08/The rulers’ gathering《2》
「もちろん今日集まったのは
静火に指名された久世が立ち上がる。円卓の中央に
「この通り、新羽田エボラ事件以降、《東都》を訪れる観光客は激減しています。このままだと今月の
淡々と事実が告げられる。もちろんこの程度の情報はここに集まる彼らにとっては既に知るところであるので、特別驚くような声やわざわざ危機感を露わにする者はいない。
「新羽田空港の営業再開見込みは再来月。来月の《東都》設立一〇周年記念式典は予定通り開催されますので各国要人の入都経路などは改めて立案する必要がありますが、それ以前に《東都》への訪問を渋る方も出てきており、状況は深刻です」
「風評被害、ということですか……」
「それに近いだろう。だが久世統括の言う通り事態は極めて深刻だ。先月の
「ちょっと景気が傾けばすぐ文句を垂れるのね。どいつもこいつも知能が足りてないわ」
神楽が溜息を吐く。思えば、この姉は物心ついたときから大人も舌を巻くほど優秀で、ゆえに非常に偏った選民思想の持ち主だった。馬鹿と自分に盾突く奴は死ねばいいと割と本気で思っている。
「神楽、そう言うな。そんな民を導くのが我々《リンドウ》に名を連ねる者の使命でもある」
こういう台詞を何の躊躇いもなく、むしろそれが真実で真理だと言わんばかりの調子で吐き出すからこそ、泉水は自分に流れる血に寒気がした。
「ニイバネでの一件、事の発端はかつて我々が医薬特区を吸収して従事していたあるプロジェクトに関する機密漏洩にある。この件に関しては将厳。君から説明してもらおう」
静火の鋭い眼光に気圧されながらも将厳が立ち上がる。将厳は額に浮かぶ脂汗を拭きながら、助け船を求めるように統郎を一瞥する。しかし統郎は腕組みをしたまま座しているのみで、将厳の視線など意に介さない。
「問題となっているファイルについてでありますが……」
将厳が口を開く。七割が言い訳の説明など真面目に耳を傾ける意味はない。泉水はそう断じて、視線を将厳から静火へと移す。
泉水は既に静火の目的に勘づいていた。
F計画に関する機密は官僚時代から宅間と付き合いがあり、なおかつ当時《メディガンズ》を擁する薬事案件対策局の局長であった将厳の元から経由された可能性が大きい。もちろん可能性が大きいなどという話ではなく、静火は既に将厳が情報の出元である確かな証拠を握っているのだろう。あるいは将厳は単なるミスではなく、宅間と組んで意図的に情報を流していたのかもしれない。
どちらにせよ、将厳は自らの口で自らの失態を語る他にない。
この
そして静火はこの件をきっかけとして、グループ首脳陣の勢力図を塗り替えるつもりだろう。
ここに座す面々は大きく、父・統郎の派閥か、長男・静火の派閥に属するかで分けることができる。
統郎派に属するのはまず、最も付き合いが古い盟友の旭衙門。そして今矢面に立たされている娘婿の将厳。神楽は権力争いなどくだらないと思っている手合いだが、昔から静火が嫌いなのでどちらにつくかと言われれば、幼いころから自分を溺愛してくれてきた統郎を選ぶだろう。
一方の静火派は、現状では統郎の妹婿であり静火の才覚に心酔している久世刈弥のみ。一般社員からの人望は厚いらしい静火だが、CEOにも関わらずこれまで
だが今この場には静火の息のかかった懐刀と言ってもいい男、竜藤連地がいる。
その理由には既にここにいる全員が気づいているに違いない。
将厳が弁明を終え、席に座る。ワイシャツの襟が汗に濡れて色が変わり、唇は青ざめている。あれほど雄弁で強硬派だった男は見る影もなかった。
「なるほど。では宅間は我々を強請るつもりで、医薬特区吸収の際の引継ぎ時にデータのコピーを取っておいたと。将厳、君はそう考えているということだね?」
「……は、はい。その通りです」
「そうか。それは君の管理責任が問われるな。現状、データは賢政会の手に渡ったまま。君が傘下のフォルター・ワークス社を動員して行った交渉も失敗している。しかも肝心の賢政会二代目、政岡白雪の行方は掴めないままと。おまけに新羽田での一件、
「も、申し訳ございませんっ! 政岡白雪の行方に関しては、
「そうでなければ困る。父上、竜藤統郎が築き上げたシステムでもあるんだ。あとはその
静火は言って、沈黙を守っている統郎を見やる。ぶつかった両者の視線が目には見えない火花を散らす。
「お義兄さん、もう少し時間をください! 必ずや政岡白雪を捕らえ、データを取り戻して……いや、賢政会の息の根を止めてみせます!」
将厳が机を叩く勢いで身を乗り出し、静火へと懇願する。しかし静火はゾッとするとほど冷たい笑みを口元に浮かべ、首を横に振る。
「もうその言葉は聞き飽きたよ。できる人間は今更になってできるなどと口走らない」
「お義兄さんっ! お義父さんっ!」
将厳は静火に訴え、それからもう一度統郎に助け船を求める。だがその必死さを握り潰すかのように、静火が将厳に告げる。
「止めてくれ。《東都》を支配する竜藤の一族に、君のような無能はいない」
「それは、どういう……」
「市民を導く我々には常に責任が伴う。そんな当たり前の話だ。……父上も、それで構わないね?」
静火が穏やかに言い放つ。この問いに答えることが何を意味しているのか、統郎が理解していないはずもない。
「いいだろう。たった今をもって、
頼りにしていた統郎にすら見捨てられ、将厳が膝から崩れ落ちる。所詮は血の繋がり無き家族。政略結婚で招き入れた男とは言え、統郎からすればその程度の価値しか持ち得ていなかったということなのだろう。
だがこの決定は、長らく一強だった竜藤統郎の玉座にはっきりと亀裂が入った瞬間でもあった。
「後任はどうするのかしら? この現状で
凍りつく空気を歯牙にもかけずに口を開くのは女帝気取りの神楽。だが発言の内容は的を射ている。《リンドウ・アークス》としては賢政会の脅威が依然として存在する現状で
当然、静火の思惑はたった今生まれた空席に連地を座らせることだろうが、そう簡単に統郎が首を縦に振るはずもない。この駆け引きは見物だ。
「その件ですが、通例であれば
先手を打ったのは統郎派閥――旭が口を開く。もちろん静火もこれにすぐさま応戦する。
「そうだね。副統括は確か伊久早さんだったな」
「ええ。非常に優秀ですよ。人当たりも良くて部下の信頼も厚く、傘下の解薬士事務所との関係も良好です」
「だが実戦経験がない」
「彼女が実際に戦うわけではありません」
「もちろんそうだ。だが有事の今、ものを言うのは信頼ではない。必要なのは、有無を言わせず迅速に駒を動かすことのできるカリスマだ。それに立て続けに大きな事件に見舞われているのが今の《東都》の状況。
「ねえ、静火。まさかそこの小僧を統括に据えようって気じゃないでしょうね? さすがにそれはおふざけが過ぎるわよ」
旭を捻じ伏せた静火に、神楽がすかさず横槍を入れる。狙ったわけではないだろうが、静火への牽制としては完璧だ。だが静火は笑みを深くする。
「連地も才覚は十分だろう。だが経験がない。この局面を任せるには少々荷が重いことは否めない」
てっきり連地を将厳の後釜に据えるつもりだろうと踏んでいた泉水は、静火があっさりと引き下がったことを意外に思った。そうなれば他に考えられる人物はこの場にあと
ならば、なぜ今日自分はここへ呼ばれたのだろう?
浮かんだ疑問は全て、静火が続けて口にした言葉によって理解へと変えられた。
「設立から一〇年。今この瞬間が正念場だ。そこで私自身がCEO業務と兼任して
完全に想定外の提案に、誰もが息を呑んだ。
社長直々にこの事態を収める。もちろんしくじれば大きな失点。だが成功すれば静火の発言権はより巨大になると同時、《リンドウ・アークス》の武闘派が丸ごと静火の手中へと収められることになる。
統郎を本気で追い落とそうとするならば、
静火が泉水を一瞥する。その視線には、お前が一体何を企もうと自分が全て真正面から叩き潰してやるという、傲岸不遜で圧倒的な自信に満ちた
「ですが社長。それでは社長への負担が大きすぎるのでは……」
「問題ない。私を誰だと思っている?」
ほんの一睨みで二回りも年上である旭の反論も制される。神楽はもう既に話し合いに飽きたらしく、欠伸を噛み殺している。静火を信奉する久世と連地が口を挟むことはないし、将厳には既に発言権すら存在しない。
この場の趨勢は、統郎の一存に委ねられていた。
「どうだろう、父上」
静火が統郎へと矛先を向ける。同時、これまで両者の背後で我関せずという態度を保っていたウォンとルベラの両付き人が殺意にも近い鋭い覇気をまとう。
とは言え、この混乱をつつがなく収めるのに静火以上の適任は存在しない。統郎は静火の思惑を理解した上でそれを呑む他に道はないだろう。
統郎は獰猛な笑みを頬に刻んだ。
「いいだろう。面白い。この件は貴様に一任する。だが正式な次期統括の件は一度保留だ。事態の収束を見て、適任を考える」
「ご英断、感謝いたします。父上」
それが最善の落としどころだろう。
だが同時に統郎は実の息子である静火に「できるものならやってみろ」と言外に告げていた。そして静火も一歩たりとも退くことなく、それを真っ向から受け止めた。
「お開きでいいわね?」
そんな空気を物ともせずに口を開くのはやはり傍若無人の女帝。彼女は立ち上がるや、誰の返答も待たずに会議室から退出していく。
「貴重な時間を割いてくれて感謝する。各々、自分の業務に戻ってくれ。それと、連地と将厳はこの後俺と一緒に来てくれるか? 簡単に引き継ぎを済ませる」
「分かりました。静火兄さん」
他の役員が退出していくなか、将厳は未だ立ち上がることすらできていない。一方、泉水の隣りでは立ち上がった連地が一瞥をくれる。勝ち誇った顔は、正妻の子かつ兄である泉水ではなく妾の子である自分が選ばれたということに対する異常な優越感が理由だろう。
「泉水兄さん、これでもう、《リンドウ・アークス》にあんたの居場所はない」
「別にいらないよ。昇進おめでとさん。貧乏クジじゃないことを祈ってるよ」
泉水はにこやかに告げ、足を引き摺りながら会議室から出ていく。
問題ない。もちろん今回の決定で多少の計画修正は余儀なくされ、進行にはよりいっそうの慎重さが要求されるようになるが大勢に変わりはない。
それに今は、そんなことよりも重大な問題がある。
泉水は
囚われていたアルビスからも、それを助けに向かわせた公龍からも連絡が途絶えて既に二日が経っている。公龍はともかく、アルビスから何の連絡もないのは不自然だ。
二人が揃ってやられたとは考えづらいだろう。だが状況は楽観視してはいられない。静火が動く以上、《リンドウ》よりも先に賢政会の思惑を食い止めさせなければならない。
「……全く、どいつもこいつも、世話の焼ける兄弟ばかりでうんざりだ」
誰に聞き届けられることもない愚痴を溢し、泉水はノアツリーを後にする。
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