた糸がはち切れたような鮮明で乾いた音。

 肉と骨が思い切り殴りつけられたような鈍くくぐもった音。


 それが空間に響き渡ったと思ったその直後。

 

 堪らずあげてしまったというような叫び声とともに、ズザァァァ!!っと盛大に廊下の床を跳ねながら滑っていく猫目の青年と。


 右手に突き刺さったままの槍をぶら下げ。

 

 こちらも青年の滑り以上の盛大さ具合でダラダラと血を垂れ流しながら。

 

 ちょうど吹き飛んでいった彼の側頭部辺りの高さまで足を高らかに上げた姿勢で佇む。

 

 正義には決してなれない男の背中が。

 大きくて、広くて、頼もしくて、それでいてどこか寂し気な彼の背中が……。    

 変わらず真っ直ぐに伸びていました。


 「……やばい……右手がめちゃくちゃ痛い」


 「……浅はかです」


 「え?」


 「……え?」


 そう呟いてしまったのは私……ですよね、もちろん?

 

 なんだか心どころか口まで自分のものではなくなってしまった感覚に一瞬とらわれてしまいましたが……。

 

 タチガミ様も、珍しく少し驚いたような声をあげてこちらを振り返ります。

 

 「……えっと……ケガはない?」

 

 しかし、やはり彼は彼。

 すぐさま平素のような呑気な調子で私に問いかけます。

 

 「は、はい。おかげ様で……っというかあなたの方こそそれ!!」 

 

 ハッとして彼のところに駆け寄ろうとする私。

 

 グイッ……


 ですが、足が動かずその場に釘付けになります。

 

 ああ、そうでした。

 そういえば私、縛られていたんでしたね。

 

 「ああ、もう鬱陶しい!≪解呪ディスペル≫!!」

 

 そう解呪のキーワードを唱えながら自分の影が伸びる床を苛立ちながら殴りつけます。

 

 パリィン……


 何かが割れるような音とともに、私の右脚に自由が戻ってきます。

 

 そのまま取るものも取らずという感じに彼の元に駆けていき、即座に治癒魔術の準備に入ります。

 

 「……床殴って解けるなら最初からやってくれよ」

 

 呆れたように言うタチガミ様。

 

 「別にあれだけで解けるほど単純な術式ではありません。あれはあくまでも最後に打ち込むコード。タチガミ様が立ちまわっている間も、戦況を見つめながら並行して解呪作業をしていのです」

 

 「そう?俺、無駄に痛い目にあったわけじゃない?」

 

 「痛い目にあったのは自業自得でしょうに。……それ、抜いてもいいですか?ちょっと更に痛くなると思いますが……」

 

 「もちろん。いい加減重たいんだよ、これ」

 

 「ああ、もうわかりましたから!そんなプラプラさせないで下さい!!バカですか、あなたは!?」

 

 「君にしてはストレート過ぎる罵倒だな」

 

 この形状だと素直に抜いても刀身の返し部分が引っかかりそうということで、タチガミ様は逆に握り手部分まで押し込んでいきます。

 

 その躊躇いのなさも、痛いといいながら脂汗一つかかない様も、本当にこの人は頭のネジが、それも割と主要な箇所の部分のものが幾つもぶっ飛んでいるのではないかと訝しんでしまいます。

 

 ……自分のことよりも他人のことのために立ち上がれる者が『正義の味方』という定義の一つだとしても。

 

 ……確かに、これほど自分のことに興味がない者、己の体を顧みない者に、正義という言葉は相応しくないような気がします。

 

 「≪キュアブライト≫……」

 

 ポウッ、と治癒魔術の優しい光が私の両手に灯ります。

 

 その手を穴が穿たれたタチガミ様の右手にそっと添えます。

 

 「まったく……こんなに無茶をして……」

 

 本来、≪キュアブライト≫の光を傷口に掲げるだけで治癒は進行します。

 

 しかし、私は、どうしてもその手に触れずにはいられませんでした。

 

 「……ごめん」

 

 「……何に対してですか?」

 

 「君と色々相談してから決めたかったんだけれど、そんな時間もなかったから。……勝手に突っ走しってごめん」

 

 「……姫様から聞きましたよ。同じように突っ走った姫様に畏れ多くもお説教をしたことがあったんですよね?そしてその舌の根も乾かぬうちにドナでは一人よがりに立ち回って、結局は姫様たちに助けられて……」

 

 「……返す言葉もないな」

 

 「……そうして、また同じことをあなたは繰り返しました」

 

 「……ごめん」

 

 「そのごめんは何に対してですか?」

 

 「いや、だから……」

 

 「別に怒っていません。言ってることとやっていることに矛盾が生じるなど、人にはままあることです。……むしろ、自分のようにはなってほしくない、自分はもうどうしようもないからせめて誰かには同じ轍をふんでほしくない。そういった思いやりから言動と行動が盛大に食い違ってしまう。……その不整合性を追求し、責め立てるほどに私ももう子供ではありません」


 「……大人だな、君は……」


 「ですが怒っていますよ、私は」


 グイ、と真っ赤に染まった彼の手を、力強く握ります。


 「……痛い」


 「ええ、痛いでしょう。それは痛いでしょう。こんな風に穴が開いて、血がいっぱい出て、痛いに決まっています。当たり前じゃないですか。バカなんですか」


 「痛い……主に心が……」


 「ですが、タチガミ様?……私の方が痛いんですよ?」


 「…………」


 「彼の動揺を誘うためにあえて人質をないがしろにするようなことを言ったり、突飛な行動をとって彼の心に隙をつくったり……他にスマートなやり方は幾つかあったのでしょうが、結果として命を助けられた身としては……自分の未熟さのせいで足を引っ張ってしまった身としてはこれ以上望むべくもないのかもしれません……ですがね、タチガミ様?」


 「…………」


 「痛いですよ……本当に痛い。……私の為に傷付き、私の為に血を流し、私の為に戦おうとするあなたの姿を見て、私は本当に痛いです。……他の誰でもない、自分の為にあなたが傷付くのを目の前で見せつけられた私の心は、あなたの数倍痛いです、タチガミ様。……こんなことならば、あのまま私を置いて一人で逃げ去ってくれればよかったのにと思うくらい……。本当に人質のことなど考えないでさっさと蹴り飛ばしてくれればよかったのにと思うくらい……」


 「……そうしたら今度は俺の心が君のように痛むんだろうな」


 「ええ、そうです。それがわかったのなら、以後気を付けてください」


 「……でも……これもアルルに言ったことだけれど、俺は俺の生き方を変えられない」


 「それでもです」


 「…………」


 「それでも気を付けてください。頭の隅どころか、頭の念頭に置いておいてください。……姫様が、あの眷属たる幼女が……そして私が……。あなたが傷付くたびに同じように傷つく人間が……いえ……」


 私は自然と首を振ってしまいます。


 「あなた以上に傷つき、泣いてしまいそうになる女がいるのだということを決して、決して忘れないでください」


 見つめ合う瞳。


 空虚な黒とくすんだ黒。


 同じ黒でもこんなに違う。


 性格も性別も。


 手の大きさも硬さも。


 生まれた世界も育ってきた世界も。


 何もかもが違う私と彼。


 ただこの時……。

 確かに温かな手の平と心だけは重なり合っていました。


 「……ごめん……」


 静かに彼はそう謝ります。


 「……そのごめんは何に対してですか?」


 「いや……まぁ……」


 スッと目をそらし、どことなく照れくさそうにするのは、あのカフェで私の髪を褒めてくれた時のよう。


 そんな可愛らしい顔、きっと姫様でもご覧になったことはないでしょう。


 私だけに見せる顔。

 私だけが知る顔。


 ……私だけの彼……。


 姫様には申し訳ないのですが。


 そのことがとてもとても嬉しくて幸福で。


 自然と頬をほころばせてしまう私がいます。


 「ほらほら、なんなんです?」


 「いや……だから……」


 「なんです?なんのごめんなんです?言ってください?ほらほら~♡♡♡」


 「……熱烈な愛の告白に対するごめん?」


 「思ってたごめんと違う!?」


 「君の気持には答えられないという意味のごめん?」


 「しかもフラれただと!?」


 

 カタカタカタカタ……



 「ん?」「ん?」


 やいのやいのと騒いでいる私たち。


 その横で、唐突にタチガミ様から抜き取った槍がカタカタと振るえます。


 騒がしさや弛緩した空気を嫌って身震いした……というわけではないでしょうね。 



 ヒュンンンンン……



 そして槍は飛び去ります。

 ……一体、どこに? 



 「フシュゥゥゥゥゥ……」



 弓の形状の時に自らが放った矢のように。

 迷いなく、一直線に。


 広い広い廃聖堂の廊下の先。

 そこで仁王立ちする主の元に向けて……。


 パシッ……コン……

 

 主の手に戻った槍の石突部分が床に付けられる小さな音がします。


 「…………」


 コンというだけの小さな小さな乾いた音。


 ありきたりな表現になってしまいますが……。


 その音が、これから更なる痛みをタチガミ様と私にもたらす戦いの、壮絶な第二幕を告げる鐘の音になるだなんて、誰が思っていたでしょう?



 ……ああ、でもあるいは……。



 「……ぶっ殺してやる……」

 

 体中に走る魔力路。


 それを視覚化できるくらいにまで青白く明滅させた猫目の青年。


 その瞳に似合う耳と尻尾、そして凶悪に尖った爪と牙を剥き出しにした猫目の青年。


 いいえ、もはやその表現よりも相応しい呼称を私は知っています。


 「……セリアンスロープですって?……」


 セリアンスロープ。……獣人族の青年。


 彼だけはもしかしたら、この後に巻き起こる鮮血色の嵐の到来をその場でただ一人、予想できていたのかもしれません。


 

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