10/The bloody carnival《2》
公龍は
アスファルトは罅割れ、自動車は乗り捨てられてその場に放置。引き裂かれるか踏み潰されるかして原型を留めない死体が赤黒い滲み同然にへばりつき、あちこちから火の手が上がる。ほんの一時間前まで街を彩っていたはずの
依然として《東都》の至る所で混乱は続いていた。
加えて
また交通事故や爆発事故などが連鎖的に起きた結果として交通網なども機能不全に陥り、警察主導の避難誘導や
《東都》が終わる――。そんな絵空事のような文句も、にわかに現実味を帯び始めていた。
「――邪魔だっ!」
公龍は立ちはだかる
「キリがねえ」
公龍は死体に向けて吐き捨て、再び走り出す。刃を握る右腕の血管が鋭く痛み、刃が毀れる。公龍はやむを得ず
段々と
公龍の耳に悲鳴が届く。公龍は急停止し方向転換。間もなく左手側の路地から子供を抱えた女が血まみれで走り込んでくる。すぐ後ろに迫っている
「伏せてろ!」
打ち込んだのは空砲。注射針の先端から頭蓋の内側へと大量の空気が送り込まれ、脳を圧迫。
「おいアンタ、無事か……ってそのガキ――」
公龍は思わず眉を顰める。女の腕に抱きかかえられた幼児はガクガクと痙攣し、皮膚は青灰色に変色。今まさに遺伝子変異を起こす寸前だった。しかし当の女は異変を異変として受け入れられず、腕の中で子供をあやしながら「大丈夫」とうわ言のように繰り返す。
「離せッ!」
公龍の叫びは届かず、遺伝子変異が発生。膨れ上がった子供の腕は母親の頭を熟れた果実のように握り潰す。公龍は子供の頭目がけて血の銃弾を叩き込む。まだ柔らかい頭蓋骨は砕け散り、脳と一緒にシェイク。首から上の無くなった死体が二つ、道の真ん中に沈んで血の池をつくる。
「クソっ! ふざけやがって!」
公龍は曇天を衝くように吼える。
これが祝祭。賢政会と〝六華〟が企てた、《東都》を失墜させるための一手。
確かに、奴らの目標は成就し《東都》は機能不全に陥った。広がる混乱と恐慌は震災の暗黒期にさえ匹敵するだろう。それは口当たりのいい虚飾の繁栄によって偽りの楽園を築いてきた《リンドウ・アークス》には然るべき報いだと言えるのかもしれない。
だがいかに《リンドウ・アークス》が悪辣な人体実験をしていようとも、《東都》に生きる人々に罪はない。女子供でさえもバケモノ同然の
公龍はやり場のない怒りを握った拳に留め、移動を再開しかけて止まる。思い至った可能性に強烈な胸騒ぎを憶えていた。
確かに、《東都》は機能不全に陥った。それは揺るぎない事実であり、《リンドウ・アークス》にとって間違いなく大きな痛手になっている。
だが裏を返せばそれだけだ。《東都》は破壊され、築き上げた栄華には泥が塗りたくられたが、それでもまだ《東都》の転覆には程遠い。この地で生きる人々がいれば、何より《リンドウ・アークス》があれば、また《東都》は再興する。いやあるいはこの混乱で《リンドウ・アークス》の信頼が地に堕ちたとして、たった一〇年足らずで繁栄を遂げた《東都》の都市運営に関するロールモデルとしての地位は揺るがない。
混乱も、恐慌も、狂気も、流れる血も、《東都》という魔物を葬るにはまだ足りない。
公龍はそこまで思考を巡らせて、そうではないと思い直す。
足りないのではない。根本的に違うのだ。賢政会――政岡白雪はきっと、こんな方法で《東都》転覆が果たせるとは考えていない。
たとえば、地下迷路街の闇市場にて大量に発注されていた小銃の
たとえば、この混乱のなか賢政会最強の戦力である〝六華〟の連中はどこで何をやっている?
もはや胸騒ぎは確信めいた悪寒へと変わっていた。
公龍は
四区、六区、八区、一一区、一三区、一五区、一六区、一八区、二一区、二二区――。
それらはまるで、ある一点を避けるように、円を描くように結びつけられていく。まるで解薬士や
そう、この地獄のような混乱は全て単なる誘導。解薬士を引きつけ、
「狙いは一区……《リンドウ・アークス》本社、ノアツリーか」
公龍は祝祭の本質へと手を掛ける。だがその行く手を阻むかのように、夥しい狂気の気配が公龍を取り囲む。一体何に釣られて現れたのか、大量の
「タダじゃ行かせてくれねえってか……上等だ」
公龍は
既に満身創痍の身体を奮い立たせるように、獰猛な笑みを口の端に浮かべた。
†
執務室に光はない。完全に消灯された室内は静謐さをまとう暗闇で満ちている。
静火はやがて閉じていた目をゆっくりと開く。僅かに眉を顰めれば、たったそれだけで室内の空気が緊張を帯びた。
「外……
静火が呟くと室内におぼろな明かりが灯る。執務机と応対用のソファとテーブル。数式が走り書きされたクリアボード。壁際に本棚が一架あるのみの殺風景で広大な――よく言えば一切の無駄が削ぎ落された室内が露わになった。
「そうですか。私には、何も」
入り口のすぐ横で壁に沿うように立つルベラ・レグホーンが困惑したように首を横に振る。
ルベラの言うことは尤もだ。この執務室は完全防音を備えているし、静火が今背にしている一面のガラスはもちろん、壁の建材までも対物ライフルや戦車の砲撃を受けても傷一つつかないシェルター同然の仕様になっている。そもそもここはノアツリーの地上七二階に位置している。室外の、ましてや地上の喧騒など入り込む余地はどこにもないのだ。
故に〝騒がしい〟と静火が感じ取ったものは第六感でしか説明のしようのない気配。そして先の言葉は全てが手の内で起きていることを仄めかす宣言に近かった。
「愚者の祭りが始まったのだろう。既に
「はい。先ほど指示を頂いた通りに」
「そうか。これは裏をかかれたね」
静火は顔の前で手を組み、口元に笑みを湛える。言葉とは裏腹にまだ表情には余裕が伺えた。
「……呼び戻しますか?」
「いいや、その必要はない。街は街で対処が必要だ。市民への被害は最小限に食い留めておく必要がある」
ルベラの困惑はより一層深まっていた。だが静火に言わせてみれば、側近である彼女が何かものを考える必要はない。静火にとって最強の矛として存在しているだけで、彼女の責務は十分に果たされている。道具に思慮は必要なかった。
「裏をかかれた、と言っても想定の範囲内での話だ。だが多少プランを早める必要が生まれた。そして、そのことはある種の僥倖でさえある。多少強引だが、障害はない」
もちろんルベラに話したところで、彼女は何一つとして理解できない。だからこれは、静火自身の確認作業であり、ただの独り言に近かった。
静火はゆっくりと立ち上がる。ルベラはその動作と意図に機敏に反応し、
「どちらへ……?」
「父上のところに。まずはこの混乱の芽を摘んでおかないと」
静火は朗らかな声音で言いながら、感情を宿さない双眸でこれから起きる全てをはっきりと眼差していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます