05/A smorking memory《2》

 銃声が吹き荒れる。投げこまれた手榴弾が弾け飛び、爆風が瓦礫を呑み込んでいく。轟音に紛れて誰かの怒号が飛んでいた。

 アルビスは崩れた壁を背にして身を隠し、周囲の様子を伺う。敵味方入り乱れての激戦は凄惨極まる様相を呈していた。

 爆発で千切れ飛んだ手足はもはや敵味方どちらのものか分からない。至る所に内臓や肉片が散乱し、咽返るような悪臭が立ち込める。もはや敵を何人殺したか、味方が何人死んだかなど分からない。少なくともついさっきまで威勢よく銃弾をばら撒いていたあの金髪の傭兵は、頬骨から上が吹き飛んだ状態で地面に伏していた。

 問題は敵が事前情報にはない最新式の軍用無人機バトルドローンを買い入れていたことにある。

 バスケットボール程度の大きさで空中を自在に浮遊し、機関銃や爆弾、レーザー砲など自在に換装できる装備で襲い掛かってくるドローンはそれだけで脅威だ。加えて高解像度のカメラアイを搭載する無人機ドローンは捉えた獲物を見逃すことなどない。生体反応が完全に停止するまで、たとえ地獄の果てであろうと追い駆けてくる。

 つまるところ生身の人間が相手にしていい代物ではないのだ。


「倍上乗せというのはこういうことか」


 アルビスは雇用主の言葉の意味を今更ながらに理解する。だが一度投入されてしまった以上、恨み言を募らせても意味はない。

 アルビスは五感を研ぎ澄ませる。無人機ドローンが周囲をうろついていることは分かっている。しかし爆発音や銃声のせいで、肝心の無人機ドローンの駆動音が聞こえない。生身で無人機ドローンに勝つには奇襲しか方法がないが、情報戦においても圧倒的な後手に回っている。


「出たとこ勝負しかないな」


 アルビスは使いかけの弾倉を新しいものに取り換える。榴弾など残りの装備を確認し、立ち上がるや低く駆け出していく。周囲を旋回していた無人機ドローンがアルビスの動きを感知。すぐさま方向転換し、アルビスに機関銃の銃口を向ける。

 掃射される銃弾を別の壁の陰に飛び込んでやり過ごす。しかし別の無人機ドローンがアルビスの正面へと回り込んできてレーザー砲を放つ。

 息つく間もなくアルビスは回避。背にしていた壁がレーザーに穿たれて溶ける。アルビスは抱えた小銃の引き金を引いて応戦。だがろくに照準を定める余裕さえ与えられず、別方向から銃弾の雨が襲い掛かる。

 このままではジリ貧だった。強引な回避にもすぐに限界が訪れる。

 アルビスは手榴弾のピンを引き抜いて投擲。無人機ドローンはすぐさま回避行動に移り爆発を免れるが、広がった煙はほんの一瞬だけアルビスの位置を攪乱してくれる。

 アルビスは前のめりに傾いたトラックのコンテナを蹴り、まだ辛うじて原型を留めている建物の窓から二階へと飛び込む。僅かに遅れて無人機ドローンが追随してくる。

 飛び込んだ先は真っ直ぐに伸びる通路。アルビスは振り返り、窓から飛び込んでくる無人機ドローンを真正面から迎え撃つ。

 機関銃が放たれる。アルビスは無人機ドローンへ向けて加速。身体を捻り、壁を駆け上る。擦過する銃弾がアルビスの肩や腿を浅く引き裂いていく。


「ほぅぅううううらあああああっ!」


 天井すれすれに滞空する無人機ドローンへと飛びかかる。小銃の銃床ストックを振り下ろしてプロペラを破壊。重力に引かれるまま、無人機ドローンとともに床へと落ちる。

 アルビスは踏み抜いて抑えつけた無人機ドローンにありったけの弾丸を叩き込む。無人機ドローンは火花を散らして沈黙。だが安堵するにはまだ早すぎる。

 既に二機目――レーザー砲を備えた無人機ドローンが窓から侵入してきている。アルビスは入れ違うように窓の外へと身を投げる。

 空中で身を翻しながら小銃を再装填。方向転換し、背中から落下していくアルビスへとレーザー砲を向ける。

 放たれた光がアルビスの左肩を貫く。アルビスは痛みを噛み締めた奥歯で磨り潰し、右腕一本で支えた小銃の引き金を引く。

 天へと昇る弾丸がレーザー砲の発射口もろとも無人機ドローンを貫くのと、アルビスが地面に叩きつけられるのはほぼ同時。爆散した無人機ドローンの破片が、勝利の祝福にしてはあまりに手荒くアルビスへと降り注ぐ。

 だが眇めた視界に見えたのは、黒い空をバックに鈍く光る三機目の軍用無人機バトルドローン

 カメラアイの無機質な視線がアルビスを吸い込むように捉える。

 しかし無人機ドローンの機関銃よりも先に殴りつけるような銃弾の嵐が到来。無人機ドローンは滞空姿勢を大きく崩す。

 アルビスは落下の拍子に取り落していた小銃の元へ飛び込み、地面を滑りながらの狙撃。無人機ドローンは吸い込まれるように命中した銃弾に食い破られて爆散する。

 爆発の熱風をまだ頬に受けながら、アルビスは背後を振り返る。間一髪でアルビスを救った銃撃の出所には伏射姿勢で拳を突き上げているアンリの姿があった。


「助かった。礼を言う。アンリ・ノワール」

「俺は今、人生最高の瞬間を味わっているのかもしれないよ。アーベント」


 そこからは圧倒的だった。

 アルビスが切り込み、アンリが攪乱する。あるいはアンリが風穴を開け、アルビスが仕留めに掛かる。言葉を交わすことなく編み出される連携は颶風となって戦場を駆け、次々と軍用無人機バトルドローンを撃墜。街に広がる混乱と炎を静寂と灰に変えていった。

 混戦を極めていた市街戦はそれから半日と経たず、アルビスたち政府側の勝利で幕を閉じた。


   †


 それ以来、アルビスとアンリは幾度となく戦場を共にした。

 戦場を歩く上で必ず付き纏う死の気配を振り払うように、アンリはアルビスの背中を追いかけてきた。

 アルビスも鬱陶しいとは思いつつも、それを拒むことはしなかった。常に死に怯え、殺すことに怯えるアンリはその心情とは裏腹に優れた兵士だった。つまるところ、時折背中を預けられるくらいには優れた存在だったのだ。

 そんな最中だった。アルビスが《リンドウ・アークス》の躍進を知ったのは。

 傭兵にとって、世界で起きている様々な出来事というのは次の戦場しごとばを嗅ぎ分けるための重要な情報源となる。たとえばある国でナショナリズムを掲げる新与党が誕生すれば、それは内紛の種になる。あるいはとある世界的企業が経営不振に陥れば、途上国にあった工場が閉鎖され職を失った民が不満を募らせる。その不平不満もやはり戦と金の匂いを醸す。そういう匂いを嗅ぎ分けながら世界を渡り歩くのが、クレバーな傭兵として当然の在り方と言える。

 だからその極東にあるとある製薬企業の凄まじい発展がアルビスたちの耳に届くのも、ある種当然のことだったと言える。


「地球の反対側が面白いことになってるな」


 反政府軍に雇われてアルゼンチン陸軍一個師団を壊滅させた戦いの後だった。

 アルゼンチン・メンドーサ。アルビスたちは標高八〇〇メートルの高原地帯に位置し、隣国チリとの交通の要衝として反政府軍の重要拠点であるこの街の、大衆酒場で今日の戦果を祝っていた。

 誰かが自前のタブレット端末を見て言った。その声に反応した各々が端末を取り出し、何が起きたのかを調べていく。事態を理解したものから口々に批評を始め、今後の東アジア情勢を占っていく。

 アルビスが牛肉の塩焼きアサードにナイフを突き刺し口に詰め込んでいる隣りでは、チョリパンを邦張りながら油まみれの指で端末を操作するアンリが座っている。


「〝先進資本プロジェクトの本格始動。東京が《リンドウ・アークス》による特別復興指定都市に任命〟だとさ。秩序の話だ。どうやら俺たちには縁遠い」


 アルビスはマテ茶で肉の脂を流し込み、アンリの言葉に応える代わりに油でべとべとになった端末を受け取った。

 表示されているのはCNNのニュースサイト。たった今アンリが読み上げた通りの見出しが画面の上部で踊っている。掲載されている画像は現職の総理大臣と厚生大臣に挟まれて凛々しい笑みを湛える竜藤統郎りんどうとうろうを写していた。

 不意に端末を握るアルビスの手に力が籠る。画面には亀裂が走り、竜藤統郎の顔を真っ二つに裂いた。


「どうしたんだ、アーベント」


 アンリが怪訝そうな眼差しを向ける。酒場の喧騒は遠退いていき、アルビスは自らの喉の奥が妙にざらつく不快さを感じていた。アンリは重ねて質問しようと口を開きかけて言葉を呑む。歴戦の傭兵すら尻込みさせるほどに、アルビスから滲む空気は冷たく凍えていた。


「私は降りる」


 長い沈黙のあと、アルビスはそれだけ言った。机に注文した料理の三倍の金額の紙幣を置いて席を立つ。

 店の外は雨が降っていた。空は崩れ落ちてきそうなほど深い黒で、どこか遠くでは稲妻の轟く音が響いている。


「おいおい待ってくれよ、アーベント。確かに反政府軍こっちは分が悪い。だが戦場単価アラカルトだ。もう二、三戦やってずらかればいい」


 店の外まで追ってきたアンリがアルビスの肩を掴む。アルビスはアンリの手を振り解き、憎悪一色に染まり切った薄青の瞳を向ける。


「おい、どうしたんだよ。まさか降りるって……」

「傭兵はもう終わりだ。たった今、私にはやるべきことができた」


 アルビスは言って、首を横に振った。もはや目の前に立つアンリの姿など見えておらず、脳にこれでもかと焼き刻まれた竜藤統郎の顔が意識のそこかしこに張り付いていた。


「いや、違う。元より私に定められた軌道だった。そして今が、その選択のときなんだ」


 いつか必ず戻ると誓って生きてきた。母を惨めな死に追いやったとその一族にいつか必ず報いを与えなければならないと思って生きてきた。

 復讐を果たすことだけがアルビスの生き方だった。そのために全てを費やしてきた。武術を学び、戦う術を学んだ。冷徹に他人を殺し、立ちはだかる全てを踏みつぶすだけの武力を手に入れた。

 だがもう猶予はない。アルビスが世界中の紛争を渡り歩いているうちに、竜藤統郎は巨大な都市の怪物と成り果てたのだ。


「俺にはアーベント、君が必要だ」

「悪いな。俺にお前は必要ない」

「待てって!」


 冷酷な言葉を投げつけて去ろうとするアルビスに、アンリが掴みかかる。アルビスは容赦のない機敏な動作でアンリの腕を取って捻り上げる。アンリは宙で一回転し、石畳の上に背中から叩きつけられる。肺から空気を絞り出されたアンリが情けのない呻き声を漏らす。


「終わりだ」

「おい、待ってく」


 言い終わるのを待たず、アルビスは拳を振り下ろす。鈍い音が響き、アンリの意識は沈没。折れた鼻から流れる血が地面に広がる泥水と混ざっていく。


「せいぜい死なぬように気をつけろ。お前は戦場でできた唯一の友だった」


 聞き届ける者のいない言葉をそっと残し、アルビスは降りしきる雨のなかへと紛れていく。


   †


 規則正しく滴り落ちる水の音が、深く沈んでいたアルビスの意識を呼び起こす。

 最初に感じたのは黴と潮の混じる不愉快な臭い。続いて水溜まりの上をネズミか何かが這っていく気配を感じた。

 おそらくは地下。それも湾岸部に近い場所だろう。アルビスは懐かしい記憶を振り払い、まだ判然としない頭で自らが置かれた状況をそう整理する。そしてここに至るまでの経緯を辿った。

 アルビスは泉水との会談中に〝六華〟のリーダー格の男――ターン=カームによる襲撃を受けた。だが呆気なく敗北。ターンはトドメを刺すことも可能だったが、そうはしなかった。

 ターンの目的は全く分からなかった。せめて大の男が椅子に縛られた状態で糞尿を垂れ流しながら衰弱死していく様を眺める変態趣味の持ち主でないことを祈った。

 ぼやけていた視界は間もなく焦点を結び、裸電球が一つ吊るされているだけの暗い室内の様子が露わになる。

 目覚めた時点で既に分かっていたことだが、アルビスは鉄製の椅子に拘束されていた。背もたれの後ろで腕を縛られ、腰は座面に、足首は椅子の脚にきつく固定されている。身体を揺すってはみたが椅子が動く気配すらなく、椅子そのものが地面に固定されていることが伺えた。

 部屋はそれなりの広さがあった。等間隔で柱が並んでいるあたり、元は商業施設のワンフロアか駐車場だったのだろう。とは言え原型がなさ過ぎて、それ以上の推測はできない。見える限りの壁や地面には苔と黴が生え、コンクリートが崩れたことで剥き出しになった鉄骨には赤茶けた錆が浮かんでいた。


「おはよう。アーベント」


 突然に背後から声が聞こえた。続いて濡れた地面の上を歩く足音。

 ターンはアルビスの肩を指先で撫でながらゆっくりと視界に姿を現す。そして赤い髪を掻きながらアルビスの視線まで身を屈める。


「おはよう。これでようやく話ができる」

「……話? 何が目的だ」


 アルビスが言うと、ターンは口元を吊り上げて不気味な笑みを作った。


「目的……。そう、目的。そんなのは決まっているじゃないか。アルビス・アーベント、君を初めて知ったそのときから、君は俺の目標だった」

「何を、言っている……?」

「ああ、そうだね。この姿じゃ分からないのも無理はない。いいんだ。すぐに思い出す」


 ターンは小さく息を吐いてゆっくりと身体を起こす。するとターンの肌の上に無数の鱗のようなものが浮かび上がった。そしてそれらはまるで蠢き、ターンの姿を丸ごと作り替えていった。


「な……」


 異様な光景に対するアルビスの驚愕は、不気味な笑みの内側から現れ出たターンの姿への驚愕によってすぐさま塗り替えられていく。


「お前は……」

「そう、これが俺の元の姿。人に見せるのは随分と久しぶりだ」


 弱々しささえ感じさせる柔らかな表情は僅かに黒く粘ついた感情を滲ませて。

 現れた男――アンリ・ノワールはアルビスに向けて微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る